第9話 吸血鬼を喰う
「僕も、ご飯にするかな」
漆黒のドレスを身に纏った吸血鬼は、牙の生えた口を開け人間達を見る。
「ど、れ、に、し、よ、う、か、な?」
吸血鬼は人間一人一人をまるで、市場に並んだ魚を選ぶような目でじっくりと見る。その時、吸血鬼に向かって炎の玉が飛んできた。
吸血鬼が軽く払うと、炎の玉はあっという間にかき消された。吸血鬼は、炎の玉が飛んできた方向を見る。
そこには、護衛メンバーのリーダーであるジョンがいた。
ジョンはライトテレパシーを護衛メンバー全員に対して発動させる。
『全員、逃げろ!』
ジョン達の任務は魔物を封印した壺を無事目的地に運ぶことだが、交わした契約の内容は、それだけではない。万が一、何らかの理由で封印が破られてしまった場合は、速やかに魔物を退治しなければならない。吸血鬼が復活した時点で、ジョン達の任務は護衛から吸血鬼の討伐へと変わっていた。
しかし、その任務の達成は不可能だった。
(あまりにも、レベルが違う)
巨大トカゲとの攻防。そして、今も肌にピリピリと感じる魔力。ジョンは、ここにいる全員で吸血鬼と戦ったとしても勝ち目はないと判断していた。
護衛メンバーの頭の中で、ジョンの声が大きく響く。
『俺が時間を稼いでいる内に逃げろ!』
『おい、ジョン!馬鹿なことを……』
『モレク!』
『!』
『モレク、お前がリーダーとなって皆を守れ!』
ジョンの元からの仲間であるモレク。チームで一番の人格者で、ジョンを含めた他のメンバーからの信頼も厚い。複数のチームと合同で行われることになった今回の依頼においても、リーダーとなったジョンをモレクは何時も気遣ってくれた。
自分がいなくなった後、皆を任さられるのは彼しかいない。
『ジョン、お前……』
「吸血鬼殿!」
ジョンはライトテレパシーの発動を止めると、剣の切っ先を吸血鬼に向けた。
「貴殿に一騎打ちを申し込む!」
「……」
吸血鬼は、冷たい眼でジョンを見る。
「もし、断るというのであれば、たかが人間の一騎打ちから逃げ出した臆病者として貴殿は未来永劫嘲られることだろう!」
ジョンは吸血鬼を挑発する。ジョン自身、吸血鬼が一騎打ちを受けるとは思っていない。あくまで、仲間が逃げる時間を稼ぐため、吸血鬼の注意を自分に向けさせることが狙いだ。
魔物の攻撃を自分に向けさせるヘイトデコイが巨大トカゲに効かなかった以上、吸血鬼にも効くかどうかは分からない。吸血鬼は巨大トカゲと違って人間の言葉を話している。ならば、言葉による挑発で自分に注意を向けさせることもできるはずだ。
吸血鬼はジョンに、冷たい視線を向け続ける。
「ぷっ」
冷たい眼をしていた吸血鬼が突然、吹き出した。
「くっくっく、ははははは、あはははっははははははっはははは!」
吸血鬼の笑い声は段々と大きくなる。しまいには腹を抱えて笑い出した。
「いいよ、受けよう」
ジョンの考えとは逆に、吸血鬼はあっさりと、一騎打ちを了承した。
「もし君が勝ったら、君を含め誰にも手を出さない。もし僕が勝っても君の仲間の血は吸わない。血を吸うのは君だけにする。一騎打ちの条件は、これでどうだい?」
「……あ、ああ」
吸血鬼は勝っても負けてもジョンの仲間には手を出さないことを約束した。まるで、思考を読んだかのような吸血鬼に、ジョンの背筋は寒くなる。しかし、これは願ってもないチャンスだ。
「本当に、仲間には手を出さないのだな?」
「絶対に、君の仲間の血は吸わないと約束しよう」
「……分かった」
ジョンは呼吸を整え、戦闘態勢に入る。それを見て吸血鬼は、パンと両手を合わせた。
「決まりだね。じゃあ、早速始めようか」
吸血鬼は、ジョンを正面から見据える。吸血鬼は、両腕をダラリとして全く構えをとっていないにも関わらず、全く隙がない。
(皆が、逃げ出すまで持ちこたえる!)
