第18話 邪悪なるものの愛情

 落下するルイーゼの手を掴み、ふたりは、アポォリオンから距離をとった。

 首を切断されたアポォリオンは、切り口から、大量の体液を溢れさせていたが、それは、地上に降り注ぐ前に、霧になって、またアポォリオンの体に吸収された。切り口も、水が吸い付くように、あっという間に塞がる。悲鳴すら上げずに、平然とした様子で、アポォリオンは、フレイたちの方に顔を向けた。

「これは俺たちの手には余るなぁ」

 ルイーゼは、フレイに支えられながら、困ったように小さく呟いた。

 フレイは、少しずつ後退しながら、冷静に分析をした。

「肉体を持っていないため、物質的な攻撃では、ダメージを与えられないみたいだ。剣で切っても、形状が元に戻ると言うことは、微塵に切り裂いたとしても、根本的な解決にはならない。体内からのエレボスの攻撃は吸収されたが――」

 フレイは、手の平をかざして、エレボスの光弾を打ち出した。

 光弾は、アポォリオンの、首元に着弾し、外皮を破裂させる。切り裂いたときと同じように、体液が、飛散したが、アポォリオンが痛みを感じ取ったというそぶりは見せなかった。飛散した体液も、また同じように吸収される。

「エレボスの攻撃も、あまり意味がないか」

「冷静な分析はいいが、余計なことをして、刺激をすると……」

 ルイーゼは、呆れたような口調で言うと、アポォリオンを指さした。

 アポォリオンは翼を広げて、遠吠えを上げると、ふたりの方に飛行してきた。

 フレイは慌てて急旋回し、高速で飛行した。バトルアリーナの方に一直線に向う。

 飛行中、ルイーゼが、落ち着いた口調で、話し掛けてくる。

「向こうの方が早いみたいだぜ。どんどん近づいてくる」

「当たり前だ、こっちはふたり分だからな! ここで下車するか?」

「それは困る。頑張って飛んでくれ」

 フレイは舌打ちをした。

 頑張ったところで、アポォリオンの方が俊敏なのは、すでにわかっていることだ。追いつかれるのは時間の問題で、解決しなければならないのは、追いつかれたあと、いかにアポォリオンの攻撃を交わすかである。

「ルイーゼ! 攻撃してきたら、避ける方向を教えてくれよ」

「右に1メートル」

 間髪入れずにルイーゼが言うと、フレイは、体を捻って、エレボスの気流を変化させて、右に1メートルほど、スライドする。しかし、アポォリオンの攻撃はなく、振り返れば、わずかだが、まだ射程距離には入ってない。

 ルイーゼは、笑いながらフレイの顔を見た。

「いまのは実験だよ」

 フレイは、キツイ目つきでルイーゼをにらみつけると、なにも答えずに、前を向いた。

 またルイーゼが声をかけてくる。

「今度は本当だぜ、右に1メートル」

 同じようにフレイが急速にスライドすると、今度は、間違いなく、アポォリオンの首が、フレイのいたところに噛みついてきた。アポォリオンは鎌首をもたげるようにして、首を引っ込めると、続けざまに、噛みついてくる。そのたびにルイーゼが指示を出し、フレイはそれに従って、避けていった。

 アポォリオンはついにフレイたちの真上にまで追いつき、首だけではなく、短い手のを使って、攻撃をしてきた。

 バトルアリーナは、目の前まで来ていた。円状に空いた天井からは、強い明かりが漏れている。天井の縁に人影があり、飛んでくるフレイの方に向って手を振った。

 ヴラン・カァンである。

 彼女は、ローブを翻し、空中に飛翔すると、フレイのほうに飛んできた。それから、両手を前に付きだし、周囲のエレボスを一点に集中させ、それを放出した。太いエネルギーの奔流が、アポォリオンの首から胴体を貫き、後方に体液を散乱させる。もちろん、それだけでは、アポォリオンは倒せない。しかし、体液が、元に戻り、形を形成するまでのあいだ。フレイたちは、アポォリオンから離れることが出来た。

「用意は出来ている!」

 ヴラン・カァンの言葉に、フレイは、頷き、掴んでいたルイーゼを、バトルアリーナの天井の方に投げる。じゃっかん高度があったが、ルイーゼなら、怪我をせずに着地できるだろう。文句を言う声が、聞こえていたが、構っていられない。フレイは、ヴラン・カァンと並んで、飛来してくるアポォリオンに視線を向けた。

「いまから、奴を封印するが、邪魔をしないんだろ?」

「封印なら、いつでも解除できるからね」

「いやな奴」

「第一の目的は、フレイ、あなたを私のものにすること。そしてその次に、アポォリオンを解放し、世界中を、破壊する。それが、私の生まれてきた理由だから。魔人としての生命は、すべてを破壊するためにある」

 フレイは、彼女の言葉に悲しさを覚えた。ヴラン・カァンが、魔人として、自分の生き方を決めた。その考えが、あまりにも、酷であやまっているとしか思えなかった。自分の生き方なら、魔人として生きる必要はないだろう。

「すべてを破壊するものとして生まれた魔人の中にも、自分のために、生きた奴を、僕は知っている」

「破壊することが自分のためだとしたら? それは自分のために生きていることにならない?」

「そいつが天の邪鬼だったのかも知れないね。人を守るために戦って、そして、死んだよ」

「私が生まれる前に、この世界にいた魔人たちのことを行っているの?」

「そう。これが終わったら、教えてくれないかな。魔人の意識はどういった過程で生まれるのか?」

 ヴラン・カァンは、女性らしい口元に形状を変化させ、にっこりと微笑んで、呟いた。

「私とひとつになれば、聞く必要はないよ」

 アポォリオンが、ふたりのあいだに飛翔する。突風が起こり、ふたりは、左右に分かれた。

 バトルアリーナの上空をアポォリオンが旋回して、フレイとヴラン・カァンの方に体を向ける。ふたりは、同時に、アポォリオンに向って飛んだ。

 エレボス波では、攻撃を与えることは出来ない。だとすれば、ふたりが、バトルアリーナの方に逃げ込むように誘い出し、自分から、アリーナの中へ入るように仕向けなければならない。

 フレイは、エレボスを凝縮した小さなつぶてを、いくつも放った。それはアポォリオンの体に着弾すると、掘削するように、表面を抉る。炸裂するたびに、体液が飛び散るが、礼によってそれは、すぐに体の中に吸収された。

 正面からフレイが攻撃を仕掛けると、ヴラン・カァンは、側面に回り、先ほどと同じような、攻撃的なエレボス波を放つ。強力な一撃は、翼の根本を抉り、翼と胴体を、切り離す。ほんの少しの間だけだが、体が重力の影響を受けたように落下を始めるが、翼と胴体がまた接着して、空中を浮遊した。

 それを見ていたフレイは、ヴラン・カァンに向って叫んだ。

「おそらく、羽ばたいて無くても、エレボスの流れを掴んでいるから、空を浮いていられるんだ。バトルアリーナの真上に誘い出して、翼を破壊する」

 ヴラン・カァンは頷いて、自分の方に首をむきかけたアポォリオンに向って、飛んだ。

 彼女はアポォリオンの攻撃を交わしながら、器用に、バトルアリーナの方向に誘導して、飛行した。

 フレイは、ニヤリと微笑み、両手に、エレボスを集中させて、翼を破壊するためのエネルギーを溜める。すでにイドの精神が目覚め、体の命令系統が、フレイ本体よりも上位に位置しているため、遠慮無く、エレボスを溜めることが出来た。暴走はしていないが、体は乗っ取られていると言っていいだろう。

 アポォリオンに気づかれないように、フレイは、真上に回り、バトルアリーナの直情に入るのを待った。

 バトルアリーナの天井には、ルイーゼやアンダンテが、フレイたちの様子を見守り、円にくりぬかれた天井からは、米粒ほどの大きさであったが、ユリア嬢や、ほかのファイターたちが見上げていた。方陣が、でかでかとアリーナの舞台に描かれている。舞台自体は、砂地であるため、青いシートを貼り、その上に、黄色いペンキで描いたようだった。光に反射して、フレイにいる位置からでも、方陣の模様が、ぼんやりと浮かび上がっている。

