第71話 勇者と魔王、その四

 スライム。

 主に、池や川など水辺に生息している幻の魔物。数千年ほど前までは、世界中のどこでも見ることは出来たが、今は急速に数を減らし、絶滅の危機に瀕している。

 スライムは、とても再生能力が強く、また他の魔物に姿を変える能力も持っているとされているが、詳しいことはよく分かっていない。


 スライムは通常、綺麗な水のみをエサとしている。だが、綺麗な水がある場所は限られているため、スライム達は常に餌場を巡り争っている。

 魔王の祖先のは、そんな生存競争に敗れた敗者だった。

 綺麗な水場から追いやられた魔王の祖先は、汚れた水場や乾いた土地で生活するしかなくなった。ある者は乾きに堪えることができず、ある者は汚れた水を餌にして死んだ。

 追いやられたスライムのほとんどが、そうして死に絶えた。


 しかし、そうした危機に晒されてもほんのわずかなスライムは生き残り、子孫を残していった。数千年を掛けた世代交代は、やがてスライムにある『進化』をもたらした。


 他の生物から水分を奪うことが出来るようになったのである。


 そのスライムは通常の透明なスライムとは異なり、黒い姿をしていた。

 他の生物から水分を得ることが出来るようになった彼らは、さらに『進化』した。水分だけではなく、相手から『魔力』を得ることが出来る個体が現れたのである。

 その個体は、片っ端から『水分』と『魔力』を奪った。

 周囲に獲物がいなくなると、自分の仲間達からも『水分』と『魔力』を奪った。


 魔力を奪い続けたその個体はやがて急速に変化した。

 人間並みの知能を身に着け、魔法を体得、分身体を作ることも出来るようになった。


 その個体は、あっという間に他の魔物を従えると、人間達に襲い掛かった。その圧倒的な力を前にした人間は敗北。その個体は、魔物で初めて人間達から国を奪い取り『王』となる。初めてその個体が出現してから、僅か数十年のことである。


 王となったその個体は、自らを『魔王』と名乗るようになった。


「ヨポハ、タイエボニマクハヲタクロエニモコガキャガオオヲモツエク。ソルト、テラムスルメイカテラムマクハヲタクロエシ、キョウナル(貴方は、体内に魔力を蓄えることが出来る体質を持っていますね。そして、喰えば喰う程魔力を蓄積し、強くなる)」

「……」

「ヨポガタクロエマクハ、ミクレハソクガレク(貴方が蓄えた魔力、私はそれが欲しい)」

「……」

「ヨポガタクロエマクハ、ミクレガモウラ(貴方が蓄えた魔力、私が頂きます)」

「……クッ」

「……」

「クッククッ、ハアハハハハハ!」

 スーの宣言を聞いた魔王は高らかに笑う。通常の人間が聞いたら、ショック死する程の凄惨な笑いだった。

「レピタリガ!モエクオフ!(トカゲが!舐めるなよ!)」

 魔王はスーに右手を向ける。すると、魔王の掌にバチバチとエネルギーが凝縮され始めた。魔王は自身が持つ、最大級の魔法をスーに放とうとしていた。


 魔王が使おうとしている魔法は『グラビティ・ブレット』。

 掌に亜空間を作り出す魔法で、これに触れた者は大きさに関わらず、亜空間の中に吸い込まれてしまう。亜空間の中に吸い込まれた者は分子レベルで分解され、消滅する。

「フハハハハハ!ミクレヲモエクオフモコヲザンクガイイ!ジョリチヲジョリチモコドナミクレボモポデジュブンコイウ!(フハハハハハ!私を舐めたことを後悔するがいい!お前を殺すことなど私一人で十分なのだ)」

 魔王は高笑いしながら、スーを見る。


 スーは冷めた目で、魔王を見ていた。


 その目を見た魔王は、戦慄する。

(何故だ?何故、そんな目が出来る?『グラビティ・ブレット』がどういう魔法か、分かっていないのか?いや……)

 魔王は頭を振り、己が胸に渦巻いた不安を消し飛ばす。

(どの道、これを喰らえば、奴は終わりよ!)

 魔王は高らかに呪文を唱えようとする。


「『グラビティ・ブレ……』」

「グオ」

 魔王が呪文を唱える前にスーが鳴いた。ゾワリとした感触が魔王の体を包む。

「ナッ!?」

 魔王は目を見開く。魔王の掌で造り掛けられていた亜空間は、まるで煙の様に消失してしまった。


「イドコイテミロ?テイオシクラデクルタッテ(言ったでしょう?抵抗しないで下さいって)」

 スーが一歩、魔王に近づく。

「セクリアタクロエマクハガ、タイモンジイウヨテムラ(せっかく溜めた魔力が、もったいないではありませんか)」

 近づいて来るスーを見て魔王は二歩後ろに下がった。

「キ、キデノ!ユニヲシテ?(き、貴様!何をした?)」

「ケトウヲボアノモリタ。ナウ、コロヤロデハミクレガカキシタシミイグガ、マフラヲフォウルモコハキャナシ(結界を張らせていただきました。今、この部屋では私が許可した者以外、魔法を使うことは出来ません)」

 馬鹿な!と魔王は思う。『魔法を封じる魔法』それは確かに存在する。しかし、それを成功させるには、相手との自分の間に魔力に大きな差がなければならない。魔力が低い者が魔力の大きい者の魔法を封じることはできない。

 魔王はスーによって、魔法を封じられた。それは、つまりスーの方が魔王よりも圧倒的な魔力を持っているということになる。

「ゴルトウト、ゴルトウト!ソライモコガサトレタエオア!(ありえん、ありえん!そんなことがあってたまるか!)」

 魔王は必死に、自分の考えを否定しようとする。


「ビートル・シャトル!」、「ウォーター・ライト!」、「サン・レア!」、「モンスーン・ブレイク!」、「ブラック・アサシン!」、「アイス・ストップ!」、「チャイルド・バック!」、「ホワイト・ミスト!」……。


 魔王は何度も呪文を唱える。しかし、どんなに呪文を唱えようとも魔法が発動することはなかった。

「キ、キプリ……(ば、馬鹿な……)」

 魔王は自分に起こったことが信じられず、呆然としていると、スーがまた魔王に一歩近づいた。魔王は、さらに後退する。

「ヴォイト!ヨイ!コヤツヲ、サツガアアアアアアアア!(誰か!来い!此奴を、殺せええええええええ!)」

 魔王城最上階に魔王の絶叫が木霊する。しかし、いくら待っても配下の魔物が来ることはなかった。

「ケトウニヨモリ、ロモイノエコハガアガニアエイナシ。ゴモモラテレパシーオトロナシ、ウキゴニモ……(結界によって、此処の声は外に聞こえません。もちろんテレパシーも遅れませんし、物理的にも……)」

 スーの言葉が終わらぬ内に、魔王はスーから背を向けて走り出した。だが、部屋から出ようとした魔王は、見えない結界に勢いよくぶつかる。

(くそっ!)

