幕間

担任教師と宇宙人

 生徒の死亡事件の数日前。


 加々美原かがみはら小学校の放課後の教室で、三人の生徒が声を潜めて話す。

「どうだ? 本物みたいだろ?」

「すっげー。どうやって作ったんだ?」

「やっぱ勝っちゃん天才だな」

 勝っちゃんと呼ばれたリーダー格の男の子は、手の平に収まる小さな袋の中身を透かすように照明にかざす。

 袋には駄菓子屋さんで売っている様なキャンディの絵柄がプリントされている。

「飴を一度溶かして、下剤混ぜた後にまた固めたんだよ。同じ形に固めんのに苦労したんだぜ」

「ほえー、袋きれいに開けたんだな。完全に元通りだ」

「おうよ。何回も失敗したけどな。ネズミ捕りの団子も粉にしてちょっとまぶしてあんよ」

「大丈夫なんか?」

「人間じゃないから死なんだろ」

 と話す三人のいる教室の前を、小さな女の子が通り過ぎる。


「おーい、宇宙人! いいものやんよ」

 宇宙人と呼ばれた女の子は「なに?」と教室に入る。

 リーダー格の男の子が小さな袋を差し出すと、

「ありがとう。君達いい子だね」

 と言って去る。

 三人はいやらしい笑いを噛み殺しながら見送った。




「それで、まだあの問題児を見かけるのですけど」

 職員室の隣、主に指導室として使われている小部屋で、この学校の教師が保護者に囲まれていた。

 教師は保護者達の言葉に汗をかきながら曖昧に頷く。

「先月の内に転校させる約束でしたわよね」

「あ、いや。近い内にと申し上げただけですので……」

「近い内とはいつですか!!」

「いや、それは……」

 教師は汗を拭く。

「ではいつなのか。今決めてください」

「いや、それは私の一存では……。それにはっきりとした理由も必要でして」

「理由? それはもう何度も申し上げているはずですよね? あなた教師でしょう? そんな記憶力で児童に勉強を教えているの?」

 教師は現実から目を逸らす様に眼鏡を取り、意味もなくレンズを拭く。

「いやあ……、証拠、というか……」

「証拠? いいですよ。弁護士を通して証拠を持ってきましょうか」

「い、いや。そこまでは……」

「言っておきますが、これは学校の為に穏便に済ませようと言うわたくし達の配慮ですのよ? 証拠を持ってきたらこちらはもう刑事責任を取ってもらいます。それでもいいんですの?」

「あ、いえ。すみません……。すぐに話を教頭に通しておきますので」

「その教頭はどうしたんですの? 今日同席する話でしたわよね」

「いやあ、それが本日はどうしても外せない用件がありまして……」

「用件とは? なんですの?」

「いや、それは私も存じ上げません……」

「いいかげんにして頂戴!! あなた真剣に聞いてますの?」

 それまで横で黙っていた男がまあまあという感じで諌める。

「先生。あなたお子さんは?」

 静かな口調だが、厳かに言う。

「いえ、おりません」

 まだ結婚もしていない。

「子供を持つ身でなければ分からないかもしれませんが、あなたが傷ついたら、親御さんは心配するのではないですか?」

「はあ、それは……」

「我々はもう実際に被害届は出しているのですよ。しかし子供のやる事。警察もあちらの親の責任能力やら何やらでまともに取り合ってくれない。あなただけが頼りなんですよ」

「それは……、もう」

「もう何人もケガをしているんですよ。それとも、誰か死ぬまで動かないつもりなんですか?」

「いや、そんな事は……」


 体内の水分を全て汗で絞り取られた様になった教師は痛む胃を押さえながら、教室で待つ我が子を迎えに出た保護者達を見送る。

 ごほっと咳き込む口を押さえた手には血が付いていた。全身の血の気が引く。

 このままでは、自分はアイツに殺されるのではないか?

 小学四、五、六年とアイツのいるクラスの担任だ。あと一年、何とかやり過ごせれば、と思い耐えてきたが、どうやらそれも難しい。

 いっそ死んでやろうか、とこれまで何度も脳裏を横切った思いが、少し現実味を纏ってやってくる。

 指導室と続きになっている職員室へと戻る。

「山口君。あまり事を荒立てないように頼むよ」

 外せない用件で不在のはずの教頭が、豪華な椅子に座って言う。

「我々は教育者だ。どんな生徒も平等に扱う義務がある。それを保護者の方々に、理解してもらうようお願いしなくてはな」

 そもそも私も若い頃は保護者の苦情に……、とクドクドとどうでもいい体験談を語り始めた教頭を、落ち窪んだ目で見据える。

 ここで血を吐いてやろうか。

 それとも舌を噛んで死んでやろうか。

 と考えを巡らせていると立ち眩みのように意識が遠のく。

 我に返ると教頭はいなくなっていた。

「う、……うう」

 年甲斐もなく涙が流れる。




 職員室を出ると金縛りにあった様に足が強張る。

 教師の視線の先には一人の女の子が立っていた。

 ぼさぼさのショートカットに、だらしなく着た制服、幼い年齢にそぐわない冷めた目付き。

 それが半身に夕日を受けてこちらを見ている。

 こいつが……、こいつが全ての元凶なんだ。

 半身を朱に染め、残る半身に闇を落としたその人影は、悪魔そのものに見えた。

 生徒達はこの少女を宇宙人と呼んでいる。

 おかしくて笑えてくる。宇宙人? それは結局ヒトじゃないか。人って字が付いてるじゃないか。

 外国人に害がないように、宇宙人だって害はない。英語にすればどっちもエイリアンだ。

 だがこいつは違う。こいつは宇宙人なんかじゃない……、こいつは……。

 ふらふらと少女に歩み寄り、何かに取り憑かれた様にそっと少女の首に手を伸ばす。

 光を無くした目で手に力を込める。


 手の中にある少女の顔は、にぱっと笑った。

「せんせい、疲れてるの?」

 その声で我に返る。

「疲れてる時は甘い物がいいって本に書いてあったよ」

 と言って袋に入った飴玉を取り出す。

 少女は茫然と立ち尽くしたままの教師の手に飴玉を握らせると、元気出してね、と言って走り去る。


 自分は何をやってるんだ?


 教師は壁にもたれ、顔に手を当てて息をつく。

「疲れてるんだ……」

 あの子の言う通り、少し疲れていたようだ。

 危うく取り返しのつかない事をしてしまう所だった。


 冷静に考えれば、一番いじめを受けているのはあの子なのだ。

 それを担任教師である自分は何もしないどころか、あまつさえ彼女が悪であるかのように考えるなんて……、どうかしている。

 あんな幼い子が、その境遇にも負けずに健気に生きていると言うのに、自分はなんと恥ずかしい大人か。

 軽く自分の頬を叩くと歩き出し、天使のくれた飴玉を口に放り込んだ。

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