第八作 殺人は広告する ミステリで業界ネタでハーレクインで夢小説

 長編第八作 MURDER MUST ADVETISE 

 邦題 殺人は広告する 1932年作 邦訳1997年 


 セイヤーズという人は、今の基準で語るなら夢女子(夢厨)である。

 なにせ、自分のカンガエタ最高にかっこいい理想の男性を名探偵に据え、その彼と自己を投影した女性キャラを結婚させようとしたのだから。

 こんな創作は普通破綻するものである。

 しかしピーター卿シリーズは破綻しなかった。それどころかシリーズのいくつかは間違いなくミステリ史に名を残す作品である。

 簡単に言うなら、セイヤーズという人は自分にとって心地よい物語と他者が読んで面白い小説を両立させることができる稀有な作家だった。


 そんな特徴を持つピーター卿シリーズの最高傑作とはなんだろうか。『ナイン・テイラーズ』を推す人は多いと思う。だが個人的には今回紹介する『殺人は広告する』を推したい。

 この作品には、セイヤーズという作家が時代と国境を越えて読むものをひきつけるその資質が全て最良の形で凝縮されているように思うからだ。


 今作は文庫にして本編500ページ近い作品であり、しかもシリーズものの8作目に位置するこれを最初に読むピーター卿シリーズとしてオススメするのはどうかという向きもあるだろうが、それでもシリーズ未読の方にも筆者はこの作品を薦めたい。


 ストーリーは、活気あふれる広告代理店ピム広報社に一人の新人が入社する。彼は少し前に起こった前任者の転落死に興味を持つのだが…という出だし。この新人ブリードン氏が何者かは完全にバレバレなのだが、それについては序盤すっとぼけたまま続く。ピム社の社員たちとブリードン氏のやり取りのにぎやかさけたたましさに、転落死した社員の謎を少しずつ絡めていくそのやり方はセイヤーズの会話文の上手さと相まって一種グルーヴ感すら味わえる。と思いきや物語は突然登場する退廃的で市民を堕落させる貴族令嬢なる人物に、ハーレクインを名乗る仮面の青年(またも正体バレバレ)が絡み、そこに麻薬取引が絡んでくる。この辺の唐突感はかなりなもので、ああこのくだり書きたいから強引に来たな、と身構えるのも無理ないことだろう。


 さらに物語は探偵に憧れる給仕の少年まで登場し、この話をどこに持って行きたいのかと不安になること請け合いである。からかっているような文章になっているが、ここで言っておきたいのはセイヤーズがマジもマジ、大マジでこれらの取っ散らかった要素を描いているという事だ。


 広告代理店の活気と喧騒に満ちた描写の章とハーレクインに扮したブリードン氏と不道徳な有閑階級令嬢とのロマンスめいた描写の章と捜査の章。これらが交互に挿入され読んでいるときに感じる混沌めいた印象はかなりの物で、明らかにわざとやっていると思うべきだろう。11章の序盤に興味深い文章が並んでおり、いわくピーター卿はこの事件のためにピム社にもぐり込んでいた時期は夢のような雰囲気があった、幻影のようだったという。架空の登場人物に思わせるにはいささかきわどい表現ではある。物語は進めば進むほど、登場人物は増えそれぞれが勝手な行動をし、これをはたして本格ミステリと呼んでいいのかと後半になっても不安は尽きない。『殺人は混沌とする』というタイトル方がしっくりくるかもしれない。物語の後半に彩り(と言うには華やかさがないが)を添えるのがラムリイとイーグルスという二人の警官で特にパーカー警部に反感を持つラムリイはかつてのサグを思わせるような頭の固さで、セイヤーズもミステリ作家の端くれとしてやはりこういうキャラを書きたかったのかもしれない。

 これだけの長編でありながら、物語の主題となる謎解き、さらにピーター卿の正体がピム社のある人物にバレるくだりなどはおそろしくあっさりと描写される。もちろん、そこがセイヤーズにとっての主眼ではないからだが、いくら何でもと言う気がしないでもない。その上事件の犯人は早くから示唆され、しかもそれが物語上はさして重要でもない事までもが読者にも提示されているとなるとさすがにミステリとして不安視する人もいるだろう。

だがそれらはみな、セイヤーズのある狙いの通りなのだ。


(以下ネタバレなので未読の方は注意)





 終盤のクリケットの試合から事態が急変し、物語のそもそもの始まりでありながら軽視されていた広告文案家殺しの犯人が、ピーター卿に罪を告白する。ここで明らかになるのは、彼の存在がすでに関わっていた大きな事件(麻薬取引)の前にはほとんど注視されないものであったという皮肉であり、そこを問題にしていたのはほとんどピーター卿ただ一人であったという無残ともいえる現実である。


 そして物語の最後にピーター卿は自分の考えた広告が完全に自分の手を離れ、世の中に無尽蔵に広まり、拡散していく様を見る。それはセイヤーズ自身の経験であるとともに、世の中に物語というものを出した瞬間それは半ば自分の物ではなくなるという事の例えであるだろう。


 作品全体として瑕疵がないとは言えないし、特に作中で殺されている人々全員がこの時代流行りの「同情されない被害者」なのはやりすぎ感がいなめない。

しかしセイヤーズの持つ時代性と作家性、それらミステリというある意味いびつな器にはめ込んだことで滅多にない作品に仕上がっている一作である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ピーター卿シリーズ不完全ガイド(仮) さかえたかし @sakaetakashi051

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