第8話、運命の出会い
仲良くなった漁師に軽食を奢ってもらいながら
「なぁ、ゼルさん。あんたクニじゃ猟師をやっていたんだろ? メシが食えねぇなら、自分で山で獲ってくるってのも手じゃねぇか?」
「・・・・・・今の俺はもう狩人じゃねぇんだがな。だが完全にすっからかんになっちまったし、しょうがねぇ、ここは一つ山にでも行ってみるか」
食事代にすら困る懐具合になってしまったゼルベルトは、元狩人としての力で当座を凌ぐことを決意した。幸いにも近隣にちょうどいい獲物がいる山があって、山の方の猟師が不足している港町にあっては臨時であっても歓迎されるようだ。
ゼルベルトの猟のスタイルは至極シンプルだ。ただ単に獲物に近寄って殴りつけるだけだ。なんの道具も準備も要らない。魔獣はただの野生動物とは違って好戦的だから、武力さえあれば狩るのは比較的容易い。標準的な人間に真似が出来ることではないが、辺境の狩人にとっては日常茶飯事だ。特別なことでもなんでもない。
思い立ったが吉日、翌朝の早い時間から、さっそく山に入ったゼルベルトは案外大きく広い山の様子を見ても、なにやら不満げだ。
「随分としけた山だな。こんなもんしかいねぇのか」
魔獣は思った以上にたくさんいるようだが、彼がいつも狩っていたような大型の獲物は全くいない。不満には思うが、だからといって手ぶらで帰るわけにもいかず、なるべくマシな固体を選んでは軽く捻り倒していく。多頭狩りは彼の趣味ではないが、獲物が小さいのではしょうがない。辺境に比べれば魔獣は小さく強力なものではないが、それが普通なのである。辺境の環境の方が世界から見れば異常なのだ。
山にいる魔獣は小さいといっても人の腰ほどのサイズはあるし、凶悪で好戦的なのだ。しかも群れで移動する種も存在する。常識的には小型であっても一般的に脅威の度合いは高い。
初めて訪れた山をゼルベルトは物見遊山に練り歩く。実力あっての所業だが、狩人として周辺の把握に努めるのは常識でもある。
「なんだここは。こいつは危ねぇが、道になってんのかよ」
散策していると細い崖道を発見するが、彼をしても行くのを躊躇する道となっていた。どこに続いているのかは分からないが、細くて長い道には、よく見れば上からパラパラと小石が降り注いでいる。落石やがけ崩れの危険がある兆候だ。崖の下は川の流れる渓谷になっているようだが、落ちればまず助かるまい。落差がありすぎる。
無論、意味のないチャレンジなどするはずもなく、彼は引き返して狩りの続きを始めるのだった。
ゼルベルトは適当なところで狩りを終えると、あらかじめ見つけておいた沢に行き、そこで獲物の解体を済ませて血に汚れた体も洗ってしまう。
沢の冷たい水のせいか、腹に違和感を覚えた彼は茂みの中に入ると、いつものようにふんばり始めた。水浴びの途中だからして全裸の状態でだ。
「ふんぐぅっ、うくっ、あー、腹いてぇな。冷えちまったか」
鞄から取り出して持ってきた紙でゴソゴソしていると、思わぬ人の気配が近寄ってきた。全く気が付かずに誰かの接近を許すなど、緩みきっている証拠だ。辺境にいた時ではありえない。
「あ、あの、どなたかいらっしゃるのですか?」
おそらくはゼルベルトが残したままの荷物を目にして、誰かが近くにいると思ったのだろう。だが今はタイミングが悪い。見知らぬ女の声だ。ゼルベルトも隠れたままやり過ごそうと押し黙る。何しろ今しがた排出したブツがここにはあるし、しかも全裸なのだ。迂闊なことは止めた方がいい。
しかし運命神は今日も悪戯好きだ。何者かを探す女の気配は着実にゼルベルトに近づいていく。そしてついに、彼女は彼を見つけてしまった。全裸でしゃがみ込む男のことを。
「・・・・・・き、」
「バカ野郎! 覗くんじゃねぇよっ!」
悲鳴を上げられる前に先手を打って怒鳴りつけるゼルベルト。あくまでも相手に非があると思わせる良い作戦だ。
「の、のぞいてなんていませんっ! それに、ど、どうしてこんなところで裸で、し、しかも、その、し、しているんですかっ!?」
「急にもよおしまったんだから仕方ねぇだろうよ。それともなにか、俺に漏らせって言うのかよ」
何が悪いと開き直ったゼルベルトだが、無遠慮にも隠れた人間に近づこうとする方がおかしいとする主張は、あながち的外れではないだろう。
