第9話、悩みの種は仕事と女

 夜の町では女殺しとまで称されるほど女慣れしたゼルベルトのはずだが、まるで思春期の少年のように己の制御が効いていない。惚れた女に対してはどうにも勝手が違うのだろう。

「か~、何をやってんだよ、俺はよ。はぁ~。そういや名前も聞いてねぇじゃねぇかよ・・・・・・クソッ、また会いてぇな」

 獲物を担いで歩きながら、一人反省会を開いているようだ。

 惚れた女に突然の暴挙を働いたあと、置きっ放しの荷物を取りに戻ると、そのまま逃げるようにして驚くべきスピードで山を降りて港町フェルカンに戻ったのだ。現在はブツブツと独り言を呟きながら買取所へ向かっている最中だ。それにしても随分なことを仕出かしておきながら、その惚れた女の名前すら聞き忘れるとは間抜けな男だ。

 初めて見る癒しの奇跡に驚愕し、だがそれ以上に彼女の美しさに呆然としてしまったのだ。とっさに取った行動があれでは、全く褒められたものではないが。

 悶々とした一人反省会が終わる頃、ちょうど目的の店に到着した。

「えーと、ここだここだ。おう! 山で魔獣を獲ってきたんだがよ、買い取ってくんねぇか?」

「なんだお前、新顔か? どれ、見せてみろ」

 大きな布を袋状にして、肉と使えそうな素材に分けたものを差し出す。

「ほう。お前、若いのに上手く解体するもんだな。どっかで猟師をやってたのか?」

「ああ、ちょっとな。今はもう廃業してるがよ、金がなくて臨時でな」

「そうか、これだけの量と上手い捌き方なら報酬も弾むぜ。また持ってきてくれと言いたいところなんだがな」

「あん? なんだってんだ?」

「その様子じゃ知らないらしいな。実はな、しばらくの間は山に立ち入れないらしいぜ」

 疑問に思うゼルベルトだが、たった今の今まで山にいたのだ。いきなり山への侵入が禁止になるとはどういった理由か。

 港町では海での漁こそが主要な産業であり、山での猟は特に重視されていない。魔獣の肉や素材はもちろん需要はあるが、それは主として交易によって入手しているため、自力で入手する必要性は薄い。だからといって少ないながらも山の猟師もいるにはいる。だが山への侵入が禁止になって彼らが困るかといえば、実はそうでもない。なぜなら、この港町において数少ない山の猟師は、その全てが趣味や副業でやっているだけだからだ。本業は別にあるので、生活には何の支障もないというわけだ。仮に支障があったとしても、山への進入禁止を通達した側が配慮したかどうかは不明であるが。

「なんでもあの山は、神聖ミシュネルヴァ教団の聖地の一つらしくてな。近々なんかの代替わりの儀式があるとかで、山を閉鎖して教団の連中が清めているんだそうだ」

「なんだって? じゃあ、あいつらはひょっとして・・・・・・。そうか、神さんへの行事ならしょうがねぇよ。だがよ、この店は商売あがったりじゃねぇのか?」

 すぐに惚れた女と助けた人々が関係する教団だと察しがつく。

 続けて辺境の武神例祭を思い浮かべたゼルベルトは宗教関連の儀式には素直に納得したようだ。あの祭りは辺境の人々にとって重要なものであるし、誰かに文句を言われるようなものではない。

「そうでもないんだ。うちは魔獣だけじゃなく、天然素材も扱ってるからな。そっちだけでもそれなりにやっていけるというか、むしろそっちがメインだしな」

 天然素材が何かといえば、薬草や鉱石のことだ。海の町ならではの海草や貝殻なども、輸出品として様々な価値がある。それに魔獣は山だけではなく平地や森、海にだっている。港町フェルカン周辺の平地や森では、魔獣はかなり少なく平和なところなので狩りには向かないが。

「俺が心配するまでもなかったな。だがメシの種がなくなっちまったぜ・・・・・・」

「すまんが、俺にしてやれることはこの獲物の報酬に色をつけてやることくらいだな」

「いや、ありがてぇ。また何か売れそうなもんを手に入れたら持ってくるからよ」

 友好的な買取屋の店主に色の付いた報酬を受ける取ると、挨拶を交わして店を出る。あとはゼルベルトが金を稼ぐ当ては船乗りに誘われていることくらいだが、今のところ彼にその気はない。船に苦手意識がついてしまっているのだ。

 それよりも大事なのはひと目惚れをした女の情報が手に入ったことだ。

「あの女、癒しの女神の教団の関係者に違いねぇ。どうにかして会えねぇもんか」

 彼にしては珍しく思い悩んでいるようだが、宗教儀式の最中に邪魔をするのははばかられる。この世界の現実として、神とは人に様々な奇跡を与えたもう、敬うべき存在なのだから。


 金はなくても腹は減る。狩りで得た臨時収入は悪くない額だったので、続けてやれないことを少し残念に思いながら、いつもの食堂に入る。女のことは気になってしょうがないが後回しだ。

 一応の節約を心掛けて、常に比べれば控えめな夕飯を食べていると、いつものように陽気な漁師の一人がゼルベルトに話しかける。

「よぉ、ゼル。聞いたぜ。山には入れなくなっちまったらしいな」

「そうなんだよ、参ったぜ。なんかメシの種はねぇもんか」

 ゼルベルトは自分がトレジャーハンターであるという意識はまだまだ低いようだ。

「・・・・・・船に乗るのは嫌なんだよな? それなら臨時で荷降ろしの仕事でもしてみるか?」

「荷降ろしってのは魚のか?」

「キツイ力仕事でな。すぐに辞めちまうからいつも人手不足なんだ」

「魚くせえのはちょっとな」

 仕事を選んでいられるほどの余裕があるかのような振る舞いだが、一先ず保留とするようだ。

「まぁ気が向いたらで構わねぇさ。いつでも人手不足だからな。その気になったら来てくれ」

「悪いな。しばらくは今日稼いだ金で凌げるからよ」

 景気の悪い話をそれっきりにすると、彼らはいつものように楽しく騒ぎ始めた、

 だが、ゼルベルトはゼルベルトであって、どうしょうもないロクでなしだ。結局はその夜の内にせっかく稼いだ金を散財してしまう。最近になって港町で仕事を始めたダイナマイトバディの女を勢いで抱いてしまったのだ。

 せっかくのダイナマイトバディとの行為の最中でも、どうしても気になるのはやはり惚れた女のことだった。名も知らぬ惚れた女を思い浮かべながら、別の女を情熱的に突き上げるゼルベルトなのであった。

「あなた、噂以上に凄かったわ。またお願いね、待ってるから!」

「最近たまってたしよ、おめぇのお陰ですっきりできたぜ」

 親しげに肩を抱くその姿は、ほかに惚れた女ができたばかりとはとても思えない情景だが、これはこれ、それはそれとして割り切っているのだろうか。反省の色は全くないようだ。

 あらためすっからかんになってしまった阿呆は、翌日、のこのこと港に姿を現す。


 ゼルベルトは魚臭くなるのを妙に嫌っていたが、結局は妥協して一先ずの金を稼ぐことにした。急にお宝の情報を得てとレジャーハントに繰り出せるはずもなく、ただの日雇いアルバイトであるが。むしろ自称とは言えトレジャーハンターである自覚など最早皆無であろう。

 だが意外なことに日雇いのとっぱらいであるアルバイトは、自由人であるゼルベルトの気質には合っていた。

 無駄に力が余っており、体力も無尽蔵にある男だ。港で一日中荷降ろしをしたところでヘコたれるはずもない。人一倍どころか、何倍もの働きをたった一人でこなしてしまう。どこにでも適応できるのは大したものだが、何か間違っている。

 だが、その働き振りから港では絶大な人気を集めて、無くてはならないほどの存在となってしまうのに大して時間は掛からなかった。海産物は鮮度が命だ。彼のように多くの重量ある荷物を素早く捌いてくれる人材はとても稀有であったのだ。

 何の因果か、ゼルベルトは港での積み降ろし作業でいつの間にかバイトリーダーになっていた。その圧倒的な働き振りを考えれば当然かもしれないが。

「おう、新入り。そろそろメシ行くぞ」

「はい、ゼルさん!」

「ご一緒しまっす!」

「今日はゼルさんの奢りっすか?」

「バカ野郎! 稼いでんだからてめぇで払え!」

 冗談交じりに軽口を利く若い男をどつきながら、今日もいつものメシ屋に向かった。若いといっても、彼らの年頃はほぼ同じであるのだが。


 メシ屋で適当に注文を済ませると、若いバイトたちがいつものように下品な会話で盛り上がる。

「俺、見ちまったんだよ。噂の聖女様ってやつ。すっげー美人だった」

「マジかよ、俺も見たかったぜ。美人な上に胸もすげぇんだろ?」

「そりゃすげーのなんの、噂以上だったぜ。ボインボインのすっげー体だった。はぁ、死んでもいいからお近づきになりたいぜ。胸だけじゃなく尻もまたこう、ボリュームがあってな」

「ゴクッ・・・・・・話聞いてるだけでたまらない女だな。聖女様ってやつは」

 下品極まりない会話だが、これがここらでの標準仕様である。どいつもこいつも男とくればこんな調子だ。お陰でゼルベルトの下品さがマイルドに感じてしまう始末だ。

「聖女様だぁ? なんだ、その偉そうな呼ばれ方の野郎はよ」

「知らないんすか、ゼルさん。それに聖女様は野郎じゃないっすよ」

「んなことぐれぇ分かってるよ! その偉そうな奴は一体何モンだって聞いてんだよ」

 泡立つ酒を一気に飲み干すと、テーブルにダンッと叩きつけながら問いかける。ついでに給仕のおばちゃんにお代わりも要求する。

「え、マジで知らないんすか? 町中で噂になってるのに」

「で、誰なんだよ?」

「いいっすか、ゼルさん。聖女様ってのは、今、町中を騒がさせてる存在で、すっげー美人で胸もボインボインのメチャクチャいい女なんすよ。しかもっすよ、あの神聖ミシュネルヴァ教団の次代の巫女頭だって話らしいんすよ。見た目が超イケてる上に、若いながらも教団の期待の星って感じっすか。俺らとはもう住んでる世界が違うっすよ」

 神聖ミシュネルヴァ教団とは、世界中に神殿を持ち、また世界中に信徒を数多抱える一大宗教組織である。女神の代行者たちが行う癒しの奇跡は、万人に等しくもたらされるため、絶大な人気と影響力を誇っている。また、女神の代行者は女性にしか務まらず、教義上からも教団を運営する側の関係者は女性のみと定められている。男性でも信徒にはなれるし、実際に男性の信徒は数多くいるが、その全てはどんなに熱心であっても、一般の信徒以上には通常なることは出来ない。戒律や教義とは融通の利かないものなのだ。

 その神聖ミシュネルヴァ教団の"聖女"を評して曰く、癒しの女神ミシュネルヴァの愛し子にして、容姿端麗、純情可憐、才色兼備としてなお足りず。その類稀たぐいまれなる能力と女神の生き写しが如き美しさは、まさしく聖女と呼ぶに相応しく、彼女を置いて聖女と呼ぶに足る存在はありえず、とまで言わしめる天上人だ。

「けっ、お高くとまりやがってよ。何言ってやがる。ドスケベな体してやがんだろ? 澄ました顔してアッチの方は物凄いに違いねぇ。俺が会ったら、いっぺん試してやるぜ」

 ゼルベルトは悪態をつきながらも、ふと思う。そんなにまでいい女で、おまけに神聖ミシュネルヴァ教団の関係者だ。まさか、という思いが駆け巡り始める。

 急に黙り込んでしまったゼルベルトを不思議に思いながらも、若いバイトたちは気にせず下品に楽しく食事を進めていった。


 ゼルベルトが噂の聖女と惚れた女について考えながら黙々と食事をしていると、港で顔役の男が隣に座ってきたのに遅まきながら気が付いた。

「よぉ、どうしたんだよ。ボーっとして」

「すまねぇ、ちょっとな。それよりどうしたよ? こんなところで昼間から珍しいな」

「なぁ、ゼルベルト。お前は泳ぎも達者なんだってな。初めに会った頃にも言ったが、俺の船に乗らねぇか? お前ほどの腕っ節があって、泳ぎも達者となりゃ、おかに置いとくのはもったいねぇ。聞いたぜ、金に困ってんだろ?」

「親方、ありがてぇけどよ、俺にはやることがあるんだ」

 親方と呼ばれる男はこの港町フェルカンで網元を担う存在だ。ゼルベルトは町に来た初期から酒を奢ってもらったり寝床を世話してもらったりとなんだかんだ世話になっている。もちろん喧嘩をしたこともあるが。

「前から思ってたが、それって何のことか聞いてもいいか?」

「言ってなかったか? 俺はよ、俺の死んだ爺さんみてぇなトレジャーハンターになるんだよ! だからこうしてクニから出て来たってわけだ」

「・・・・・・こう言っちゃ何だけどよ、その割りには大分長いこと居ついてねぇか? それともこの町で何かやることでもあるってのか?」

「・・・・・・いや、なぁ親方。俺がここに来てどれくれぇ経ったか分かるか?」

「さぁ、覚えちゃいねぇが。そう短い時間じゃねぇと思うぜ」

 何かを思い出したように固まるゼルベルトと、周囲に丸聞こえの会話から呆れたり残念そうな顔をする食堂にいる人々だった。ここにはゼルベルトのような考えなしが大勢いるはずだが、自分のことは棚に上げている。人とは往々にして自分自身のことは振り返れないようだ。


 その後も先立つものを稼ぐため、港で荷降ろしのアルバイトをしていたゼルベルトだったが、その腕っ節を見込まれて町のお偉いさんから網元の親方経由である頼み事をされてしまった。人の縁とはどこでどのように繋がるか分からないものである。

 気風のいいゼルベルトが人の頼みを無碍にすることは少ない。何しろ、さんざん世話になっている親方の頼みでもある。二つ返事で快諾したのだった。

 気安く請け負ったのは、護衛の仕事だ。腕に自信はあるし、自分向けの仕事だと思ったのもある。もちろん、数いる護衛の中の一人としてだが、おまけの臨時雇いにしては報酬が破格だった。その泡銭あぶくぜにの使途については、簡単に予想がついてしまいそうなものだが・・・・・・。

 ともかく、普段の日雇いアルバイトとは一味違った仕事に、ゼルベルトも少し楽しみであった。彼もまだまだ好奇心の強い若者なのだ。

 そこで運命神はゼルベルトに微笑みかけることになる。

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