第10話、聖女の正体
護衛の仕事の当日、早朝から馬車乗り場に集合する。ゼルベルトは意外にも時間にはきっちりしていて仕事には遅れない性質だ。
だがそれ以外で彼はどうしようもなくズボラでもある。なにしろ、二つ返事で快諾した仕事だ。護衛といっても、誰を守るのか、何から守るのか、どこで守るのか、それを全く知らないまま仕事に就こうとしている。信じられない能天気さだ。危険な護衛の仕事をこうまで甘く見るなど、彼を置いてほかにいないであろう。
港の方では見かけない物静かな戦士風の男たちと同乗する乗合馬車に揺られながら、しばし時が流れる。
ところでゼルベルトの格好は黒革のズボンに前を開いた赤いシャツ。草履に黒革の鞄といったいつものスタイルだ。鞄まで持ってきているのは、それを置いておく場所がないからだ。常宿などはなく、日々を転々として過ごしている彼には鞄を置きっぱなしておくような場所などないため、普段から持ち歩いている。護衛の仕事だというのに、防具らしき物を身につけるでもなく、武器といえるものも腰に差した二本のナイフのみである。
同乗する戦士風の男たちはゼルベルトの正体を疑問に思うものの、独特な強者の気配を漂わせる彼に一目を置いていた。
仕事前の男たちは、簡単な自己紹介と戦闘スタイルの把握を兼ねて、多少なりとも話し合う必要がある。円滑な仕事のためには必要不可欠なことだ。ゼルベルトは細かいことは特に気にしていなかったが、仕事を当たり前にこなそうとする中年の戦士が代表して仕切り始める。
「皆、ちょっと聞いてくれないか。短い間だが一緒に仕事をするに当たって名前くらい知っておきたい。それから得意な戦い方や、できれば戦歴も。すまんが、チームで護衛の仕事をするには必要なことだからな。俺が気に入らなくても、この場は我慢してくれると助かる。じゃあまずは言いだしっぺの俺から話そう」
様子を窺っていた他の戦士たちは心の中で中年戦士に感謝しつつ、率先して仕切る彼に続けて自己紹介をしていくのだった。
それに馬車での移動中は暇なのだ。必要なことをしながら暇が潰せるのならば誰も文句はない。それはゼルベルトとて変わらない。
しばらく馬車に揺られてやって来たのはゼルベルトにとっても見覚えのある場所だった。
山だ。長いこと進入禁止にされているはずの山。そこに連れてこられたのだ。ゼルベルトは嗅覚鋭く、恋焦がれる女に会える可能性を感じて心が沸き立つ。
かくしてそこに現れた護衛対象は、まごうことなき愛しの女であったのだ。彼女こそが、町中で噂をされる聖女様であったのだ。
「皆様にはここにいる神殿騎士のサポートをしていただきたいのです。護衛対象の巫女とその従者を守り、魔獣の掃討にも手を貸していただきたく思っています。ですが、あくまでも護衛を優先してください。私どもの聖地であるこの山には、想定以上の魔獣が住み着いておりまして、ここにいる神殿騎士だけでは排除は不可能と判断しての、今回の依頼となります」
一つの山から魔獣の完全排除などは到底不可能な芸当であるが、一時的に激減させるというのであれば、それなりの期間にそれなりの人員を投入すれば可能であろう。今ここにいるだけで足りるかどうかは微妙なところだが。
ゼルベルトは代表して説明をする美人司祭の言葉も耳に入らず、一心に愛しの女に視線を注いでいた。だが、彼女の反応は決して良いものではない。その視線に気が付いていないのではなく、あえて無視をしているようなのだ。澄ました顔をしているが、よく見ればどことなく怒っているようにも感じられる。
常識的に考えれば無理もない。ゼルベルトは彼女の従者たちを助けた恩人ではあるが、彼女自身だけにとってみれば、強烈な痴漢行為を働いた憎むべき相手でもあるのだ。無視程度で済めば御の字といっても過言ではない。しかも相手は世界的な宗教団体の聖女なのだ。本来ならばとうの昔に捕らえられて、どのような沙汰を申し渡されても甘んじて受け入れなければならない暴挙を働いたといってもいい。
ゼルベルトの熱い眼差しは、当然のように教団関係者に気づかれていたが、美しき聖女にそのような視線を向ける輩は枚挙に暇がない。特別なことではないのだから、いつものことだと誰も気にもしなかった。
それに、多くはゼルベルトのことをきちんと覚えていた。当然だが、彼はここにいる教団関係者にとって命の恩人なのだ。当時、気を失っていた人を除き、圧倒的な実力を誇るゼルベルトが来てくれたことを心強く思ってもいた。ただし、ほかの護衛もいる手前、彼だけを特別に歓迎したり感謝するわけにもいかず、正式な礼は依頼の完遂後に改めて行い、それまでは個人的に感謝を伝えようとする動きが内々にはあった。律儀な人たちである。
「皆様のご助力に期待と感謝を申し上げます。それではさっそく参りましょう」
いつの間にか美人司祭の説明が終わったようだが、完全にゼルベルトは聞いていなかった。惚れた女に話しかけたい衝動に駆られるものの、今は仕事中だ。そのくらいの分別はある。それに聖女は重要人物中の重要人物だ。常に従者に囲まれて、近づく隙は全くない。
熱い眼差しを注ぎ続けるゼルベルトと、あえてそちらに視線を向けようとしない聖女は、周囲の緊張とは違いどこか遠い世界で別の戦いを繰り広げているかのようであった。
二人の間に漂う微妙な空気を察する聡い人もいるにはいたが、突っ込めるはずもなく沈黙するのみだ。
美人司祭の話は聞いていなくても、やることは単純でなにも難しいことはない。ただ魔獣を倒して、誰にも被害を与えないようにすればいいだけだ。それが困難であるからこその今回の依頼なのだが、ゼルベルトに限ってしまえば全く困難とは認識していない。そして、彼さえいればそれは達成できるだろう。
目標は明確だ。魔獣を捜して広い山を闇雲に歩き回るわけではない。この護衛依頼をするまでに教団関係者一同がやっていたことは宗教上の儀式のほかにもいくつかある。その中の一つが、排除の対象である魔獣の巣窟を調べることだ。短期間に点在する全ての魔獣を発見することは困難だが、特別な道具を使うことにより、魔獣が集まるポイントをいくつも見極めることに成功していた。そこを叩いて回れば、効率的に魔獣を排除できるわけだ。どの程度まで排除すれば良いかは、最終的に巫女が判断する。それをもって、この山での一番重要な儀式に望むことができるのだ。
さて、ゼルベルトがどのようにして愛しの女に近づこうかと思案している間にも、魔獣の排除は進んでいく。思い悩む彼にとっても例外はない。むしろ率先して仕事を早く終わらせるべく、油断なく護衛対象を守りながら、誰よりも的確に素早く多くの魔獣を倒してしまう。それを頼もしく思うのは教団関係者だけではない。短時間の間に護衛の戦士たちも同様に、圧倒的な実力者の彼を信頼し始めている。すると自然、ゼルベルトを中心とした陣に組み変わっていく。その方が効率的なのだから。世の中には
そんなゼルベルトと周囲の反応を密かに見ている聖女の胸中は酷く複雑ではあったが、決してそれを表に出すことはしなかった。
聖なる山は広く、魔獣の巣窟も既に発見済みのところだけを見ても数が多い。そこを回るだけでも一日だけでは到底足りない。山の奥にまで入り込めば、わざわざ街まで戻るわけにも行かず、一行はキャンプをすることになる。
絶好のチャンスだ。少なくとも魔獣を捜して山を歩き回っているときに比べれば、愛しの女に接触できる可能性は僅かなりとも高まるはずだ。だがゼルベルトの願いも虚しく、ついぞその機会が訪れることはなかった。
聖女のいるところには、必ずお付の侍祭が複数人いて周りを囲む。さらには神殿騎士も目を光らせている。近づくことを諦めたゼルベルトは、ふとした思い付きで水浴びでも覗いてやろうかと思っていたが、聖女を守らんとする教団関係者である彼女たちの気迫は、小さな羽虫一匹も近づけさせないほどの鬼気迫るものであった。そんな様子を見せられては、向こう見ずのバカでも諦めざるを得ないというものだ。
ゼルベルト以外の誰もが予想したよりもずっと魔獣の排除は早く完了した。
臨時雇いの護衛の活躍と貢献が大きく、この山で成すべきことは巫女が祭壇で最後の儀式を行うことのみとなっていた。
だが、最後の最後、問題はその祭壇の場所にあったのだ。粛々と進む一行の道の先を見て、ゼルベルトが大声を上げる。
「やめとけやめとけ! 危険すぎるぜ。少なくとも、なにか対策を練ってからじゃねぇと、下手したら全員死んじまうよ! 別の道はねぇのかよ!」
ゼルベルトは揶揄しているわけではなく、本気で心配している。最後の儀式の場所へ至る道、それは彼が以前発見していた細い崖道だったのだ。今でも時折、上からはパラパラと小石が降り注いでいる。しかもそれは以前に彼が見たときよりも、さらに危険さが増しているように感じられた。臨時雇いの護衛の戦士たちも、彼と同じ意見のようで頷いている。