そこで初めてゼルベルトは相手の女をちゃんと見た。
年はきっと同じくらいか少し下になるだろうか。漆黒の髪は真っ直ぐに長く、よく似合う銀の髪飾りで耳の上で留められている。柳眉に印象的な藍色の瞳は多くを語りかけてくるようで目が離せない。赤い唇は輝くような白い肌と相まって酷く蠱惑的だ。薄い生地で抑制的な露出を抑えた服装は、彼女のメリハリのある体型を逆に際立たせている。
あえて言おう。美しくも真面目そうな顔に似合わないドスケベボディを持った彼女の姿は、脳天を貫くような衝撃を彼に与えていた。
ロマンティックに表現すれば、そう、ゼルベルトは生まれて初めて、ひと目惚れをしたのだ。
全裸で何もかもが丸出し。なんなら、腹の中身まで出ちゃってる状態だ。急に羞恥を覚えるゼルベルトが取った行動は、彼にとっても予想外であった。
「・・・・・・あ、すまねぇ」
「・・・・・・き、きゃああああああ~~~!」
何を思ったのか、本能の発露か、ゼルベルトは全裸のまま仁王立ちになると、無造作に彼女の胸を揉みしだいたのだ。一応謝っているところを見るに、彼にとっても想定外だったのだろう。
こちらも予想外の痴漢行為を受けた彼女は、悲鳴を上げながらも豪快にフルスイングした平手打ちをゼルベルトに食らわせてふっ飛ばしていた。
「い、いってぇ、この馬鹿力! なんてことしやがる!」
「そ、それはこっちのセリフです! いいから早く服を着てください!」
既に隠すべきものは何もない。今更隠しても仕方がないとも言う。ゼルベルトは堂々と全てを晒しながら、むしろゆっくりと服を着ていく。
惚れた女の前だ。これ以上の無様は晒せない。服を整えると悠然と彼女に向き直り、問いかける。ただし、彼には似つかわしくなく顔が赤くなっていたが。
「・・・・・・でよ、おめぇは何しに来たんだよ?」
「・・・・・・あっ!? そ、そうです! わたくしの従者たちが、たくさんの魔獣と戦っているんです! その、手を貸していただけませんか!?」
沢の近くに置いてある仕留めた魔獣の多さから、彼が腕利きであることは察しているのだろう。まさかその狩りの成果がたった一人のものとは思わなかったようだが。
「なにっ!? それを早く言わねぇか! 場所はどこだよ!?」
「でも、たくさんいるんです! あなた一人では」
「うるせぇ! いいから案内しろ、俺が何とかしてやる」
山の中では助け合いが基本だ。ゼルベルトは辺境の教えを忠実に守り、出来る限りのことをする気構えがある。彼の迫力に一瞬息を呑んだ彼女だが、自信に満ち溢れた様子や他に当てもないことから、謎の男に助けを求めて案内することを決めた。
彼女は頼りない足取りながらも懸命に山道を進んでいく。ゼルベルトは密かに感心しながら前を行く彼女の尻を舐めまわすようにガン見していたが、幸いなことにそれを見咎める者は誰もいない。じっくりと脳裏に刻み付ける。
時を忘れて思う存分健康的な尻の動きを堪能していると、いつの間にか戦闘音が微かに響く場所に到達していた。かなり遠くの前方にある大岩の向こう側がそうだろう。まだ戦闘音が聞こえるということは、健在な者がいるはず。全滅という最悪の事態は免れたのだ。
場所さえ分かればもう案内は必要ない。彼女一人を置いて先に行くことは少しばかり気に掛かったが、彼女は一人で山中を歩いてゼルベルトを探し当てるような破天荒さを持っている。さらに道々で垣間見せた気丈さなどを見ても、少々の魔獣程度に遅れを取るような弱々しい女ではないのだろう。腰に差した小剣はきっとただの飾りではない。
ならば、余計な心配は無用。ゼルベルトは一気に加速すると、風のような速さで彼女を追い越して大岩の向こう側に姿を消した。
そこからは一方的な蹂躙劇が始まった。
まずゼルベルトが目の当たりにしたのは、剣に鎧と盾を身に着けた何人かの神殿騎士たちが、薄い抑制的な服を着た
神殿騎士は小型の愛玩動物を凶悪にしたような魔獣の攻撃から必死に非戦闘員を守っているのだ。既に倒れている騎士や侍祭も何人もいて、ゼルベルトが駆けつけるのが遅れれば、遠からず全滅していたかもしれない。倒れている者は、手当てを受けられる暇もなく、なんとか陣地に引っ張り込まれてはいるようだが、容態はどうなるとも知れない。
