イナダ side of Suzu.1
名前は
仕事は真面目で、そこそこ優秀。外見について無頓着な様子もあるけれど、それでも仕事中の付き合いという点だけにおいて言えば、何の問題もない。
しかし、最近は彼女に対する感情が変わってしまった。
きっかけはというと、1ヶ月ほど前の飲み会帰りでの出来事。
すぐ傍の線路では、けたたましい音を立てて電車が枕木を踏みしめている。
『あのさ――ううん、なんでもない』
『えっ、何ですか?』
思えば、そう尋ね返してしまったことが間違いだった。
『やっぱり言わない。だって言ったら永田さん引くもん』
『別に引かないですから。それに私明日も仕事なんで』
それとも、思わず答えを急かしてしまったことが?
『あのさ、“手を繋ぐ”の次って何だと思う?』
『えっ、何それ?』
『いいから。“手を繋ぐ”の次』
『えぇ、じゃあ……“ハグ”?』
『じゃあ“ハグ”の次は?』
稲多のそんな言葉に、すずは苛立ってしまったのだ。
いつまで経っても答えの出ない問いかけ。その意味もよくわからない。キリがない。
『あの、もう帰らなきゃなんで教えてもらっていいですか? 何ですか?』
少し強めの口調で言った記憶がある。さすがの稲多も少したじろぎ、その問いかけを切り上げようか悩んだようだったが。
『じゃあ……7文字』
『はっ?』
『7文字の言葉だから』
すずは頭を抱えたくなってしまった。もちろん、飲み会でしこたま飲んでいたのである、頭は実際に痛いのだが、そのうえで稲多とのまるで禅問答のようなやり取りを続けていないといけないことがたまらなく苦痛だった。
『あの、別に引かないんで。もうハッキリ言ってください。ほんと明日仕事なんで』
さっきよりも強く、はっきりと告げる。
そんなすずの言葉に、『えー』だとか『でもなー』だの言ってゴネていた稲多だったが、すずが露骨に帰りたさそうな表情を作ったこともあって、観念したように稲多は言った。
『キスしてもいい?』
冬が訪れようとしている秋の深夜。
辺りでは、すずたちと同じように飲み会を終えたのだろうか、賑やかな談笑をしながら若者たちが最終電車も間近になった駅へ向かって歩いている。
近くで営業しているカラオケスナックからも、どこかヤケクソじみた歌声――というよりも叫び声が聞こえてきている。
深夜営業の牛丼チェーンやコンビニの周辺では、飲食物を欲する者たちがふらふらと出入りしている。
そんな日常の景色の中。
すずが背筋が凍るような7文字の言葉を浴びせられたのは、そんな夜のこと。
それからひと月。
稲多とのやり取りは、まだ決着がつくことなく続いてしまっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます