宇宙子の住むアパート

 だが次の日、空湖は学校を休む。

 席にいないのだけど、先生も何も言わないし誰も気に留めない。濡れたままだったせいで風邪を引いたのだろうか。

 放課後、先生に空湖の事を聞いてみる。案の定、なんでそんな事聞くんだ? 的な反応だったけど、上着を貸したままだと話すと納得したようにプリントの束と住所を書いた紙を渡された。

 ついでに届けてこいと言う事らしい。今日休んだ分のプリントにしては多い。

 封筒に入れられる紙がちらと目に入ったが、給食費やら何やらの請求書みたいな文字が見えた。だけどあまり詮索するものでもないだろう。


 というわけで『水無月』と書かれた表札の前に立っているわけなんだけど、呼び鈴を押す前に改めて建物を見てしまう。

 本当にここに住んでいるの?

 建物は、何というか一口で言えばボロアパート。その二階の一番奥が空湖の住む所のようだ。

 学校や僕の家からはそれほど遠くはない、にも関わらずここだけ雰囲気が違う。元々周りの建物も古いがここは別格だ。


 呼び鈴を押す、しかし反応がない。呼び出しに応じないのではなく、押した時に何も音がしなかった。何度か押してみるが同じ。

 仕方なくドアを叩いてみる、が反応はない。借金取りかなんかと思われていないだろうかと心配になるが、しばらくするとガチャリとドアが開いた。

 中から顔を出したのは僕が上着を貸した女の子、空湖だ。パジャマのままでぼさぼさ髪に半開きの目、そして小さな鼻からは鼻水を垂らしている。

 やはり風邪を引いて休んでいたらしい。

「あらコウ君。何かご用?」

「プリントを届けに……、あと上着を返してもらいに」

 そうだったね、と言って彼女は家の中に戻る。しばらく待っているとまたドアが開き、空湖が顔を出す。

 上着を持ってきたのかと思ったら、

「何やってんのよ、早く入りなさいよ」

 と言って引っ込んだ。

 曲がりなりにも女の子の家、少しドギマギしてしまうが、空湖はもう引っ込んでしまったので仕方なくドアを開けた。

 外見からゴミ屋敷を想像したがそれほど散らかっていない、というより物が何も無い。

 入ってすぐはキッチンだけどシンクなどはあまり使ったようなあとはなく、ゴミ袋が一つ置いてあるだけだ。

 クラスの子、健太が「宇宙人」と言っていたのを思い出す。確かに地球を調べに来た宇宙人が仮住まいとして使っている部屋のように生活感が無い。

 そしてキッチンの奥に部屋が一つ。開け放たれた戸の向こう見える部屋には布団が敷かれ、一人の女性が寝ていた。

 空湖ではない。母親だろうか? 病気なのかな?

「ごめんね。洗濯する時間は無くて」

 空湖は僕の上着を持って来て手渡す。

 お母さんが寝ているのなら長居しては悪いだろうとプリントを渡して帰ろうとすると、

「あら、空湖のお友達?」

 と布団の女性が体を起こす。

 こんにちは、お邪魔してますと普通に挨拶する。

「何してるの、空湖。お茶を出しなさい」

 といってゴホゴホと咳をする。

 いや空湖も風邪を引いてるんだし、何か僕が悪い事してるみたいだ、とバツが悪そうにしていると空湖がキッチンから湯飲みを持って来た。

「いれたわ、座れば?」

 お茶をいれてくれたのに帰るのも悪いか、と仕方なく畳の上に座る。

 体を起こした空湖の母は恐ろしく線が細く、目の下に隈もあって死人のように色が白い。艶の無い髪は腰に届くほどに長く、どれだけ寝たきりなのだろうと思わせる。

 まるで「吸血鬼に噛まれた人」のようだ。思わず首に噛み傷が無いか確認してしまう。

「はい、お母さんも」

 と言って母親の前にも湯飲みを置く。

「いつもすまないねぇ」

「お母さん、それを言う約束だもんね」

 こういうシチュエーションでよく聞く会話?

「へっくしゅん!」

 と空湖がくしゃみをし、一層鼻水が垂れる。

「鼻かめば?」

 鼻水まみれの女の子の顔なんて見てられない。

「ティッシュないのよ」

 これ使って、とポケットティッシュを渡す。確かに部屋にはティッシュケースもない。あるのは古びた箪笥が一つに型の古いテレビが一つある以外何も無い。

「寝てなくて大丈夫なの?」

「もう平気よ」

 鼻をかんだらスッキリ治ったと言うように平気な顔をする。

「せっかく空湖のボーイフレンドが来てくれたっていうのに寝てなんかいられないわね」

 と母親が起き上がり始める。

 ボーイフレンドってわけじゃ……それに僕のために病床の人にそんな無理をさせるわけには……、と困っている間にも彼女はテキパキと布団を畳み、持ち上げて押入れに入れてしまった。

 布団とは言えそれなりの重さがあるはず、あの細い腕のどこにそんな力が……。

 一仕事終えた、というように汗を拭く仕草をすると僕らと向かい合うように畳に座る。

「それであなた年収は?」

 年収!?

「……僕はまだ小学生で」

 意図が分からず、返答に困っていると、

「そうだったわね。将来の夢はあるの?」

「い、いや。将来って言われても、まだ何も」

 まだなりたいものは決まっていない。でもなぜ今ここでそれを聞かれているんだろう。

「そう。でも空湖には苦労をさせたくないの。だからあなたには頑張ってもらわないと」

 何をですか? ていうかなんでですか?

「お母さん、気が早いって」

 ケラケラと笑う空湖を見る。

 ここに居続けてはマズい気がする。早くお茶を飲んで帰ろう、と口をつけて噴き出しそうになる。

 水だ。いや、ほんのりとお茶の風味がする気はするが、出がらしなんて物ではない。ただの水だ。

「それに、私地球の人とは結婚しないって言ってるでしょ」

「ダメよ、星で人間を差別しちゃ。ごめんなさいね、この子変なことばかり言うでしょうけれど、許してあげてね」

 ええと曖昧に返事をするが、空湖は家でもこんな調子なのか。この母親は空湖が学校でひどいいじめを受けている事を知っているんだろうか。

 というより空湖も変わり者だけどこの母親も相当なものだ。

「えと、プリントも預かってきました」

 と明らかに児童向けでない封書は母親に渡す。

 あらありがとう、と言って受け取った彼女は封書のいくつかに目を通し、突然「ああっ!」とめまいを起こしたようにパタッと倒れた。

 絶句して固まっていると何事も無かったようにむくっと起き上がり、

「何でもないのよ。気にしないで頂戴」

 いや、気になります。ていうか書類の文字から大体分かるけど、気になるのはその大袈裟なリアクションの意味だ。

「あ、そうだ。宿題もあるんだけど」

 と思い出したように切り出す。子供の話題に切り替えたかった。

「宿題? やった事ないけど」

 やった事ない!?

「ダメよ。宿題はちゃんとやらなきゃ」

「でも、ノートも教科書も学校に置きっ放しだし」

 そう言えば昨日の授業中も空湖は座ったまま何もしていなかった。ノートすら取っていない。

「そうだね。宿題は、やった方がいいよ」

 と単に正論を言っただけのつもりだったのだけど……、

「じゃ、一緒にやってくれない? 教えてあげるから」

 ここは教えてほしい、ではないのか? とも思うが母親の見ている前で断る事も出来ず、学校まで一緒にノートを取りに行く事になってしまった。

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