第一作 誰の死体? 貴族探偵の騒々しい登場
長編第一作 WHOSE BODY? 邦題 誰の死体?
1923年作 邦訳1993年
創元推理文庫 帯文 「ピーター卿乗り出す」
貴族探偵ピーター・ウィムジー卿はその日母親からの電話を受け古書の競売に行く予定を中断した。母の知り合いの建築家の屋敷の浴槽で、見知らぬ男の死体が発見されたのだ。いったい誰の死体なのか?事件を担当する警部サグや、貴族院議員の兄の冷ややかな目も気にせず、ピーター卿は事件解決へ乗り出す…。
時は1923年。アガサ・クリスティーはまだ長編2作目を世に出したばかり。
セイヤーズの盟友ともいうべき存在、アントニー・バークリーが『レイトン・コートの謎』でミステリデビューを果たすのも翌年。
海の向こうアメリカではヴァン・ダインもエラリー・クイーンもまだ世に出ていない頃。そんな中でピーター・ウィムジー卿はまさに颯爽と、もとい非常に騒がしくミステリファンの前に姿をあらわした。
この作品を最初に読んでまず印象に残るのは主人公・ピーター卿ののべつ幕なし続くおしゃべり、特に前半部分の饒舌ぶりだろう。登場時からとにかく会話の量が多い。相手もタクシーの運転手から従僕のバンター、相棒のパーカー警部に事件の関係者たちと多岐にわたって話し続けている。
この登場の仕方を見て、多くのミステリファンが思い出すのはエラリー・クイーンのデビュー作『ローマ帽子の謎』だろう。
『ローマ帽子~』の序盤で主人公のエラリーはペンダチックな言葉を紡ぎながら、お目当ての稀覯本を買えなかった事を愚痴るシーンがある。パクったとまでは言わなくとも、『誰の死体?』のピーター卿に影響を受けているのは明らかである。
それと同時に、日本の読者にとってハードルが高いと思われていたセイヤーズの小説がそれほどの違和感が無く受け入れられた理由もこの既視感にあると思われる。
初期クイーンはヴァン・ダインの影響が強いとされているが、キャラの造形にはむしろピーター卿シリーズの影が強いのではないだろうか。最もセイヤーズとクイーンの共通点については筆者オリジナルではなく、第七長編『死体をどうぞ』の解説で法月綸太郎が指摘している。
さてそんな騒々しく登場した名探偵ピーター卿ではあるが、その言動とは裏腹に探偵ぶりはいたって真っ当、というか素人探偵としては意外なほど証拠第一主義であり、翌年デビューしたバークリーの書く素人探偵ロジャー・シェリンガムが動機・犯罪者の心理第一主義なのと比べると非常に対照的といえる。
ピーター卿が拡大鏡や被害者の遺留物を分析したり、従僕のバンターがカメラを駆使して現場を撮影したりするのはどう見てもオースティン・フリーマンのソーンダイク博士のパク…もといリスペクトであろう。
かようにこの作品におけるピーター卿は、キャラ造形はさておき、名探偵としての造形はそこまで奇抜でも素っ頓狂でもない。少なくとも黄金時代に続々登場する濃いキャラをもつ探偵の面々に比べれば至極まっとうなパーソナリティとすらいえる。
ただし後半に差し掛かるとそんなピーター卿に、そんな黄金時代の名探偵の面々にも滅多に持ち合わせていない特徴、それも非常にシリアスな特徴が現れる。
「シェルショック」である。
『誰の死体?』発表は1923年。第一次世界大戦終戦からわずか5年後の事である。ピーター卿には実は「元陸軍少佐」という肩書もあり、従僕のバンターはその部下であったという設定なのである。
第二次大戦終了数十年後に生れた「戦争を知らない子供の子供」である筆者には全くぴんと来ないのだが、第一次世界大戦後の英国には「退役軍人」が大量発生したらしい。
この時代のミステリの多くに退役軍人・元軍人が出てくるのはそのせいのようで、そういえばクリスティーの創造した名探偵エルキュール・ポアロの初期の相棒ヘイスティングスも退役大尉だった。
そして、多くの軍人が戦争の後遺症に悩むようになるのは本格的な初めての大戦を経験したこの時代からであったらしい。ピーター卿もまたそういったシェルショックに苦しむ一人として設定されていたのである。ただしこの設定は二作目以降ほとんど登場しなくなる。(とんでもないタイミングで復活するのだが…)
さてピーター卿が事件について考え続け悩むうち、ある夜にシェルショックが発生し大いに苦しむ。それを就寝直前だった従僕バンターがパジャマ姿のまま寝かしつける…というシーンを筆者は初見以来何度見ても「おいおい…」という気持ちで読んでしまう。
この当時イギリスにおいて同性愛、とくに男性同士のそれは紛れもない犯罪であり、19世紀半ばまでは死刑対象だった。曲がりなりにも21世紀に生きる人間にとってはにわかに信じられないような時代である。
もちろんシャーロック・ホームズとワトソンの関係性から同性愛色を感じない、という人の方が多いだろうが、その一方で男性同士のやり取りにいわば「萌える」女性は間違いなく当時でもいたであろう事は想像に難くない。
これこの時代に、しかも当時の女性としては最高のインテリであったはずなのに書いてしまうセイヤーズという人には、やはり興味を抱いてしまう。
『誰の死体?』に登場する人物はどのように描かれているという視点で見てみると、ピーター卿を代表する貴族階級、ケリガンなどの富裕層や上流階級は割と好意的に描かれている印象で、むしろやや好ましからざる表現や笑いの対象としては使用人・庶民の人々がその位置にいる。これは「特権階級にいる人々の閉じられた人間関係の中の殺人」いわゆるカントリーミステリに代表される作風とはかなり一線を画していると言っていい。
これは階級意識というよりは、作者の好みの問題も大きいのではないかと思う。
この先の作品を見ていくと、セイヤーズは性別階級善悪問わず明らかに「バカ」「身の程知らず」「マッチョ」が嫌いである。
デビュー作であるこの作品には意外にもたくさんの容疑者が出てくるが、愚かしいキャラはかなり否定的に描かれる。一方で本来なら敵対するようなキャラであってもそれが愚かには描かれていないケースもある。
捜査関係者のサグ警部がまさにそのポジションで、位置的にはピーター卿の協力者であるパーカー警部と対峙するキャラで、いわばホームズ物で言うレストレードの役割である。しかしサグは「頭が固く物分かりが悪い警官」の典型のように書かれてはいても決して無能者扱いはされていない。ピーター卿も「サグをあまり甘く見ないほうがいい」などと言っている。
ピーター卿の警察側の協力者であるチャールズ・パーカー警部も時代を考えると先見的と言っていいだろう。探偵小説に登場する警察の捜査官といえばホームズ物のレストレード・グレグスンは言うに及ばず、同時代でもクリスティーに登場するジャップ警部のような書かれ方をすることが多かった。
しかしパーカーは最初からピーター卿の対等な協力者として登場し、目の覚めるような活躍をする事こそないが堅実な仕事ぶりでちゃんと捜査に貢献する。
セイヤーズと同時期にデビューしライバルでもあったバークリーのシェリンガムシリーズに登場する警察官モーズビーも有能だったことと合わせて考えると面白い。
パーカーは謹厳実直な警察官ではあるが、けっして物分かりの悪いタイプではなく、ピーター卿の饒舌をスルーしつつも自分でも軽口を叩いたりする。
ピーター卿とバンターは探偵としての役割を二つに分けたような設定であるが、パーカーとバンターもワトソン役を二つに分けたような立ち位置のキャラと言える。
『誰の死体?』にはホームズ物への言及や茶化し、パロディが非常に多くちりばめられている。パーカー警部が自分のつつましい給料に思いをはせるのに、女王陛下から指輪をもらう事も無ければ総理大臣から感謝の小切手をもらう事もない、などというのはその最たるシーンだろう。
さらにいえばサグ警部が事件関係者を片っ端からしょっ引くシーンは明らかにホームズの長編『4つのサイン』に登場するアセルニー・ジョーンズ警部の活躍をパロったものだろう。
『誰の死体?』自体がそれほど長い作品でもないこともあり、ホームズものの短編的な事件を(当時の)現代風に明晰だが超人ではない探偵や警察官が捜査したらどうなるのか、というのを戯画的に描いている感じでもある。
今作で強い印象を与えるキャラクターと言えばやはりデンヴァー先代公妃とシップス夫人だろう。強い女性(老女)キャラクターといえば多くの日本読者がクリスティーの方を思い出すだろうが、時期的にはセイヤーズの方が早かったのである。
『誰の死体?』途中でいきなりピーター卿とパーカー警部との間で探偵という仕事についてシリアスな会話が交わされるのにやっぱなるべくしてなった感がある。
このやり取りについてピーター卿は「(探偵業は)途中までは面白いし紙で書かれたものだったら最後まで面白いが現実はそうはいかない」という趣旨の告白をし、それに対しパーカーは「捜査はスポーツじゃないし、殺人という罪はほかで善行を積んだ所で消えるものではない」という趣旨の返しをしている。
素人探偵が殺人事件の捜査に加わる事への「探偵側の動機」についてここで熱いやり取りが交わされているが、この会話は唐突に終わる。
デビュー作で取り上げるには余りにも重い、というか根源的なテーマに過ぎたのだろう。しかしこの悩みはシリーズを通して顔を出してくることになる。
(以下ネタバレです)
『誰の死体?』は犯人像が悪の象徴のような存在として語られるが、その前に「犯人が捜査側の情報を仕入れる立場にいる」という方がむしろ新鮮というか、サイコミステリーを先取りしている感じがある。犯人がピーター卿やパーカー警部と普通に会話するシーンが要所要所に挟まれる展開は最後まで読んだ読者にとって当時かなりぞっとするものと思われただろう。
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