 魔王は、結界を何度も殴った。しかし、結界が壊れることはない。

「……コノロナシ。ベルツノポリテル(……出られません。諦めてください)」

「オ、オクラアアアアア(お、おのれえええええ!)」

 魔王は破れかぶれに、スーに突進する。そして、渾身の力でスーに殴り掛かった。

 山を砕き、海を割ると言われる魔王の拳。その拳がスーに直撃した。


「グアアアアアアア!」

 悲鳴を上げたのは、殴りつけた魔王の方だった。スーに殴り掛かった魔王の拳は見事に潰れている。

「グウウウウウ!」

 魔王の拳が再生を始める。魔王の再生能力は魔法ではなく魔王自身の体が持っている能力だ。よって、スーの結果内であっても、傷を負えば再生することができる。

「グギイイ!」

 だが、再生すると言っても、痛みを感じないわけではない。痛みは、再生が完全に終わるまで残り続ける。

 激しい痛みを感じながら、魔王は『早く治れ』と心の中で叫び続ける。魔王は一瞬、スーから目を離し、再生していく自分の拳を見た。


 その瞬間、潰れた拳の痛みとは別の鋭い痛みが魔王を襲った。


「ガハッ」

 鋭い痛みは頭からした。痛みが走って数秒後、魔王はその痛みの正体を知る。魔王の頭に、スーの触手が突き刺さっていた。

「ダリコオヨ。キテポテミバカカヲエホオ(駄目ですよ。敵から目を逸らしてしまっては)」

 一瞬の油断が死を招く戦いでは、例え自分の体に何が起きようとも、戦いが終わるまで敵から目を離してはならない。魔王は慎重な性格をしている。通常であれば、敵から目を逸らすなどと、愚かなことはしない。

 だが、拳の痛み。そして、何より自分より強い存在を見たくないという無意識が、魔王の目をコンマ数秒、敵から逸らさせた。


「グギイイイイイ!」

 魔王は頭に突き刺さったスーの触手を抜こうと、必死に暴れる。

「サライテハ、スライムコオイロ(流石は、スライムですね)」

 何度も何度も、再生を繰り返す魔物を倒す方法は大きく分けて三つ。

 再生能力を上回る攻撃を与え続けるか、強大な力で跡形もなく消し飛ばすか、どこかに封印するしかない。

 だが、スーがとった行動は、そのどれでもなかった。

「グオ」

 スーが鳴くと、魔法が発動した。スーが発動させた魔法は『メモリ・ブレイク』。


「グガガガガガガガガガガガアアアアアア!」

 魔王の絶叫が、魔王城最上階に木霊する。しかし、その絶叫は決して、外には漏れることはない。

「ア……アアア……アアア……」

 暫くすると、魔王がガックリと項垂れた。スーは魔王の頭に突き刺した触手をゆっくり抜く。触手を抜かれた魔王はその場に崩れ落ちた。

「……」

 スーは崩れ落ちた魔王をじっと見る。やがて、魔王がゆっくりと起き上がり始めた。体を起こした魔王はキョロキョロと辺りを見渡す。

「キョ?キョオ?」

 辺りを見回していた魔王は奇妙な声で鳴き始めた。

 魔王の表情には、欲望も、喜びも、怒りも、恐怖もない。その姿はまるで、生まれたばかりの赤ん坊の様だった。


『メモリ・ブレイク』は相手の記憶、思考、意識を破壊する魔法だ。

 この魔法を受けた者は、言葉をなくし、何かを考えることが出来なくなり、自我を認識できなくなる。


 魔王とスーの目が合う。だが、魔王は首を傾げるばかりだった。最早、スーがどういう存在なのかさえ、覚えていない。

「グオ」

 スーが鳴くと、魔王の周りに黒い球体が現れた。黒い球体は魔王を包むと、パンと弾けた。黒い球体が弾けると、もうそこに魔王の姿はなかった。


「勇者……か」

 魔王のいなくなった部屋で、スーの思考がナノの口から洩れた。

『メモリ・ブレイク』は相手の記憶を破壊する際、その記憶を見ることが出来る。その中に勇者に関する記憶があった。

 魔王の記憶によると、もうすぐ勇者と呼ばれる人間が魔王を討伐するために現れるらしい。魔王が恐れる人間……もしかしたらその人間は『道標』かもしれない。

「ケケケ」

 スーの口の端が僅かに上がる。


 スーは最上階を覆っていた結界を解くと、階層を降り始める。十一階層まで降りたスーは、其処にいた魔物を喰い尽くすと、魔法を仕掛けた。

 これで勇者が十一階層に到達すれば、どんなに離れていようともそれがスーに伝わる。


「さてと……」

 スーは、口を大きく開く。魔王城には多くの魔物の匂いがする。その匂いはスーの食欲を大きく刺激した。


 スーは、魔王下を喰い尽くすため、さらに階層を降りた。

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