短編集 ピーター卿の事件簿(THE CASEBOOK OF LORD PETER)

THE CASEBOOK OF LORD PETER ピーター卿の事件簿

邦訳1979年 創元推理文庫


 本書『ピーター卿の事件簿』は、1993年に『誰の死体?』が邦訳されるまで、十数年にわたって日本のミステリファンが気軽に手に取れる唯一のセイヤーズの本であり、ピーター卿のキャラクターに触れることのできる本であり、事実長編シリーズが出た後も順調に版を重ねていた。

 体としては「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」の副題が示す通り、マックス・カラドスやフォーチューン氏や隅の老人のそれのように、日本独自で編んだピーター卿シリーズ短編集である。


 『ピーター卿の事件簿』を読むと、ここまで正調名探偵冒険譚だったかと驚く。おそらくそういう作品をあえてチョイスしたのだろうけれど(シャーロック・ホームズのライヴァルたちシリーズの一環だったのでなおさら)、それを差し引いても長編のピーター卿とはかなり印象が違う。


 話がやや逸れるが、セイヤーズやバークリーやクリスティーといった英国黄金時代のミステリ作家たちは1890年代生まれが多い。世代的に言えば彼らは少年期にシャーロック・ホームズの第二期ブーム(1901年のバスカヴィルの犬、1903年以降の帰還収録作品)を目の当たりにしているわけである。

 そう思うとセイヤーズの短編におけるドイルへのリスペクトは非常に納得がいく。

 

 ただ、この本に収録されている短編たちがドイルのそれのようにすべて魅力あふれる聖典となっているかというと、かなり意見の分かれるところだろう。

 私見を述べるとセイヤーズという人はピーター卿シリーズに限って言うなら間違いなく長編むきの作家である。彼女の作品の魅力はキャラクターの活写と軽妙な会話であり、それを十分に描写するには短編という枚数では足りないのだ。


  個々の作品に目を向けると、まず『鏡の映像』は奇怪な出だしと物語運び、そして意外な結末という短編のお手本のような筋である。現代の読者から見ればこの筋で意外性を感じることは正直無理に近いとは思うが、読みどころは結末よりも過程。主人公が感じるアンデンティティへの不安や自己不信の描き方はさすがと言えるもので、正直名探偵ピーター卿が解き明かさない方がより不気味さを表現できたのではないかとさえ思う。かように怪奇要素と理知的な探偵小説的な筋の融合はセイヤーズほどの才人でも難しいものなのだろう。


 二作目『ピーター・ウィムジー卿の奇怪な失踪』に関しては、舞台となるスペインの田舎の雰囲気といい、事件の奇怪さで読者をひきつけるには十分なものがある。が、重箱の隅をつつくようなことを言えばこれもまたピーター卿を出す必要があったのだろうかという疑問がよぎってしまう。セイヤーズがピーター卿シリーズを書く動機の大きな部分が「彼を格好よく書く事」に締められている以上、その恰好よさが唐突に感じられた時点で読者にはあまり大きな感銘を与えられない気がするのは自分だけだろうか。


 しかし三作目の『盗まれた胃袋』と四作目『完全アリバイ』はいずれもセイヤーズらしいユーモアと軽妙なやり取りがよく表現できた好短編となっている。『盗まれた胃袋』はラストの皮肉なオチがいかにもという感じだし、『完全アリバイ』も(トリック自体は相当古びてしまっているが)最初からほぼ明らかになっている犯人をピーター卿が追い詰めていく様は一種の倒叙もののようでもある。


 『銅の指を持つ男の悲惨な話』はミステリというより怪談・ホラーに近い。クラブである男が自分の体験した恐怖譚を話すと実は…という。江戸川乱歩の『赤い部屋』に似た雰囲気があり、ここではピーター卿は名探偵というより一種の狂言回しである。


 『幽霊に憑かれた巡査』は、ピーター卿シリーズ長編が全訳された2017年に読むと物語の本筋とは別に色々感慨深い短編である。なにせピーター卿に子供が生まれる日の話である。当然母親はハリエットのはずだがここでは名前は出てこない(原文に出てこないのか翻訳する際に削られたのか不明だが)。


 発表時期も当然ピーター卿シリーズの中でも最後尾に属する物で、セイヤーズの文章もかなりノリノリであるように見えるが、ミステリとしてどうか?と問われれば非常によくできているとは答えられない。登場する巡査のキャラなど描写が良くできている一方ミステリとしてはいささか弱い。


 とここまで紹介した短編をいずれも奥歯にもの挟まったような言い方をしてきたが、それらの不満を吹き飛ばすような出来なのが巻末の中編『不和の種、小さな村のメロドラマ』である。これまで枚数が無くその特性を活かせなかったと筆者には少なくとも見えるセイヤーズが十分な枚数を得てまさに存分に筆を振るっているのがよく分かる。


 『不和の種、小さな村のメロドラマ』はそのタイトルの通り田舎の小さな村で起こるあるトラブルを中心に話が進んでいくのだが、主人公であるピーター卿はもちろんの事、登場するキャラクターたちもみな善き人もそうでない人も、さらには馬まで本当に生き生きと活写されている。この中編とその前まで収録されていた短編を読み比べると、セイヤーズという作家のミステリ作家として特性が非常によく見える。彼女の資質とは事件そのものを描くのが得意というのではなく、事件によって浮かび上がるキャラクター描写が神髄なのであり、こここそがセイヤーズが長年日本人読者にとってやや縁遠い存在になってしまった一因なのは間違いない。その意味では『ピーター卿の事件簿』は「なぜセイヤーズが昭和では日本人読者および翻訳者にやや敬遠される存在だったか」を知るには格好のテキストなのかもしれないし、現在復刊されて今一度ミステリファンが読むにはよい時期だったのでは。


 『不和の種、小さな村のメロドラマ』の読みどころはピーター卿という異邦人が田舎の村というある種の閉鎖空間で闊達にふるまう所であり、その意味ではこのシリーズが主人公の英雄譚であるというモットーにのっとった話である。ミステリとしても一定のクオリティを保っているし、セイヤーズの好きな兄弟間の確執も描かれた逸品である。


 以上収録作をかなり乱暴に紹介してきたが、こうしてみると作品としての個々の面白さはさておき、はたして長年セイヤーズの本としてほぼ唯一手軽に読めるものがこれで果たしてよかったのかという疑問は多いに残る短編集なのはファンとしても否定できないところである。まずピーター卿が結婚するまでの長い道程も分からず『幽霊に憑かれた巡査』を読ませるのは暴挙というしかない。


 巻末の戸川安宣氏の解説は当時(1979年)としては間違いなくセイヤーズ紹介の最新にして最も詳細な出来であっただろうと思われるが、もちろん数十年の時を経た今では更新されている情報が多数あるので、参考にしつつ情報を更新するという手がかりにするのがちょうどよい。

 これが2017年10月30日に出る新版では更新されているかどうか楽しみなところ。

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