 アポォリオンが、バトルアリーナの直情に来た時、首を下に向けて、方陣に顔を向けた。

 しかし、フレイが、エレボス波を放つ方が早かった。

 ヴラン・カァンが放った奔流の数倍極太のエネルギーが、空気中の分子を振動させ分解し、放電しながら、轟音を轟かせた。

 直撃したかに見えたその攻撃は、アポォリオンの予想外の変化に、よって交わされてしまう。

 アポォリオンは、首を下に向けたまま、体の中心から、ドーナッツのように、円上に体を広げ、フレイの攻撃を、素通ししたのだ。

 フレイは、歯ぎしりをして、エネルギーを止める。しかし、すでに放たれた部分は、バトルアリーナの方陣に吸い込まれるように直進した。

 ヴラン・カァンが、斜め上から、直進するエレボスの流れに向って、光弾を投げつけるが、強力な流れに巻き込まれて、爆発を誘発させることは出来ない。

 バトルアリーナにいる人間たちは、一瞬の出来事のため、反応し切れていない。突っ立ったまま、見上げているばかりだ。

 天井を突き刺すように、流れるエレボス波を、誰も止めることは出来ないように思えた。

 しかし、天井付近にいたルイーゼと、アンダンテは、果敢にも、そのエネルギーに向って走った。

 アンダンテの体が、金色の闘気をまとい、ルイーゼの剣が、長く伸びる。

 ルイーゼが、体を浮かせたところに、アンダンテが、足をかけ、蹴り飛ばす。アンダンテに蹴り飛ばされた、ルイーゼは、直進してくるエレボス波に斜めに突っ込んだ。

 ルイーゼと、エレボス波がぶつかる。しかし体を浮かせることが出来ないルイーゼでは、流れを完全にせき止めることは出来なかった。ルイーゼが突っ込んできた運動エネルギーと、剣を振った回転エネルギーが、エレボス波のスピードを弱めたが、ルイーゼは、勢いよくはじき飛ばされて、天井の上に転がり落ちた。

 だが、もう一段アンダンテが、クッションになり、エレボス波を、両手で抱えるようにつかまえた。

 アンダンテは、ルイーゼが、エレボス波を止めている一瞬のうちに、アリーナの舞台の上に落下、間髪入れずに、跳躍してきたのだ。

 エレボス波を抱えるという、常人には考えつかない事でも、アンダンテのようにアニムスの力を使えば、可能である。アンダンテのアニムスは、体を闘気が包み、基礎的な肉体の能力を上げる。エレボス波は、アンダンテに抱えられ、直線だったエネルギーの流れが、球状に集約した。

 アポォリオンは、形状を戻し、バトルアリーナの上から離れようとしたが、そこにアンダンテがつかまえたエレボス波を投げ込んだ。アポォリオンの体は、お腹から、半壊し、体液を大量に溢した。さらにエレボス波の威力は弱まらず、体を貫通して、翼の半分以上を、消し飛ばした。

 アポォリオンの体が、ゆっくりと傾き、バトルアリーナの天井に向って降下する。

 風を切る音が、辺りに響いたかと思うと、アポォリオンの体が天井に落下し、天井付近を破壊しながら、バトルアリーナの中に落ちていく轟音が、静かな街に響き渡った。瓦礫が下の客席に降り注ぎ、噴煙が、立ち上る。身もだえしながら、アポォリオンが、舞台上に降下する。

 空中で消滅した翼が、ひとつに集まり、アポォリオンのほうに飛んでいくが、フレイはそれを背後から攻撃して、また散り散りに砕いた。

 舞台の端では、準備をしていたファイターやユリア嬢が、客席の方に避難していた。青いシートは、砂地に深く縫い付けているらしく、アポォリオンが転がり落ちても、皺を造る程度で、方陣はそれほどの乱れはなかった。

 ユリア嬢が、客席の淵に立ち、両手を広げる。

「呪文を教えてきたの?」

 フレイはヴラン・カァンに尋ねた。

「少し長いけど、一発で彼女は覚えた。知的な子さ。方陣の上にいると、巻き込まれて鎧の中に封じ込められるぞ」

 ヴラン・カァンは、フレイの手を取って、後に下がらせる。

 フレイの位置からは、ユリア嬢の声が聞こえないが、何かを唱え始めたらしく、方陣が、うっすらと輝き始めた。円の中にアポォリオンの体が治まり、周囲を風が取り囲む。方陣の輝きは、やがて、周囲の照明よりも白くなり始めた。

