父×息子・3
「
どうにか自分を持ち直しながら尋ねた俺に、宵は再び溢れ出した涙を拭いながら「今日、友達に好きって言われた」と返してきた。
……嗚呼。
俺は思わず手近なところにあったテレビのリモコンを床に向かって投げつけたくなった。もちろん、そんなことを実行に移すわけにはいかない。実行すればまずリモコンは壊れるだろうし、それ以前にやっと勇気を出して話してくれた宵を不必要に威嚇することになってしまう。
それは、俺の望むところではない。
だからギリギリのところで理性を働かせて、どうにか感情を抑えた。
「ただの友達だと思ってたから、それに同じ男だよ? びっくりして、何もわからなくなって……」
言ってしまったことで何かが弾けたのだろう、堰を切ったように訊きもしないことを次々と話し続ける宵の怯えたような顔ばかりが目に焼き付いて。
その唇は、やはりどう見ても今は亡き宵の母親……俺の女房に生き写しで。
「だから、『嫌だ』って言葉しか出てこなくて……っ、で、でね? そしたら、友達がすごい怒って、『だったらそんな態度とんな』って殴られて、それで、よくわからなくなって……っ」
それから、やり場のない感情を晴らす場所を求めて、近所を歩き回っていたのだという。そして。
「周りの人が、みんな僕のことをそういう目で見てるような気がして、本当に気持ち悪かった。
お父さん。僕、外に出るのが怖いよ。どこで誰が見てるかわかんないし、たぶん人と話すたびに今日のことを思い出しちゃうだろうし。きっとね、それで僕はおかしくなっちゃうんだよ、それでどうにかなってもいいや、って思って、滅茶苦茶にされて、そのままどこかで……そんなことばっかり考えて、どうしようもない。
何でそんなこと考えちゃうんだろう、って。
今日、何でもっと違う言い方をできなかったんだろう、って。
何であいつと一緒に委員会なんて入ったんだろう、って。
何で、何で、って。ずっと止まらなくて……っ。あ、ごめんね、お父さんにそんなこと言ったってしょうがないよね。ごめん、何か気持ち悪いこと言って。不愉快だよね、こんな子どもっぽいこと言ったりして、ほんとにごめん」
堪えきれなくなった涙を流しながら謝る宵を見ながら、俺は思い出していた。
そういえば、あいつと付き合うようになったのも、確かそういう相談からじゃなかったっけ?
当時の女房はただの同ゼミ生で、まぁ女子の中ではそれなりに話す方だったってことで、ストーカーの相談を受けたんだった。
人当たりのいい性格が災いして、全く意識していなかったやつから惚れられて、断ったら『じゃあ何でそんなに親しげな態度をとったりするんだ!』だとかいう理不尽な怒られ方をして、そのことを俺に打ち明けて泣いていた。
その姿を見ていて、思ったんだ。
嗚呼、この子のことを守ってあげたい、と。
いま1番近くにいる俺が、守りたいと。
この子の笑顔を、1番近くで。
そう思って、どうしたんだっけ?
そんなことを思っていたら、俺は宵と唇を重ねていた。
「――――――っ!?」
驚いたように両目を見開く姿まで、死んだあいつにそっくりで。だから、きっとその目に映る俺は、あの頃と同じ俺に違いなくて。
「今日のことを思い出すなら、そいつのことなんかよりこっちを思い出せよ」
思わずそう囁いてから、我に返った。
「え、あっ?」
何を言ったんだ、俺……? もちろん、覚えている。覚えているからこそ混乱して、時間を巻き戻せるなら取り消してしまいたい。
どうしてしまったんだ、俺は!?
確かに、宵は母親似だ。たぶん同じ格好をさせたら本当に男だとは思えなくなるだろう。といっても、それは見た目だけの話だ。いくら同性から身に覚えのない好意を寄せられることがあったって、宵はあくまで男だ。それに何より、俺の実の息子だ。
そんな宵相手に何をやったんだ、俺は……!
「悪い、ご飯出来てるから、先食べててくれ」
それだけ言うのがやっとで、俺は宵から逃げるように部屋を出た。
こういうときのベランダは静かで、本当に落ち着く。
随分前にやめていたタバコは、久しぶりに吸うと目が冴えるような感覚がある一方でやはり煙たく、思わずむせ返った後、早々に灰皿に押し付けてしまった。
いっそ、全部夢ならよかった。
宵が俺と同じ時間に帰ってきたことも、そして宵の涙を見てしまったことも、その理由を聞いてしまったことも、話を聞いているうちにしてしまったことも。
あまりに死んだあいつに似てたから……なんて言ってしまうのは、俺の行動を宵のせいにしてしまう卑怯な言い訳だ。
そんな複雑ないくつかの段階を踏んだ理由ではない。
ただ、何となくしたくなったから。
同級生の話を聞いて嫉妬したから。
きっとそんな、およそ父親が息子にキスをするには支離滅裂にも程がある理由だった。
今日は、どこかおかしいんだ。
宵には体調が悪いと言って、さっさと寝てしまえばいいかもしれない。
少しの間、たぶん明日の朝くらいまでは、宵の顔を見ずに頭を冷やす時間が必要かもしれなかった。
「お父さん」
背後から宵の声が聞こえたのは、そう考えていたときのことだった。
もしかしたら、なにか温め忘れていたかもしれない。出来ているとは伝えていたが、俺がどのくらい食べるかとか言っていなかった気がする(もちろん、今夜は夕食をとるつもりなどないのだが)。
きっとそういう確認事項があって来たのだろう、宵はそういうやつだ。
「ん、あぁ、ちょっと待っ、」
そう答えようと振り返った俺の唇に柔らかい感触が当たったのはそんなときで。
唖然とする俺に一瞬向けられた、月明かりの中でもわかるほど紅潮した頬と潤んだ瞳が、どうしようもなく幻想的に見えて。
「さっきの、ちょっとだけ嬉しかったかも」
それだけ言い残して家の中に戻っていく宵を何も言えずに見送ることしかできなかった……。
* * * * * *
そして、数時間後。
「またソファで寝てる……」
寝室へ上がっていく気配がなかったから様子を見に行ってみたら、宵はいつもの通りソファで眠ってしまっていた。
いくら暑い時期とは言ってもそんな寝方では風邪をひきかねない。
もう中学生なのだし、親父に連れて行かれるんじゃなくて自分で布団に入ってくれればいいんだが……。
「ったく……」
特に、あんなことがあった日には尚更だ。
とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。
俺は慣れた姫抱っこをいて、息子を寝室に連れて行くことにした。
だから、予想もしていなかった。
実は宵が寝たフリをしていて、抱きかかえて廊下を歩く俺の頬にいきなりキスをしてくるなんて。
「………………やめろって」
そして、それに年甲斐もなく本気で照れるようなことがあるなんて。
これから、俺は息子のことをまともに見られなくなるかも知れないな。
そんな他人事みたいな感想を、溜息と「おやすみ」の言葉に溶かした。
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