魔王は桔梗に口づけを

仏蔵時雨

序章:転機

 どこまでも白い空間。


 無限に広がっているというのにすぐそこに終わりがあるようにも感じさせる、不思議な空間。


 そこで2人の女が悲痛な顔をしながら眼下を見下ろしていた。


 その視線の先にあるのは、5人の男女が無数の屍の上に立ち、絶えず哄笑を上げているという異常な光景。


「第2世界に続き第3世界も……。やはり彼らは狂っています」

「主様、なぜわざわざ被害を広げるようなことを? あのままあの世界に閉じ込めておくべきだったのでは?」

「確かにそうかもしれません。ですがあの時はこうするほかなかったのですよ」

 

 ひとりが無機質ながら若干咎めるような口調で問うも、もうひとりは力なくゆっくりと首を振る。


「彼らは強くなり過ぎました。もはや私の介入なしでの対処は不可能でしょう。ならば――」

「より主様の力が届きやすい下位世界に誘導するしかない、と?」

「その通り。そうまでして力を求めた執念に敬意を払うべきなのでしょうか」

「まだ彼らが善の心の持ち主ならよかったのでしょうが……」


 憂いを帯びた声音でそうこぼす女に、“主様”は言う。

 

 すべてを包み込む、無限の愛情を感じさせる微笑みを湛えながら。


「これは私の蒔いた種。いざという時には私の身と引き換えにしてでも始末をつけるつもりです。――その時は、私の可愛い子供達を頼みましたよ?」




「玲君、はやくはやく!」

 夕方の、人の少なくなった休日の遊園地にはしゃぐ少女の鈴の音のような声が響く。

「そんなに慌てなくても観覧車は逃げないよ」

 少女に手を引かれている青年が茶化す声もどこか楽しそうだ。


 梅雨真っ盛りの6月にしては珍しく雲一つない空の下、全身に優しい日差しを浴びながら幸せそうに駆けていく二人。それはここではありふれた光景だった。

 二人の声も、姿も、アトラクション達の織り成す煌びやかな景色に呑まれて消えていった。


「今日で私たち付き合って3年だね」

 観覧車の中でほっと一息ついた少女――萩岩楓は感慨深そうに言う。

「ああ、そうだね」

 その言葉を受けた正面の青年――夏目玲はそう返すので精いっぱいだった。目の前の楓の姿に見とれていたせいで。


 絹のような長い漆黒の髪を束ねたポニーテールを揺らしながらころころと表情を変え、陶磁器のように白い頬を上気させながら話す彼女は、ゴンドラの窓から射す夕陽の効果も相まってとても綺麗に見えた。

 贔屓目を抜きにしてもかなりの美少女といえるだろう。3年もの間見続けてきて見慣れているはずなのに、飽きた、という感情は全く出てこなかった。


 もちろん見た目だけでなく、性格もいい。思いやりがあり、誰にでも分け隔てなく優しく接することができる心の持ち主だ。


「ほんと、楓と付き合えてよかったよ」


 ――心の奥からこみ上げてきた感情が玲の口から溢れ、言葉となる。

 容姿をはじめさまざまな才能に恵まれていた玲と楓は、周りからの粘着質な悪意にさらされる機会が多かった。それらを2人ですべて乗り越えてここまできたのだ、彼が感極まってそう漏らすのも不思議ではない。


「私もそう思う! 玲君大好き!」


 楓が赤い顔をさらに真っ赤にさせて叫ぶ。そしてしばらく興奮した様子で玲との思い出話を楽しんでいた彼女だが、ちょうど観覧車がてっぺんへと差し掛かった頃、おもむろに懐から小さい包みを取り出した。

 かわいい半透明の袋に厚めの文庫本と一緒に、紫色の花が押し花にされている栞が入っていた。

「何をあげようかとても迷ったのだけれど……。はい、これ玲君がこの前読みたいって言っていた本。あと、3年記念日に贈るにはちょっとお粗末かもしれないけど、栞を作ってきたの。この花はキキョウで、花言葉は“永遠の愛”。玲君は読書が好きだから、いつか私の手作りの栞を、って思っていたの。役に立ててくれると嬉しいわ。……改めて、玲君、いつもありがとう。こんな私だけど、どうかこれからもよろしくお願いします」

 

 震える手で彼女の差し出した木製の栞を受け取る。それは、確かに見るからに手作り感満載で、店で売られているものに比べれば劣っているかもしれない。けれど、彼はそんな些細なことは気にならないほど嬉しかった。

