第5話 鏖殺

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


「ギ、ギンロガムガ(ギ、ギンロ様が)」

「テラムレ(喰われた)!」

「ワアアアアアア」

 リーダーを喰われたギンロの部下の陣形がたちまち乱れる。陣形の乱れた人狼達はティラノサウルスにとって格好の的だった。


「ジコロ(静まれ)!」


 巨大な咆哮が混乱する人狼達に届く。その咆哮はティラノサウルスの動きも止めた。人狼達とティラノサウルスの視線が、咆哮の主に向けられる。

 白銀のオオロウ。多くの人狼達から畏怖と尊敬を集める歴戦の猛者だ。

「ギンロロミリチ、ミクロヲレコモテヨイ(ギンロの部下は、俺の元まで来い)!」

 その言葉を聞くや否やギンロの部下達は、一斉にオオロウの元まで走った。ギンロ軍が自分の軍と合流すると再びオオロウが吠える。

「ギンロロミリチヨ、ジョロテミアンンエウキコウテ。テロイ(ギンロの部下達よ、貴君らは一時的に私の指揮下に入ってもらう。良いな)!」

「ウ、ウオオオオオオ!!!!!!」

 ギンロの部下達に、異論を唱える者は一匹もいない。

人狼達の顔は、先程までのリーダーを失い怯えていた子犬のものではない。オオロウの咆哮によって、ギンロの部下達の顔は凛々しく立派な狼のものに戻っていた。

「キンロ!」

「オオ!」

「サユテリモエエイ、テロム(このまま一緒に、突っ込むぞ)!」

「リレイム(承知した)!」

 ギンロ軍を吸収し、数を増やしたオオロウ軍とキンロ軍は、ティラノサウルスを正面から見据える。さっきは相手を逃がさないように、三方向から攻撃を掛けた。しかし、軍を分けてしまった結果、一番手薄なギンロ軍が狙われてしまった。

『こいつは初めからギンロを狙っていた。しかもギンロの部下を飛び越えるという奇襲まで使った』

 幾銭もの戦いを潜り抜けてきたオオロウは、その経験から相手の力量を測る。

『巨体に似合わぬ跳躍力、強化されている人狼の体を軽々貫く牙と顎の力。そして群れのリーダーを狙うという戦略。もしかしたら、巨大トカゲの知能はかなり高いのかもしれない』

 オオロウが分析している間もティラノサウルスは、動こうとはしなかった。

『先程と同じで奇襲を仕掛けてくるつもりなのかもしれないが、逆に考えれば巨大トカゲには、逃げる意思はないということだ。ならば、下手に軍を分けずに叩いた方がいい』

 オオロウは右手を高く上げる。

『ギンロ。仇は取るぞ!』

そして、勢いよく振り下ろした。

「カカエ(掛かれ)!」

 オオロウが戦いの号令を出下すのと同時に人狼の群れが、一斉にティラノサウルスに突撃した。


 人狼達が動いたのと同時に、ティラノサウルスも動いた。

「グオオオオオオオオオオオオオ!」

「ワオオオオオオオオオオオオン!」

 ティラノサウルスと人狼軍の咆哮がぶつかり合う。両者の距離は数メートルまで近づいていた。ティラノサウルスと人狼が今まさに激突しようとした時だ。

 先頭にいた人狼達の目の前から突然、ティラノサウルスが消える。そして、背後からドンという凄まじい音が聞こえた。


 ティラノサウルスが着地した場所にいたはずのオオロウと部下の人狼達。だが、既にそこには誰もいなかった。

「フル。レテオリアデガ二ドレツウデウエル(フン。同じ手が二度通じるか)」

 オオロウの回避の指示を聞いた部下の人狼達は、ティラノサウルスが地面に届く前に素早くそこから移動した。ギンロの部下達も一糸乱れぬ動きで、オオロウの命令に従っている。これが、混乱から立ち直った人狼本来の動きだ。

「グルルルルル」

 対して、人狼軍の中心に着地したティラノサウルスは二千匹の人狼達にぐるりと取り囲まれる形となってしまった。

「コピリエルロニ二モルトエルココデレトヨリ。ボエレハガクレイ(肉体強化の効果は、あと二時間ほど続く。今がチャンスだ)」

 オオロウが攻撃の命令を下す。その咆哮によって人狼達は完全な戦士と化した。強化された人狼達がティラノサウルスに飛び掛かる。蟻に群がられた死にかけの昆虫のように、ティラノサウルスの体に人狼達がへばり付いた。人狼達の強化された牙と爪がティラノサウルスに襲い掛かる。

