「魂の入った虫」
親戚のオバさんから実際に聞いた話。
オバさんは三人姉妹の末っ子で、いつも母親(私の祖母にあたる人)に心配をかけていたそうだ。そんな母親が、亡くなって十年が経ったある日の出来事だった。
当時オバさんは熟年離婚をしてしまって、心身ともにかなり疲れていた。今まで専業主婦だったのに突然働かなければならなくなり、かと言って宛もなく自らの軽率な行動をひどく後悔していたそうだ。
それを見兼ねたオバさんの姉(私の母)が彼女に住み込みでの家事を仕事として頼むことにした。なにしろその姉は片付けが下手だったし、仕事も多忙でロクに家事ができない人だった。そういうわけでオバさんは長女である姉の住む実家の家事をすることになった。もちろん少額だが給料も払われる。溜め込んでいたヘソクリもあったし、ひとまずはしばらくの食い扶持をつなぐことができた。
そんなある日、不思議なことがあった。
いつもの様に居間を掃除していると、どこからともなく大きなオニヤンマが飛んできて机の上に止まった。しかし変だな、と思ったらしい。何しろ季節は春先なのだ。オニヤンマが春に外を飛んでいるんて。しかも異常にデカい。エラく神経の図太いオニヤンマらしく、どんなに大きな音を立てて追い払おうとしても微動だにしなかったそうだ。
変だ。なにかおかしい。そう思ったそうだ。
「なにやっての?」
オニヤンマと睨めっこしていたら長女の姉が帰ってきた。
その時、にわかにオニヤンマが「ジジジ、ジジジ」と羽根を大きく揺らしたそうだ。
オバさんは何故かそれで、ピーンときた。
「ねえ。もしかしてお母さんじゃない」
オバさんは突然そのオニヤンマにそう話しかけたそうだ。
「ええ?何言ってんのよアンタ」
もちろん姉は驚いたそうだが、もっと驚くことが起きた。
「ねえ。もしお母さんなら、またさっきみたいに羽根を動かしてみてよ」
オバさんがそう言うとオニヤンマが「ジジジ、ジジジ」と羽根を動かしたそうだ。
「ほらあ!やっぱりお母さんだ」
「ええ?嘘!?なんだか信じられない」
二人してぎゃあぎゃあ騒いだそうだが、実際そのオニヤンマはいるだけ時折質問すると羽根を動かすくらいで特に何もなかった。
「まあでも仮にこのオニヤンマがお母さんだとして、なんでここに来るの?」
「知らないわよ」
最終的に二人の疑問はそこだった。しかしそれもすぐに解決する。
「解った。お母さん、アンタが心配だから見に来たんだよ」
「え?」
そう言うと今度は姉がオニヤンマに話しかけた。
「ねえお母さん。この子が心配だから来たんでしょ。この子が離婚したから」
「ちょっと姉さん」
「ねえ、そうだったらまた羽根動かしてよ」
そういうとオニヤンマがまた「ジジジ、ジジジ」と大きく羽根を動かした。
「ほーらやっぱりねえ、アンタもう。親不孝なんだから」
「お母さん、なんで来たの?そんな姿にまでなって。あたしを叱りにきたの?」
オバさんは涙目になってオニヤンマに怒鳴ったという。死んでもなお、自分に説教をしに来る母に。そして、母を虫の姿きさせるほど親不孝な自分に、心底情けなくなってしまったそうだ。
だが、オニヤンマは動かない。
「違うよ。アンタ馬鹿だね」
そう言うと姉はオバさんを押し退けた。
「お母さん。大丈夫ですよ。この子の面倒はアタシがみますから。夫もいないし子供も離れてるし、姉妹で仲良くやってきますから。寂しい思いはさせませんよ。だからお母さん、もう心配しないでくださいな」
姉がそう言うと、オニヤンマは「ジ、ジ」と短く羽根を揺らして飛び去っていったという。
「お母さんはアンタのこと一番可愛がってたんだから」
そう姉に聞かされて、オバさんは初めて母の愛情深さを知ったという。それにしても、蝶だのなんだのともっといるはずなのによりにもよってオニヤンマとは。
「お母さんは死んでもお母さんらしいわ」
と、オバさんは笑っていた。
本当にあった話だそうだ。
またよく似た話でこんなのもある。
近所に住む人から聞いた話だ。
実家の近所では、年に一度盛大なお祭りがある。若い連中は
近所の人を仮にタナカさんとする。
タナカさん(仮)はその年の前まで神輿を担ぐ方にいたのだが、寄る年波に勝てずついに詰め所の方で大人しくすることになった。
そんな時に体験した話だ。
詰め所にいく歳になったとは言えまだまだ気持ちは現役だったタナカさん。目の前を通る威勢の良い連中を見ながらヤキモキしていた。年寄りの先輩連中はおぼろげな記憶を頼りに昔話ばかりしてる。タナカさんはひどく退屈していた。
そんな時、何処からか大きな蝶々が詰め所の中に音もなく入ってきた。しかも一羽ではなく色違いの蝶々が続けて二羽、三羽、と神棚の近くでヒラヒラ舞っている。
妙なこともあるもんだと思って見ていたら、たまたま挨拶に来ていた80過ぎのお婆さんがパアッと顔を輝かせた。
「ヨッちゃん、ナガシマ(仮)さんとこのヨッちゃんが来てるよ!」
お婆さんが突然声を張り上げたのでタナカさんはひどく驚いたが、それ以外の人たちは特に不思議がる様子もなくニコニコと微笑んでいる。
「へえ、婆ちゃん良かったねえ。仲良かったもんねえ」
「おっ、じゃあこっちの紫のは一昨年亡くなったヨコヤマさんの旦那かな?」
「ヨコヤマさん、祭好きだったからなあ」
タナカさんが驚いたのは皆がいたって真剣な顔でこんな事を言っているからである。泣いたり手を合わせたりして蝶々に話しかけているのである。山奥の村というならまだ分かるが、近代化の進む街だ。幾ら何でも悪ふざけが過ぎると、顔見知りの先輩に事の次第を聞いてみることにした。
すると先輩は、なんだそんなことかという顔でタナカさんに酒を勧めながらこう言ったそうだ。
「この辺じゃよくあることだ。祭好きの人は亡くなった後も二、三年はしばらくこの時期になると、ああして様子を見に来るんだよ」
にわかには信じ難い話だったが、先輩が言うには別に害があるわけでもないし、そう思っていた方が都合が良いとのこと。会いたい人に会っている気になれるし、故人を偲ぶ事もできる。そういうことらしかった。
それから何度か、その静かな祭を経験したが不思議な事に亡くなった人に祭好きがいないと確かに蝶は飛んで来なかったそうだ。
だが何故蝶の姿で来るのかは、いまだ謎である。
近所に住む、お年寄りから聞いた話。
了
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