死はすぐそこに

 汗で体にべたりと張り付くシャツの感触の気持ち悪さで目を覚ます。額に溜まった水分を拭い取り、枕の隣に置いた目覚まし時計、その隣に置いた残機カウンターを確認する。残りは25か。昨日、寝る前に55まで補充しておいて正解だった。でなければ今頃は…。起き上がり、ベッドから降りて残機カウンターを取り、部屋を出ようとする。ふと夏の不快な風物詩が耳に入ってくる。すかさず自分の両腕を確認すると、痒みは止まっているものの、丸く膨れた部分が5,6箇所ほどあった。熱帯夜の寝苦しさも原因の一つだろうが、小さな暗殺者の吸血攻撃が残機激減の原因だったようだ。結界となる線香を焚かなかった自分にも非があるが、あちらもせいぜい1,2回の食事でやめておいて欲しいものだ。人間だって一日三食なんだし。…おやつは考えないものとしてだが。これ以上命の浪費をしないように、身のこなしの軽い暗殺者に注意しながら足早に部屋を出ていった。

 洗面所で顔を洗い、着替えを済ませてリビングに行くと、父が新聞を開きながら椅子に座って朝食が来るのを待っていた。

「おはよう。」

「ああ、おはよう。」

軽く挨拶を交わして父の向かい側に腰を下ろす。テーブルの上に残機カウンターを置くと、父は音に反応して数字を覗き込んできた。大幅な変動に気付くと、心配そうに顔を曇らせる。新聞を畳んで椅子の下に置いたカバンを漁ると、財布を取り出して一万円札を抜き、俺の前に差し出した。

「残機100以上は常に持ってなさい。命は多いことに越したことないんだから。」

「お金はいいよ。自分で持ってるから。」

「いいから。自分のお金は次回以降に使いなさい。」

「…ありがと。」

父に頭を下げ、制服のポケットにお札をしまう。頭を下げたところで父の残機カウンターが目に入る。残り10。昨日はまだ89もあったのに、一晩で大分命を削られたようだった。俺の視線に気付いた父は、慌てて残機カウンターを手に取り、玄関へと向かった。玄関横に設置された残機チャージャーに残機を買いに行ったのだろう。100以上は~と言っておきながら自分の残機が不足していたのでは示しがつかないのだろう。

「おはよう。」

「あっ、おはよう。」

玄関へのドアを見つめていると、母が朝食のサンドイッチと野菜サラダを持ってきてくれた。卵とハムを挟んだ俺の大好物だ。

「お父さんは?」

「残機補充。」

「そう。起きてすぐに済ませればいいのに。」

配膳しながら母はぶつぶつと不満を漏らす。エプロンのポケットに挟まれた母の生命数を見ると、95になっていた。昨日の時点では169はあったので、就寝中以外に調理の過程で削られたのだろう。実際、揚げ物で油が跳ねて-1、沸かしたお湯の熱さで-1なんてざらじゃない。母が味噌汁を持ってきたところで父が戻ってきた。テーブルに置かれたカウンターには170の数字が記されていた。食事の準備ができて、母も自分の席に座る。家族が揃ったところで、手を合わせて朝食を始めた。

「いただきます。」

「熱っ!」

ゴマドレッシングをかけた野菜サラダを食べていると、父が味噌汁の御椀を持って口につけたまま固まっていた。その数秒後、父は意識を取り戻してテーブルに御椀を置き、コップの水を少しだけ口に入れた。彼の残機カウンターを見ると、169に変わっていた。

 カバンを持って、玄関を出る。家の入り口横にあるチャージャーに残機カウンターを差し込み、補充残機数を指定。父から貰った一万円札を投入し、残機を180まで増やした。お釣りを取り、カウンターを外していると、肩に強い衝撃が伝わり…。

「太郎おはよ!」

ああ、また次郎か…。毎朝一緒に登校している近所の友達を認識しながら、あっという間に俺の意識は途切れた。

 次に目が覚めた時には、自宅のチャージャーの前で立ったままの状態だった。カウンターを確認すると、早速残機が1減っていた。

「太郎、おはよ!いやー悪い悪い!」

口ではそう言いつつも悪びれる様子もなく、次郎は手で顔を扇ぎながら俺の背後で笑っていた。

「悪いと思うなら普通に声をかけてくれよ…。残機一つ無駄になったじゃねーか!」

「ははは、悪かったって!お詫びにジュース奢るから勘弁してよ。」

「ったく…。」

 次郎と横一列に並んで歩きながら学校へと向かう。雑談を交わしながら歩いていると、道行く人々の姿が目に留まる。小石に躓いて一瞬固まる男の子、背後から来ていた自転車にベルを鳴らされて驚いて一つ命を失うおばあさん、遅刻したのか走り過ぎで息を切らせて数秒停止するスーツ姿の男性…。

「しっかし、世の中不便なことになっちまったな。」

話をしながら俺の目線の先にあるものに気付いた次郎は、両腕を頭の後ろで組んで空を仰いだ。彼に倣い、俺も遥か向こうに見える山の上に視線を送る。

「即死病…些細な衝撃などでいとも簡単に命を落としてしまう謎の奇病。嫌な病気が出て来ちまったからな。」

「でも肉体の損傷などがない限りは残機システムで復活できることが分かったんだから、世のお偉い学者様方は大したお方たちだよ。」

この残機システムについて、神への冒涜やら命を軽んじてしまうなど、当初は反対意見も多くあったようだが、今日町を行き交う人々の数が変わらず賑わいを見せているのは、このシステムの功績によるものだというのは間違いない。残機の購入費用はかかるが、一つ当たり50円ほどで求めやすく、全ての家庭に必ず一台は無料でチャージャーが設置されているのでありがたい限りだ。

「とりあえず命の危機は回避されたわけだが、今度は激しく動いても大丈夫な薬でも機器でも作って欲しいよな。」

「次郎、野球好きだもんな。」

「自分でプレイできないってのも嫌なんだけど、それ以上に試合観戦できないのがほんとつらい。プロアマ問わず、昔の試合動画を何度も見直しているぜ。」

「それで白熱しすぎて?」

「残機が3アウト!」

おどける次郎の姿に思わず笑い声を上げながら、俺たちは歩く速度を上げて学校への道を進んだ。

 日々、死があちこちで手招きする危険な日常。いつか終わりを迎え、縛りのない生を再び楽しめる日が訪れるのを心待ちにしながら、俺たちは今日も命を削ってこの世界を生きていく。かつての普通を取り戻すその日まで。


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