原始、愛は君に還る

今は大航海時代。イギリスの貿易商がこぞって世界へ船を進めたとき。

宝石を採りに来た男達が中米のとあるジャングルに迷い込んだ。

誰ひとりとして現れないこの原生林の中、行く日も歩き続け途方に暮れていた。

幸運なことに水や食べ物には恵まれており、そこらに実ったバナナやらココヤシを食べ、飢えをしのいだ。

だが、女遊びと博打しか娯楽を見いだせない彼らにとってこの場所は退屈で仕方がなかった。

「くそ、苛々する。早く国に帰って煌びやかなドレスを纏った娼婦をもう一度抱きたいぜ。」

「お前のお気に入りのエリザのことかい。こんなときに欲しがるなんざ、さもしい男だな。」

「こんなの、今いる連中全員が思っていることだよ。態々口にするんじゃねぇ。」

「当たり前にあるものがなくなると欲しくなるのは本当なんだな。」

ボロになった服を着た汚れた男達は口々に不満を漏らした。


だが、話の輪からひとり離れて岩の上で若い男が、微かに見える溢れんばかりの星空を見つめながら寝そべっていた。

髭面の中年が昼に捕まえたホロホロ鳥を焼いた肉を頬張りながら若者に呼びかけた。

「おい、変り者のルカ、お前も話に入ったらどうだ。まぁ女に興味はなさそうだがな。」

ルカという若者は素知らぬ顔をして手だけを振った。


それを見た中年は大笑いした。

「やはりな。あいつもいい年なのに女を抱いたことがねぇってんだ。男色じゃねぇのか。」

寝そべるルカをよそにつまらない話が続いた。



真夜中になり、誰もが喋り疲れて寝静まった頃、怪しげな影が輪になって寝る男を跨ぎ、燃え尽きた薪の中に入った。

それに気づいたルカは息を殺してその様子を寝たふりをして見ることにした。


「おい、女じゃねぇか。」

ルカの他に仲間の男の一人が起きて影の方に指さした。

それに気づいた男達は次々と起きて影の周りを囲んだ。


何を思ったか男達はそれに抱き着き、奇妙な音をたてた。

恐怖のあまり身動きできないルカは冷や汗を垂らしながらその様子をじっと見た。


月明かりに燿るのは長い黒髪に白い肌の女だった。

嗤うように息を弾ませる妖婦はねっとりとして恍惚とした表情で、夢中で貪る醜い男の欲望を身体いっぱいに享受した。


(…どうも様子がおかしいぞ。)

女の胎内で果てた男が次々と形を変えて異形の獣になってどこかに行ってしまったのだ。


最後の一人がどこかに行った途端、女がこっちを見て笑った。

すでに石のようになったルカは女が彼方に消えるまで待った。

全身の血が引けた思いで、幾日もそのままになったような感覚になりながら見つめた。


観念したのか、女は灰を袋に詰めてどこかへ消えて行った。

(あれは夢か、幻か。)

とうとうひとりになったルカはとりあえず朝になるのを待ち、女がつけて行った灰の跡を辿ることにした。

そうというものルカは原始魔術を心得ており、月光で力を奮う魔女は日の下では動けないことを知っていたのだ。


灰は数十キロ続いた。ルカは言い知れぬ恐怖と好奇心に胸が混沌とした中、歩き続けた。

(母国はつまらないもので溢れていたが、ここに来てこんな冒険心に満ちる思いは初めてだ。)


途中で靴が役に立たなくなったので裸足で泥濘を歩いた。

ひんやりとした感覚が彼の胸をさらに弾ませた。

全ては悪魔の力を持った女に会うために。


三つの川を泳ぎ四つの山を越え辿り着いたその場所は茅葺の小さな家だった。

家の前で積み重なったビスクドールと萱に埋められた宝石と麻の布きれで一目でそれが魔女の居場所だと分かった。


ルカは動物の死骸の腐った匂いと生々しい薔薇の香りで鼻が曲がりそうになったので持っていたハンカチで押さえながら中に入った。

中には朽ちた薔薇と金の杯と骸骨が無造作に転がっていた。

そして、奥で大きく金色に輝く鏡が飾られ、周りの壁に血文字で原始的な文字が書かれその前には捧げ物の薔薇の花とお菓子が置かれていた。

(ここで悪魔でも祀ってるのか。)


ルカは禍々しいこの部屋で暫くじっとしていた。

耳を澄ませると、骸骨が高く積んである方で寝息が聞こえた。

彼は音がするほうへ忍び足をした。


そこには黒くたわわになった長い髪に包まれるように、氷のように白い肌をマジックエッセンスで濡らして、顔全体に覆いかぶさった鹿の仮面を被った全裸の女がひとり横たわっていた。

ルカは動物の骸骨に囲まれている、咽返るほどに寝息すら生々しい女を舐めるように見つめた。

程よく膨らんだ乳房に、怪物を宿していそうな欲望のまま膨らんだ腹、そして吐きそうな程滑らかに曲線を描く肢体。

…すべて何故か懐かしいように思えた。


起きた妖婦は目の前の骸骨を長い舌で母猫のように舐めてルカの方を見た。

「あたしは性愛の神フレイダ様のシャーマン。名は神の教えに従い教えぬ。」

異様な気持ちの悪さに背筋が凍ったルカはさらに彼女に興味が湧いた。

「君の名前が知りたい。」

「否、それならば君が当てるがよい。五回月が現れる前にあたしの名前を当てたらお前の思うままにしてやろう。」

シャーマンは叶いっこないと思い、鼻で笑った。


次の日、ルカは絞殺しの樹に養分を吸い取られている世界樹に上った。

その一番高いところで目が一つしかない鴉が天孔雀の雛を食べようとしていた。

「こら、高慢ちき。お前の食べるものは汚れた獣の死肉だろう。」

ルカはとっさに鴉を追い払い、天孔雀を守った。

雛を食べそびれた鴉は旋回し、ルカに怒鳴りつけた。

「高慢ちきは君だろう。私は目がひとつしかないから仲間に除け者にされ、神様の使いの雛を食べて神様に復讐しようとしているのだ。それを君は何も知らずに追い払った。それを高慢と言わないで何と言えよう。」

ルカはこう返した。

「いくら仲間外れにされても神様には関係ないだろう。まして関係のない者を巻き添えにして神に復讐したと驕るのも間違ってはいないか。君の悪の根源は空腹だ。僕が残していたパンくずをやろう。」

