第4話

 意外にも、兄はミーシャを喜んだ。兄が何と言おうと説き伏せてミーシャを預かろうと思っていた僕は、正直言って拍子抜けした。兄に脇の下を持たれ、だらりと力なく体を垂らしたミーシャは、無表情に兄の顔を見つめた。

「おっ、オスだな」

ミーシャの股間に付いている小さな玉袋を見ながら兄は言った。それから、牛乳を飲ませてみたり、チーズを食べさせてみたりして、兄はひとしきりミーシャを可愛がった。人間には全然興味が無いが、動物をこんなに愛せる人だとは知らなかった。心底意外だった。「どうぶつ奇想天外」だって見たがらなかったし、「野生の王国」を見ていたという記憶もない。動物園だって、物心がついてから兄は行ったことがなかった。犬や猫どころか、鳥やハムスターといった定番の小動物も飼ったことはないし、第一、母が動物嫌いだったのだ。だからなのか、僕も特に生き物を欲しがらなかった。友達の家に子犬が生まれた時も、友達二人は子犬をもらって帰った。僕はもらわなかった。どんなに約束しても、結局、自分が面倒をみるはめになるのを母が嫌がることを、僕は知っていたのだ。どこの親も同じなのか、二人とも親にこっぴどく叱られて、次の日に返していた。動物がいると何がいいのか、僕には今一歩分からなかった。今でも動物を飼いたいとは思わないし、生き物を飼うことなど想像をしたこともなかった。兄も同じ気持ちだと思っていた。なのに、どういう訳か兄はミーシャを気に入った。

 兄は小学生の頃、一度だけ猫を飼いたいと言ったことがある。学校帰りの空地で野良猫の子供を拾って来たのだ。

「友達と拾った」

子猫を抱いて兄は言った。その友達は団地に住んでいて、動物を飼えないのだというのが、その時の兄の主張だった。

「ほかっておいたらお腹が空いて死んじゃうんだ」

何度もそう言う兄を母は許さなかった。父も後で母に半殺しに合うと思ったのか、一応反対した。僕も反対した。僕は、その子猫を母猫が探し回っているような気がしたのだ。しばらく猫に牛乳を飲ませたりしていた兄は、母の執拗な小言に耐えられなくなり、猫をもとの空地に放しに行った。僕も一緒に玄関を出た。すっかり薄暗くなった空を見て、着いて行くと言ったことを後悔した。空地で放してやると、猫は警戒するように辺りを探っていたけれど、腹が満たされたからなのか、僕たちに着いて来ることはなかった。その帰りに一緒に拾った友達が住む団地に寄って行くと兄は言った。兄の後を黙って僕は着いて行った。暗くて良く見えなかったけれど、兄が会ったのはかわいい感じの女の子だった。なだめるように顛末を説明する兄から少し離れた場所で、僕はずっと黙っていた。二人だけがわかる話をしている二人は、とても大人に見えた。ときどき聞こえる会話の切れ端から、兄は女の子のために飼ってやりたかったのだ、ということがわかった。

 パンダが子供をあやすように、兄はミーシャをかわいがった。あの時の子猫と女の子を思い出しているのか、遠い目で嬉しそうにしていた。

「何ていう種類の猫なんだろう?」

ロシアン・ブルーを兄は知らなかった。

「さあ?ロシアン何とかじゃなかったっけ?」

僕も曖昧にしか知らなかった。兄に頭を撫でられて目を細めるミーシャは、潰してしまいたくなるほどかわいかった。兄の方が、キララさんに一歩近づいた気がした。

「じゃ、キララさんに猫を預かってもいいって返事するぞ」

無邪気に猫を可愛がっている兄を見て、僕は鼻白んだ。

「ああ」

兄は短く返事をした。

「これから、キララさんが夕方と朝一番にやって来ることになるから、部屋の掃除もしておかなきゃいけないし、朝は今までよりも早く起きて、ちゃんと服を着ていないといけないし、それに餌とか糞の始末とかもしなくちゃいけないんだぞ」

あの時の母のようには言えなかったけれど、僕と兄の二人しかいない我が家にとって、ミーシャを預かるということがそう簡単じゃないことを僕は仄めかした。素直に喜べる兄に、少し意地悪をしたかった。

「キララさんがうちに来るようになるのかあ」

ミーシャをお腹の上に乗せて、ミーシャの鼻に自分の鼻をくっ付けている兄は、心底嬉しそうだった。その日以来、我が家には毎日ミーシャが夜だけやって来ることになった。それと同時に朝と夕方にキララさんが訪れることになった。

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