ピーター卿シリーズ不完全ガイド(仮)
さかえたかし
序文
貴族探偵と聞くと2017年現在多くの人がドラマ化もされた麻耶雄嵩作品の方を想起するに違いない。
しかし、海外ミステリファンであればその先達の一人をまず思い出すだろう。
ピーター・デス・ブリードン・ウィムジー。ピーター卿と呼ばれることの多いこの名探偵は、1923年『誰の死体?(原題 WHOSE BODY?)』でデビューし、以来英国本格ミステリ黄金時代を代表する架空の探偵キャラの一人となった。
作者であるドロシー・L・セイヤーズは英国ではあの「ミステリの女王」アガサ・クリスティーと人気を二分するもう一人の女王であり、短期間とはいえ全盛期にはクリスティーの売り上げを上回ったという。現在に至るまで多くの女流ミステリ作家が尊敬の念を口にし、目標とする作家としてあげられることも多い。
しかし、本国での輝かしい来歴に比して、日本での紹介のされ方はある時期以前は不遇と断定しても良かっただろう。長編は戦前の抄訳、短編も日本独自での編集による発刊などが多く、戦後もなぜかシリーズ最終作だけが長年唯一比較的手に入りやすいという状況が数十年にわたって続いていた。
しかし1993年。東京創元社の創元推理文庫より第一作『誰の死体?』が翻訳されると状況は一変。浅羽莢子という稀代の名翻訳家を得たことでこれまでやたらと格調だけ高く難解なのではないかと敬遠されてきたセイヤーズ作品のモダンで軽妙洒脱な魅力はようやく日本のミステリファンにも広く知られる所となった。
とここまで書いてきたどこかで見たような内容はすべて、セイヤーズ作品に触れて以降に森英俊氏の『世界ミステリ作家事典』やそのほか様々な海外ミステリに関する文章を読んで仕入れた、いわば後付けの知識である。
では筆者の個人的なセイヤーズに対する印象はどうだったのか、というと
「若いころに読んだ現役ミステリ作家」
だった。
もちろんセイヤーズの主な作品は1920年代から30年代にかけて発表されたものであり、舞台設定も当然ながら英国。90年代に東京創元社から文庫で手に入りやすい形で邦訳が発売された、というだけならば筆者が当時海外ミステリに関して初心者だったといえども、このような印象は持たなかっただろうと思う。
本格ミステリ以外にはライトノベルくらいしか小説を読まない無学な筆者がなぜ、巷間「文学的」で「難解」あると言われるセイヤーズ作品に強く惹かれ、初めて触れて以来20年以上飽きることなくその作品世界に親しんでいるのか。
それはセイヤーズの作品が
「ライトノベル」「キャラクター小説」
以外の何物でもないからである。
セイヤーズの小説は基本すべて登場人物の魅力を十全に見せるために書かれた作品であり、いわばキャラクター小説以外の何物でもない。
また舞台が縁遠い1920年代のロンドンであろうとも登場するキャラクターが21世紀の日本人には全く想像がつかない貴族の次男であっても読むのに何も支障はない。
それらは異世界を舞台したライトノベルのように、読者に1から世界観を教えてくれるような楽しさに満ちた内容だからだ。
この駄文を何人の人が目にするか分からないが、こういう文章を見て思わず顔をしかめるセイヤーズファン、海外ミステリファンがいるかもしれない。というか確実にいるだろう。セイヤーズは当時超一流の知識人であり、彼女の書くものはその豊富な知識とそれを十分に引き出せる発想力に支えられた、いわば「文学」ではないかと。
そういった論に対して反論できるだけの教養や素地を、残念ながら筆者は持ち合わせていない。そもそもセイヤーズ作品を発表から半世紀以上後に翻訳を通してしか受け止めていない他国人が、彼女の作品の魅力を語ること自体に意味があるのかという気もする。
ただセイヤーズの一ファンとして思うのは、もっと気楽に、軽い気持ちで読まれていい気がするのである。それこそ彼女の本が創元推理文庫で続々発売されていた90年代半ばから21世紀初頭まではそういう読者が筆者を中心に増えたはずだったが、一通りシリーズの翻訳も終わり新刊書店でも手に入りにくくなった今、またセイヤーズが遠い存在になりつつある、そんな気がするのだ。
それではもったいない。
彼女の作品は、優れたミステリであるのはもちろん、キャラクター小説であり、ライトノベルであり、恋愛小説であり、コメディでもある。
ピーター卿シリーズ三作目『不自然な死』の解説で久坂恭氏がセイヤーズの小説を英国で買った時に店員から「Enjoy!」と声をかけられたという話が書かれているが、まさにその気持ちで、もっとセイヤーズの小説に触れて欲しい。
何度も繰り返しになるが、筆者はたいした教養も無く、特に英米文学の知識などは皆無に等しい。そういった人間でも気軽に楽しめ、その魅力を紹介したくなる作品。それがセイヤーズの小説であるという意味では筆者の学の無さも良い効果を持つのではないかと思う。
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