「取り憑かれた彼女」
地元の後輩に聞いた話。
当時付き合っていた彼女と旅行に行った時の話だそうだ。
後輩は彼女と結婚をするか迷っていた時期で、その旅行でどうするか決めようとしていたらしい。その旅行で起きた出来事だそうだ。
旅行先はなんでもない温泉地。そこそこ良い旅館を選んで、彼も彼女も大いに旅を満喫していたらしい。
その夜の事。彼の方はなかなかの大酒飲みなのでその時もしこたま飲んで酔っ払い、一足先に寝てしまったそうだ。彼女の方もいつもの事なので、もう一度温泉に入ってから寝たらしい。
深夜、喉の渇きで彼が目を覚ました。部屋は真っ暗で目が慣れるのに時間がかかったが、意識ははっきりしていたそうだ。冷蔵庫のミネラルウォーターを飲み、さてもう一度寝ようと思ったその時だった。
彼女が布団の上でむくりと起き上がっているのである。
まるで起きた気配を感じなかった。確かにさっきまで寝てたはずと思ったが、もしかして自分が起こしてしまったのかと思い
「ゴメンね。起こしちゃった?」
と声だけかけた。しかし彼女からは何の返答もない。
「おーい。寝ぼけてるの?」
と、言って近くへ寄ると暗闇の中で彼女が小刻み震えていたのが分かった。
「どうした?」
なにやら妙な雰囲気を感じ取り真剣な声で問いかけたが彼女からの返答はない。やがて、彼女が小刻みに震えながら泣いているのが分かった。
参った。もしかして自分がせっかく旅行に来たのに酔い潰れて寝てしまったから怒っているのかなとそう思ったそうだ。
「ゴメンゴメン。ついいつもの感じで飲んじゃったよ」
そう言うよ彼女がこう言ったそうだ。
「あのね。おれ、かえらないといけない」
「え?」
彼女は突然妙な事を言い出した。しかも、心なしか声もいつもより甲高い。幼い子供の様だ。
もしかして寝ぼけてるのか?そう思ったが、どうやらそんな様子もない。
「帰る?どこへ?」
「うちにかえらないといけねえ。しかられる」
もしくは彼女はふざけているのかもしれない。冗談は嫌いじゃない方だからきっと担がれているのかと思った。よし、そういう事だったらと、話に付き合う事にした。
「おウチは何処なの?」
「ちかく。かわのすぐそば」
「誰がいるの?」
「おかあちゃんとおとうちゃん。ねえちゃんとまつお」
「まつお?」
「いっとうしたのおとうと」
「弟がいるんだ」
「そうだよ。よくあそんであげんだ」
そう言うと彼女は手拍子をしながら歌を歌い出した。しかしその歌は訛りが強く、聞いた事もない歌だった。
この辺りから、彼もなんだか怖くなってきた。暗闇に目が慣れて、彼女の輪郭が徐々にはっきりしてきたが、いかんせん様子はおかしいままだ。
「なあ、もういいだろ。ふざけるのは止して寝ようよ」
彼がそう言っても、彼女は首を横に振って笑っていたそうだ。
「気分が悪いのかい?もしかしてお酒飲んだ?」
その辺りから彼が何言っても会話にならなくなっていた。揺すったり声をかけたりしてもずっと笑ってばかりいるのだ。
流石に彼も気味が悪くなってきた。なんだかおかしい。どうやら冗談とかではない様子だ。
「おい、しっかりしろ!正気に戻ってくれ!おい!」
彼は何度もそう言ったが彼女はケラケラ笑うばかりだった。その声は耳につくほど高く、どう考えても普段の彼女の声ではなかった。
そのウチだんだんと首を振る速度が速くなっていき、物凄いスピードでぶんぶんぶんぶん振り回し始めた。
「止めろ!おい!しっかりしろ!」
動きを止めようと彼女の頭を両手で掴んだが物凄い力で抵抗してくる。彼女の表情は歯を食いしばり、ヨダレをたらしている。まるで野良犬のようだった。
「◯◯!しっかりしろ!◯◯!」
と彼女の名前を何度か呼び続けた。
すると、突然動きが止まりその目線が彼を見た。
「ああ、◯◯。よかった」
そう言うと彼女がにっこり笑ってこう言った。
「さっきからだれをよんでるんだ」
その声があまりに別人のそれで思わず叫び声を上げてしまったそうだ。
「うあ!」
彼が飛び退いた瞬間に彼女も意識を失い、そのまま布団の上に倒れ込んだ。
すぐに電気を付けてみたが、彼女に特に変わった様子はなかった。彼は眠れずにそのまま朝を迎えたという。
朝になって普通に起き出した彼女。昨晩の事を色々と聞いてみたがまったく覚えていないと言う。彼が見た事をありのまま告げたが、彼女は本当に何一つ覚えていなかったそうだ。
それからしばらく彼女と付き合ったが、同じ出来事は二度と起きなかった。
その後輩は、結局その彼女とまだ付き合っているそうだ。まだ結婚はしていない。
今のところ幸せらしい。
地元の後輩から、実際に聞いた話。
了
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