第20話 すべてが灰になる

 フレイたち3人は、ユリア嬢の部屋に入った。

 皇女の部屋と言うわりには、こぢんまりとしていて、ベッドと、机、それから、部屋の端に、服を掛けるポールが立っていた。一応カバーを掛けて、埃が掛からないようにしてあったが、前面のファスナーが開けっ放しになっていて、あまり意味がなかった。

「適当なところに座って」

 ユリア嬢はそう言って、ドアの脇の、パネルを操作した。それは、書庫のドアの脇にあったセキュリティ装置と同じものだった。液晶モニターに“ROCK”の文字が点滅し、表示が消えた。

 フレイは、机の椅子を引いてそこに座った。

 机も、ベッドも、木製で、簡単な彫刻が描かれているが、それでも、全体の色味的に、彩度が薄く、簡素である。敷かれている絨毯など、何年も使われたような跡が残っていた。一応窓もついているが、それはあまりにも小さく、部屋の中を明るく照らすには、いささか役不足であった。フレイが素直にイメージした印象は、トイレの窓みたいだな、である。

 バトルアリーナに隣接している、皇族のプライベートスペースにあったユリア嬢の部屋とは、かなりかけ離れた印象である。

 フレイが、ちらちらと部屋の中に目配せをしていると、アンダンテが後ろに立ち、フレイの目を塞いだ。

「なにするんだよ?」

 フレイは、アンダンテの手をもって、口を尖らせていった。

 アンダンテに聞いても、答えは返ってこない。その口元の表情を探る必要がある。なにも感情を表わしていない口元が、ニヤリと口角の端を上げて、不敵に笑う。それからアンダンテは、向かい側のベッドの端に腰を下ろした。

 ユリア嬢がアンダンテの隣に立って、フレイの方を見て、口をへの字に曲げる。

「女子の部屋をじろじろ見てるからよ」

「でも、バトルアリーナのところの部屋に比べるとあまりに……あんまりだから」

 ユリア嬢は、フレイの言葉を笑い、部屋の中を見渡した。

「もともとここは、物置だったのよ。私が修道院から戻ってくる時には、もうここの建物で、私の部屋に仕える部屋が埋まっててね。それで急遽――」

「物置に?」

「新しくリフォームしてくれるって話もあったんだけど、バトルアリーナの部屋の方を使えば、わざわざリフォームしなくて良いから、断ったの。体がふたつあるわけでもないしね。もし仕事が忙しくて、どちらに不確定で寝泊まりするって言うのなら、どちらもちゃんとしていても良いかもしれないけれどね。フレイ、後向いててくれる、着替えるから」

 フレイは言われた通り、壁の方を向いた。

「ところで、アポォリオンの命令関係の記述だけど、見つからなかったんでしょ。ヴラン・カァンが、知っているとは思えないから、早めに別の手を考えておいた方が良いと思うんだけど?」

 背後で、衣服を脱ぐ音がかすかに聞こえる。何か重いものが、ベッドの上に放り投げられる音もしたが、フレイは壁を見ていた。

 ユリア嬢が、着替えをしながら話してくる。

「いま考えつく別の方法としては、書庫のルマリアの考古学研究の資料を読んで、その命令系統の記述がされている古文書が無いかを探すことかな。それに派生して、書庫以外の遺跡や、美術品――博物館で展示されているものを調べる感じかしら?」

「僕としては、呪術が、ケティル1世のオリジナルか、それとも昔からルマリアにあったものかが知りたいけどね」

「秘密の部屋にあった古書は、ケティル1世の時代、つまり、100年前のものにしては、古すぎるように感じたわ。わたくしの予想では、呪術は、もともとルマリアに伝わっていて、ケティル1世が受け継いだと考えます。そう考えなければ、行き詰まってしまうから。もう良いよ、こっち向いても」

