第8話 黒を喰う
ティラノサウルスが着地した瞬間の衝撃で、馬車の近くにいたジョン達は、吹き飛ばされてしまった。他の護衛メンバー達も落馬し、地面に転がる。何とか受け身をとったジョンは慌てて立ち上がった。
(他の皆は?)
ジョンは辺りを見渡す。倒れていた護衛メンバー達がゆっくりと立ち上がるのが見えた。
「よかった」
ジョンはほっと一安心したが、直ぐにハッとなって馬車を見る。あの中には魔封じの壺、そして三人の仲間がいた。
「そんな……」
ジョンが見たものはティラノサウルスに踏み潰され、粉々になった馬車だった。傍には衝撃で気絶している馬車に繋がれた馬が二頭倒れている。中に乗っていた三人の冒険者達はどうなったのか?潰れた馬車から流れている血を見れば、容易に想像できた。
「くっ!」
また仲間が死んだ。その事実にジョンはぐっと歯を噛みしめる。
(壺はどうなった?)
せめて、壺を目的地まで届ける。そうしなければ、仲間の死が無駄になってしまう。ジョンは目を凝らして、必死に壺を探した。
(あった!)
馬車の破片に混じり、壺が転がっているのが見えた。見た所、割れてはいないようだ。
(壺は無事だ!)
強力な魔物を封じている魔封じの壺には、それ自体に強力な強化魔法が掛かっている。そのため、かなり強い衝撃を与えても割れることはない。
(ともかく、奴を馬車から遠ざけなければ!)
ジョンはライトテレパシーを使い、全員に呼び掛ける。
『俺が奴の注意を引く!その間に誰か壺を持って逃げろ!』
『お、おい!ジョン……』
仲間の言葉を遮り、ライトテレパシーを切ると、ジョンはティラノサウルスの注意をこちらに向けるため、魔法を放った。
「ヘイトデコイ!」
ジョンの剣から赤く光る球体が放たれる。ヘイトデコイは、魔物の攻撃を自分に向けさせる魔法だ。術者から放たれる赤く光る球体に触れた魔物は一定時間、魔法を放った者に攻撃を仕掛けるようになる。通常は、襲われている仲間を助ける時や自分を囮にして相手に罠を掛ける際に使用される魔法だ。
ジョンが放った赤い球体は真っ直ぐ飛び、ティラノサウルスの頭部に命中した。これで、ティラノサウルスはジョンに襲い掛かってくる。
(任務は必ず成し遂げる!例え、この命に代えても!)
ティラノサウルスが、ジョンを見る。ジョンは剣を構え、ティラノサウルスを見据えた。
「グアアアアアア!!」
「来い!」
叫び声を上げると、ティラノサウルスは襲い掛かった。
しかし、ティラノサウルスが襲い掛かったのはジョンではなかった。ティラノサウルスが襲い掛かったのは、衝撃で気絶している馬車に繋がれた馬だった。 ティラノサウルスは、馬車と馬を繋いでいる鎖を強引に引き千切ると、馬を貪り喰い始めた。
「何!?」
ジョンは呆然とする。ヘイトデコイが効いていない。こんなことは今までになかった。ティラノサウルスはジョンを無視し、馬を丸ごと平らげると二頭目の馬もあっという間に飲み込んだ。
『まだまだ、たくさんいるな』
ティラノサウルスは、思わず舌なめずりをした。彼の周りには、あの角の生えた四本足で歩く生物にとてもよく似た動物がたくさんいる。味もよく似ているため、彼はとても気に入った。
『さて、次はどれを食べよう』
二本足の動物など全く目に入らず、たくさんの馬にティラノサウルスは目移りをする。すると、何かが足に当たる感触がした。ティラノサウルスは自分の足元を見る。
『何だ、これ?』
石ではない、とても不思議な形をした物が転がっていた。今までに見たことがない形にティラノサウルスは興味を惹かれた。鼻を近づけ、クンクンと臭いを嗅ぐ。
『何か入ってる』
中から美味しそうな匂いがする。これは一体何だろう?ティラノサウルスは自分の記憶を辿る。そして、ある物とこれが結びついた。
『卵だ!』
以前、彼は草食恐竜の卵を食べたことがある。固い殻を割ると流れ出る液体。芳醇な香りと濃厚な味を持つそれは、一度食べたら忘れることなど出来ない。
ティラノサウルスは、足元に転がっている物を咥えた。
「やめろおおおおおおおおお!」
二本足の動物達が叫びながら、何かを撃ってくる。鬱陶しいが、痛くもなんともない。それよりも、今は早く卵の中身を食べたい。ティラノサウルスは二本足の動物を無視して、顎に力を入れる。
卵からから、ピシ、ピシという音が聞こえた。もう少しで割れそうだ。彼は顎にさらなる力を籠め、口を閉じた。
パリンという音と共に何重もの強化魔法を掛けられていた魔封じの壺は、いとも簡単に噛み砕かれた。
壺が割れると同時に中から、黒い霧が出た。
黒い霧はやがて一つに集まり、形を作り始める。
黒い霧は手となり、足となり、髪となり、目となり、鼻となり、口となり、歯となり、耳となり、爪となり、胸となり、靴となり、漆黒のドレスとなる。
黒い霧は、漆黒のドレスを身に纏った少女の姿になった。
「ああっ!」
ジョン達を含め、その場にいた冒険者が少女を一目見た時に抱いた気持ちは、恐怖ではなかった。驚愕でも、後悔でも、絶望でも、敵意でもない。
美しい。
ただ、それだけだった。
少女は雨の中悠然と佇んでいる。不思議なことに、その体には一滴の水も付いていない。少女を見ているのは人間だけではない。冒険者を乗せていた馬達も少女にくぎ付けになっている。
老若男女、種族を問わず、少女はその場にいた全ての生物を魅了していた。
ただ、一匹を除いて。
少女は、自分を見ている者の中に一つだけ違う視線を向けている者がいることに直ぐに気付く。少女は、その視線の主を見る。そこにいたのは、巨大なトカゲだった。
巨大なトカゲも少女にある感情を持っている。しかし、それは人間や馬が少女に抱いている感情とは違っていた。
食欲。
巨大トカゲが少女に抱いている感情は、それのみであった。
ティラノサウルスと、少女が見つめ遭う。その光景に人間達は、誰一人として動けない。
少女は口をゆっくり開くと、ポツリと小さく呟いた。それは、魔物の言葉ではなく人間の言葉だった。
「驚いた」
少女は続けて呟く。
「君、僕より強いね」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
まるで、少女の言葉を合図にしたかのようにティラノサウルスが少女に襲い掛かった。
バクン。
たった今まで少女がいた場所。そこでティラノサウルスは口を閉じていた。しかし、少女はその場から姿を消していた。
(どこに行った?)
ジョン達は、少女の姿を探す。
「危なかった」
ジョンの後ろから少女の声がした。ジョンは、後ろを振り返る。いつの間にか少女はジョンの後ろにいた。
(いつの間に?)
あまりの速さに、冒険者達は誰も少女の動きを捉えることが出来なかった。愕然とするジョン達。だが、少女はさらに驚愕の言葉を続けた。
「もう少しで、全部食べられる所だった」
ジョンがその言葉の意味を理解したのは、少女の右腕を見た時だ。少女の右腕は肩から先がなくなっていた。
ジョンは巨大トカゲを見る。巨大トカゲは、食い千切った少女の右腕をゴクリと飲み込んでいた。
(レベルが違いすぎる)
自分などよりも遥かに高い次元にいる怪物と怪物の戦い。それを見たジョンの足から力が抜ける。立っていることが出来ず、その場に座り込んでしまった。
ティラノサウルスは、じっと少女を見る。
あの奇妙な形をした物を割った時、卵の中に入っているドロリとした液体ではなく黒い霧が出た時は驚いた。しかし、ティラノサウルスは残念には思わない。黒い霧は直ぐに美味しそうな者に形を変えたからだ。
黒い霧が形を変えた者は、二本足の動物と姿は同じだ。しかし、全く臭いが違っていた。試しに食べてみたら、味も全然違う。とても美味い。
『もっと食べたい』
ティラノサウルスは、再び少女に襲い掛かろうとした。
右腕を失っても少女は痛がる素振りを全く見せず、自分の右腕を食い千切った巨大トカゲを真っ直ぐ見ていた。巨大トカゲが、再び少女に迫ろうとする。
その時、少女がパチンと指を鳴らした。
「ヒヒーン!」
少女に目を奪われていた馬達が突然、走り出した。先程よりも倍以上の速さで、森の奥に消えていく。
驚いたティラノサウルスは、走り去っていく馬達を目で追う。
「グルルルルル」
お前がやったのか?
そう言っているかのような目で、ティラノサウルスは少女を見た。
「どっちにする?僕?それとも馬?」
少女は首を傾げながら、ティラノサウルスに話し掛ける。
「馬にするなら、早くしないと行っちゃうよ?」
ティラノサウルスは、少女と馬達を交互に見た。少しの間、迷ったティラノサウルスは決断する。
『あっちだ!』
少女は一人、馬は十四頭。数の多い獲物を選んだティラノサウルスは、馬達を追って森の中に消えた。
「よかった。向こうに行ってくれて」
危なかったと言っているが、そんな様子を全く感じさせない口調で少女は喋る。
「じゃあ、治すか」
失われた少女の腕の周りに黒い霧が発生した。それは、徐々に少女の腕となっていく。腕だけではない。腕と一緒に食い千切られたドレスまでも一緒に再生していく。
十秒もしない内に少女の腕とドレスは完全に元に戻った。腕が再生すると少女は、手の平を閉じたり開いたりする。
「うん、大丈夫だ」
手の調子を確かめ終わると、少女はその場にいる人間達を見た。
「さてと」
少女は唇の端を上げ、小さく笑う。
「僕も、ご飯にするかな」
少女の瞳が赤く染まる。開かれた口からは鋭い牙が見えた。
少女の名は、フルール=シフォン=ノワール。
古より生き続ける吸血鬼だ。
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