ゼルベルトはそれを横目にしながら魔獣の群れに単身飛び込む。今回は狩りではなく、ただ魔獣を蹴散らせばいいだけだ。なんの遠慮も要らない。普段であればもっと慎重に行動するところだが、今はそんなことをしている場合ではない。
「うるせぇ鳴き声だ。いくぜ、畜生どもっ」
彼が殴れば小型の魔獣は絶命しながら簡単に吹き飛ぶ。蹴り上げても同じ結果だ。
凶悪な魔獣とは思えないような情けない鳴き声を上げながら魔獣どもは蹴散らされいく。
だがゼルベルトも多勢に無勢だ。周り中から引っかかれ、噛み付かれては無傷とはいかない。黒革のズボンをはいた下半身は無傷であったが、上半身は傷だらけになってしまっている。傷はどれも浅いが出血は免れない。ゼルベルトは自身の血に塗れながら、鬼神のように獰猛な笑顔を浮かべながら敵を次々と排除する。
突如現れた孤高にして強力無比な援軍に歓喜したのも束の間、余りの実力に恐れおののく神殿騎士と侍祭たち。だが彼らが警戒するのは当然だ。何者とも知れない男が、次に牙を剥くのは自分たちかもしれないのだ。一時的に助かったからといって、油断していいものではない。
「なんなのですか、あの男は・・・・・・」
神殿騎士たちは周囲にはびこる魔獣を警戒しながらも、謎の男から目が離せない。その圧倒的に力強く猛々しい在りようは、目を惹きつけて離さない。魔獣の撃滅への援護も忘れて、ただ彼の戦いを見つめるしかなかった。
まさしく怒涛の勢いで次々と魔獣を排除していくと、魔獣はようやく勝てない相手と悟ったのか、どんどん逃げ出していく。ゼルベルトもわざわざ追いかけるようなことはしない。彼が到着してからほんの僅かな時間での逆転劇であった。
遅ればせながらゼルベルトが熱い眼差しで見つめる彼女が到着すると、そこにあったのは死屍累々たる魔獣の群れ。それから倒れ伏す神殿騎士と侍祭、血塗れのまま仁王立ちをする戦士の姿があった。
何が起こったのか瞬時に悟った聡い彼女は、ゼルベルトに向かって一つ頷くと、すぐさま倒れ伏す人々の元に向かって祈りを捧げ始めた。血に塗れていている姿であっても、ゼルベルトが軽症であることを見抜いているのだ。
彼女の朗々とした祈りの言葉が響き渡る。耳地心地よい美しく透き通るような声だ。
「治と知を
特別な祈りを捧げると彼女の様子が徐々に変化していった。色こそ違うものの、本気を出した時のゼルベルトのように薄っすらとオーラを纏い始めたのだ。それから最後の言葉を発すると、手を触れられた横たわった人が光に包まれるのが分かった。癒しの力を行使されたのだ。癒しの女神の巫女による最上級の奇跡だ。かなりの重症でも治すことが可能だ。
癒しの女神の力を得た巫女は、倒れた人や怪我人に対して癒しをもたらし全てを完治させると、最後に仁王立ちを続けたまま呆けたように巫女の奇跡を見守っていた血塗れの戦士の元を訪れる。
巫女は人間離れした女神の化身のような雰囲気を纏いながら、ゼルベルトの胸に手を触れると癒しの奇跡を施してみせる。血塗れなのは変わらないが、傷口は全て塞がったようで痛みは完全になくなった。
呆然としたようなその反応は巫女に接する全ての人々と同様だ。何も珍しいことはない。傍若無人そうな彼までもが同様な反応を示したことに若干の寂しさを感じてしまう巫女だったが、ゼルベルトは只者ではない。むしろ、いささか頭がおかしい部類といっても差し支えない。
ゼルベルトは衝動的に肌に触れる巫女の手を握ると、驚く彼女に構わずとっさにその可憐な唇を奪ってしまった。
時が止まったように硬直する巫女と我を忘れて行った自分の行動に呆然とするゼルベルト。即座に我に返った彼が取った行動は、戦略的撤退であった。
「・・・・・・あ、と、俺の荷物が魔獣どもに荒らされちまうぜ。こっからはもう、おめぇらだけでも大丈夫だろ? 俺は先に行くからよ。そうだ、俺はゼルベルト。ゼルベルト・クリーガーってんだ。覚えといてくれよ。そんじゃあ、またな!」
「あっ」
風のように去っていく彼を止められる者はどこにもいない。
幸か不幸か、一連の出来事は角度的に誰にも見ることはできず、それは二人だけの秘め事となってしまった。
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