第三作 不自然な死 クライムノヴェルに向かって

 長編第三作 UNNATURAL DEATH 邦題 不自然な死

 1927年作 邦訳1994年 


 レストランでパーカー警部と犯罪談義に花を咲かせていたピーター卿は、偶然隣り合った若い医師から奇妙な話を聞く。彼の患者で大病を患っていたもののあと数か月は生きると診断した老婆が突然死したという。不審に思った医師は司法解剖を提案し実行されるも何も見つからなかった。この一件に興味を持ったピーター卿はパーカー警部を無理やり引き入れ独自の捜査を開始するが…。

 率直に言って小説としてはさておき、ミステリとしては呑気すぎた前作『雲なす証言』から比較すると、三作目にしてミステリとしてのレベルアップが半端ない。ただし、今作を純粋な意味で本格ミステリとするかは疑問に思う向きも多いだろう。肌触りとしては犯罪小説のそれである。


 そして新登場キャラのクリンプスン嬢(フルネームはアレクザンドラ・キャサリン・クリンプスンと非常に長ったらしい)。ピーター卿が聞き込みのために個人的に雇っているオールドミスという設定だが、現代の僕らが見ると完全にミス・マープル。ウィキペディアによれば、『火曜クラブ』収録作の発表は1927年。つまり同年である!

 どっちが早かったとかいう話よりも、クリスティーとセイヤーズが初期において創作でシンクロを見せていたという事実の方が興味深い(無責任な言い方をすれば、アツイ)。ただしミス・マープルの原形であるキャラは1926年発表の『アクロイド殺し』に登場しているし、こんな老嬢の存在は当時のイギリスではある種の定型だったのかもしれない。


 『不自然な死』の出だしは『雲なす証言』以上にお気楽な素人探偵スタンスのピーター卿である。なにせ偶然知り合った人物からの聴いた話から調査にとりかかるのだから。にもかかわらずその後の展開は全く違う。

 複数の死が扱われるのもそうだが、犯人や周辺の人物造形、捜査の顛末などプロットだけ別の作家が作ったのかと思うくらい別の次元の物である。一言で言えば、物語に通底する緊迫感が段違いなのだ。

 この緊迫感は何によってもたらされているかといえば、それは紛れもなく一連の事件の犯人のキャラクターである。この話序盤から犯人はバレバレで全く隠そうとはしていない。倒叙と呼ぶのは言い過ぎにしても、フーダニットは全く考えていない構成となっている。

 『誰の死体?』に登場する犯人が「普通の人間には理解しがたい悪」のように描かれているのに対し、『不自然な死』の犯人は現実世界と非常に地続きの悪である。作中で過去の実在の殺人犯たちに言及されているのもその表れだろう。

 貴族探偵という浮世離れしたキャラクター的存在が、現実と地続きの悪と対峙するという構図が、今作を過去二作品とは全く違った肌触りにしているのは間違いない。

 非常に軽い気持ちで事件にかかわることになったピーター卿だが、話が進むにつれ犯人の持つ「闇」に自身も吸い込まれていくようになっていく。

 一作目『誰の死体?』でわずかに触れられた素人探偵が事件にかかわることに対する根源的な問いが、この作品でもまた終盤に問われることになる。ピーター卿がその思いをぶつける相手が聖職者というのはお国柄という感じがするが。


 この作品のアイディアはどこから来たのだろうと考えると、おそらくはこの作品の翌年に『不自然な死』と同じゴランツ社からセイヤーズ編集で世に出る探偵・恐怖小説の傑作集Great Short Stories of Detection, Mystery and Horrorの編集の際ではないかと考えるのはあながち妄想とは言えないと思う。


 『不自然な死』の主役はピーター卿ではなく犯人であることは明らかだが、それに対峙する存在がピーター卿ではなく、クリンプスン嬢であることも間違いない。ミス・マープルが長編デビューを飾る3年前、ピーター卿の捜査上の協力者として登場するこの中年の独身女性は怪しまれることの無い存在としてピーター卿の代わりに情報取集の役割を担う。その観察眼は鋭く、特に主要キャラの多くが女性である今作においてクリンプスン嬢は地の文で容赦ない描写を繰り広げていて、ミス・マープル以上の辛辣さを感じさせる。


 この作品をもってセイヤーズはミステリ作家として生きていく覚悟を、またミステリを実作し、評論していくことは自分の全力を費やすに値する仕事だと認めたようでもある。

 それは同時にピーター卿に只のアイドル性ではない、キャラクターとしての人間味を付加することも義務付けられたという事でもあった。つまりよく言われる、五作目に登場したハリエット・ヴェインの登場によりピーター卿には人間的成長が必須となったという論は実はやや違うのではないだろうかという疑問がわいてくるのである。

 ミステリというものを「パズルからノヴェルへ」と変えていく過程が黄金時代の一つの姿だとするなら、『不自然な死』でセイヤーズが扱おうとしたものはまさにその過程を映していると言っていい。前作『雲なす証言』がノヴェルであろうとしたあまりにパズルになりきれなかったのに対し、今作はパズルを作ろうとしたのがノヴェルになっていくのである。


 ただ唯一瑕となっているのが最後に明らかになる真犯人が使った殺人トリックで、現代の目線からというより当時の知識でもおそらくダメなのは見抜かれたのではないだろうか。読者の多くが物語の焦点がもはやトリックにはなかったと思われる出来であるだけにこの部分はもったいない。殺害方法に関しては無難なものをチョイスしていればという気がする。

 また今作は、多重視点や事件関係者からの証言から犯人像を描写しているのも特徴でもある。ピーター卿の視点・パーカーの視点・クリンプスン嬢の視点などを入れ替えることで単調になりがちな捜査シーンを飽きさせずに読ませるし、また後半に出てくる犯人に危うく殺されかけた人物の証言など時代は下るが『白夜行』などを思わせる。


 読者として、この一連の犯人に共感できるかどうか、という所も一つのポイントになるかもしれない。完全に共感することは難しいにしても、全く理解できない存在として受け止める読み手は少ないだろう。とはいえ犯人の一種の怪物性はやはり怖い。現実離れしていない分、より怖さがビビットなのである。それだけに最初の殺人の引き金になったある部分は余計かなとも思えるが…。


 21世紀の他国人である筆者にはもちろん、当時のリアルタイム読者の心を推しはかることは到底できない。しかし、これを当時の読者、特に女性がどう受け止めたかはかなり興味深い所である。女性の社会進出が現代よりさらに難しかった時代に、さらに家庭環境により世に出ることができなかった存在としての女性が何種類か描かれているのだから。


(以下ネタバレです)








 真犯人が使う一人二役トリックは、ホームズ物の『花婿失踪事件』などを思わせる雰囲気で、セイヤーズのシャーロッキアンぶりがうかがえる。

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