 二千匹もの人狼に取りつかれ、真っ黒になったティラノサウルスは、こう思った。


『面倒くさいな』


 ティラノサウルスが人狼を見るのはこれが初めてではない。彼がユニコーンを貪り食っている時に何度か見かけたことがある。

 真っ黒い体に牙の生えた口。肉は固そうで美味しそうではなかったため、これまでに人狼を直接襲うことはしなかった。

 しかし、人狼達は大群で彼の元に現れた。

 そのあまりの数に、最初は彼も驚いたが、直ぐにゴブリンとの戦いを思い出し冷静になった。

 あの戦いで彼は学習していた。リーダーを倒せば、群れはたちまち崩壊する。 彼は人狼の群れを動かず、慌てず、じっくりと観察し、この群れのリーダーを探した。

 人狼達が群れを三つに分けた時、彼は人狼の群れに三匹のリーダーがいることに気付いく。三匹のリーダーのどれを倒すのか彼は迷ったが、とりあえず三つの群れの中で、一番数の少ない群れのリーダーを襲い倒した。

 彼の思惑通り、リーダーを失った群れは一時的に混乱状態となる。しかし、それもつかの間。他のリーダーによって人狼達は再び統率された。

『全部のリーダーを潰さなければ、駄目か』

 彼は再び群れのリーダーに襲い掛かったが、攻撃は躱され、人狼の群れに取り囲まれてしまった。二千匹の人狼が彼に襲い掛かる。この状況では、またリーダーを襲うのは難しいだろう。

 引っ越しを考えていた彼は、あまり無駄な体力を使いたくなかった。

食べた人狼も予想通り、あまり美味しくなかった。狩る必要がないのなら、彼には戦う理由はない。

 人狼達が戦いをやめて逃げてくれるのなら、それが一番良かった。

 だが、食べるためなのか、それとも彼が気に入らないからなのか。理由は分からないが、人狼達は一向に戦いをやめる気配がない。

『仕方ないな』

 彼の意識が冷たくなっていく。ドラゴンと戦ってから、彼の性格は確実に変化していた。

 以前の彼なら、こんな数の相手となど戦おうとすらせずに逃げ出していただろう。だが、今は違う。

 冷静に、冷徹に、この数を相手に戦うことを考えていた。

 それは、ドラゴンとの戦いに勝ったことによる自身なのか、それともこの世界に来た影響なのか、それは彼自身にも分からなかった。

『面倒くさいけど仕方がない』

 冷静に考えを巡らせていた彼は、ある一つの結論に達した。


『皆殺しにしよう』


 ティラノサウルスは、体を折り曲げ体にへばり付いていた人狼に噛みついた。

「グアアアアアアアア!」

 噛みつかれた人狼が悲痛な叫び声を上げる。しかし、直ぐに悲鳴は止まった。

「ペッ」

 ティラノサウルスは、何かを地面に吐き出す。それはまるで、潰れたトマトのように赤く染まった人狼の肉塊だった。


 続けて、ティラノサウルスがもう一匹人狼に噛みついた。

「ペッ」

 またしても、ティラノサウルスの口から潰れた肉塊が吐き出される。体についた人狼を一匹ずつ殺していく。それがティラノサウルスの戦法だった。

「オポビエオウデ、カカエ(怯むな、掛かれ)!」

「オオオオオオオオ」

 オオロウの咆哮が人狼の士気を上げる。ここでティラノサウルスを倒さなければ、人狼達は飢え死にするしかない。ある程度の犠牲は覚悟の上だ。たとえ仲間がやれても、すぐにまた別の人狼がティラノサウルスの体にへばり付いた。

 しかし、ティラノサウルスは意に返さない。淡々と人狼を一匹、一匹殺していく。地面に転がる肉塊の数は、確実に増えていった。


「リバ(くそ)!」

 オオロウの口から焦りの言葉が、小さく洩られた。

 ティラノサウルスが殺していくのは一匹ずつ。対して人狼の数は二千。一匹ずつ殺されていったとしても大したダメージにはならない。このまま攻撃を続けていけば、いずれ勝てる。オオロウを始め、キンロも部下の人狼も誰もがそう思っていた。

