質屋

@Diplozoon

本文

大石はしがないサラリーマンだった。大して業績を上げているわけでもなく、何か重要な位置についているわけでもない。大石を雇う会社からしてみれば、必要な自在ではないが頭数としてほしいというような、ただそれだけのものだった。代替のきく存在だった。

 大石の悩みといえば、それは眠気だった。睡眠が取れていないとか、何か身体に異常があるとかそんな理由はなく、ただただ四六時中眠いのだった。おかげで仕事に手がつくはずもなく、それで自分はこんな出来の悪い人間なのだろうと納得していた。どうやらこれが俺の性分らしいと、そう納得せざるを得なかった。

 そんな大石には、坂橋という同僚がいた。坂橋は会社から重用されるやり手のサラリーマンで、つまりは大石とは対極的な位置関係にある人だった。仕事ができるだけでなく、変に調子づくことなく質素な見た目から、上司から慕われてもいるということが、余計に大石の坂橋へのコンプレックスを募らせていった。

 ある日、大石は坂橋に話しかけられた。

「なあ大石、お前にはもっと出世してやろうとか、そんな気概はありはしないのかい」

「それはね、誰だって出世はしたいもんさ。でもね、世の中の全員が全員成功できるように世界は出来てはいないのヨ。坂橋くんみたいに上に立つ人間がいれば、そりゃあ俺のように下でへこへこ働くような人間が必要になる。結局そういうことなのさ」

 大石は嘆息しながら、そうぼやいた。

「なんだいなんだい、やけに消極的じゃないか。別に君が下にいる必要なんてどこにもないだろう。そうやって自分の価値を貶めちゃあいけない。君が上に行こうとすれば、自ずと上に立っているもんだ」

「いやぁ俺だってね、仕事を頑張ってやろうという気持ちは人並みかそれ以上に持ち合わせているつもりだ。しかし、どうにも眠くって仕事に手がつきやしない。医者に診せても変わりないって言われるし、こればかりは俺の性でどうにもなりやしないの」

 大石が益々暗い顔でそう言うと、坂橋はそれならとあることを教えてくれた。

「大石、お前にぴったりの店があるぞ。ここから三つばかり離れた駅の近くにいい店があるんだ。一度行ってみるといい」

「どういう店なんだい」

「それは行ってからのお楽しみだな。きっと驚くぞ」

 坂橋はニヤッと笑いながら言った。


 それから数日後、大石は坂橋に教えてもらった店の前に立っていた。坂橋の反応からして、風俗かその類だろうと大石は踏んでいた。

 風俗には縁のない大石だったが、気分転換になるならと試しに行ってみることにしたのだった。

 ちょっと躊躇ってから、思い切って扉を開くと、冷気を帯びた風が大石の横を通りすぎた。店内は薄暗かった。

 奥に進んでいくと、受付嬢の姿が見えた。

「いらっしゃいませ」

 女は大石の方をちらりと見ることもなくそう言った。言ったきり、黙りこくってしまった。大石の反応を待っているようだった。

「あの、友人から紹介されてきたのですが」

 大石は店の内装を見回しながら言った。殺風景な部屋だった。

「ここは一体何の店なのですか」

「ここは悩みをお預かりする質屋です。悩みならなんでも、お預かりします」

 初め、大石はそういう体の店なのかと思った。だが、その手の店特有の安っぽい照明だったり、簡素なメニュー表だったりは見当たらなかった。

「悩みを預かるとは一体……」

「言葉通りの意味であります」

 女がふざけた様子もなく、ただただ正面を向いてそう答えるばかりだったので、大石は困惑した。どうやらまずい店に入ってしまったらしいぞと、今更ながらに困惑した。

「悩みはございますか」

「はい、あります」

 大石は反射的にそう答えた。

 それだけ聞くと女は奥の扉を指差した。どうやら正式に客として迎えられるようだった。

 女の指差す扉を開くと、一転、中は真っ白な部屋だった。一卓の机と二脚の椅子があるのみだった。

 仕方がないので、大石が一つの椅子に腰掛けていると、間もなく一人の男が大石が入ってきたのとは逆の扉から姿を見せた。そのまま向かい側の椅子に腰掛けた。

「お待たせしました。今日はどういったご用件ですか」

「はあ。実は私、この店は初めてでして。友人に紹介されて来てみたのですが、受付の方は悩みを預かる質屋というばかりで一向に要領を得ません。具体的には何をする店なのですか」

 男は愛想よく答えた。

「何をするも、言葉通りの店ですよ。お客様のお悩みをお預かりするのが当店のサービスです。容姿が気に入らないだとか、倦怠期になってしまい夫婦仲がよくないだとか、あなたのお抱えになっているお悩みならばなんでもお預かり致します」

 そう言われて大石は何か新興宗教の勧誘なのではないかと疑った。その雰囲気が相手に伝わったのか、男はこう付け加えた。

「とはいっても、特別何かしていただく必要はございません。ただここでお悩みをお預かりする契約をしていただいて、代わりにあるものを預かっていただければそれで結構です。お代金はいただきません」

「あるものとは」

「俗に言う貧乏神でございます。これを持っていると、少しばかり不幸になります。ですが、不治の病にかかったり、不慮の事故で命を落としたりというほどではありません。ちょっと運が悪かったな、というような具合にございます。悩みをお預かりすると大抵の方が幸福になることでしょう。それの帳尻合わせだとお考えいただければ結構です」

 大石はいよいよ訳がわからなくなった。さっきから受付の女といい、この男といい、突飛な空想話をしているようにしか思えなかった。

「戸惑ってしまうのも仕方ありません。ですが、ここで言ったことはすべて紛れもない事実です。この契約書にお名前を書いていただければ、それで契約は終わりです」

 そう言って差し出された契約書には、悩みを預けることと貧乏神を預かる旨が、簡素な一文で記されているのみだった。

「本当にこれで悩みを預かっていただけるのですか」

「ええ、大丈夫です。プライバシーに関わるので、お悩みをこちらに伝える必要もございません。契約はいつでも好きなときにやめることができます。まずはちょっとだけおためしなさるのもよいでしょう。やめたからといって、私どもが何かするといったこともございません」

 胡散臭さはこれ以上ないくらいだったが、大石は名前を書くくらいならとその契約書にサインすることに決めた。ここまできた以上、断って帰るのもなんだか気が引けて、それにダメで元々だと、大石は考えたのだった。

「ご契約ありがとうございます。これが貧乏神です。これは契約の証にもなりますので、どうかお捨てにならないようお願いします。お捨てになると契約違反となりますので」

「分かりました」

 渡されたのは、木彫りのよくわからないストラップだった。それきりだった。そのあと何をするわけでもなく、大石はその店をあとにした。

 特に何かが変わった心持ちはしなかった。家に帰りいつも寝ている時間になると、いつものような睡魔が襲ってきた。所詮こんなものだろうと、騙された自分を内心嘲笑しながら大石は床についた。


 異変に気づいたのは出社してからだった。

 朝起きてみても代わり映えしないものだったから、大石は契約のことなど半ば忘れていたのだが、仕事をしているとなぜだかいつもより頭が冴えていた。いつもの、あのモヤッとした眠気はウソのように影を潜めていた。

 いつもの半分ほどの時間で仕事を終え、ふと鞄を覗くと昨日渡されたストラップがたしかにそこにあった。どうやら夢ではないようだった。

 それからの大石は人が変わった。ぐんぐん業績を伸ばし、あの坂橋と肩を並べるまでになっていた。仕事が充実すると、それにつれて私生活も満ち足りるようになってきた。そこで大石は生まれて初めての連れができたのだった。

「お前、あの店に行ったんだな。以前のお前とはまるで違うじゃないか」

「ああ、坂橋のお蔭でこの通りさ。感謝してもしきれないくらいだ。今度一杯おごるよ」

 坂橋との会話にも、引け目は感じなくなっていた。

 代わりに大石の身には、度々不幸が起きた。コーヒーを部下にぶちまけられたり、エレベーターの清掃に出くわすことが増えたりした。しかし幸福の中にある大石にとって、その程度はほんの些細なことだった。


 転機は大石がそこそこ大きなプロジェクトを任されたときだった。

 そのときの大石は以前からは想像もつかないほど変わっており、引っ込み思案で臆病な性格から、大胆で怖気づかないものへとなっていた。

 それが祟ったのだろう、大石は道路を横断している際、猛スピードで走ってくる車に気づかず、事故を起こしてしまった。命に別状はなかったが、しばらく入院することを余儀なくされた。必然、プロジェクトは代理の者が引き継いだ。

 大石は大いに悔しがった。大石が今までに経験したことのないような規模の事業だっただけに、悔しさも一入だった。

 大石が貧乏神の存在を疎ましく感じるのは時間の問題だった。

 鞄の奥のそれが目につくなり、大石は自分が事故にあったのはこれのせいだと激しく恨んだ。すると不思議なことに、今までなんともなかった不幸の数々が、次第に我慢できなくなっていった。これさえなければ自分はもっといい人生を歩めたのではないかと、そう思うようにさえなっていった。

 入院生活が一ヶ月を過ぎた頃、大石はとうとう耐えきれなくなって、それを鞄から取り出し、窓の外へと放り投げた。契約はすでに大石の頭のなかに居場所を失っていた。


 それからの大石がどうなったかは、語るに忍びない。

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