第13話

会社帰りに、一人でせっちゃんに寄った。おばちゃんは、「いらっしゃい」とだけ言ってテレビを見ている。薄暗い店内は、所々に油染みが付き、テーブルの上に立て掛けてあるメニューも壁にはってあるお品書きも新しい頃が想像できないくらいに黄色く変色している。壊れかけた椅子に腰を下ろして、僕はメニューを見上げた。

元々、僕たちは痩せていた。兄が太りだしたのは、僕が小学四年生のときだった。兄は六年生だった。クラスの中で好きだった女の子が転校してしまったのがきっかけで、それからやけ食いが始まった。母は「あっと言う間にデブになった」と言っていた。僕は兄の真似をして食べた。好きな女の子とか、太るとかっこ悪いとか、そういうことに僕は無頓着だった。ただ、どんどん大きくなっていく兄が羨ましくて、負けないくらいよく食べた。僕はなかなか兄に追いつけなかったけれど、小学校を卒業する頃にはすっかり僕もデブになっていた。そうになると、周りの僕を見る目は変わった。僕はすっかりお笑いキャラとなり、デブネタでみんなを笑わせるのが日課になっていった。笑わせることで安心するようになった。笑わせられないと、自分の存在価値が無くなるようで不安だった。だから、人が笑えば何でもやった。給食では早食いで教室を沸かせた。小学校の修学旅行でアソコを見せ合ったときに、僕だけ毛が生えていてみんなが笑った。それだけで、笑わせられたことで有頂天になった。中学校の卒業旅行のときにも見せ合った。当然、毛はみんな生えていたから、それだけではウケなかった。どうすれば良いかわからずもじもじしていたら、みんなが僕を見て薄笑いを浮かべていた。脂肪にめり込んだおちんちんをみんな横目で見た。

「ポークビッツみたいじゃん」

誰かが言った。するとどういう訳か、皆が一斉に笑った。意味がさっぱりわからなかったが、僕はそれでも良かった。どんなネタでも笑われればアドレナリンが放出された。自分がそこにいることを許される気がしたのだ。

高校に入学して入った演劇部でも、ウケを獲ることに僕は心を砕いた。そこでも大食いネタと裸ネタはウケた。僕がもらえる役は、王様や日本にやって来たアフリカの村長や銅像といった裸の役ばかりだった。大学生になっても演劇部を選んだが、そこでは笑いをとるだけでは人気者になれなかった。部員はみんなカップルになっていき、彼女のできない僕は孤独だった。あだなはトトロだった。

何をやってもダメな僕は、女の子を好きになることも本当にへたくそだった。同じ演劇部にいたカヨちゃんは、僕と同い年で髪をソバージュにしたちょっと癖のある女の子で、絵がとても上手だった。部室で二人きりになったときに、彼女は僕の似顔絵を描いてくれた。

二人で話すこともなく時間だけが流れる重い空気が漂う部室で、彼女はつまらなそうにノートに視線を落してペンを滑らせていた。お互いに違う方を見ていたはずなのに、ノートには窓の外を眺めている僕が描かれていた。どうやって彼女は僕の表情を見ていたのだろう?そう尋ねる僕に、薄く笑ってその絵をくれた。すっかり、彼女のことが気になるようになった。

絵を描くのが好きな彼女は、本当は美大に進学したかったのだといつも言っていた。演劇の脚本やセットのデザインはほとんど彼女が担当していた。カヨちゃんは、いつも何か物足りないと言い、難しい哲学や思想に夢中だった。きっと全共闘時代だったら有意義な学生生活を送れたに違いない。彼女は美術でも演劇でも何でもいいから自分の思想を訴えられる場を欲していた。男子学生はそんな彼女を煙たがって敬遠した。女の子たちとも会話が合わなかった彼女は、孤立していた。彼女に言い寄ることができなかった僕は、ただなんとなく近くにいた。

ある時、演劇部の宴会の買い出しにカヨちゃんと二人で行ったスーパーに「ポークビッツ」はあった。袋いっぱいに詰め込まれたウインナーは、小指の先くらいの小さなものだった。ああこれだったのかと思い、ポークビッツをカートに放り込みながら、一緒に歩いているカヨちゃんにその時のことを話した。冷たい視線を僕に向けた彼女は、背を見せるように黙って買い出しを続けた。それから場を和らげようとして連発した僕の下ネタは、気まずい雰囲気を打ち破るどころかますます傷を広げ、カヨちゃんと言葉を交わすチャンスはそれ以来一度もやって来なかった。

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