人魚とオピネル

オカワダアキナ

人魚とオピネル〈1〉

 〈1〉


 京浜運河でうみへびを見たことがある。公園の浜辺に打ち上げられていた。干潮によりすがたをあらわす浜はねばつく泥で、散らばる貝殻の破片だけが白かった。きっとこのうみへびは、東京湾を徘徊するうちに運河に迷い込んでしまった。大井ふ頭中央海浜公園はだだっぴろく、ヒトだってしばしば迷子になる。あたしとうみへびは同じものだと思った。

 団地の子ども会でバーベキューに来たときのことで、小学生の頃だから、つまり千年前だ。姉はすでに中学生で参加せず、母も仕事で来られなかったため肩身が狭かった。

 バーベキュー場のそば、運河沿いの護岸はハゼつき磯と看板が立っており、おじさんたちが幾人も釣り糸を垂らしていた。磯のにおいと肉を焼く煙とが混ざり合い、風は湿ってまとわりつく。護岸沿いに運河をさかのぼると人工の干潟だけれど、柵があってヒトは奥まで入れない。サカナやトリやムシでなくてはならない。

 ぬかるみを端まで歩いた。サンダルの足跡が歩数ぶん、律儀に残った。あたしは証拠を残して歩いているのだと思った。何をしていても誰かに見られている気がする。

 運河はつねに波も流れもおとなしく、水面は寝ぼけている。わずかなゆらめきに灰色のからだが打ち上げられていた。にゅるっと伸びて、白いおなかが西日によって青や黄色にひかった。虹だ。しっぽはまるく絡まっていた。ずいぶんおおきいし長い。あたしの腕より長そうに見えた。こわかったのにみとれてしまった。じっと動かないが、まだ死んではいない。どうしてかそれがわかった。

 これはうなぎだろうかあなごだろうかと眺めていたら、通りがかった知らないおじいさんが言った。

「そりゃあ、ダイナンウミヘビだろうね」

 釣り人だ、竿とクーラーボックスを下げていたから。

 へびというけど爬虫類ではない、うなぎやあなごの仲間でサカナなのだと教えてくれた。顔やひれで見分けられるとおじいさんはまじめな顔をした。尾びれも胸びれもない。まるく長いからだのわりに顔つきがするどい。食べてもあまりおいしくないのだという。

「あなごと一緒で、昼間はじっとして夜にうろうろ泳ぎ回るんだよ。あなご釣りは夏の夜にやるもんだけど、たまにこういううみへびが引っかかることもあるね。まあ江戸前だからいろんなのがいるわな。でも、こんなところまで上がってくるのはずいぶんめずらしいよ」

 砂や泥の中にもぐって外敵から逃れる。夜になったら徘徊する。歯がするどく危ないから、釣ってしまったら糸を切って針ごと捨てるのだとおじいさんは言った。

 江戸前という言葉がなんだかおかしかった。おじいさんだからかもしれない。とっくのむかし、一万年前から平成で、運河の対岸は平和島で、いずれ平成だって終わる。でもおじいさんはむかしからおじいさんだから仕方ない、いつまでもここを江戸と呼びつづけるのだ。そんな気がした。

 おじいさんはうみへびを拾い上げるとやさしくクーラーボックスにしまった。

「食べるんですか」

「天ぷらか唐揚げなら食べられないこともないけど、うまくはないね」

 じゃあどうして拾っていくのだろう? わからなかった。今もわからない。

 バーベキューで焼いた肉は焦げすぎていたのと焼肉のタレがたっぷりかかっていたのとで、何を食べているかよくわからなかった。でも、うみへびではあるまい。青色にも黄色にもひからなかった。

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