「僕がとらえられたときとは、少し現象が違うな」

「これは、第二段階目。フレイの場合は、まず体から精神体を取り出す作業をしなければならないけど、アポォリオンはすでに精神体だから、段取りを省くことが出来る」

「そう」

 ふたりは、アポォリオンを見下ろしながら、崩れた天井の端に下りた。向かい側の天井の縁には、アンダンテと、ルイーゼがいて、同じように、固唾を呑んで見守っていた。

 方陣の周囲には、結界のようなエレボスの渦が巻き起こり、それが現実の物資に干渉して、放電を始める。アポォリオンが、尻尾を打ち付けても、その壁にはじかれてしまった。

 消滅した翼が元に戻ると、飛び立とうとそれを広げるが、方陣の中は、エレボスが消えてしまい、空に浮かび上がることすら出来ない。どうやら、法人の中心で渦を起こし、それを外に広げることで、エレボスが入ってこないようにしているのだ。流れ込もうとするエレボスは、外の流れに遮断されている。

 天井の端に膝をついて座り、客席のほうに視線をやると、観客席の一部が取り払われ、黒い鎧が、立てられていた。アポォリオンを封印する変わりの鎧だろう。

 フレイは、ヴラン・カァンを見上げた。

「アポォリオンは、吸収しないのか? 奴の力は、僕以上だけど」

「私だって、相手を選ぶ。けだものを腹の中に住まわせたところで、気持ちの良いものではない」

「そうか、封印すると言うことは、アニムスのように、半魔人を体の中で住まわせると言うことと同義なんだな」

「アニムスは、魔人にしてみれば、未熟な自分を生かすための苦肉の策だが、人間にしてみれば、自分の実力以上の力を得られることになり、ある意味、進化とも呼べる。これは、いままでの歴史において、知識という無形のものを伝達することで、他者を取り込んできた。それを、他者もろとも、自分のエネルギーに変換し、新しい力と、普通ではえられない能力をえようとするのだ。それは、人間だけではない。魔人だって同じ。自分と同程度の能力か、それ以上の能力を持つ者を、体の中に寄生させることで、力を得ることが可能なの」

 主従の関係を作る事らしいが、フレイにはそれがよいものであるとは思えない。

 ヴラン・カァンが、アポォリオンを取り込まないのは、寄生させるつもりが、いつの間にか主従を逆転されて、自分の精神が無くなることを恐れているのではないだろうか。フレイの中にいる、もうひとりの自分も、アポォリオンがフレイの体を取り込むことに対して、緊張いていた。それは、やはり、自分よりも立場が上のものから、支配されることを恐れていることに他ならないのだろう。

 儀式は順調に運んでいるように見えた。

 獣の形をしていたアポォリオンの姿が、液状に形状変化し、球体となって、方陣の上でふわふわと浮いている。

「アポォリオンを、僕の中に取り込めばどうなる?」

 誰ともなくフレイは呟いた。

 不意にヴラン・カァンが、フレイの肩に手を置いた。

「馬鹿な考えは止めた方がいい。すぐに自分を食い尽くされるだけ」

「でも僕は、すでに自分のなかにいる自分に、精神を支配されている状態にある。いつ暴走したっておかしくない状態だ。だとすれば、いま身を滅ぼすのも、変わらないんじゃないのか?」

「それは、アポォリオンに、肉体を与えることになる。そうなれば、フレイは、イドの支配から逃れられるかも知れないけど、周りにいる人間はどうなる。肉体を持ったアポォリオンが、すべてを破壊する。邪神は、魔人よりも、セルフコントロールできる存在ではない。衝動に駆られるままに、破壊を繰り返す。あなたが自分以外の人間の仕合わせを考えるのであれば、馬鹿な真似はしない方がいい。自分の問題は、自分で解決しなくちゃ」

 ふっと、フレイは、笑った。肩の力を抜き、立ち上がり、ヴラン・カァンのとなりに立った。

 彼女のフードを取り、顔を露わにする。

 ブロンドの髪が、風に吹かれて、さらさらと揺れた。顔は、身体を重ねたときの美しい顔になっていた。

 フレイはその頬に手を当てて、親指で頬を押さえる。ヴラン・カァンは、フレイの手に自分の手を重ね、瞳を閉じた。フレイは優しくその美しい顔に言った。

「君の本当の気持ちがわからないよ」

「ミステリアスだから?」

 彼女は、頬をなでているフレイの手を取り下に下ろした。それから天井の端ギリギリまで歩いて行って、下の様子を伺った。

 方陣の周囲を取り囲んでいたエレボスの渦が消える。ここぞとばかりに、球状に押し込まれたアポォリオンが形を変えようとするが、ユリア嬢が、両手を大きく振って指揮をするように、鎧の方に投げるような身振りをすると、形を変え始めたアポォリオンは、形状の変化し始めたところ――一番体液の密度が薄くなっているところから順に、鎧の方に引き寄せられていった。




 ヴラン・カァンは、去った。

 アポォリオンが鎧に吸収される終わる頃には、フレイの隣から消えていた。止めることも出来たけど、フレイは離れていく彼女の手を掴まなかった。また必ず自分の前に現われると、確信しているからかも知れない。しかし、細い指がするりと、手から抜けるとき、フレイは微かに悲しみを覚えた。

 舞台上に下りると、ヴラン・カァンの姿が見えない事に気づいたルイーゼが、フレイに詰め寄ったが、それもすぐに治まった。彼の中で、何か変化があったか、どうかは、わからない、まだ魔人を憎んでいるのかも知れないし、魔人をただシンボリックに憎むことに疑問を持っているかも知れない。あっさりと引き下がるルイーゼの背は、なにも物語らなかった。

 バトルアリーナにの舞台に張られていた青いシートを剥がす作業を全員で行ない、いつの間にか、空は薄い青色に変わってきていた。東から昇ってきた太陽が、夜を押して、涼しげな空気を暖める。街を風が渡り、いつもの朝が始まった。

 アポォリオンとの戦いで、ほとんど街には被害を与えていなかったが、何人か、戦闘が起こったのを目撃した人は、いるだろう。アポォリオンの怒号は、まるで、雷鳴のとどろきのような恐ろしさがあった。もしかすれば、雷が鳴っているだけだと思うかもしれないが、騒ぎにならなければよいと、フレイは思った。

 青いシーツは、丁寧にたたまれて、バトルアリーナの地下の倉庫にしまわれた。

 ユリア嬢は、ノートに方陣の書き方と、完成型の図を書き写し、封印の呪文も記してあった。

「秘密の部屋にあった書物は、半分以上が、フレイが暴走したときに吹き飛ばされてしまって、いまも瓦礫の下に埋まっているから」

 そう言って、ユリア嬢は、メモを残す理由を教えてくれた。

 アポォリオンが封印された鎧は、担架に乗せられ、ファイターが、6人がかりで、客席から、王室のブースにまで運び、そこから奥の台座まで持って行かれた。台座に乗せるときも、かなりの人数が、必要なほど、鎧は重量があった。もともと頑丈な作りをしていたと言うことだ。

 ユリア嬢は、運ばれていくアポォリオンを見送りながら、話してくれた。

「封印することは出来たけど、もう私の命令で、動くことはない。封印した精神体は、三段階目のステップを踏んで、初めて、術者の命じた人間の命令を聞くの。それをしなければ、ただの封印された鎧――オブジェでしかない。封印のしかたが、瓦礫の下に眠っていればいいのだけれど、もしそれが出てこなければ……」

「それは、公表しない方がいいね」

 フレイは、ユリア嬢のとなりに立って、呟いた。

 ユリア嬢は、フレイの言葉に頷き、話を続けた。

「運んでいるファイターたちは、アポォリオンが自分で動けば、自分たちが運ぶことはないって言うことに気づいてないからいいけれど、もしその情報が、他国に知れ渡ってしまったら、ルマリアは侵略を受けるかも知れない」

「いつかはばれるだろうけど、それまでに命令させる方法を見つければ問題はない。まずは、瓦礫の下を探そう。それがダメだったら、ヴラン・カァンを探して、情報を聞き出す。それでもダメなら、ケティル2世の書庫の中を片っ端から調べて、何かヒントになるような情報を探す」

「ヴラン・カァンは、もう襲ってこないの?」

「さァ」

 フレイは肩をすくめた。

「また来るだろうけど、ひとつ言えることは、僕ひとりの生死の問題と、この国にいる大勢の生死の問題が、天秤にかけられてるって事で、まァ、僕のことを気にするなっていっても、仕方ないけど、まずは、アポォリオンのことを解決しようよ」

「ありがとう。でも、そっちの問題も簡単に片付いてくれないのよね」

 そう言って、ユリア嬢はため息を漏らした。




 ユリア嬢のため息の理由が、なんだったのか、すぐにわかることになる。

 ケティル3世が、刺傷し、政府の中が、大きくふたつの勢力に別れていたのだ。

 ひとつは、ケティル3世を推す、新政権のグループ。もうひとつは、ユリア嬢を推す、旧政権グループ。アポォリオンが従うのは、本当の意味で王位継承権を持っている証拠だと旧政権グループが騒ぎ立てているのだ。ユリア嬢にしてみれば、どちらの政権が実権を握っても、問題ないと感じていた。ケティル2世が、政治と、アポォリオンの管理をわけさせようとした意志を継いで、どちらのグループが、権力を獲得しても、と言うよりも、ユリア嬢を推すグループが権力をにぎったとしても、ユリア嬢は、女帝として国を治めることは、しないつもりのようだった。

 武力と、国の政治が、同じところにあれば、国の運営が、冷静な判断を忘れ、ただの独裁になってしまう。独裁者が、とてつもなく有能で、万能の才能を持っていれば、ふたつの力を同時に保有しても構わないかも知れないが、それでも、そんな人間ばかりが、アポォリオンの管理者に選ばれるわけではない。

 ユリアが知り得た新しい事実――アポォリオンの管理者は、遺伝子によって選ばれる。それはあまりにも偶発的な要員であり、場合によれば、どうしようもないろくでもない人間が、管理者に選ばれる可能性がある。そうなったとき、政治権力がその管理者の手に渡れば、国の運営が破綻しかねない状況に落ちてしまう。だから、管理者と権力者を分けるのだ。管理者が、政治権力をにぎらないように、つまり、国の人民から支持を得ないような環境に置かれなければならない。出来れば、なにものにも知られてはいけないのかも知れない。ひっそりと山奥に暮らし、ときおり姿を隠して、アポォリオンの指揮のために山から下りてくる、程度で構わないのかも知れない。

 結局、いま政府内を二分している原因も、アポォリオンに選ばれたか、選ばれていないかでもめているのだ。ケティル3世と、ユリア嬢のどちらが、皇帝としてふさわしく、国の進むべき方向を正しく指し示してくれる灯台の灯火になってくれるか、と言う議論には至ってないのだ。話される議題が、焦点からずれている。

「もう、“議論”なんてレベルではないよ」

 ユリア嬢は、ため息をつきながら、書庫の階段を下りた。

「どちらも暗殺騒ぎを起こして、狙われている身にもなって欲しいわ」とユリア嬢は、肩を落とした。

 フレイ、ユリア嬢、アンダンテの3人は、秘密の部屋の片付けをするために、政府の置かれているトライアグリに集まった。秘密の部屋の天井は吹き飛ばされ、すでに秘密の部屋が、政府関係者や、皇族の人間に認知されてしまい、秘密の部屋には、誰でも下りることが可能になった。しかし、旧政府グループに所属しているガゼル・ジィニアスが、議会で強引に封鎖を決め、いま秘密の部屋への立ち入りは、禁止されていた。もちろん新政府側――ケティル3世側からは、猛烈な反発が起こったが、カゼルの長年の功績と人望から、期限付きと言う条件のもとに、封鎖されていたわけだ。

