第8話

休日のアウトレットモールは尋常じゃない。賑わっているとか、混んでいるという状況を超えている。超満員だ。

アウトレットモールに特に用はなかったのだが、バーゲンの広告が目についたので試しに兄を誘ってみたら、意外なことに行きたがったのだ。

六月になったばかりの空からは、太陽が容赦なく照りつけ、汗が溢れ出るほどだった。視界に広がる場内には路面が見えないほどの人が溢れ、店の前に設置されているベンチや花壇には疲れた人々が座り込んでいた。入場した瞬間に来たことを後悔したが、兄は嬉しそうに場内を見渡していた。こんな所は嫌がるとばかり思っていたのに、足取り軽く先を歩く彼を見て、僕は兄という人が心底分からなかった。

暑さと疲労で、ベンチとお尻が一体化した人々は、暑さで溶けた蝋人形のように見えた。足は水分を求める植物のように地面に吸い付いていた。兄が行きたがったおもちゃのブロック専門店は、託児所代わりに親が置いて行った子供たちと、行き場を失ったカップルたちが押し寄せ、息苦しいほどだった。群集を見るのに飽きた人々は、目に活気を失い、俯き、無言だった。その中を通り過ぎて行く僕らは、とても珍しい動物に見えるらしい。モール内を行き来する女たちを恨めしそうに眺めている若い男も、あまりの退屈に子供とのあっち向いてホイに熱中してしまう父親も、疲れ果てて放心するおばさんも、みんな気持ち良いくらい僕たちに釘付けとなっていた。刺激物に飢えた客たちの視線が、次々と突き刺さった。ユニクロで買った黒いTシャツ、ネットショッピングで購入した超サイズのジーンズを着、五百円で買った黒いサングラスをかけ、先の尖った黒のエナメル靴を履いていた。兄は着るものには全く無頓着で、僕と全く同じ格好をして僕の隣を歩いた。同じ格好をした巨大なデブが二人で歩いていたら、やっぱり目立つだろう。見てはいけない思うのか、誰も彼もが目を反らすのだ。そして優越感に浸れるものとして人々の目に映っていることが、僕にはわかる。あちらこちらから、あそこまではなりたくないよな、と思っている視線を感じる。泣き止まない幼い孫に「ほらっ来たよ」と言っているお婆さんの声が聞こえた。牛のように鼻にピアスをし、左右が段違いの髪をレインボーカラーに染め、アイシャドウとマスカラだらけの顔をした女にも、奇異なものを見る目で見られた。お前にそんな目で見られなきゃならない憶えはない、と言ってやりたいが、向こうも僕たちを見てそう思っているのだと思うと、とても声には出せなかった。

デブが買い物しちゃいけないのかよ、と心の中で毒つく。ここには、僕にだって買える物が売っているんだよ。時計とか、靴とか、財布とか、食器だって売っている。僕は腹が立ってしょうがないが、兄は全然気にしていないようだった。

「ちぇっ、また俺を見ていやがる。そんなにデブが珍しいのかね」

と僕が愚痴っても、兄は無言のまま微笑んでいた。

小物を売るワゴンの店が露店のように通路の中央に並んでいた。中学生くらいのカップルが、携帯電話のストラップを選ぶ姿は微笑ましかった。彼女のものを選んでいるのか、女の子は一つとっては彼を見上げ意見を訊いている。清清しい感じの彼氏はどれを出されても、短い返事をするだけだ。彼女が選ぶ手元とは全く違う棚を見ている彼氏は、おかしなデザインのストラップを手に取っては彼女を笑わせようとする。彼女もお付き合いで笑う。永遠に続きそうなその噛み合わない光景が羨ましかった。中学生のくせに、こんなにも幸せ、という表情を恥ずかし気もなく晒せることがたまらなく憎らしかった。自分とキララさんとを、二人に重ねてみた。店のウィンドウに映る自分を見て、あまりにも現実離れした妄想に舌打ちし、涼しそうな顔のその中学生と汗だくの兄とを交互に見た。僕たち兄弟は恋愛体質ではない。でも、絶望的じゃない。世の中にはデブ専の女性だっていると、僕は信じている。糖尿病予備軍のような小太りな男はたくさんいるが、すごいデブはすごく稀少なのだ。僕たちは、デブ専にはたまらない太さのはずだ。