 楓が――愛する彼女が心を込めて自分のために作ってくれたものなのだ、喜ばないはずがない、と。


「先を越されちゃったけど、俺からもプレゼント! こちらこそこれからもよろしく」

「わあ、ありがとう! あけてもいい!?」

「勿論、どうぞ」

「じゃあ遠慮なく……。すごい、ネックレス! 綺麗……」

「それ実はペアネックレスなんだ、ほら」

 彼はそういって首元の三日月の飾りのついた金のネックレスを手に取り、最愛の彼女へと見せる。

「本当!? とっても嬉しい! ありがとう、玲君!」

「どういたしまして、これからもよろしくな、楓」

「こちらこそ、ずっと、ずうっとよろしくお願いします、玲君」


 早速プレゼントしたネックレスをつけて、全身を使って喜びを表現している楓。


 玲はそんな彼女を見て、これから先、何があっても、ずっと楓を守っていこうと決意して、彼女を抱きしめ――




「夢か……。またずいぶん懐かしいものをみたものだ。やはりゴールが見えたせいで年甲斐もなく浮かれているのか?」

「おはよう、玲様。なにかあった?」


 もう見慣れた、見飽きたとも言っていい天井を広い豪華な部屋の真ん中にあるこれまた豪華で大きいベッドの上で見つめながらつぶやいていると、隣からそう声がかかった。見れば、装飾の少ないシンプルなゴシックドレスを着てベッドの脇に立ち、自分の寝起きの顔を伺う少女。


「なんでもない、おはよう、楓」

 絹のような漆黒の髪を束ねたポニーテール、陶磁器の様な白い肌、女性としてはやや高めな身長にスレンダーな体型、そしてまるで無機物のような無表情という可愛いというよりは綺麗という言葉が似合いそうな、夢で見た姿とほとんど寸分違わぬ容姿をした、けれどまったくの別人になってしまったその少女に向けて、玲は様々な感情のこもった眼を向けた後、そう言い放った。

 そして彼はいつものように楓に手伝ってもらいながら着替えをしていく。


「もうすぐ、もうすぐだ、これでやっと……!」


 しかし、口ではなんでもないと言いつつも、やはり溢れ出る感情を抑えきれないのか、窓の外の荒れ果てた景色を眺めつつ、体を震わせて独りごちる。

 楓もそんな玲の姿を不思議に思いつつも、久方ぶりに見るの心なしか嬉しそうな姿に水を差すような真似はせず黙々と仕事をこなす。

 

 やがてすべての支度を終えた2人は、それぞれの獲物を手に取り寝室の扉を開く。


「おはようございます、魔王様、カエデ様」

「おはようございます、魔王様、カエデ様」


 やはり今日が記念すべき日だからだろうか?彼はいつもなら煩わしく感じていた、不寝番の2人の異形の挨拶も心地よく感じる。

「おはよう、いい朝だな、お前達」

「二人ともおはよう、いつもお疲れ様」


 長年彼らの不寝番を務めてきた副官の、骨だけの体に黒いローブを着た不死者の王ノーライフキングと、白いドレスに身を包んだ真祖の吸血鬼トゥルーヴァンパイアは、何十年かぶりに見る主のいつもと違う上機嫌な姿に非常に驚いたが、努めて平静を装っていつものように主たちの後ろに追従する。

 

 不死者の王ノーライフキングとは、生前高名な魔術師や聖職者だった者が魔術や法術を極めんとアンデッド化したとされる不死者の大魔術師エルダーリッチが、さらに数百年の研鑽を積むことでようやく至れる、あらゆるアンデッド達の頂点に立つような存在である。

 そして真祖の吸血鬼トゥルーヴァンパイアは、すべての吸血鬼のルーツであり、世界に数えられるほどしか存在しない吸血鬼としては最上位の存在であるが、彼らのその完璧な従者然とした態度からはそのような存在にあってしかるべき上位者としての威厳や傲慢さなどは一切感じられない。


 それだけでなく、この場にいる者たちすべて――玲や楓、通りすがりのメイドに限らず本人たちさえまでもが――このことに一片の疑問も抱いていない。なぜなら、前を歩く二人こそが上位者であり、この黒の国の中で玲は魔術、楓は法術において他の追随を許さない隔絶した存在であるからである。

 

 一方は上機嫌な、もう一方は無機質な声と表情で臣下達の挨拶に答え、そして他愛もない話をしながら、おそろいのネックレスをした二人の上位者は暖かい朝日が差し込む柔らかい絨毯の敷かれた廊下を歩く。


「ああ、今日は本当にいい朝だ」

「本当に。玲様の言う通り」


 冬の冷えた広い廊下に、彼らの話し声はやけに響いた。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ◇用語解説


 ●魔術――魔力を扱い現象を起こす術。大きく分けて属性魔術、精霊魔術、召喚術の3種類あるが、一部例外も存在する。玲の最も得意な魔術は属性魔術である。第1位階から第12位階まで存在し、黒の国の魔術師は平均して第9位階程度までを扱える。玲達が主に普段使うのは第10~11位階である。


 ●法術――魔力を扱い現象を起こす、という点では魔術と同じであるが、こちらは神に祈りをささげる必要があり、魔術よりも詠唱が長いものの効果が高い、アンデッドをはじめ邪悪な者への特効を持つ、消費魔力が比較的少ないが精神力も同時に消耗するなどの違いがある。起こす現象も、怪我や病気の治癒、結界など大体が防御や後方支援に特化している。使い手は聖職者に多い。なお位階に関しては魔術と同様。

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