 フレイが振り向くと、ユリア嬢が、アンダンテの隣に腰掛けようとしているところだった。グレーのスラックスに、黒い上品なシャツを羽織っている。エンジ色のネクタイを締めて、その印象は、お姫様と言うよりも、お姫様に仕える秘書のようであった。それでも華があるため、人の目を惹きつけることには変わりはない。

 ユリア嬢は、ベッドの上に置かれていた茶色い革の鞄から、ノートを取りだして、ぺらぺらと捲った。

「無事だった古書に書かれてたのは、どうやら封印の呪術を編み出す前の時代のものらしいね。いくつか必要そうなものはメモってきたけど、呪術の技術としては、水準が低いものもあったわ」

「そんなのわかるの?」

 フレイが言った。

「ひとつひとつを見ていっても、たぶんわからなかったと思う。でも、調べている途中で、頭の中で本を並び替えたとき、少しずつ呪術が発展していってる事に気づいたの。大まかに言うと、最初は、意味のない呪いや、祈祷から始まり。フレイの使っているエレボスの発見と、それを呪術に反映させる方法。そして、応用へと、進む。もしかしたら、ルマリアの呪術の歴史を観ていたのかもね」

「だとすると、なぜ秘密にしなければならなかったのか。と言う問いには、“精神を封印するところ”だから知られてはいけないという以外にも、呪術の情報が、外に漏れないようにしていた可能性もあるね」

 フレイの言葉に、ユリア嬢が、気づいたように、声を上げて、渋い顔をした。

「ルマリア中の呪術に関係する書物が保管されていた可能性があるって事ね。確かに考えられるわ。ルマリアに住んでいる人で、呪術のことを知っている人は、ほとんどいない。それはなぜかというと、世間に呪術のことが秘密にされていたから」

 フレイは頷いて話し始めた。

「ルマリア語を読めなくなったって言うのも、あるだろうけど、昔は、ルマリア語が読めたわけだから、呪術に関する本を読むことは出来たはずだ。例え呪術を使う能力が、かぎられた血の影響だったとしても、先祖がルマリア人だった場合、ある程度、共通する遺伝子を持っている可能性もあるから、呪術を仕える因子――喉の形状による倍音の発声は、皇族以外にも使える可能性がある。だから、秘密の部屋に関連する書物を集めていたと、考えることも出来るね」

 そう考えると、秘密の部屋にあった書籍以外に、呪術に関する資料が、残されている可能性は低い。もし秘密の部屋以外に、何かしら、知識の継承がされていたとしても、それがどこで行なわれているのか、フレイはもとより、ユリア嬢には見当がつかないようだった。

 そもそもそう言う情報を知っているなら、秘密の部屋に密かに侵入して、情報を得ようなどとは考えない。

 少しの沈黙のあと、ユリア嬢は、ノートを閉じて、鞄の中にしまった。

「ヴラン・カァンの情報だけを当てにはしたくないわね。また、強迫しかねないわ」

 そう言って、ユリア嬢は、フレイの方を見た。

 アポォリオンの破壊と同様に、アポォリオンが飾りものだとわかれば、国内外の敵が、侵略をしてくる可能性がある。もちろん、ルマリアの国際的な役割・立ち位置を考えれば、太古の陣取り合戦のようなものに巻き込まれることはないだろうが、それでも、安心は出来ない。民族紛争が、ケティル1世によって鎮められてから、およそ80年。火種がすべて消えたとは、安心していいきれないところがあった。

 もしヴラン・カァンが、アポォリオンに命令を植え付ける方法を知っていた場合、確実に、フレイの封印を要求するだろう。

 人ひとりの命と、ルマリア国という命。

 このふたつを天秤にかける時が、来るかもしれなかった。

 フレイは比較的、明るい調子で、ユリア嬢を安心させるように、応えた。

「いまは、ヴラン・カァンと話しをすることだけを考えよう。もし、強迫してきたって、その場ですぐに応える必要はない。仮に、アポォリオンが、飾り物だって言うのが、他国にばれたとしても、その翌日に侵略されるなんてことは、めったにないよ。時間ならある」

 時間はあるが、結局は答えを出さなければならないことには違いはなかった。

 フレイは、目を伏せた。

 ヴラン・カァンが、アポォリオンの情報を知っていることを心の中では望みつつ、やはり、彼女がどう出てくるのか、心配になった。自分が、ルマリアのために、捧げ物にならなければならないのだろうか。しかし、フレイにとってみれば、ルマリアにそこまで報いる義務はなかった。強制的に捕獲され、ファイターとして、無理矢理戦わされているだけなのだ。それなのに、この国を守るために、命を捧げることが、自分のためになるのか、疑問にしかならなかった。

 部屋の小さな窓から、西日が入ってきていた。

 蛍光灯の光で、赤い光線は薄められているが、小さな窓の外は、燃えるように、赤く染まっていた。




 3人は、しばらくユリア嬢の部屋にいたが、日が沈み、外が暗くなってきたため、部屋を出た。

 トライアグリの建物を出るときに、簡単な尋問が行なわれ、フレイとアンダンテが、不審なものを持っていないか、簡単な身体検査が行なわれた。と言っても、アンダンテは、人に体を触られるのがいやだったらしく、服のポケットを簡単に調べる程度で済んだ。

 トライアグリを後に見ながら、3人は、星満点の空の下を歩いた。

 ユリア嬢が、声を潜めて、フレイとアンダンテの方に話し掛けてきた。

「まだ検問を引いているなんて、意味のないことだと思わないかしら?」

 フレイは小さく笑いながら、応える。

「でも、侵入した人間を検問するんだから、ちょうど役割を果たしたことになるね」

「確かにそうだけど」

 ユリア嬢は、前を向いて、やや腑に落ちないというような顔をした。

「それは、侵入したわたくしたちから見てのことで、侵入者が誰かわからない状況で、いちいち検問をしたところで、あまり意味はないと思うわ。第一、どうして、侵入者が、どうどうと建物の玄関から出るというの? 普通なら、そう言うところを避けて、出るんではなくて?」

「警備が厳重で、玄関以外に抜け道がなかったとしたら、玄関で検問を引く意味があるんじゃない。でも、いつ侵入されたのかが不確定だから、実際のところあまり意味がないと思うけどね。それにケティル3世も最初から、ユリア嬢のこと疑っていたようだし」

「スカートめくりのこと?」

 フレイは、少し間を置いて、頷いた。

「スカートの中に鞄があるの、ばれてたんじゃないの?」

「それは、考えられるかも知れないね。あの人はわたしが太ももで止める鞄を持っていることを知っているから」

 そう言うと、ユリア嬢は足を速めた。

 フレイとアンダンテもそれに合わせて歩いた。

 三日月が夜空にくっきりと浮かんでいる。ひんやりとした風が吹き抜け、トライアグリに向っていった。街はまた夜の闇に沈もうと、店をたたみ始めていた。道を行く人たちも、名残惜しそうに、それぞれのねぐらに戻って行く。

 3人は、ひとけが少なくなっていく街の様子を見ながら、街外れに向った。




 月の位置を確認して、フレイは、だいたいの時刻を調べる。

「22時を過ぎた辺りかな」

 遺跡は静まりかえり、虫の鳴き声が、1、2匹ほど鳴いている程度だった。

 月と星の明かりのおかげで、一応視界は晴れている。どこか海の中にいるような、涼しげな印象だった。古びた遺跡ではあったが、薄気味悪い印象はまったくなく、透明な空気の中で、心のわだかまりがすべて解けていくような気持ちにさせてくれる。昼間の蒸し暑さなど、想像もつかない。美しい世界が広がっていた。