結局、僕はコーヒーカップを二脚買った。

「百円ショップにだってあるだろう」

白い無地のカップを見て兄は言った。そういう問題じゃない。カップが欲しいわけではない。こんな場所までわざわざ来たのだからこそ、何か買って帰りたいのだ。みんなと同じように買い物をしてみたいのだ。

欲しいものがなければ、何も買わない。何も買わなければ、案外それで不自由なく生活ができてしまう。その生活に順応してゆくと、人は誰でも引きこもり化するのかもしれない。

僕たちは体型が個性的なのだから、せめて生活パターンだけでも世間並みにしておかないと、社会の死角に入ってしまう。忘れ去られて生きてゆくのは怖かった。

夕方になると、ようやく場内が空いてきた。僕たちはコーヒーショップに入り、アイスコーヒーのラージサイズを注文した。

「何買ったの?」

隣の席の会話が聞こえてくる。会話からその言葉だけを切り取ったみたいにはっきりと聞こえた。

「私はお財布と腕時計。ねえ、これ可愛いと思わない?」

その声は、明らかに僕たちに話しかけていた。隣の会話なんかじゃない。声の方に振り向くと、小さくて体に張りつくような白いTシャツにジーンズ姿のキララさんがいた。椅子の背もたれに肘を乗せ、こちらを向いて座るキララさんは、まるで一緒に買い物をしていたように僕たちに溶け込んでいた。細いわりにはボリュームのあるバストと、幼い子がするような自慢げな顔との間を視線が泳いだ。

「君たち、この間もここに来ていたよね?憶えてる?ゴールデンウィークに来てたでしょう?」

喋りながら戦利品を箱から取り出す彼女の顔は、得意満面だった。

「私、見かけたんだ。今日と同じ格好をしていたでしょう。すごく目立っていたから、よく憶えていたんだ」

腕時計を僕に手渡した。

「そしたら、引っ越したマンションに君たちがいたからビックリしちゃった」

彼女は一人で喋った。

「マンションで二人に会った時、私すっかり知り合いのつもりで話しかけちゃって、そしたら二人ともポカンとした顔してた。あはは。ちょっと、可愛かったよ」

兄はキララさんを横目でちらりと見ただけだった。彼の気持ちが僕にはわかった。彼女の登場に、兄は照れているのだ。突然現れたキララさんと自分との距離の取り方がわからなくて、丁度良い言葉を見つけ出せないでいるのだ。その証拠に、さっきからサングラスのつるを開いたり閉じたりして、目が合わないようにしている。相手に自分を意識させようとする時の彼の癖だ。分かりやす過ぎて溜息が出た。僕と同じようにキララさんと仲良くしたいと思っているに違いない。ミーシャの可愛がり方を見ればわかる。

「これも何かの縁かな、と思ってミーシャを預かってもらうことにしたの」

その日、キララさんと僕たちは一緒に帰った。帰り道、疲れて黙り込む僕たちの隣で、彼女はやはり一人で喋っていた。

「ねえねえ、そのサイズの服はどこに売っているの?」

「靴は何センチを履いているの?」

「小さい頃から太っていたの?」

「いつからあのマンションに住んでいるの?」

「名古屋で育ったの?」

キララさんの疑問は尽きることはなかった。僕は何とか彼女のペースに合わせた。質問に簡単な答えを返し、時々相槌を打たなければならないのは大変だったが、彼女と一緒の帰り道は悪くなかった。

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