一つ目の鴉は長い嘴でルカのポケットからパンくずを器用に平らげ、鳴き声をあげてどこかに飛んで行った。

今度こそ命を救われた雛はルカに感謝した。

「命の恩人よ、私にできることがあれば何でも差し出そう。」

「僕はシャーマンの名を探しているんだ。君は知っているかい?」

天孔雀の雛は澄んだ声で応えた。

「この木から五十歩太陽に向かったところに湖がある。そこに古代から住んでいる七色の魚がいるから訊いてみなさい。」

次の日、ルカは雛の言った通り湖まで足を運び、七色の魚を探した。

湖はエメラルドをそのまま溶かしたような色が一面に広がっていた。

ルカは足元にあった拳くらいの大きさの石を湖に投げつけた。

すると波に呼ばれて巨大な魚が一匹、ルカのもとに現れた。

「数百年ぶりの波に失くした命は一握の砂の数であろう。君はなぜそこまでして私を探しているのだ。」

七色に輝く鱗の魚は気怠そうに話しかけた。

「僕はシャーマンの名前を探しているんだ。」

「シャーマンなんぞ興味がない。まして君のことなんぞ。私は退屈で仕方ないんだ。」

ルカはしばらく考え、後ろにあった水溜りで泳ぐ真っ赤な魚を湖に放った。

真っ赤な魚は嬉しそうに七色の魚のもとに泳いだ。

「この子と遊べばいいよ。」

七色の魚は大きな目を開け、ちらちらと泳ぐ魚を楽しそうに見た。

「ありがとう。これであと二百年は退屈しない。お礼に物知りの石の居場所を教えてやろう。」

さらに次の日、ルカは魚の教えられたとおり五匹の鷹が円を描く下の、物知りの石のある崖に着いた。

今にも崩れてしまいそうな崖っぷちにその石がいた。

「私は命が生まれてすぐに生まれた石だ。君のことは知っている。だが、君の要件は私にとっても君にとっても善き結果にはならぬ。そのまま帰りたまえ。」

「そんなこと、君が言ったって未来を変えることはできないだろう。」

「その誠実な傲慢さが君の身を滅ぼすだろう。」

崖が崩れ、物知りの石はルカと一緒にそのまま落ちた。


月が意識のない彼の上をめぐりついに最後の月が昇る夜になった。

その足でルカはギラギラとした眼で月明かりしかない夜道を進んでいった。

シャーマンのいる神殿に着いたルカはいきなりシャーマンに指さし、こう言った。

「そなたの名は、ドラセナ。二回目の処女という意味のドラセナ。」

絞殺しの樹の枝を落とした女は黙って跪き、誓いの呪文を口にした。

「貴方のおもうままに。」

ルカはドラセナの仮面を剥がし、口付けをした。

「君を生涯の妻にしたい。聞き入れてくれるか?」

ドラセナは大層驚き、慌てふためいた。

「何十人もの男の欲望を思うままにしてきたあたしを?」

ルカはドラセナの頬を大きな掌で包んでもう一度深い口付けをした。

「今までのことはどうでもいい。出来ぬのなら僕のこの怒涛に血潮が流れる心臓を捧げよう。君がいない人生などいらぬのだから。」

ドラセナは早速、絞殺しの樹で彼のためのベッドを作った。


次の日も彼のために麻で作った立派な服をつくり、朝起きる度にこの世で一番美味な果実を振る舞った。

ルカはドラセナの施しを受け、母国でも類を見ないであろう立派な大男になった。

彼もドラセナを心から愛し、自分で作った弓矢を使い狩りをし、ドラセナのために儀式の道具を作った。


世界一の愛に満たされた二人は身体以上の愛を紡いでいった。

「結婚をしよう。儀式なぞ必要ない。僕達の信じるままのことをすればよいのだから。」

「でも、私はフレイダ様と身を結んだ身なのです。これをフレイダ様がお許しになられるかどうか。」

その夜、フレイダの神殿の前でドラセナは祈りを捧げた。

「フレイダ様、あたしをもう一度処女にしてください。あなたの信仰を捨てるのは心苦しいですが、本当のあたしは彼でこの体も命も人生も染めたがっているのです。」

物言わぬ神は彼女の火照った顔を映し出すのみ。


次の日、ルカは血の混じった咳を繰り返した。

不安になったドラセナは二つ山を越え、その町一番の医者を呼んだ。

ルカを一目見るなり医者は青褪めた。

「この者はどうにもならない。例え世界一の名医であっても彼を救えはしないだろう。」

ドラセナはルカを不安にさせまいと医者を見送った後必死に祈祷をした。


何週間も看病をしたが手を施せば施すほどに悪化していった。

髪と歯は抜け落ち、嘗ての肉つきの良さは消え失せ、さながら死人のようだ。

とうとう彼のダイヤのように美しい右目が腐り堕ちたのを見て我慢が出来なくなったドラセナは声をあげて泣いた。

「泣かないでおくれ、惨めになってしまう。」

嘗て豊頬だった彼は肉が落ち襤褸になった顔を彼女の方に向けた。

ドラセナはさらに目を潤ませ泣き崩れた。

「全てあたしのせいだわ…ごめんなさい。これはあたしがフレイダ様に背いた呪いなの。」

ルカは彼女の涙を指で拭い微笑んだ。もはや、かつての面影はどこにもなかった。

「言ったじゃないか、君のためなら僕の心臓を捧げたって厭わないって。きっといつか君の神様は許してくれるさ。そのときに結婚しよう。」



誓った日の満月の夜、地面に寝そべるドラセナの前に黄金に輝く女が呼びかけた。

「ドラセナ、私はここよ。」

むくっと起きたドラセナは女の顔を見るなり急に笑顔になった。

「こっちにおいで。いいところに連れて行ってあげる。」

女は麻の木綿を翻して軽やかに神殿の外に出た。

「フレイダ様、フレイダ様…」

ドラセナはうわごとを続け夢遊病者のようにふらふらと外に出て夜闇のどこかに消えて行った。

それを知らず、ルカはドラセナと幸せな結婚をする最期の夢を見ていた。


次の日、ルカの病状は最悪な程に悪化した。

身体の穴という穴から血が吹き出し、身を切り刻まれる痛みの中彼は神殿を飛び出しドラセナを探した。

誰もいない孤独の密林を狂ったように歩き続けた。

彼の皮膚は破れ、骨が見えていた。

それでも歩みをやめないルカはとうとう左脚が捥げて崩れ落ちた。

「なぜドラセナを引き離した。フレイダ、お前を恨む。」

身を潰すスコールの中、惨めに横たわる彼は目から涙か血か雨かわからないものを流した。


霞む視界には幸せだった頃のドラセナが醜く変わり果てた彼を抱いていた。

唯一美しく輝く瞳で震える両腕を天に差出しルカは叫び声をあげた。

「ドラセナ…もう一度会おう。」

彼は再び命の大河に沈んでいった。


お告げの通り、遠く離れた大地の真ん中に神殿を作った今までの記憶を一切失ったドラセナは大きな鏡の前でいつものようにフレイダに祈りを捧げた。

庭に咲き乱れる朽ちた薔薇の花をいっぱいに集めた杯と、信者から貰った大量のチョコレートを供えた祭壇の前で全裸になった。

そして、仮面を被ったままの顔を地面に着かせ厳かに鏡の前でひれ伏した。

「フレイダ様、この世界に溢れんばかりの愛をお与えください。」

すると、ひとりでにフレイダの鏡が粉々に割れ、ドラセナは突然慟哭した。


フレイダがルカの死を告げたのだ。

神を背いても厭わないくらいに尊い彼を失ったドラセナは悲しみのあまり笑い転げ、被っていた仮面を叩き割り、幕の向こうで祈りを捧げている信者の前で首を切った。


「神は、私に罰を与えた。二度は処女にしてはくれぬのだ。」


聖なる神殿の床を血まみれにして息絶えたのは一瞬のことだった。


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永い旅の途中 椿屋 ひろみ @tubakiya-h1rom1

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