吸血鬼が本当に約束を守るのかは分からない。約束を反故にして仲間を襲うことも十分にあり得る。吸血鬼が仲間を襲った場合、仲間が逃げるのに十分な時間を稼ぐ必要がある。そのためにも瞬殺されることだけは、絶対に避けなければならない。ジョンは吸血鬼から一瞬たりとも目を逸らさなかった。。
ニヤリ。
不意に吸血鬼が笑った。冷たく、残酷に、凄惨に、吸血鬼は笑っている。ジョンは一瞬だが、吸血鬼の笑顔に見とれてしまった。
ドン。
ジョンの背中に、鋭い痛みが走る。その次に自分の胸から、何かが飛び出る感覚がした。ジョンの胸から飛び出ているもの、それは鋭い刃だった。ジョンは痛みを堪えながら後ろを振り返る。
「え?」
ジョンは思わず、間抜けな声を上げた。自分が見ているものが理解できない。
ジョンが見たもの。それは元からの仲間であるレイルが、ジョンの体を剣で貫いている光景だった。
レイルはジョンの体から剣を引き抜く。剣を抜かれた傷口からは、大量の血か吹き出した。ジョンの体がぐらりと揺れ、倒れる。
「レイル!お前、一体何を!」
ジョンを刺したレイルに、モレクが叫ぶ。
「ダークパープル」
低く暗い女の声がモレクの背後から聞こえた。たちまちモレクの体を闇が包み込む。
「ぎゃああああああああああああああああ」
闇の中から、モレクの悲鳴が外に漏れる。
「あが……ああ……ああ……あががが……」
悲鳴は、次第に小さくなっていき、完全に聞こえなくなる。悲鳴が止むと、モレクを包んでいた闇が消えた。闇が消えた時、そこにあったのは生命エネルギーを全て闇に吸い尽くされ、干からびたモレクの変わり果てた姿だった。
薄れゆく意識の中で、ジョンはモレクにダークパープルの魔法を掛けた術者の名前を呼ぶ。
「ミ……ラ……」
モレクを殺したのは、またしてもジョンの元からの仲間であるミラだった。
「はぁ、はぁ」
ミラは杖を持ちながら、息を荒げている。
「どう……して……」
ジョンは、ミラとレイルを見ながら必死に声を出した。
「俺……だ……」
レイルが何かを呟く。
「俺だ……俺だ……俺だ……俺だ……俺だ……俺だ……俺だ……俺だ」
レイルの目は激しく動き、腕はプルプルと震えだした。
「彼女に血を吸ってもらうのは、俺だああああああああ!」
狂気にまみれた叫び声を上げ、レイルはミラに襲い掛かった。
「らああああああああああああ」
「フォースバリアアアアアアアア」
振り下ろされたレイルの剣をミラは、バリアで防ぐ。
「俺だ!俺が血を吸ってもらうんだああああ」
「私よ!血を吸っていただくのは、ワタシヨオオオオオオ」
「や……め……ろ、二人と……も」
ぶつぶつ文句を言うレイルに、ミラがくどくど注意する。そんな二人を仲裁するのはジョンの役目だった。
二人は何時も喧嘩ばかりしていたが、決して仲が悪いわけではなかった。それどころか、二人は共に互いを意識していた。そんな二人が今、本気で殺し合っている。
「私が血を吸ってもらうのよオオオオオ」
「ワシが血を吸ってもらうのだあああああああああああああ」
「どうしたんだ、お前達!やめろおおおおお」
レイルとミラだけではない。よく見れば他の護衛メンバーも殺し合っている。正気な人間も何人かいたが、あっという間に殺されてしまった。
ジョンは吸血鬼を見る。吸血鬼は楽しそうに笑っていた。
「お……前……が……や……った……のか」
「僕は何もしてないよ」
吸血鬼は、倒れているジョンの上に立つ。鋭い痛みがジョンを襲った。
「ぐ、ああ」
「僕の近くにいると、こうなっちゃう人間がいるんだ」
『魅了』、魔法ではなく吸血鬼という存在が発する特性で、意思の弱い人間や魔物を自分の虜にしてしまう。魔法ではないので、魔力を消費することもない。吸血鬼が存在している限り永続的に効果は持続する。
「人間同士が争う所を久しぶりに見たけど、やっぱりいいもんだね」
吸血鬼は、争う人間達を楽しそうに見ている。
「君もそう思わないかい?……おや」
吸血鬼は、ジョンから降りると彼の体を蹴飛ばし仰向けにした。
「もう、死んでるか」
「ぎゃあああああああああ」
「はぁ、はぁ、やったぞ!」
ミラに突き刺した剣を引き抜きながら、レイルは歓喜の声を上げる。護衛メンバー同士の殺し合いにレイルは、ただ一人生き残った。
レイルは、吸血鬼の元に走ると跪いて頭を垂れる。
「はぁ、はぁ、きゅ……吸血鬼殿、ど、どうか私の血を吸って下さい!」
必死に懇願するレイルを見て、吸血鬼はニコリとほほ笑む。
「嫌」
