第6話、長い旅の始まり

 伝説のトレジャーハンターの孫であるゼルベルトは、祖父の遺言に対して大きな興味を抱いていた。狩人としての生活には何の不満もなかった彼だが、祖父が成してきたことに興味を抱くのは自然なことでもあるだろう。

 今までも外の世界に興味がないわけではなかったし、年頃の女が一人も居ない辺境においては、いずれは嫁探しに出なければならない事情もあった。嫁探しについてはゼルベルトに限った話ではないが、その時期がやってきたとでも思えば、それほど悩むことでもない。彼の決断は早かった。


「本当に行くのじゃな?」

 オババの元を早速訪れたゼルベルトが辺境を出る決意を告げると、オババは余りの展開の速さに少しだけ困惑気味のようだ。何せ、あれからまだ一日も経っていない。今はカルラたちオババの弟子は別室で修行中で、ゼルベルトとオババは二人で会話をしている。

「おうよ。どっちにしろ嫁探しにはその内行くはずだったからよ。それが少し早まっただけだ」

「ならば皆にも知らせておくか」

「それは止めてくれよ。湿っぽいのは好きじゃねぇからよ。なに、別にもう戻ってこねぇって訳じゃねぇ。しばらくしたら一度は戻るからよ。あとでオババから言ってといてくれよ」

「そうか。じゃが関係者には先に伝えておいた方がいいじゃろう」

「関係者だって?」

「ゼルよ、お前とて着の身着のままで出発する訳にもいかんじゃろ。今ちょうどお前たちが狩ってきた竜の素材で色々作っておるようじゃからな。お前用の服や装備は先に作らせよう。それに辺境から出るには船が必要じゃからな。いつでも出発できる訳ではないし、船頭には話を通しておかねばならん」

 オババが船が必要と言うように、この辺境の集落とは絶海の孤島にある。かなりの大きさを誇る島であるが、周囲を幾重にも渡って岩礁が阻み、その外側には熟練の船乗りでも見極められない急激な海流が立ちふさがっている。さらには辺境らしく、強力な海の魔獣が行く手を阻む。

 ただ立ち入ることさえ厳しい困難が待ち受ける、如何にも辺境らしい辺境の島であったのだ。

 唯一、辺境の船頭のみが岩礁地帯を潜り抜け、複雑怪奇な海流を見極められる。そして海であろうと魔獣如きに恐れをなす辺境の男たちではない。この船頭たちが居なければ、辺境から外へ出ることはできないのだ。また、外から辺境に来ることもほぼ不可能である。

「そりゃそうだな。俺でも泳いで行くのは嫌だからよ。船頭には次の買出しには俺も連れてけって言っておくよ。鍛冶師にもついでに言ってくるぜ。どうせ今日は暇だからよ」

「ワシも行くぞ。少しは動かんと体が固まってしまうわい」

「無理すんなよ、オババ」

 軽口を叩きあいながら連れ立って行く二人であった。

 実際に準備を整えるのには少し時間を要する。装備の作成には急いでも数日は掛かるし、何より船はいつでも出せる訳ではない。天候の問題とは別に海流に大きな制約がある。複雑怪奇な辺境の海流は、時と共に変遷して安定しない。場合によっては辺境の船頭でも出航ができない日が長期間続くことだってある。辺境の船頭は毎日の観察によって、微妙な変化を読み取らなくてはならないのだ。チャンスと見れば急に出航することだって珍しくない。ゼルベルトが辺境を出るには、いくらせっかちであっても、少しだけ時間が掛かってしまうことは避けられない。


 湿っぽい別れを嫌ったゼルベルトは、表面上では何事もないように普通に日々を過ごす。

 そうしている間にも着々と装備面での準備は仕上がっていき、荷物もクラーラの母によって滞りなく準備が整えられていった。オババや一部の長老たちの即席の教育によって、トレジャーハンターの何たるかや一先ずの目指す先なども検討を重ねていた。

 あとは出航を待つのみである。その出航も船頭によれば近日中、早ければ明日にも可能になると聞いて、ゼルベルトは改めてオババの元に挨拶にやってきていた。

「つーわけでよ、これが最後の挨拶になると思うぜ」

 あっさりとした別れのようだが、何も今生の別れという訳でない。ゼルベルトは若者らしく、希望に満ちた目で楽しげに別れを告げる。

 対するオババは年のせいか、感慨深い様子を見せている。彼を赤子の頃から知っているだけに、あるいは自分の孫の旅立ちようにも感じているのかもしれない。

「・・・・・・ワシからも餞別をやろう。ワシ特製の薬をいくつか準備したから持っていけ。カルラ、渡してやれ。ほかに何か欲しい物でもあれば言ってみろ」

 オババの薬は散々世話になった、絶大な効力を誇る頼りになる一品だ。ゼルベルトは嬉しそうにカルラから受け取ると、ほかに欲しいものと聞かれて思案する。

「・・・・・・じゃあよ、カルラと一発ヤラせてくれ」

「なっ!?」

 突然のとんだとばっちりだ。集落の実力者であるオババであれば、大抵の無茶は通るであろうが、よりによって女を抱かせろとはゼルベルトも無茶がすぎる。

「どうじゃ、カルラ?」

 オババもどこか頭のねじが緩んでいるのか、残念ながら少しおかしいようだ。普通にカルラに聞いている。

「どうもこうもありません! 絶対に嫌です!」

「そこまで言うことねぇじゃねぇかよ。別にいいだろ、一発くらいよ。減るもんでもねぇ」

「減ります! ダメです!」

 両腕でバッテンを作るカルラだが、こういうところが意外に可愛らしく、ゼルベルトを益々その気にさせてしまう。

 ヤラせろ! ダメ! の応酬が続くが、見かねたオババが止めさせた。

「ゼルベルトよ、嫌がる女を無理に抱こうとするのは止めておくんじゃ。趣味が悪いぞ」

「・・・・・それもそうか。仕方ねぇがよ、また今度にしとくぜ。次に会ったときは頼むぜ、カルラ」

「次も絶対に、ダメです!」

 しんみりとした別れの気配など全く感じさせない最後の挨拶になったが、それをゼルベルトが狙ったのかどうかは彼と神のみぞ知る。


 オババの屋敷からの帰り道、カルラを抱くことこそ諦めたものの、一度火が付いた欲望は簡単には冷ませない。ゼルベルトは出発前の最後の夜ということで、どうしても奉納をしておきたくなってしまった。

「今日で最後か・・・・・・行く前に一発ヤラしてもらいてぇな」

 不穏な呟きを漏らしながら、事情を知る少数の人々への挨拶に向かう案外に律儀なゼルベルト。彼の頭の中は欲望でほぼ満たされているようだったが。


 用事を済ませたゼルベルトが希望と欲望を胸にのこのこと女神マルレーネの家にやって来た。

「あら、ゼルベルト。・・・・・・今日はせっかくだけど、ちょっと疲れてるのよね」

 一番のなじみであったマルレーネにあっさりと断られてしまうが、彼も簡単に引き下がるわけには行かない。何せ今日が出発前の最後の夜なのだから。

「マルレーネ、実はよ・・・・・」

 今日で最後だからと拝み倒すゼルベルトに、初めはあまり乗り気ではなかった女神だが、今日が最後と言われてしまっては断りきれないと思い直し、餞別の意味でもたっぷりとサービスしてやろうかという気にさせたのだ。

 まんまと女神マルレーネとの一夜を獲得したゼルベルトは、枯れ果てるかの如く朝まで奉納を繰り返して、最後の夜に相応しい最高の一夜を過ごすことができた。果報者である。


 早朝に黄色い朝日を拝みながら寝床の掘っ立て小屋に帰ると、顔も洗わずごろ寝をする。いくらも寝ないうちから控えめな戸を叩く音に目を覚ますゼルベルト。だが彼も出航の予定を忘れたわけではない。こんな早朝にお呼びが掛かるとなれば、そのくらいしか心当たりがない。すぐに起き上がると、いつもの立て付けの悪い扉を乱暴に押し開ける。

「あ、あの、ゼルベルトさん。おはようございます」

「おう! マルコじゃねぇか。おはようさん。もう行けるのか?」

「は、はい。船長がすぐに呼んでこいって」

「よし、分かった。準備したらすぐに行くからよ。オヤジに言っといてくれよ」

 マルコは船頭一家の末の息子だ。気が弱いが辺境の男らしく腕っ節はそれなりにあるし、何より海での嗅覚が抜群で船頭一家の中でも意外にも頼りにされている。

「今朝は潮の流れが素直ですし、波も穏やかで凪いでいます。早く行きましょう!」

 普段は気の弱いマルコも海のことになると気弱な性格も少しはマシになるようだ。その変わりようには集落の人間は慣れている。

「ちょっと着替えて母屋に荷物取ってから行くからよ、先に行っといてくれよ」

 普段から着ている服はヨレヨレで擦り切れてしまっているような物ばかりだが、辺境を出るに当たってオババやクラーラの母が色々と準備をしてくれていた。それに着替えて、同じくクラーラの母が準備してくれていた荷物を持っていくのだ。ゼルベルトは人に任せきりで特に何もしてない。楽なものだ。


 マルコを先に行かせたゼルベルトはさっそく全裸になり、まずは水場で冷たい水を頭から浴びてすっきりと目を覚ます。そのまま軽く汗を流すと、全裸のまま母屋に向かう。

 今日のために準備されていた着替えや荷物がある部屋に入ると、すぐに着替えを済ませる。

 下着はクラーラの母お手製で、これといった特徴もないシンプルなものだ。ズボンは、いつものような長ズボンで黒革を加工して作られた物だ。もちろん、それは先日に倒したドラゴンの素材から作れた超一級品になる。サイズも彼にぴったりで、裾が足りていないということは当然ない。耐久性は世界最高峰で、体型さえ大きく変わらなければ、まさしく一生ものとなる代物で間違いない。ベルトも同様で黒革と鱗から作れた恐ろしく素晴らしい一品になる。

 素肌に羽織るシャツも新品だ。こちらは特別な素材を使用してはいないものの、彼の好みに合わせた赤色で、これもクラーラの母が用意してくれたものになる。

 今のところ、身に纏う服はこのくらいのものだ。服は他にも着替えや別のものが用意されていたが、常夏の辺境で着るには暑すぎるので、鞄に仕舞われたままで当分出番はない。

 鞄も新品でズボン同様に黒革を使って新調されたものだ。中にはクラーラの母が使えそうな物を適当に放り込んでくれており、ゼルベルトは疑うことも何もなく、確かめもしない。何か困ったら初めて開けてみるのだろう。

 最後に二本のナイフを腰に装着する。一本はフリートベルトの部屋で発見した青いナイフ。もう一本は、透き通る赤いドラゴンの鱗から新調された一品だ。どちらも劣らぬ相当な業物だ。ゼルベルトは満足そうに、二本のナイフを少しだけ眺めると腰に差した。

 準備に大きく手間を掛けてくれたクラーラの母は、まるでゼルベルトの実の母のような存在だが、極端に世話焼きでゼルベルトは完全に甘えきっている。母というよりは姉のような年の差であるが、幼い頃からの知り合いで何かと世話を焼いてくれる。今回の旅に当たっては寂びそうではあったが、元から嫁探しに出る予定ではあったし、積極的に協力し応援してくれたのだ。ゼルベルトは余り自覚していないが、彼にとって得がたい存在であること間違いない。

 母屋から出て船着場に向かうゼルベルトだが、最後に身に着けるのは履物だ。だが、これだけはいつもと変わらぬ草履であった。


 黒革の鞄を一つだけ担いで船着場に到着したゼルベルトを迎えるのは、ヒゲ面にムキムキのパンツ一丁のおっさんであった。

「おう、来たな。ゼル、さっそくで悪いが出航するぞ。潮の流れが変わると厄介だ」

 挨拶もそこそこに、もう出航するようだ。パンツ一丁のおっさんは準備に余念がない。

「おう! ルーカスのオヤジ、世話になるぜ」

 彼らのほかにも同行する者がいて、既に乗り込んでいた。船は小さな規模でしかないが、数人程度が乗る分には何の問題もない。

 同行者の一人はマルコ。ルーカスの息子で、操船や対魔獣の手伝いをする。もう一人は行商担当をしている者だ。集落で余った魔獣素材を大陸で売りさばき、得た金で集落の人々が要望する物資を買う役目を請け負っている。

 誰にとっても狭い辺境の集落の人々は知り合い同士なので、気安い挨拶を交わすとゼルベルトは久しぶりの海を眺めて寛いでいた。

 大陸まではかなりの距離があって、順調にいっても2日は掛かる。小船での移動になるので、海が荒れると揺れも酷くなり大変なことになるが、そこは我慢するしかない。


 海に出てしばらく進むと、珍しいものを発見した。

「おい、なんだあれ!? すげぇぞ、見てみろよ!」

 朝日に照らされて光る水面を、魚の群れが飛び跳ねるようにして進んでいるのだ。初めて見るゼルベルトは大はしゃぎだ。

「あ、あれは珍しいですね。運がいいですよ。幸先のいい旅になりそうですね」

 その光景をずっと見ていたゼルベルトだったが、そのまま魚の群れに向かって、どんどん直進していく船に焦り始める。

「お、おい、ぶつかっちまうぞ?」

「進路を変えるわけにはいかねぇ。あんな小魚程度、どうってことねぇや」

 その言葉通りに飛び跳ねる魚の群れに突入すると、かなりのジャンプ力を発揮しているようで船の中には無数の魚が文字通りに飛び込んでくる。

「うわっ、どうすんだよ、これ! 魚まみれになっちまうよ! うわ、魚くせえ!」

「朝メシに丁度いいじゃねぇか。捕まえる手間が省けるってもんだ。あとでなんか作ってやるよ」

 それどころではないゼルベルトは珍しく取り乱していたが、他の男たちは慣れたものだ。多すぎる魚を適当に捕まえると、次々と海に放り込んでいくのだった。


 船乗りのルーカスやマルコに言わせれば順調な部類に入るらしい船旅は、初めて経験するゼルベルトにとっては地獄の2日間だった。

 凪いだ海を順調に進めたのは半日ほどで、その後は雨までは降らなかったものの、終始高い波に晒され続けたのだ。長時間の船旅に慣れていないゼルベルトは、激しい船酔いに襲われて苦しみ続けていた。途中、海の魔獣との戦闘もあったのだが、ずっと横になって苦しんでいた彼は、そもそも戦闘があったこと自体にすら気が付いていない。


 半ば気を失っていたゼルベルトが意識を取り戻す頃には、目的の港が視界に入る位置までやってきていた。あっという間のようであり、永遠に続くかのような苦しい時間だったであろう。

「・・・・・・マルコ、陸はまだか」

「ゼルベルトさん! もう少しですよ、頑張ってください!」

 普段は気弱なマルコに励まされるゼルベルトは、この状況をおかしく思いながらも陸が近づいていると聞いて少しは元気が出てきたようだ。

「俺はやっぱり地に足が着いてねぇとダメなんだな。早く自分の足で歩きてぇもんだぜ」

「行商で何度も乗ってる俺だってキツイんだぜ。初めてのお前なら尚更だぜ。港に着いたらどうすんだ? 俺が案内してやってもいいけどよ」

「いや、そっちだって忙しいだろうしよ、俺は好きにやるから気にしねぇでくれよ。初めての外の町だしよ、じっくりと見て回ってみようかと思ってんだ」

 気を取り直したゼルベルトと行商担当の男らが楽しげに会話を始めると、間もなく港に到着した。



 ゼルベルトたちが港町へ到着するのと同じ頃、辺境の島には珍しい訪問客を迎えていた。辺境の船頭の案内なしに到着することは、ほぼ不可能なはずのここ辿り着いた者たちがいたのだ。

「ルーカスの船じゃねえぞ。何モンだ?」

「観光客って感じでもないな。遭難でもしたのかもな」

「お、出てきたぞ。なんだ、ありゃ、女か?」

 ざわつく辺境の人々の前に姿を現し始める船の乗員たち。遠目からでも分かる長い髪を風になびかせ、薄い衣に身を包んだ艶姿。それはまだ若い年頃の女たちであった。

 それは男を余らせた辺境があるように、女を余らせた別の辺境があったというだけの話だ。ニーズの完全一致と、新しい風は辺境の島に好影響をもたらすに違いない。

 もしもゼルベルトが出立する前に彼女たちがやってきていたとしたら。

 もしもゼルベルトの好みに合う女がその中にいたとしたら。

 彼が旅立つことは、ひょっとしたらなかったのかもしれない。この運命神の気まぐれは、彼のみならず誰にどのような影響を及ぼしていくのであろうか。

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