日常RTAS

 鼓膜を刺激する一律な音。ベッドから降りて、カーテンを開き、日の光で瞳の奥まで照らす。今日が始まった。パジャマを脱いで制服に着替え、椅子に座る。机の上に散乱した本日提出の宿題。まずは数学から。シャーペンを握り、空欄部分に絵を描き込んでいく。

「判定位置調整は…完璧!」

解答枠内に収まるように名画を描き続ける。問題集美術館に作品を収め終えると、今度は漢字プリントを手元に置き、枠内の要所要所に点を打っていく。

「はい終わり!」

5分もかからずに終わった。昨日よりも3秒早かったから自己ベスト更新だ。終わった宿題をカバンに収めて、脱ぎっぱなしのパジャマをぐしゃぐしゃに丸めて枕の上に置く。時計のアラームを午後6時12分にセットして…準備はOK。カバンを持って部屋を出ると、隣の姉の部屋からバサバサと本を荒々しく捲る音が聞こえた。ドアを少し開けて中を覗くと、姉はベッドに座ったまま、化学の教科書を何度も開いたり閉じたりしていた。そういえば、今日テストがあるって言ってたっけ。そっとドアを閉めて、音を立てないようにリビングへと向かった。

 リビングに行くと、台所では母が左手で握った卵を振りながら右手で包丁をまな板に何度も振り下ろしていた。朝御飯はデミグラスハンバーグ確定だ。私に気付いた母は、顔を動かさないままこちらに話しかけてくる。

「おはよう。」

「おはよ。」

「お姉ちゃんはどうしたの?」

「今日テストみたいだから、出題される問題を調整してる。」

「そう。科目は?」

「化学。」

「じゃあ、お姉ちゃんはエビフライの方がいいわね。」

母は左手に突如出現したデミグラスハンバーグを皿に盛り付けると、冷蔵庫からほうれん草と長ネギを取り出し、それぞれ左右の手に持って互いに打ち付け合い始めた。私がハンバーグの皿を持って自分の席に着くと、洗面所から父が歯ブラシを咥えてやってきた。私はすぐに椅子を後ろに引いてテーブルとの間にスペースを設けると、父は私の膝の上に座って新聞を広げた。

「電車の混雑乱数、まだ決まらないの?」

「うんー…あと少しなんだが…あっ!!」

父は座った姿勢のまま私の膝を離れて、新聞を開いた状態で、玄関へと向かっていった。

「ちょっと、お父さん!カバンは!?」

「昨日、事前に会社に置いていったらしいから大丈夫よ。」

父を追いかけようとして母に止められる。母は息を切らしながらタルタルソースのかかったエビフライの皿を姉の席にそっと置いた。

 朝食の後、家を出て友達の一子と一緒に登校する。並んで道を歩きながらドラマの話や学校のことを駄弁るのが日課だ。

「それでさ、ぷーたん先輩が…あっ、太郎君。」

「え?あっ、ほんとだ。おーい、太郎!」

「ん?お前らか。おは。」

両手を前に突き出したまま屈み込んだ姿勢で、民家の塀や壁をすり抜けて学校の方向に平行移動する少年。彼は同じクラスの学級委員長である太郎だ。

「壁抜け使うなんて珍しいね。寝坊でもしたの?」

「まあ、な。クラス委員長たるものみんなの模範でなくてはならん。遅刻とかありえん。ではな。」

太郎は姿勢を変えることなく、地面を滑るように障害物をすり抜けながら学校へと向かっていった。

「模範っていっても、実質登校してる数があれじゃ、気にする必要ないと思うけどね。」

「あはは、言えてる。徒労にもほどがあるよほんと。」

歩数調整して人との接触を避けようとしているサラリーマン男性を追い越し、私たちも学校への道を進んだ。

 自分の教室に着くと、いつもと変わらぬ閑散とした空気に包まれていた。教室内にいるのは、私と一子と太郎、それと窓際席の次郎君だけだ。始業時間になったにも関わらず、他の生徒は愚か、担任の教師すら姿を見せない。これが私たちの日常なのだ。

「あーあ、イベントを済ませた状態で一日を好きな時に終わらせられる方法が見つかってから、学校も退屈になったなぁ。」

独り言ぐらい声を抑えてすればいいのに、太郎は不満そうに机に顔を伏せて大声で嘆いていた。構ってちゃんかお前は。一方、次郎君は黙々とスマホの画面とにらめっこしている。恐らくギャンブルゲーで電子マネーを稼いでいるのだろう。この前はポーカーでのカード配布の仕組みが分かったとかで、現金にして一億は勝ったとか言ってたな。私も始めようかな。と、次郎君の指の動きが完全に止まる。僅かな体の揺れも止まり、完全に停止している。やっちゃったか。

「一子、次郎君復元したほうがいいかも。」

「え?あぁ、次郎君またフリーズしちゃったのかー。やたらに未解析の事象に挑むのはよくないって、散々先生が言ってたのにね。」

一子はカバンから常備している絆創膏を取り出し、次郎君の額に貼り付けた。意識を取り戻したように次郎君は手に持っていたスマホを机の上に落として、周囲を見回した。

「あれ…山田?俺に何か用?」

「何か用じゃない!次郎君、フリーズしてたの!」

「え?あっ、すまなかった…。」

スマホを取り上げてくどくどと説教をする一子に、次郎君は頭が上がらず、ただ下を向いて反省するばかりだった。ほぼ毎日何かに付けて怒られているし、反省はすぐに忘れられるだろう。明日もきっとフリーズするな、うん。

 学校が終わり、一子と別れて家に帰る。母はタイムセールを起こして買い物に向かったようだ。テレビのリモコンが床に投げ出されていて、つけっぱなしのテレビはBD/DVDの再生画面のまま真っ黒になっていた。制服を脱いで洗濯籠に放り込み、洗濯機のスタートと停止ボタンを同時押しして籠の中身を全て洗濯機に流し込んだ。洗濯機が怪しい異音を発したところですぐに洗剤と水を入れて、タイマーレバーを5の位置に回す。再びボタンの同時押しを行なうと、洗濯機は止まり、乾燥と洗浄がされた状態の衣服が現れた。洗濯したものを回収して畳み、箪笥にしまってから、下着姿のままで自分の部屋に向かった。部屋に入って洗い立ての制服をしまい、カバンを机の上に置く。中から明日までの宿題を取り出して机の上に配置。それが終わってから、本棚の隣の部屋の隅で立ち、その場で3F猶予の中5回ジャンプして一言。

「半分寝る。」

言葉を発した瞬間、枕の上に置いてあったパジャマを纏った状態となって、私はベッドの上、布団の中に仰向けになっていた。朝のうちに時計で調整していたから、晩御飯になるであろう6時には起きられる。決められた運命であるように迫り来る睡魔を受け入れ、私は意識を失った。


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