 だが、時が経つにつれて次第に雲行きが怪しくなっていく。いくら攻撃してもティラノサウルスが倒れないのだ。

「モダ、モシミレイト(目だ、目を狙え)!」

 オオロウの命令に、ティラノサウルスの顔の付近にへばりついていた人狼が一斉にティラノサウルスの目に攻撃する。

「グエッ」

「ギャアアア」

 それでもティラノサウルスは攻撃をやめない。確実に人狼達の息の根を止めていく。

 塵も積もれば山となる。小さなダメージは積み重ねていくことで大きいダメージとなっていった。今やティラノサウルスに殺された人狼の数は、二百を超えようとしていた。

「オリ、イッタエレトモレビト(兄貴、いったん兵を引かせるべきでは)?」

 キンロが初めて、オオロウに意見した。オオロウは顔をしかめたが、キンロの言うことはもっともだった。へばり付いている人狼達の体で、ティラノサウルスがどれだけのダメージを受けているのかも分かりにくい。相手のダメージを確かめるためにも、ここはいったん引くべきだろう。

「ワカルタ。ポテ、ヒチレム(分かった。皆、下がれ)!」

 ティラノサウルスにへばりついていた人狼が一斉に離れた。人狼に覆われていたティラノサウルスの体が姿を現す。

「キプリ(馬鹿な)!」

 その姿にオオロウは驚愕した。


 無傷。


 ティラノサウルスの体には傷一つ付いていなかった。集中攻撃を受けた目ですら、無傷だった。

「レイル(嘘だろ)」

 キンロもオオロウの隣で驚いている。仲間を犠牲にしてまでの捨て身の攻撃は、全て無駄だった。その事実を突きつけられた人狼達の受ける衝撃は、計り知れない。

 人狼達に一瞬の隙が生まれた。

「グオオオオオオオオオオオオオオオオ」

 ティラノサウルスが凄まじいスピードで人狼の群れに突っ込んできた。一瞬の隙を突かれ、人狼軍との距離はあっという間に縮む。

「ジャムリケ(迎え撃て)!」

 オオロウが慌てて指令を出した。命令を受けた人狼達がティラノサウルスに走る。ティラノサウルスは人狼達の目前で跳ねた。空中にいるティラノサウルスの視線はオオロウに向けられている。

「ポリテオリレテオリアデヲ(何度も同じ手を)!」

 オオロウ達はティラノサウルスが着地するであろう地点を避けた。ティラノサウルスの視線はオオロウに固定されている。

「ルレア(来るか)?」

 オオロウはとっさに身構えた。


 ティラノサウルスはオオロウを見たまま、後ろに跳ねた。そして、口を大きく開け空中で体を捻る。


 予想外の動きに人狼達が再び虚を突かれる。誰よりも早くティラノサウルスの狙いを理解したオオロウが叫ぶ。

「キンロ、グレゴラアアア(キンロ、逃げろおおお)!!!!!!!!」

 名を呼ばれたキンロが、はっとする。その場から動こうとしたが、もう遅い。すでにティラノサウルスの巨大な口が目の前にあった。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 ティラノサウルスは、キンロの腕に噛みつくとそのまま、頭を左右に激しく振った。キンロの腕がミシミシと嫌な音を立てる。周りにいる人狼は、あまりの出来事に動けなかった。オオロウはキンロを助ける様に命令を出そうとしたが、それよりも早くティラノサウルスはキンロを地面に叩きつけられた。

「グウッ」

 地面に叩きつけられてもキンロはまだ生きていた。だが、腕はほとんど千切れかけており、地面に叩きつけられた衝撃で、内臓のいくつかが損傷していた。

 虫の息のキンロは、朦朧とする意識の中オオロウに手を伸ばした。

「オリ、テロヨ……(兄貴、助け……)」


 グシャ。


 ティラノサウルスがキンロを容赦なく踏み潰した。キンロを助けようとしていたオオロウの動きが止まる。ティラノサウルスは潰れたキンロを咥えると、オオロウの前に放り投げた。オオロウの目の前に無残な姿のキンロが転がる。