 3人は、遺跡中央の四角い建物の天井に昇り、寝っ転がって星の瞬きを見ていた。

 誰も話し出さずに、ただ、そこで、ゆっくりと呼吸だけをしていた。何か思い思い、感じることがあるのだろう。しかし、それを、口には出さなかった。澄んだ美しさが、地上に降り注ぎ、3人を圧倒していたのかも知れない。眠りを誘うような、静寂であったが、目は冴え、ただ空を眺めることに没頭した。

 フレイが、ルマリアに来て、一番良い点は、街が早く寝静まることだと思っていた。天体観察するには、もってこいの場所である。街の明かりはすべて消え、自然の光が、街灯になる。その街灯を遮るビルなどの、巨大な建造物もなく、月や星の明かりだけで、十分なのだ。

 少し離れたところから、砂利を踏む音がして、フレイと、アンダンテは、目を合わせた。

 その足音は、少しずつ近づき、四角い建物の近くまでたどり着くと立ち止まった。

 フレイと、アンダンテが、上体を起こし、それに気づいたユリア嬢も同じように体を起こした。

 天井の端に、手がかけられ、フードを被った頭が覗いた。

「のんきに星空観察をしているの?」

 ヴラン・カァンである。その声は、昼間聞いた声よりも、ずいぶん女らしくなり、星明かりの降り注ぐ夜にとてもあっていた。しっとりとした、柔らかさがあり、そして、小さい澄んだ声が、耳に心地良く届いた。

 ユリア嬢は、立ち上がり、ヴラン・カァンの方に歩いて行く。それから少し笑みを含んだ声で、話し掛けた。

「今日は、私を殺そうとしないでしょうね?」

 ヴラン・カァンは、ニヤリと口を曲げ、ユリア嬢の方に手を差しのばしながら、応える。

「えぇ、いまその命令は、止められているわ」

 ユリア嬢は、ヴラン・カァンの手を取って、天井に引き上げた。

「フレイを吸収したいって気持ちは?」

 ユリア嬢のその質問には、応えずに、ただヴラン・カァンは、微笑むだけだった。珍しく彼女は、フードに手をかけ、顔を露わにした。

 初めてヴラン・カァンの顔を見るユリア嬢は、感嘆の声を上げた。

 相変わらずヴラン・カァンは、美しかった。フードで圧されていたブロンドの髪に空気を通すように、大きく髪を掻き上げた。夜風になびくその髪は、月明かりの中でも、きらめいて見える。強い視線は、ユリア嬢をとらえ、魅了しているように見えた。

 ユリア嬢は、フレイのほうにゆっくりと、振り返り、呆けた顔で呟いた。

「美人ね」

 フレイは、少し苦笑いをして、頷いた。

 ユリア嬢と、ヴラン・カァンは、フレイとアンダンテのほうに歩いて来て、4人は、円を描くように座った。

 何とも不思議な会が始まったことだろう。一言も喋らないアンダンテ。フレイを吸収したがっているヴラン・カァン。皇女ユリア嬢。そしてイドの研究者兼ファイター、フレイ。

 単刀直入に、ユリア嬢が、隣に座っているヴラン・カァンに話し始めた。

「変に交渉などしないは、あなたの知っていることを教えて欲しい。アポォリオンを鎧に封印したあと、術者の命令を聞くようにしたいの。方法は知っている?」

 ヴラン・カァンは、目を閉じて、首を横に振った。

「残念だけど、覚えていないわ。黒い装丁の古書に、封印のための方法がまとめて書かれていた。あの本が、おそらくはケティル1世が、いままでの呪術書から新しく自分のオリジナルの魔法を造り、それをまとめた本だったらしい。あの部屋の本は、ひととおり、目を通しておいたけど、封印のための方法が書かれていた本はあれだけだった」

 その言葉に、ユリア嬢が、肩を落とした。

「それじゃあ、あなたが知っているのは、封印するための方法だけと言うことなのね」

「私にとっては、その部分さえ知っていれば良かったから。フレイを吸収するだけだから、私に対して命令をかける必要はない」

 フレイは、あぐらをかいたまま、後ろに体を傾けた。

「そうすると、もうこの会のメインテーマは終了しちゃうね。何か、アポォリオンを制御する別の方法は無いのかな。ケティル1世が作り出したのであれば、僕たちでも、作る事は可能だよね」

 ヴラン・カァンは頷き、話を続けた。

「基本的には、ルマリア語で、命令をするだけだから、文章の意味と言うよりも、その言葉が、音波として、命令したい物体に干渉して、つまり、封印するときは、方陣を反響させること。命令させるときは、鎧に反響させ、その中の空洞に封印されている精神体に波動を伝達して命令を聞かせる。確か最初、お姫様がアポォリオンに手をついて、命令させていたよね。あれは、声の振動と、手から伝わる振動を二重に掛け合わせてたって事だと思う」

 ユリア嬢は顔を起こして、ヴラン・カァンに尋ねる。

「そうすると、ただ“私の命令を聞きなさい”と言うだけでも、制御することが可能と言うことになるけれど?」

「理論上は可能だと思うわ。ただ、私が読んだ文は、それの、10倍以上の長さがあった。言葉の反響させ方が、影響しているのかも知れないけれど、そこまでわからないわ」

 つまり、言葉――1音によって、使われる音域が違うため、それを並び替えて、文章にしたとき、呪術としての法則が生まれると言うことだろう。

 フレイは、話を聞きながら、思考を巡らせていた。

 だとすると、ルマリア語のそれぞれの音の波長を調べて、ほかの命令文と比較しながら、制御するための文章を構築していくことが、出来る。しかし検証をすると言うことは、いろんな文章を試すと言うことだから、不意にフレイの脳裏に問題が生じた。

「ねぇ、気づいたんだけど、封印した鎧から、精神体を出す呪術もあるんじゃない?」

 フレイの言葉に、ヴラン・カァンは驚いた顔を見せた。話が急に飛んだことも、原因のひとつだが、それ以上にフレイの直感に驚いた様子だった。

「それは私からは言えない」

「あるんだ」

 フレイは頷いて、また思考を巡らそうとした。そこへ、ユリア嬢が、前のめりになって、ヴラン・カァンに詰め寄った。

「だとすると、フレイを吸収しても、それを使えば、助けることが出来ると言う事ね!」

 ヴラン・カァンは、目を大きく見開いて、ユリア嬢を見た。

 フレイも顔を上げて、ふたりを見た。フレイは気づいたのは、アポォリオンに関しての封印だったのだが、確かに、ユリア嬢の言う通り、ヴラン・カァンの中に入っても、その呪術を使えば、出てくることが出来る。それを知れば、例え、封印されたとしても、助けてもらえることが出来るのだ。

 ヴラン・カァンは、押し黙り、目を伏せた。

 ユリア嬢が、ヴラン・カァンに近づき、その肩に触れて、顔を覗き込む。

「教えて、もしフレイをあなたが吸収したとして、もしも、フレイがあなたの中で変なことをしていたらどうするの? その時は、ちゃんと出さなきゃダメでしょう。中にいるフレイが、あなたの中を気に入って、出てくるための呪術を話させようとしなかったらどうするの? いま、わたくしに教えておいた方が、安全よ」