吸血鬼の無情な返答に、レイルは絶望の表情で吸血鬼を見上げた。
「な、何故でございますか……」
「彼と約束したからね。仲間の血は吸わなって」
吸血鬼は、無念の表情のまま固まっているジョンの死体を指差す。
「約束は守らないとね」
「そ、そんな!お、俺は、仲間まで殺したのに!」
「それは、君が勝手にやった事だろ?」
レイルは、ガクリと崩れる。吸血鬼は、そんなレイルをつまらなそうに見ていたが、ふと森の奥に目を向け、ポツリと呟いた。
「……早かったね」
吸血鬼は、レイルに視線を戻すと先程とは打って変わって、今度は優しく微笑んだ。
「じゃあ、こうしよう」
吸血鬼は違った明るい声で話す。
「血を飲むことはできないけど、代わりのことをしてあげる」
「代わりのこと?なんでしょうか?」
「君を吸血鬼にしてあげる」
思わぬ言葉に、レイルは目を大きく見開く。
「きゅ、吸血鬼に?」
「そう、僕と同じ吸血鬼になってみたくはないかい?」
(こ、この方と同じ吸血鬼になる?)
純粋な吸血鬼は、相手を吸血鬼することが出来る。吸血鬼となった者は莫大な力を手にできるが、自分を吸血鬼にした者に絶対服従の隷属となってしまう。
だが、レイルは迷わず答えた。
「ぜ、是非、俺を吸血鬼に、貴方の仲間にしてください!」
吸血鬼はニヤリと笑う。
「よし、決まり。じゃあ、口を開けて」
レイルは跪いたまま、口を開けて上を向く。吸血鬼は、自分の親指を噛んで傷を作ると、傷から流れる血をレイルの口に垂らした。
「ぐっがあああ」
血を飲んだレイルは、苦しみ悶える。人間の体が急速に吸血鬼の体に作り替えられていく。
「ぐああああああ、ああ、あ、ああ、ああ……はぁ、はぁ、はぁ」
苦しみに耐え抜いたレイルは、立ち上がり自分の体を見る。口から牙が生えていること以外、見た目はほとんど変化していない。だが、レイルは自分の体が今とは違っていることに気付いた。体の中から、どんどん力が湧いてくる。
「はは、ははは、あはははははっはっはっははっははは!力が湧いてくる。これが人間を超えた力、これが人間をやめた力!」
歓喜するレイルに、吸血鬼は拍手を送る。
「良かったね。おめでとう」
吸血鬼となったレイルは、自分の主に再び跪く。
「はい、ありがとうございます!」
吸血鬼の言葉にレイルの目から涙がこぼれる。体の中は主に仕えることの歓喜で満ちていた。自分はこの方に仕えるために生まれてきたのだと確信する。
「我が、主よ。何なりとお申し付けください」
「分かった」
吸血鬼は人差し指を振る。すると、吸血鬼の指から黒い霧が出てきた。黒い霧は一か所に集まると、手の平に乗る程の小さな袋となる。吸血鬼は袋の中に親指から流れる血をたっぷりと注ぎ込むと、袋の入り口を閉じた。
吸血鬼は、血がいっぱいに入った袋をレイルに渡す。
「これを持っていて、それが『命令』」
「これは一体……」
「『黒転移』」
吸血鬼はレイルの言葉を無視して、呪文を唱えた。吸血鬼の体を黒い球体が覆っていく。
「じゃあ、頑張ってね」
黒い球体が消えると、そこにもう吸血鬼の姿はなかった。一人取り残されたレイルは唖然として、その場に立ち尽くす。
ズシン。
森の奥から、大きな足音がレイルの耳に届いた。足音は、次第にこちらに近づいて来る。
「あ、ああ」
レイルの顔が恐怖に歪む。
木々をなぎ倒し、絶望が戻ってきた。
『いない』
ティラノサウルスは、さっきまでいた黒い動物を探す。しかし、臭いはあるがその姿がない。
『逃げたか』
ティラノサウルスは肩を落とす。当然と言えば当然だが、少し残念だ。
『まぁ、あの四本足の動物を全部食べることが出来ただけでもよしと……ん?』
ティラノサウルスの目が一匹の動物を捉える。二本足の動物だ。さっきもいたが、臭いが違う。黒い動物と二本足の動物は姿形がとても似ているが、臭いが全く違っていた。それが、今では二本足の動物から黒い姿をした動物と同じ臭いがする。よく見ると、周辺には二本足の動物の死体も転がっていた。
何があったのか?ティラノサウルスは首を傾げる。
『まっ、いっか』
ティラノサウルスにとっては、そんなことはどうでも良い。それよりも目の前に、あの美味しい黒い動物と同じ臭いをした動物がいる。それだけで充分だ。
ティラノサウルスは口を大きく開け、目の前の獲物を腹に収めようとした。
「くっ」
吸血鬼に放置されたレイルは、戻ってきたティラノサウルスを見る。
(まさか、主は巨大トカゲが戻ってくるのを知っていた?)