 ユリア嬢は、ガゼルから、書庫と秘密の部屋を繋ぐ通路の鍵をもらっていたため、地下を通って、秘密の部屋に行くことになったのだ。

 3人は、書庫の隠し階段から、地下の通路にまで下りた。

 先頭を歩くユリア嬢が、後についてくるふたりに、説明をする。

「ガゼルの話では、この先の秘密の部屋に入る扉のところが、瓦礫に埋もれているそうです。そのために、この通路の存在は、ばれなかったそうですが、まずはそれをどかさなければ、秘密の部屋に入ることは出来ません」

「瓦礫をどけて、天井が崩れる危険性はないの?」

 後ろを歩きながら、フレイが尋ねた。

 もし瓦礫が天井を支えている場合、無理にそこを通れば、下敷きになってしまう。良くて物音が立つくらいだろうが、そもそも立ち入り禁止の場所に侵入しようと言うのだから、出来うる限り物音は立てたくない。付き添いに、ルイーゼが来なかったのは、出来うる限り喋る人間を少なくしたいからだ。

 フレイは隣を歩くアンダンテを横目で見た。相変わらず彼女は、服から露出している部分を包帯で隠し、キャップを目深に被り、色の濃いサングラスをかけていた。おまけに今回は、埃を吸わないように、マスクまでしているのだから、怪しすぎて、トライアグリに来るまでのあいだ、何人もの関係ない人たちに振り返られた。

「瓦礫の山が崩れる可能性は、作業のしかたによってあるけどが、天井が崩れることはないわ。それは、コンクリートの専門家や、建築関係の研究者にひととおり調べてもらったそうよ。でも物音には注意してね。上で、秘密の部屋を警備している人たちの中に新政府側の人が、雇った人もいるから、多少の物音でも、敏感に警備にやってくるわ」

 秘密の部屋の天井から、その真上にあった通路や部屋は、すべて、崩壊してしまい。1階部分と、2階部分、それから、天井から、簡単に秘密の部屋に入ることが出来るようになった。天井の部分は、雨に備えて、シートを貼り、水が入ってこないように密閉されているが、それでも警備には人が立っている。もちろん警備の人間が、秘密の部屋に入らないように、3人のグループを組み、秘密の部屋から一定の距離を保って、警備をしていた。新政府側と旧政府側の両方が雇った人間が、ごちゃ混ぜにグループを組み、どちらかに片寄ることはなかった。どちらも牽制しあっているのだ。

 地下通路の行き止まりにさしかかると、秘密の部屋から、通路にかけて、大量に瓦礫が、流れ込んでいるのが見えた。完全に出入り口はふさがれて、隙間程度はあるが、それでも人が体を通すような穴などどこにもなかった。

 3人は、瓦礫の山の前にたち、あまりの量の多さに途方に暮れた。

「1日、2日は、掛かるぞ」

 フレイは呟いて、足下に転がっていた石ころを、後に蹴飛ばした。

「どうにか簡単に片付けられないかしら」

 ユリア嬢が、フレイの方に顔を向ける。珍しくアンダンテも、フレイの方に顔を向けて、どうにかしてくれとでも言うように、唇を少し尖らせた。

「エレボスの干渉領域で、瓦礫の山を包んで、空気の密度を上げて、崩れないようにして、上の方から砂に分解していけば、1時間も掛からないと思うけど、部屋の方の瓦礫がトンなふうになっているのかわからないと、どのくらい干渉領域を広げていけばいいのかもわからないし、密度を上げて、圧力を上げて崩れないように押さえたとしても、圧力のかけ方を間違えれば、崩れちゃうし、結構大変……僕が」

「私たちは、後で応援していればいいのかな」

 ユリア嬢が、上目遣いに微笑んだ。

 まァ、確かに、もしフレイがエレボスの干渉領域を使って、瓦礫を片付けるのであれば、ユリア嬢や、アンダンテは特にすることがないのだが、それでも、どこか腑に落ちないところがあった。

 ふたりは、フレイの答えも聞かずに瓦礫の山から離れて、通路の端に腰を下ろして、フレイの方を見ながら、なにやら雑談を始めた。雑談と言っても、ユリア嬢が話しをして、アンダンテが、首を振ったり、手振りをする程度のことで、会話らしい会話は、出来ていない。

 フレイは、ため息を漏らし、小さく呟いてから、瓦礫の方に向って歩きだした。

「雑談に盛り上がって、大きな声を出すなよ……」

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