 フレイは、口を開けて、ユリア嬢の説得の言葉に、唖然としてしまった。そんな説得のしかたはないだろうと、思いながら、あえて指摘はしなかった。

 ヴラン・カァンは顔を上げて、フレイの方を向いて、にこやかに話す。

「大丈夫。優しくしてくれるよね?」

 ユリア嬢が、首を振ってそれを否定する。

「男なんて豹変する生きものよ。手に入れたと思ったら、急に手の平を返す。体の中に入れてしまっては、もう何もかも遅いのよ」

「フレイは違うわよ」

 ヴラン・カァンが反論するが、ユリア嬢は、鼻先がつく勢いで、顔を寄せて、話した。

「人は見かけによらないものよ。第一、フレイは良くても、フレイの中にいるもうひとりのフレイは、どうするの。居候がふたりもいることになるのよ」

「でも封印するときは、体を消滅させて、精神体だけの形にしないと――」

 ユリア嬢は、ヴラン・カァンの言葉を遮って、にっこりと微笑んで応えた。

「わたくしが、何も考えずに呪術を行っていたと思っているの? いくつかのワードを置き換えれば、体を残したまま、精神体を出すことも可能よ。体は保管しておけば、封印解除後、また元に戻せばいいのよ。さァ」

 ユリア嬢が詰め寄ったとき、アンダンテが、立ち上がった。

 全員の注目が、あつまる。

 と同時に、遺跡の周囲に明かりがつき、フレイたちがいる建物を明るく照らした。

 フレイたちはまぶしさに目をしかめた。手をかざして、なにが起こったのか、周囲を確認する。遠く1キロほど離れたところに、大型のビーム系の照明が設置されている。セキュリティと同じで、ルマリアにもともとあったものではないものだろう。おそらくは、地球から輸入してきた設備だ。

 アンダンテが、素早く建物の端に滑り込み、腹ばいになって、周囲の様子を確認する。それからフレイの方を向いて、手招きをした。

 フレイは、すぐにアンダンテの隣に腹ばいになって、並んだ。アンダンテは指を指し、およそ、100メートルほど先を進んでくる人影を、示した。フレイは頷き、それから、アンダンテに、左手側の様子を確認するように、指を指して、自身は、右手に回った。中央にいたヴラン・カァンに反対側の様子を探るように、指を指すと、彼女はすぐにその意図を理解して、走った。

 どうやら、周囲を完全に包囲されているらしい。建物の右手を確認したフレイは、遠くを走ってくる人影を確認して、アンダンテと、ヴラン・カァンの方に振り向いた。彼女たちも、フレイの方を見て、首を振った。予想通りである。

 しかし、たかが人間に、フレイや、アンダンテ、ましてヴラン・カァンを止められるものなど、この国にはいない。ファイターとしてもほとんど最強のアンダンテだけでなく、さらにそれを凌ぐ力を持っている魔人ヴラン・カァン。イドの力を解放したフレイがいるのだ。包囲するだけ無意味だろう。エレボスの波動を放ち、体を回転させれば、一掃できてしまう。しかし、相手が誰であるか、そもそも、4人に危害を加える気があるのか、それがわからない以上、無駄に攻撃する必要はない。

 フレイは、3人に声をかけた。

「空から逃げよう。無駄に戦う必要はない!」

 3人が頷いたとき、フレイは、悪寒を感じた。

 空を見上げる。

 光を照射されているため、夜空がハッキリと見えないが、何かが、飛んできていた。

 それは、一直線にユリア嬢の方に向って突っ込んできている。

 始めに動いたのは、フレイよりもはるかに身体能力が高い、アンダンテだった。フレイが飛び出したときには、アンダンテの体は、空中で、その物体と、接触していた。

 ユリア嬢から、およそ3メートル上空で、アンダンテは、それを押し止めようとした。しかし、あえなく、突き飛ばされて、建物の天井に穴を開けて、吹き飛ばされる。

 その物体が、ユリア嬢に直撃するギリギリのところで、フレイが、ユリア嬢の体を抱えて、横に飛んだ。

 それは、建物の天井を貫き、轟音を響かせて落下した。

 フレイは、転がりながら、器用に立ち上がり、建物の端まで下がった。ヴラン・カァンが、両手にエレボスを溜めるのが見える。フレイも遅れながら、エレボスの干渉領域を広げて、いつでも、ユリア嬢をつれて逃げる用意をした。