レイルは自分の主が何を望んでいるのかを考える。そして一つの答えに辿りついた。
(主は、俺にこのトカゲと戦えと言っているのか?)
『夜明けの火』を全滅させ、どんな魔法も聞かなかった巨大トカゲの相手をしろと?
「ふふふ、あはははっはは」
レイルは笑った。それは恐怖から来るものではなく、純粋な愉悦からだった。
(おそらく、主は魔法を使ってこの光景を見ているのだろう。主が何を望んでいるのかは分からないが、全力で応えるのが臣下の務め!)
レイルは剣を巨大トカゲに向ける。さっきまでの自分ならまず勝てなかっただろう。しかし、吸血鬼となった今なら勝てる可能性はある。
レイルは跳んだ。その跳躍は人間だった頃の何十倍にもなっている。レイルは木々を蹴りながら高速で動き、巨大トカゲを翻弄する。
「凄い、凄い、凄い、凄い!これが俺の力!」
素晴らしい。この世の全部を支配できそうな力だ。レイルは自分の剣に魔法を掛ける。
「マテリアルステロングス!」
物質強化の魔法。これで剣の切れ味は何倍にもなる。しかも、吸血鬼となったレイルの物質強化魔法自体の力も跳ね上がっているため、剣の切れ味はさらに数倍となる。最早この剣で切れないものはない。
「勝てる!」レイルは確信した。
(主が俺を巨大トカゲと戦わせたのは、吸血鬼になった俺ならば、このトカゲを倒せると思ったからかもしれない。主は巨大トカゲは自分より強いと言っていた。ならば、俺の力は主を超えているのか?)
「ははっあははははははは!」
レイルの体に歓喜が満ちる。笑いが止まらない。
「死ね!トカゲ野郎!」
目にもとまらぬスピード。レイルは強化した剣で巨大トカゲに切り掛かった。
ブチャ。
黒い血が周りの木々に飛び散る。ティラノサウルスの口からは黒い血が流れ、剣を握りしめた手が見えている。ティラノサウルスが首を振ると剣は、手から離れ地面に落ちた。
ティラノサウルスは肉の塊をゴクリと飲み込む。
『美味しい』
美味い物を食べたティラノサウルスを快感が覆う。
『でも、あっちの方が美味しかったな』
ティラノサウルスは黒い動物の姿を思い浮かべる。今食べた者も美味しかったが、あっち方が断然美味しかった。
『また、食べてみたいな』
腹も満ち、美味い物を食べて満足したティラノサウルスは森の奥に消えた。
「なるほどね……」
森から離れた場所で、吸血鬼は遠くの光景を見る魔法「クレアボヤンス」を解除した。吸血鬼はレイルの敗北に落胆した様子はない。最初から、負けることなど分かっている。吸血鬼の狙いは別にあった。
「やはり、彼には効かないか」
あの大きなトカゲは、吸血鬼の右腕を喰った。その時、当然彼女の血も一緒に体内に入ったはずだ。にも関わらず、あのトカゲは吸血鬼化しなかった。
確認のため、新しく作った吸血鬼に自分の血が入った袋を持たせて、あのトカゲに喰わせてみたが、やはり大きなトカゲは吸血鬼化していない。
「『魅了』も効いていなかったし、彼を従属させるのは無理かな」
あの大きなトカゲを一目見た瞬間、自分より強いことは分かった。ならば、操ることはできないかと考えたが、それも無理のようだ。
「まっ、彼のことは後で考えるか」
吸血鬼の視線の先には一つの村がある。先程は血を飲まなかったので、吸血鬼は空腹のままだ。
吸血鬼、フルール=シフォン=ノワールは足取り軽やかに、その村に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます