異変
いつもより2時間ほど早く目覚めた玲は、楓との散歩がてらまだ肌寒い早朝の城の中を歩き回り、臣下達の仕事をするあわただしい様子を観察していく。彼らは王が直々に仕事場を訪れるというイレギュラーな事態に驚き緊張しながらも、張り切って与えられた仕事をこなしていた。
ややあってほぼすべての場所の見回りを終えた彼らは、最後にまだ行っていなかった修練場へと向かった。
「おはよう、皆。訓練か? 少し邪魔するぞ」
「皆、おはよう」
修練場では、汗を流して試合を行う1組の男女と、それを眺めている1人の男の姿があった。
「お、はえーな、レイ。カエデは……いつも通りか」
燃えるような赤髪を大雑把に切ったぼさぼさ頭の、ハルバードと大盾をそれぞれ片手で軽々と扱っていた身長2mを超える熊のような大男が言う。
「おはよう! もしかして二人も訓練をしに来たのかしら?」
それに刀身が湾曲した双剣を鞘にしまった、金髪のツインテールに碧眼の美少女のはきはきとした声が続く。
「おはよーレイくんにカエデちゃん。珍しいねーこんな早くに。なんかいいことでもあった?」
最後に聞こえたのは、小柄で、浅黒い肌に小麦色の癖っ毛が特徴の軽薄そうな男のだらけた声。
魔術は一切使えないが、2メートルを超える長身と持ち前の剛力に加え、粗野な見た目と言動からは想像できない繊細な技術をもって敵の攻撃から仲間を守る、“旋風”のジョージ・ポール・ニア=ビアード。
特に突出している能力はないものの双剣術、魔術、法術を状況に応じてまんべんなく使いこなすことができる判断力と勇敢さでは右に出る者がいない、“勇者”ローラ・パトリック=ラヴェル。
そして他の4人に比べ直接戦闘能力は低いが、偵察や暗殺などの盗賊技能においては右に出る者がいない“影”のダロン・パスカル=ファング。
皆長い年月を共にしてきた玲の大切な仲間であり、同志だ。
「いや見学に来ただけだよ、ローラ。それにしても私はいつもそんな不機嫌そうにしていたのか? 皆して珍獣を見るような目で見なくてもいいだろうに」
「玲様、こんな笑うの、珍しい。80年ぶり」
へらへらと笑うダロンに問われた玲が、不貞腐れたような口調でそうこぼすと、楓も無表情のままうなずく。
「前は…なんとかっていう石を作った時だったか? あの時は結局うまくいかなかったけどよ」
「賢者の石よ、この阿呆。失敗した後の玲の落ち込みようっていったらひどかったけどね。でも今日はあの時よりも上機嫌じゃない?本当に何があったのかしら?」
「――遂に昨日の夜あれが完成したからな、浮かれたくもなるさ」
「本当に!?」
ローラが目を丸くして叫ぶ。他の3人も心底驚いた、という顔をしている。
「ああ、理論は完璧、そして試しに行った実験も成功した。今日の夜実行するつもりだ」
「やったじゃねえか!今日は一日宴会だ!飲むぞ、おめぇら!」
「いいねぇー、レイくんも今日は一緒に騒ごうよ」
「まったくあの馬鹿は、すぐ宴会宴会って! 自分が酒を飲みたいだけのくせに本当に救いようがないわね……。でもおめでとうレイ。カエデのためにも今度こそ成功させましょう」
三者三様ながらもめでたいニュースを聞いて口々に祝ってくれる仲間たち。そんな彼らの様子に、玲は心が温かくなった。
「ありがとう皆。これでやっと我々の長年の悲願が叶う。」
彼らの悲願――それは、とある出来事で心身ともに深い傷を負ってしまった楓の治癒。
この世界に召喚され、勇者として必死に戦い人間を守ってきた彼らは、あろうことかその人間に裏切られ、楓という大事な仲間、玲にとっては最愛の人を失いかけた。
名声を得るため、豪華な暮らしをするため、困っている人を助けるため…。それまで生まれも価値観も性格もバラバラだった彼らはそれぞれが自分の好きなように戦っていたが、その出来事が起こった時から楓を助けるというただひとつの目的のもと、当時彼女の恋人だった玲を中心に動き始めた。
楓を助けるために魔術の研究をし、剣術を磨き、魔物を倒し、素材を集める。
時には邪悪な方法にも手を染めた。
ついには人の持たざる力を利用するために、“堕ちた英雄”と後ろ指をさされ忌避されるのにも構わず自分たちを召喚した白の国を抜け、数多の異形達が蔓延る黒の国で魔王と呼ばれるまでになった。
研究の途中で《不老》の術が生み出されたことで、寿命の心配はなかった。全員が“勇者”としてふさわしい強さを持っていたため、誰かに殺される心配もなかった。
よって時間が足りないという事態は起きることはない。
そのあまりある時間を用いてなんとか楓の身体を元の傷一つない状態に復元することに成功した。
しかし、玲が魔術においては右に出る者のいない存在であったが治癒や守護を司る法術はあまり得意でなかったこと、楓の心の傷があまりに深すぎたこと、目的の魔術に関する文献や使い手が全く存在しなかったことなど、様々な要因が重なり、楓を治すための研究は非常に難航した。
終わりの見えない状況の中、長い年月を苦しみながらも皆で力を合わせて研究を続けてきた。
それも今日で終わり、これでやっと楓を救うことができる、そう思うと、玲は高揚する気持ちを抑えきれなかった。
「《清浄》。さて、それでは朝食にしようか」
仲間達に魔術をかけて、明るい声で告げる。
「ありがとう、レイ。魔力がすっからかんで汗流すのにシャワー浴びに行かなきゃと思っていたところだったから助かるわ」
「朝から模擬試合で魔力使い切るとか馬鹿じゃねーの? 脳筋は困るぜ全く」
「は? 誰が能筋よ! 私はあんたと違って魔術も法術も使えるわ! 脳筋はあんたでしょうが、この筋肉ダルマが!」
「まーまー二人とも落ち着いて。それに脳筋はお互い様でしょ?」
「あんたは黙ってなさい! この女たらしが!」
仲間たちの騒ぐ声を聴きながら、玲は軽い足取りで食堂に向かうのだった。
そして夜。
日頃の政務も手早く済ませ、宴会でひとしきり騒いだあと、彼らは魔王軍の精鋭達を連れて玉座の間に集まっていた。
「それではこれから大儀式を執り行う」
玉座の間最奥にある、黒の国最高の職人たちが意匠を凝らして作り上げた玉座に座る玲がそう宣言すると玉座の左右に立っていた4人の仲間達があらかじめ決めておいた位置へと移動する。
跪いていた臣下達も、儀式の余波が城下町を傷つけることのないように城の周りを取り囲むように結界を張った。
彼らの準備が整ったのを確認した玲は重々しく頷き、玉座から立ち上がると自らも移動し準備を始める。
儀式の対象である楓を中心とした、この国の最も力のある者たちで形成された四角形の術式を未だ跪いている者たちは息を呑んで見つめている。
「皆準備は良いな、それでは始めよう。《――捧げ、望み、乞い、願う。ああ、我らが神よ、汝が全能たる力をもって彼の哀れな子羊に奇跡を授け給え――完全治癒》」
理論上1人いれば十分発動できる儀式を4人で執り行い、普段は面倒くさがって全くしない詠唱を一字一句省かないで唱えているところに玲の慎重さが伺えるだろう。
そうして細心の注意を払って発動させた術式に従って、玲達から莫大な量の魔力が吸い取られ、玉座の間の床や空中に惣闇色の巨大な魔方陣が幾つも形成されていく。
やがてそれらの魔方陣は楓のもとに収束していき――
――突如ガラスが割れるような音を響かせて砕け散った。
それが合図であったかのように玲達から吸い取られる魔力の量が急激に増える。
(失敗……魔力暴走か!? いや違う、これは……!?)
そしてすさまじい速さで魔術の極致にある玲ですら見たこともない術式が描かれた金色の魔方陣が次々に出現する。
「まずい!皆、急いで魔力の供給を切――
――玉座の間が眩い光に包まれた。
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