 すれ違いざまに見たそれは、動くはずのないものだった。見間違いだと思いたかったが、すぐにその考えは、打ち消されることになる。

 天井に空いた大穴と、アンダンテが吹き飛ばされたときに出来た大穴。その二つは、ひとつになって崩れ、天井の半分を破壊した。崩れ埃が立ち上る中、四方からビームを浴びて、黒い巨体が、飛び出してきた。

 ちょうどフレイと、ヴラン・カァンの間にそれは、膝をついて着地した。左手に何か持っている。まるでぞうきんを無造作に持つように、アンダンテの頭を掴み上げていた。右手には、見覚えのある大剣を持ち、まさにその姿は、アポォリオンそのものであった。

 ユリア嬢が、フレイ越しに、驚愕し、そしてぐったりと掴まれたままになっているアンダンテに声をかける。

 しかし、ユリア嬢の声が、届かぬように、アンダンテは、頭を掴まれたまま地面に体を突っ伏していた。死んではいないはずだ。フレイの願いでもあった。そう簡単に死ぬような人間ではない。

 アポォリオンは、ゆっくりと巨体を起こし、遠くに視線を向けるように顎を上げた。全身を鎧に包んだその姿は、誰かの命令で動いているような、ぎこちなさはなく、しなやかで、自分の意志を持っているかのようだった。昔の動きとは、何か違う。

 そよ風が吹きぬける。

 アポォリオンは、左手に持っていたアンダンテを後に投げ捨てた。

 フレイは助けに行きたかったが、ユリア嬢を庇って身動きがとれなかった。そのためか、ヴラン・カァンが、素早く飛び出して、アンダンテを受け止める。

 ヴラン・カァンは、アンダンテの口元に手をかざして呼吸を確認する。フレイのほうに見て、首を縦に振った。

 その時、アポォリオンの方から声がした。

「冷たい風だ」

 フレイは、驚いて、目を見開いて、アポォリオンを凝視した。

 アポォリオンが、フレイのほうに体を向け、まるでニヤリと嘲笑するかのように、頭を斜めに傾けた。

「さァ、ユリアを渡せ。いまなら、全員の命を助けてやるぞ」

 その声は、アポォリオンの鎧の頭部にある隙間から、深く振動するように響いてきた。アポォリオンが自分の意志で話しをしているようだった。フレイは、突きつけられた大剣の先に注意しながら、いつでも逃げ出せるように、エレボスの干渉領域を体の周囲に集めた。

「しゃべれるのか?」

 意を決して、フレイが問いかけると、アポォリオンは高笑いをした。

「ただ鎧に封印されただけだからな。この鎧自体は、私の身体を外に漏らさないようにする以外に効果はない。私の意識までを封じられていたわけではない。もちろん、鎧の中に封じられた瞬間は、すべてがごちゃごちゃに入り交じっていたため、精神とエネルギーを分解するのに手間取ってしまったがな。ふたつを分けてしまえば、私はただ新しい体を手に入れただけと言うだけだ。嬉しく思うぞ。また無能なものに従わなければならないかと、鬱になりかけていたところだ。ハハハハハ!」

 あざ笑うようにユリア嬢に顔を向けて、卑しい口調で話し掛けてきた。

 鎧に封印しただけでは、封印した精神を、制御どころか、沈めることも出来ていなかったと言うことだ。ヴラン・カァンの目的のために、思えていたこと――つまり、フレイを吸収するための方法しか覚えていなかったために、アポォリオンの精神が解き放たれたままになっていたのだ。もしヴラン・カァンが、フレイの精神を押さえ込む考えを持っていれば、アポォリオンを封印して、さらに精神を押さえることが出来たかも知れない。今さら過去を呪ってもしかたがなかった。

 アポォリオンの目的は、ユリア嬢を殺すこと。それは、封印された精神を、制御されないようにするためだろう。だとすれば、まだ制御するためのチャンスはあると言うことだ。

 フレイは、背後にいるユリア嬢に目配せをする。彼女も気づいているのか、口を真一文字に結び、驚きと言うよりも、集中して、アポォリオンを見ていた。

 何にしても、戦うことはあまり意味がなかった。なぜならアポォリオンの鎧を破壊すれば、ただ精神体が、出てくるだけで、それでは、倒したことにはならない。本当の意味でアポォリオンを沈めるには、制御するしかないのだ。

 緊張する空気の中、建物下から声が聞こえてきた。

「ヴラン・カァン。まさかお前も裏切っていたとはな」

 建物の屋根の端に手がかけられて、顔を出したのは、ケティル3世だった。

 すでに建物の周囲は、囲まれている。ビーム光が照らしているために、建物のしたにいる人間が、黒く飛んでハッキリと姿が見えるわけではないが、軍服を来ているわけではなく、上半身裸に、簡単な鎧を着込んでいるんを見ると、どうやらファイターたちのようだった。

 ケティル3世は、屋根の上によじ登り、かかとを鳴らして歩いてきた。まるで自分が、この空間の支配者とでもうように、何の警戒心もなくアポォリオンに近づいていく。その様子を、フレイは怪訝な顔で見守っていた。まるでふたりが協力関係にあるとでも言うように、ケティル3世には警戒心がなかった。アポォリオンの話しでは、いま彼は野放しの状態だ。だとすれば、ケティル3世の命令でアポォリオンが動いていない以上、不用意に近づくのはあまりにもおかしな話しだった。

 ユリア嬢もフレイと同じような顔つきで、その様子をうかがっていた。

 ユリア嬢の顔に気づいたケティル3世が、不敵な笑みを造る。

「かわいい妹。お前は、どうして俺がアポォリオンと一緒にいるのか、わからないと言った顔をしているなぁ」

「お兄様には、アポォリオンを操る力がないはずでは?」

「おお、おお、もちろんだとも。操っちゃいない。ただいま、俺とアポォリオンは、協力関係にあるって事だ」

 そう言うケティル3世の体から、紫色の湯気のようなものが立ち上った。それは、鎧に封印される前のアポォリオンがまとっていた闘気とまったく同じものに見える。フレイは、それに気づき、声を出した。

「契約をしたのか?」

 ケティル3世は、フレイの方に顔を向け、見下すように目を細めた。

「契約? 取引と言ってもらいたいなァ。俺はアポォリオンの力の一部をもらい、そして自由を与え、ユリア嬢を差し出した」

「自由だって? アポォリオンが自由なのは、あんたに関係ないだろう」

「いちいちそんなところまで説明しなきゃ何無いのか?」

 ケティル3世は、眉を上げて、顔をしかめた。

 ユリア嬢が、フレイの代わりに話す。

「教えてください。どういう事ですか? わたくしを差し出したとは、意味がわかりません」

 ケティル3世は腰に手を当てて、勝ち誇るように応えた。

「アポォリオンが精神とエネルギーを分解させ、目覚めた時、アポォリオンの台座に鎮座されていた。しかし、台座は、鎧を拘束する働きがあったらしいからな。そこから運び出すことを俺が指示したんだ。ユリア、お前がバトルアリーナの部屋を使っているあいだに、トライアグリの部屋に盗聴器を仕掛けておいたのさ。それで、アポォリオンが、お前の命令を聞かないと知った。そして、俺はなんとかアポォリオンを制御できないかと、調べ回っていた。結局調べは上手くいかなかったが、運良くアポォリオンとコンタクトが出来た。偶発できなことだが、これも運命だ。さァ、ユリア」

 そこでケティル3世は言葉を句切り、手をさしのべながら、言葉を繋いだ。

「俺のために死んでくれ」

 そう言うケティル3世の瞳は、赤く呪われたような光を灯していた。

 まるでアポォリオンに取り付かれたようであった。

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