「あーちゃんだよ」
今回は友人の彼女から実際に聞いた短い話。
仮にその子を、アヤカちゃんとする。
アヤカちゃんには四つ上のお兄ちゃんがいる。二人はとても仲の良い兄妹である。何を隠そうアヤカちゃんの名前を付けたのはお兄ちゃんだからだ。
アヤカちゃんがまだお腹にいる時。お兄ちゃんは四つになったばかりだった。お腹の赤ちゃんにはまだ名前はなく、お祖父ちゃんが必死になって考えている最中だったそうだ。
ある時お母さんがお兄ちゃんに聞いたそうだ。
「妹と弟どっちが良い?」
するとお兄ちゃんはこう言ったそうだ。
「あーちゃんだよ」
お母さんはビックリしたらしい。
「あーちゃん?赤ちゃん?」
「そう赤ちゃん。あーちゃん」
どうやらお兄ちゃんは赤ちゃんの事をあーちゃんと呼んでいるらしい。幼稚園の友達か誰かの名前だろうか、と思ったそうだ。
「あーちゃんは、なんであーちゃんなの?」
お母さんがお兄ちゃんはなんでそんな事を聞くの?という顔でこう言ったそうだ。
「自分で言ってるよ。あーちゃんだって。アヤカちゃんだって」
お母さんは凄くビックリしたそうだ。突然息子が聞いたこともない名前を口にしている。だが、まだ冗談や嘘をいう様な歳ではない。一体どういう事だろうか。
一応お父さんにも相談してみたがどういうことか皆目見当もつかないとのこと。お兄ちゃんは相変わらずお腹の中の子をあーちゃん、アヤカちゃんと呼ぶのだ。
両親二人で頭を悩ませていると、ちょうどいいところに名付け親になる予定のお祖父ちゃんが訪ねてきた。
お祖父ちゃんにも相談してみると少しだけ考えてこう言った。
「じゃあそうなんだろう。その名前にしよう」
お母さんもお父さんも驚いた。まだ性別も解っていないのにこんな安直な話はない。しかし何分にも場合が場合なので、性別が解るまで保留という事になった。
そうして後に女の子と解り、無事に元気な赤ちゃんが産まれた。そういうワケで、彼女の名前はアヤカちゃんになったそうだ。
その時のこと、当のお兄ちゃんに聞いてみても「覚えていない」の一点張りだそうだ。そういうわけでかどうか知らないが、二人はとても兄妹仲が良い。
不思議だがホッとする話だ。
だがこの話には続きがある。お兄ちゃんには内緒でお母さんがアヤカちゃんにだけ教えてくれたそうだ。
アヤカちゃんが産まれて少し経った頃、家にお母さんの近所に住む若い奥さんが訪ねてきたそうだ。さほど親しくもない彼女が突然来たのには理由があった。
奥さんが言うには、実は自分も妊娠していて今はまだ三カ月なのだがお腹の子供の名前をお兄ちゃんに聞いて欲しいという事だった。何処で聞いたのか、しかもできれば女の子が欲しいから女の子だと言って欲しいと。ずいぶん自分勝手な事を言っている。
お母さんは何度も断ったが奥さんは食い下がり、ついには謝礼を出すからとまで言いだした。結局、奥さんの勢いに負けて、お兄ちゃんを幼稚園まで迎えに行ったそうだ。
そういうワケで早速お兄ちゃんに奥さんのお腹の赤ちゃんの名前を聞いてみた。
お母さんが
「どうかな?」
と訊ねると、お兄ちゃんはしばらく黙っていた。そして一言ポツリとこう言ったそうだ。
「わかんない」
困ったお母さんは何度かお兄ちゃんに訊ねてみたが、終始ずっと首を振り続けたそうだ。
結局、子供の言うことだからという事で奥さんも渋々帰っていったという。
奥さんが帰ったあと、お兄ちゃんが信じられない事を口にした。
「でてこないからって言ってたよ」
「え?」
お母さんは耳を疑った。さっきまで無口だったお兄ちゃんが奥さんが帰ったあと途端に饒舌になりそう言った。
「でてこないって言ってた。だから名前もいらないって言ってたよ」
「なんでそう言わなかったの?」
と聞くと
「誰にも言わないでって。赤ちゃんが」
と言ったそうだ。
子供のいう事だから間に受けはしなかったが、どう思われるか解らないので「他の人に言ってはいけないよ」と釘を刺してその場は終わりにしたそうだ。
それからだいぶ日が経ってもその奥さんからなんの連絡もないので気になってはいたが、子育てが忙しくて忘れてしまっていたそうだ。
しばらく後、何気なく例の奥さんの家の前を通ったら空き家になっていて、どうやら随分前に引っ越してしまったということだった。
さすがに近所の人にはお兄ちゃんが言ったことは言えなかったそうだ。
それ以来、その奥さんとお母さんとは一度も会っていないそうだ。
友人の彼女から実際に聞いた話。
了
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