いざ最後の儀式に臨まんとする巫女は思わぬ横槍に驚いたが、それがよりにもよって痴漢野郎の制止では冷静な判断もできなくなる。彼女は聖女と呼ばれるその能力に限らず、その振る舞いや行いまでもがまさしく聖女に相応しかったが、それでも彼女はまだ若かったのだ。全てが完璧にとはいかない。極めて稀ではあるだろうが、冷静さが保てず取り乱すことだってあり得る。今回は普段なら決して表には出ない、意地っ張りな側面が表に出てしまった。
「あなたに何が分かるというのですか! もうすぐここでの役目も終わります。わたくしたちにはまだ他にも行かなければならない聖地がたくさんあるのです。ここでこれ以上の足止めは許されません。あなたが来たくないと仰るのであれば、ここに残っていただいても構いません!」
巫女の言葉は教団関係者にとってはとても重い。それが明確な間違いであれば、従者の司祭がそれとなく助言や諫言をするものの、今回はあながち間違いとも言い切れなかったのだ。
彼女たちには少々の危険があったとしても急ぐ理由がある。そもそもこの山では最初期に苦戦した影響で時間を取られすぎてもいる。聖なる地にて執り行う儀式はここだけではない。彼女たちは世界各地にある聖地を全て訪れる必要があるのだ。巫女頭の代替わりのための儀式だが、それを行うには教義上の定められた適切な時期というものがある。本来ならば余裕のある日程のはずだったが、世の中そう思い通りにはいかないものである。そして敬虔な彼女たちが教義上の規則を破るはずがないのだ。
巫女は振り切るように崖道に向かって歩みを進める。お付の少女が率先して巫女の前に出て、先導を始めた。危険があろうとも、忠告があろうとも、どうあっても引く気はないようだ。
先行する少女と巫女に続いて慌てて追いかける教団関係者一同と、護衛の戦士たち。ゼルベルトも意見が受け入れられなかったものの、職場を放棄するつもりはない。そして惚れた女を見捨てるなど、もってのほかだ。彼がそれをするはずがない。仕方なしに、無駄かもしれないが最大級の警戒をしつつ先に行ってしまった彼女を追いかけた。
先行した少女と巫女が我先にと危険な崖道を進み始めると、まるで待ち受けていたかのように細かな落石が激しく降り注ぎ、勢いを増してきた。ゼルベルトは力の限り叫ぶ。
「早く引き返せ! 死ぬぞ!」
信仰と使命に従順な巫女とお付の少女も、切羽詰った警告と落石の光景にようやく命の危険を感じ、顔を青くして退避を始めた。
だがそれは一足遅かった。大きな落石が降ってきたのだ。その直下には巫女に付き従う一人の少女が呆然として襲い掛かる大岩を見上げていた。
誰もが硬直する中、動き出す者もいる。一人はゼルベルトだ。護衛に雇われたから、などといった理由ではない。ただ本能に突き動かされて少女を助けるべく、赤黒いオーラを纏って飛び出した。しかし距離がありすぎた。彼がどれほどの速度を誇ろうとも、とても間に合うものではない。
そこに動き出すもう一人の存在。それは少女の主人である聖女たる巫女だ。彼女は己の危険など一切顧みず、少女の手を掴み引っ張ると、後方に向かって投げるようにして救い出す。間一髪、少女は助けられたのだ。だがアクシデントはここで終わらない、
続けて巫女の足元が崩れだす。まるでスローモーションのように時が流れる中、無常にも巫女は崩れる足元と共に空中に投げ出されてしまった。
「このっ! やらせねぇ!」
赤黒いオーラを纏ったままのゼルベルトは何の躊躇もせず、凄まじい勢いで崖から飛び出し空中で巫女を受け止めたが、落下を防げるものではない。
教団の関係者一同と護衛の戦士たちは、あえなく落下していく二人をただ見守るほかなかったのだ。
重要人物であり、若いながらも尊敬を集める聖女にして巫女の突然の落下に、騒然とし取り乱す教団関係者たちの中にあって、残されたこの場を預かるトップである美人司祭は確かに目撃していた。
護衛に雇った命の恩人である強き男が神の奇跡の
さらに、女神の祝福を受けし聖女たる巫女が簡単に命運尽きるはずがない。美人司祭は巫女の生存と帰還を疑うことなく、不思議とそれを確信していた。
「クリステル司祭様! 巫女様が、巫女様がっ!」
「落ち着きなさい! 巫女様は必ず帰ってきます。私たちは私たちに出来ることをしましょう」
クリステルと呼ばれた美人司祭は、若い侍祭たちを宥めるのに苦労しつつ、己の不思議な確信の説明の難しさに歯噛みしていた。また、この顛末の報告について考えて頭を痛めるのだった。
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