「ウッ」

 キンロの亡骸を見たオオロウの体が、ガタガタと震えた。


「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 オオロウは頭を抱えて絶叫すると、そのまま嘔吐した。

「グエエエ!!」

 初めて見るオオロウの姿に、部下の人狼達は絶句する。

「ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア」

 オオロウは部下達の目も無視して、嗚咽を漏らす。

 今まで平気にしていたが、実はギンロが死んだ時もオオロウは相当の衝撃を受けていた。しかし、今は戦いの最中。悲しむのは後にしなくてはならない。そうしないと部下達が死ぬ。

 それは、キンロも同じだった。弟が死んだ悲しみを必死で堪えていた。耐えているのは自分だけではない。そんな想いがオオロウを支えていた。


 しかし、今オオロウを支えていた糸がプツリと切れた。


 オオロウはティラノサウルスを見る。その目は戦士の目ではなく、復讐者の目だった。

「テモリコピリエルロ(超肉体強化)、テモリコピリエルロ(超肉体強化)、テモリコピリテモリコピリエルロ(超肉体強化)!」

 オオロウの部下達が目を見開く。

「オオゴウガム、レテロミア(オオロウ様、お止め下さい!)」

 部下達がオオロウを必死に止める。

 肉体強化の魔法は、自分の体を強化する魔法だが、一度効果が切れば凄まじい疲労感と脱力感が襲ってくる。そのため、使えるのはせいぜい一日に一度だ。オオロウが使ったのは、肉体強化魔法の上位である超肉体強化魔法。肉体強化の何倍もの力を得ることが出来るが、効果が切れた時に掛かる負担は肉体強化の非ではない。

 オオロウは、そんな超肉体強化の魔法を連続して体に掛けた。人狼の限界を超えた力を得られるが、効果が切れた時に待っているのは確実な死だ。


「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 部下の人狼を振り払いオオロウはティラノサウルスに向かった。人狼の誇りを捨てた一匹の獣が巨大トカゲに戦いを挑む。獣と巨大トカゲの一騎打ち。そのあまりの迫力に他の人狼は動なかった。


「オオロウガム……(オオロウ様……)」


 一騎打ちの結末は、あっけないものだった。

飛び掛かったオオロウに対して、ティラノサウルスは凄まじいスピードで一回転した。強力なティラノサウルスの尾の一撃がオオロウを吹き飛ばす。

 吹き飛ばされたオオロウだが、超強化された肉体はその衝撃になんとか耐えた。

「グアアアアアアアア」

 地面に落ち体勢を崩したオオロウに、ティラノサウルスが追撃を掛ける。体制を立て直す暇もなくオオロウはティラノサウルスの口の中に納まった。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 超強化されたオオロウの肉体は、ティラノサウルスの顎の力になんとか耐えた。だが、徐々にティラノサウルスの口が徐々に閉じられる。


「オオオオオオオオオオオオオオ……オオオオオオオオオオオ……オオオオオオ……オオオオオ……オオ……オオ……オ……オ……オ」


 バチン。


 ティラノサウルスの口が完全に閉じられた。真っ赤な血がティラノサウルスの口から洩れる。

「ペッ」

 ティラノサウルスはオオロウを口から吐き出す。吐き出されたオオロウの体は、ティラノサウルスに殺された他の人狼と見分けがつかないほど潰されていた。


「アッアアアア」

「グレゴ……(逃げ……)」

 リーダー三匹を失った人狼達に、最早戦意は残っていなかった。次々に逃げようとする。その時、人狼達に掛かっていた肉体強化の魔法が切れた。疲労感と倦怠感が人狼達を襲う。

「アア、アアアア」

 ティラノサウルスは、急に動きの鈍った人狼の群れをじっと見る。そして、人狼達に起きた事態を何となくだが理解した。

「ア、ウアアア」

「リレト(来るな)!リレト(来るな)!」


 怯える人狼達にティラノサウルスはゆっくりと近づく。そして、動けない人狼達に平等に『死』を与えた。






『ふう、終わった』

 最後の人狼に『死』を与えると、ティラノサウルスはその場から去った。彼が去った後に生きている者はいない。そこには二千匹の人狼の死体だけが転がっているだけだった。

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