永い旅の途中
椿屋 ひろみ
命の起源
時は生き物が存在するはるか前、神様が世界を創ろうと画策しているとき。
世界を支える樹が立派な根を張らせる丘の、太陽に近い方角にある大きな桜の木の下で二人の神様が生まれた。
ひとりは雪溶けの川のように大らかで柔らかい体つきの者で、片方は嵐の夜に落雷にあった杉の木のように荒々しく豪快で逞しい体つきの者だった。
創造の神様は二人の神様の誕生を大層喜び、柔らかい者をオミナ、逞しい者をトコと名付けた。
次の太陽が昇る頃に、二人は大海が広がる砂浜まで出かけた。
太陽と月と水と草花しか存在しないこの世界で、二人は歌を唄い舞った。
オミナはきらきらと輝いて自分のところまで打ち寄せる波を気に入り、それを掌で掬った。
「尊く美しいこれを他に作れる者は永年現れぬだろう。」
そう言うと、波がひとりでに規則よく拍動を始めた。
「これ、貸してみなさい。私が形あるものにしよう。」
感心したトコはオミナからそれを受け取り、小鳥のように大切に掌で包み込み、脚にぶつかった流木の中に埋め込んだ。
流木は滑らかに動きだし、頭と胴と四肢をつくり元気よく動き出した。
「これを命と名付けよう。」
命を胸に携えた流木は自分の命をあらゆるものに分け与えて次々と仲間をつくった。
自由に空を舞うガガイモの種で鳥をつくり、海に海綿で魚をつくり、洞窟に生えた石綿で獣をつくり世界は二人の神様が作った命で溢れかえった。
それに嫉妬した創造の神様は鴉を自分の使い手にしてやると騙しておびき寄せ、全身に触れたものの命を地に返す毒を塗った。
毒で真っ黒になった不幸な鴉は触れたものを次々と地に返していった。
悲しみのあまり鴉は日が暮れる世界樹の上で涙を流した。
涙は地面に落ち、銀色の個体とも液体ともいえない不気味な金属が染み込んだ。
命を失った者を目の前にオミナは愁傷し、トコは涙を拭いオミナを慰めた。
「失った命は二度とは戻らぬ、これを死と呼ぼう。」
トコはいつまでも悲しむオミナがたまらなく不憫で、もう一度命とは他のものを創ろうと提案した。
七つの夜を明け、心が静まったオミナはトコと一緒に火山に赴いた。
火口に鍋釜のスープのようにぐらぐらと煮えたぎるマグマをトコは一気に飲み干した。
すると、トコの穏やかだった陰茎が急にいきり立ち、千年生きる杉の大木のようになった。
オミナは慌てふためいて帰ろうとした。
「待て、私は我慢が出来ぬ。火の海を君に出さねばこの地獄の苦しみは治まらぬ。」
発情したトコに両腕を掴まれ、オミナは熱した鉄の棒と化したトコの陰茎を股に押し付けられ、煙をあげて大きな穴ができた。
マグマはすぐにオミナの体内で吹き出し、トコは苦悶から解放された。
オミナもマグマの熱が冷めた胎内が堪らなく気持ちがよくて恍惚の表情をした。
それからオミナの腹が日毎に真珠のように膨らみ続けた。
そして十月十日の月が過ぎたころ、桜の木の下でオミナは腹を痛めた。
子を産む痛みのあまり世界中に三日間の地震を起こし、やっとのことで我が子をこの世に誕生した。
「なんと愛おしいのだろう。命と同じ尊いものだ。」
オミナは慈愛に溢れた目で見つめ、我が子の髪を撫でた。
我が子の誕生をききつけたトコは地球の反対から突風のように飛んできて、摘み取ったココヤシの果汁をオミナに飲ませた。
するとみるみるうちにオミナの乳が山のように膨らみ、母乳が溢れ出た。
生まれたばかりの乳児は喜んでオミナの乳を吸った。
よくみると、その子供は両方の性器を持っていた。
「我が善きところを受け継ぎし子、これをハンと呼ぼう。」
ハンはオミナが持っている豊かな感性とトコが持っている賢明な知恵を享受し、立派な青年となった。
ますます嫉妬した創造の神様はオミナとトコを三つの川を泳ぎ四つの山を越えた先の密林に向かわせ、その隙にハンの胸に命を埋め込んだ。
それだけでは気が済まなかった創造の神様はハンを五匹の鷹が円を描く下の崖に向かわせ知恵の石を持ってくるように命令した。
ハンはすぐに崖まで行き、知恵の石を探した。
崖はそよ風が吹いただけでも崩れそうになっていたので崖の先から五本離れた杉の木に蔦を括りつけ、自分の腹にそれを巻きつけた。
探しているうちに夢中になってしまい、蔦が切れているのに気付かずにハンは崖から滑り落ちた。
隠れていた創造の神様は例の鴉を呼び出し、ハンを助けるように命令した。
「奴は神の子だ。命は持ってはおらぬ。」
それを信じた鴉はハンを助けようと羽ばたいた。
その羽が口に入った途端、ハンの命が消え冷たくなった。
冷たくなったハンを見た鴉は再び騙された怒りと罪なき神を殺めた罪悪感に駆られ片目を杉の枝で潰した。
それを知った両親は酷く悲しみ、冷たくなった我が子を抱き寄せ、黒くなった命を取出した。
「我が子を失う悲しみを背負うくらいなら、私たちが代わりになろう。」
二人の神様は命を二つに分け、ハンの身代わりに快く死を迎えた。
その数百年後、トコとオミナが性を生んでから、生きとし生けるものにも性が生まれあらゆる子孫が誕生した。
何も知らないままトコとオミナの子は死を塗られた鴉が落とした涙が眠っている世界樹の下でずっと寝そべっていた。
「ハンよ、トコとオミナの子供のハンよ、起きて私を見つけなさい。」
どこからか自分を呼ぶ声に目を覚ましたハンは飛び起きて声の主を探した。
母と父の美しいものだけを受け継いだハンは生まれつき持ち合わせている勘と知恵でそれが地面にいることを知った。
「今から君を見つけるから決して逃げるんじゃないよ。」
ハンは肉付きのいい腕を地面に突っ込み、土竜のように穴を掘った。
「私はここですよ。」
声の主はハンが見つけるまで語り続けた。
「やぁ、見つけた。」
ハンが見つけ出したのは燃えるように紅い拳くらいの石だった。
「私はこの世界の英知を掻き集めた知恵の石。あなたは父と母の要素を兼ね備えた特別な存在ね。」
知恵の石はキラキラと閃光を放ち、ハンの審美眼をくすぐった。
「私を持って三つの川を泳ぎ四つの山を越えなさい。そうすればあなたは君が失った両親が残した愛というものを手に入れることができます。」
ハンは知恵の石を握りしめ、言われたとおりの道を辿った。
辿り着いたその先はシダが所狭しと生い茂ったじめじめとした密林だった。
腕で汗をぬぐいながらハンは歩き続けた。
遠くで極楽鳥がけたたましく泣き、目が潰れんばかりの毒々しい色の華が咲き乱れた。
湿気臭いこの泥濘道に足が慣れた頃に滝で髪を洗っている乙女を見かけた。
華を敷き詰めた滝の飛沫は彼女を天上に向かって咲くグロリオサの花のように映し出した。
「私はフレイダ。この地に生まれしオミナの形。」
フレイダ乙女はハンのブロンズの巻き毛を一目見るなり気に入り、彼を自分の雨風を凌ぐ鬼蓮の葉の下に連れて行った。
そしてこの場所で一番涼しいところにハンを座らせ、バターの蜜を振る舞った。
ハンの唇にそれが触れた途端、父トコと同じマグマを身体に宿らせたハンはすぐさまフレイダを押し倒した。
「君、フレイダ我が妻。君に我が生を与えん。」
太陽に照らされたフレイダの褐色の肌がハンの汗で濡らされると、今まで黙っていた知恵の石がフレイダの小さな膣に入った。
フレイダは暫く悶えたが、治まると膣から知恵の石と同じ色の血潮が流れ出た。
「これで、君の生を受けとめよう。」
血潮が止まらないままフレイダはにっこりと笑い、ハンと実を結んだ。
幼いフレイダの乳房はすぐに豊かになり、新しい命が生まれようとしていた。
その頃ハンはある夕暮れに出逢った大男に恋をした。
大男は白い肌にあどけない顔の彼を乙女と思って月のない夜にバオバブの樹の裏で実を結んだ。
フレイダは帰ってきたハンを抱きしめ、野イチゴの樹液を飲ませた。
すると彼はすぐに吐き出し、地面に散らばった樹液が固まり知恵の石になった。
「よくも、裏切ったな。」
フレイダは顔色を変え、持っていた朝顔の蔓で彼を縛り上げた。
嫉妬に狂ったフレイダは命のないハンを嫉妬で生まれた炎で焼きつくし何十本の鋭利な刃物で突き刺した後、自分の命と共に洞窟に閉じ込めた。
そしてフレイダは愛と嫉妬の神になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます