第17話 完全なる衝動

「どう言うつもりか、答えてもらおうか?」

 ルイーゼが向けた切っ先は、小さく怒りに震えていた。声には憎しみが含み、返答しだいでは、すぐに切りかかってくるといった様子だった。

 彼らにしてみれば、仮にも守っていたフレイが、敵対しているヴラン・カァンを助けたのだから、腑に落ちないのは当たり前だ。ルイーゼにしてみれば、自分の両親の仇なのだから、余計に憤りを感じるのもしかたがないことだと思う。フレイは、慎重に頭を働かせたが、上手い言葉が出てこなかった。

 身体を重ねたから、気になったなどと正直に話せば、確実に言葉では済まないだろう。

 ルイーゼ、アポォリオン、アンダンテがならび、その後には、ユリア嬢や、ほかのファイターたちが、取り巻きのように囲んできていた。

「ここに来る前、ヴラン・カァンと話しをした。護衛の隙を見つけ、難なく僕がいる檻の前に現われたんだ」

 ルイーゼの眉間に皺が寄り、周りを取り囲んでいるファイターたちが、ざわめいた。本人たちは完璧な陣形を組んでいたらしく、フレイの言葉は、予想外のものだったらしい。

「それで?」

 ルイーゼは冷たい視線で、問いかけた。

「話しをしたが、ヴラン・カァンの目的は、まだ掴み切れていない。僕を吸収することに固執しているが、なぜ吸収しなければいけないのかを、聞きたい。悪いが、ここにいる何人が束になったところで、ヴラン・カァンは倒せない。最終的には、僕は吸収されることになるからね」

 フレイの答えに、ユリア嬢が、前に進み出た。隣で控えていたマンドレイクが、静止するが、それを交わして、ルイーゼの隣に並んだ。

「みんな必至になって戦っている。命をかけて、ヴラン・カァンを倒そうとしている。フレイは、どんな気持ちで、いまの話しをしたの?」

「命をかけないで、済む方法は考えたのか? 無駄死にしたって、どうにもならないだろう。双方の目的が達成されて、且つ、被害が一番少ない妥協点を見つけても良いんじゃないのか?」

 フレイが話し終えると、ルイーゼが、笑い声を上げた。

「俺たちの望みは、ヴラン・カァンの消滅だ。それ以外に何もない! 邪魔をするなら、お前もろとも、切り刻むぞ」

 話しによる解決は、どうやら無理のようだ。

 ルイーゼだけでなく、ユリア嬢も、少し目つきを鋭くして、フレイを見た。すなわち、彼女も、ルイーゼと同じような考えを持っていると言うことだ。父親が、ヴラン・カァンに殺されてはいないとしても、やはり憎しみを誰かにぶつけなければ、身が持たないのだろう。その気持ちは何となくフレイにもわかったが、だからといって、ふたりの要求を呑んで、ヴラン・カァンを差し出す気にはならなかった。

 アポォリオンは、ユリア嬢の発生をキーにして働く、基本的には自分の主張はなく、ユリア嬢の意のままに動くわけだから、敵の数は減らない。

 アンダンテに至っては、もう何を考えているのかすらわからない。味方ではないことは確かだが、敵なのかがハッキリしなかった。

 彼らを前にしても、フレイは、おびえを感じなかった。おそらくは、イドに意識を支配されているのだろう。フレイとしての認識はあったが、どこか体の内側が、ふわふわと浮いているような感覚のまま漂っていたのだ。ついさっきまでは聞こえていた、別の意識の声は静かになり、フレイと、ルイーゼたちのやり取りを聞いているようだった。

 アポォリオンの剣を粒子にまで分解した力や、ヴラン・カァンの腕を治癒した力は、フレイの知らない能力だった。心の中から響いてくる声に促されるまま、そのように動いただけだ。おそらくは、何かの拍子で、イドの能力部分だけが、外に表出しているのだと思う。それがある限り、おそらく、フレイに強迫は意味のないことだろう。例えば、ヴラン・カァンを切る、と脅したとしても、それを止めるのは、造作もないことだと、いまのフレイは感じていた。全力を出さなくても、ここにいる全員を血祭りに上げることなど、用意だった。

 フレイはふと、自分の思考が、危ない発想をしていることに驚いた。

 意識はしていなかったが、ユリア嬢でさえ、殺しかねない衝動の種が、思考の中で芽吹いたのだ。

 フレイは、薄く口を開いた。

「時間をくれないか?」

「ダメだ」

 ルイーゼは即答した。

 それに対してフレイは一歩も引かなかった。

「お願いしているうちに、譲歩してもらえないかな」

「強迫するつもりか?」

「殺しはしないが、逃げるための時間稼ぎはするぞ」

「余裕だな」

 ルイーゼは、そう言うと、突進してきた。手にした赤い剣を迷うことなくフレイに切り下ろす。

 フレイはそれを手の平を前に出して、受ける。

 両者はぶつかり合い、激しい火花が散った。アポォリオンの大剣のように粒子に分解されないのは、ルイーゼの持っている剣が、超剣と呼ばれる、半魔人から受け取ったエネルギーを物質化している武器だからだ。だからといって、フレイから見れば、普通の人と変わらない程度で、脅威すら感じなかった。

 半魔人を体内に取り込んだ、アニムスでさえ、フレイに対して傷ひとつつけられない。その事実は、否応なく後に控えていたファイターたちの戦意を失わせた。ルイーゼは、Sクラスファイターで、現在のところ、現役最強のファイターである。そんな人間が、手も足も出ないとあれば、どうしてクラスの低いライターが、戦うことが出来よう。

 ことごとくフレイは、ルイーゼの攻撃を防いだ。

 アンダンテが、ゆっくりと、前に進み出てきた。

 その動きからは、戦意を感じられなかったが、フレイは視界の端でそれをとらえながら、ルイーゼの攻撃をあしらった。

 ルイーゼが、体重を乗せて突いてくる。

 切っ先は、手の平にあたる前に見えないクッションにでもはじかれるように、空中に静止した。

 強引に押し込もうと踏ん張るルイーゼの少し後ろにアンダンテが立ち、その肩に手を置いた。ルイーゼは、力をかけたまま、顔をそちらに向ける。アンダンテはいつものように口を閉ざしたまま、顔を横に振った。何を考えているのか、当てることは出来ないが、戦っても、意味がないことは、理解しているらしい。

 ルイーゼはしばらくアンダンテを睨んでいたが、やがて、舌打ちをして、剣を引いた。そしてフレイのほうを一瞥して、ユリア嬢や、アポォリオンの方にきびすを返すと、一言呟いた。

「本当に話しただけか?」

 アンダンテは、ルイーゼと入れ違いに、フレイに近づくと、鼻先を近づけ、クンクンと、匂いを嗅いだ。

 フレイも、ふと自分から漂う匂いに気づいた。セックスをしたあとに残る野生の香りがしていた。

 アンダンテは、フレイの後にいたヴラン・カァンの方にも近づき、鼻を向ける。敵意は見せていないので、ヴラン・カァンも、じゃっかん体を反らせる程度で逃げることはしなかった。アンダンテは体を起こし、フレイと、ヴラン・カァンを交互に見てから、フレイの肩を軽く叩いて、ルイーゼたちの方に戻っていった。

 ヴラン・カァンは、それを見送りながら、フレイのとなりに立ち小声で言った。

「私たちが、やったって、気づいたみたいね」

 フレイは横目で、ヴラン・カァンを見ながら口を開いた。

「こうなることを予測してたのか?」

「あれと、これは別。ただエッチしたかっただけで、あなたに助けてもらおうなんて気はなかった」

「わかった。でも時間はもらえたんだから、なぜ僕を吸収したいのか、説明を聞かせてもらえないかな? 何も知らずに死にたくはない」

「時間をもらえた、ねぇ……。彼らの力じゃ、私を止める事なんて出来ない。もちろんあなたも。だとすれば、時間をもらうなんて、交渉のしかたはないと思うけど、あなたが甘いのね。誰も傷つかないように、穏便に済ませようとしているから」

「説教はいい、話を聞かせてくれ」

 フレイがヴラン・カァンに向き直ったとき、視界の端で、奇妙な違和感をとらえた。二度見するように顔をそちらに向けると、アポォリオンの鎧から、蒸気のようなものが噴出していた。側にいるルイーゼや、ユリア嬢、アンダンテを含めたファイターたちは、フレイの方を見ていて、それに気づいていない。ファイターたちはアポォリオンの後に位置しているから、見えていてもおかしくないのだが、もしかすると、その蒸気は、普通の人間には見えないものなのかも知れない。

 ヴラン・カァンも、フレイが何かを見ていることに気づき、顔をそちらに向け、小さく「あっ」といった。

「邪神のエネルギーが漏れている」

 フレイは、驚いて、ヴラン・カァンを見て、それから、ユリア嬢の方に声をかけた。

「アポォリオンから、エネルギーが漏れているぞォ!」

 その声に、アポォリオンの前に立っていた、3人が一斉に振り返った。ユリア嬢には見えないらしく、フレイのほうをいぶかしげに振り返ったが、ルイーゼや、アンダンテは、警戒するように、一寸後に身をひいた。

 ルイーゼが、声を上げながらユリア嬢の腕を引く。

「見えないのか? 危ないぞ!」

 アポォリオンは、拳を振り上げ、ユリア嬢の立っていた地面を粉砕した。

 その動きは俊敏で、続けて、ルイーゼとユリア嬢の方に向って突進を仕掛けた。肩を突き出し、体重を乗せる。

 ルイーゼは、ユリア嬢を自分の後に突き飛ばし、剣を横にした。そこへアポォリオンが突っ込んでくる。ルイーゼは、まともにぶつかることはしないで、剣で受け止め、自分の体を、突進のスピードに合わせながら、アポォリオンの下に滑り込み、両足を使って、後に蹴り飛ばした。

 アポォリオンは、体を回転させながら、距離を置いて、着地する。

 ユリア嬢は、ルイーゼと、アンダンテに守られるように、ふたりの後に下がらされた。そして、アポォリオンに命令を発する。

「アポォリオン、やめなさい。動きを止めるのです!」

 命令が届き、アポォリオンの目に薄く明かりが灯る。着地した姿勢で、動きを止めたかに見えたが、やがて、体を震わせながら、立ち上がろうとした。

 何度もユリア嬢が、命令をするが、命令と、自分の意志とのあいだで葛藤するように、手足を振るわせながら、動き続けた。もはやユリア嬢の命令は、完全に聞き入れられないととらえて良いだろう。

 鎧の隙間から立ち上がる黒いもやは、体を動かすたびに、油圧が蒸気を噴出するように、大きく吐き出された。おそらく鎧の隙間に詰められている呪皮に亀裂が入り、そこからエネルギーが漏れているのだ。動くたびに大きく吐き出されると言うことは、関節を曲げたりすると、亀裂が大きくなり、噴出する量が増えると言うことだろう。

 フレイは、ヴラン・カァンに小さく尋ねた。

「俺の攻撃のせいか?」

「鎧の表面をぼろぼろに剥がしていったから、もしかすると……」

「呪皮を詰め直したって、呪印を書き込まなければ意味がないはずだから、いまは動きを止めることが先決だろうな」

「いえ、もう手遅れね」

 ヴラン・カァンは首を振って、残念そうに呟いた。

「交渉に使おうと思ったけど、もう無駄。一度壊れた呪皮は元には戻らない。邪神を封印したケティル1世だって、新品の鎧に封じ込めたと書かれてあった。もし、アポォリオンを止めたければ、いったん鎧の中から邪神を出し、新しい鎧に封印する」

「気前がいいな、教えてくれるなんて」

「だって、鎧に入ってなければ、壊すから言うことを聞け、と強迫できないでしょう。壊れてしまっては、私の交渉になんの役にも立たない。ただ、世界を破壊するだけ」

「それでも良い」

 フレイは、フードから覗いていたヴラン・カァンの頬にキスをすると、ユリア嬢や、ルイーゼのもとに走った。

 フレイが駆け寄ってくると、一瞬3人は警戒した。まァ、当たり前のことだったので、フレイは気にしなかった。

「アポォリオンを止めたければ、新しい封印の鎧を用意するんだ。呪皮が傷ついてしまっては、あの鎧に封印し続けることは出来ない。エネルギーがでるだけで、戻すことも出来ないだろう。ユリア嬢、新しい鎧はどこに?」

 ユリア嬢は、ファイターたちの方を向いて、声を張り上げた。

「マンドレイク! アポォリオンを封じ込めるための、新しい鎧が必要です。どこにあるか知っていますか!?」

 最前列にいたマンドレイクは、駆け足でユリア嬢のもとに駆け寄ると、跪いて答えた。

「封印の鎧は、第1バトルアリーナの地下に保管されております。アポォリオンタイプのサブも保管されていたはずです!」

「わかりました! みなさん聞きましたね!」

 ユリア嬢は振り返って、ルイーゼ、アンダンテ、フレイを見た。

「アポォリオンを、バトルアリーナに運ばなければなりません。もたもたしていては、エネルギーがすべてでてしまいます。私たちが言って帰ってくるよりも、直接、アポォリオンを運んだ方が、早いでしょう。貴方たちは、協力して、街に被害が出ないようにしながら、バトルアリーナに連れてくるのです!」

 それから、ユリア嬢はヴラン・カァンの方にも顔を向け、厳しい口調で言った。

「あなたにも手伝ってもらいます。封印の方陣と、古書は、すべて無くなりました。新しくアリーナで描く必要があります。あなたには、それをやってもらいます。いいですね!?」

 ヴラン・カァンは、頷いた。

 ヴラン・カァンは、ユリア嬢と、マンドレイクの手をもって、空中に浮かび上がり、バトルアリーナの方に飛んでいった。残ったファイターたちも、方陣を描く手伝いをさせるために、バトルアリーナの方に向わせた。もちろん、いても役に立たないと言う本音もあった。

「街に被害を出さないようにねぇ……」

 ルイーゼは呟いて、手に持った剣をくるくると弄んだ。そしてフレイのほうに向き直り、流し目で、皮肉るように話した。

「フレイが、奴の体を空に持ち上げてくれれば、簡単に済むんじゃないのか? あいつは飛び道具持ってないんだから。俺やアンダンテは、後をついて行くだけで、済む。楽な仕事だぜ」

 にやりと笑うルイーゼの体を、アンダンテが突き飛ばした。

 ほんの一瞬あとに、ルイーゼの頭があったところを、黒い光弾が飛翔し、ファイターの寄宿舎に着弾した。玉は炸裂し、寄宿舎の一部をえぐり取ってしまった。

 尻餅をついてそれを見ていたルイーゼは、面倒くさそうため息を吐いた。

「世の中、楽な仕事はないねぇ」

 ルイーゼは跳ね起き、剣を構えて、アポォリオンに向き直った。

 フレイは、アンダンテと、ルイーゼの後ろに立ち、ふたりに指示を出す。

「基本は、ルイーゼが言ったように、僕がアポォリオンと一緒に空を行く、一筋縄ではいかないだろうけど、地上に攻撃が行かないようにする。だけど、完璧には防ぎきれないだろうから、一部は地上にいまみたいな攻撃が振ることになる。それをふたりが、アニムスの力を使って、防ぐ。生身では防ぐことは出来なくても、半魔人のエネルギーを使えば、ある程度防ぐことは出来るだろう」

「憶測だけどな」

 ルイーゼの指摘を無視して、フレイは、エレボスの領域を広げた。普段の干渉領域は球か、楕円形に近いものであったが、いまのフレイの領域は、とげとげしくウニとまでは行かないまでも、ヒトデのような形をしていた。触手を伸ばすように、領域が広がる。

 その領域は、ルイーゼや、アンダンテにも見えるようで、ふたりは驚いて、フレイから離れた。

「おいおい、どうしたんだその干渉領域は? どこからどう見ても、歪すぎるだろう」

「ついさっき、ヴラン・カァンを守ろうとしたときに、遷移したんだ。おそらくはイドの力を借りた状態になっているはずだ」

「暴走はないのか?」

「今のところ、もうひとりの生命体はおとなしくしているけど、どうやら、奴の方が力が強くてね主従が、逆転してるから、いつ暴走するかわからない」

「気をつけてくれよ……。アポォリオンと、フレイが同時に暴走したら、誰も止められやしないぜ」

「……わかった」

 フレイは、前に進みながら、エレボスの干渉領域を、前面に向けた。そして、それがアポォリオンに触れた瞬間、アポォリオンは、後方に跳躍した。魔法を使うものと戦うときに、干渉領域に影響されないようにするのは、基本である。魔法使い同士なら、干渉領域をぶつけ合ったり、干渉領域を無効化したりすることもあるが、アポォリオンは下がることを選んだようだ。

 しかし、それを逃がすようなへまはしなかった。

 空中にいるアポォリオンの体を、下からすくい上げるように、エレボスの干渉領域の中に入れると、エレボスで空気中の物質の密度を上げて、アポォリオンの体を持ち上げた。

 空中にはじき飛ばし、フレイも跳躍して、それをおう。

 アポォリオンは、素振りをするように、拳を突き出し、黒いエネルギーの塊を、飛んでくるフレイに放った。フレイはそれを寸前のところで交わし、アポォリオンの頭を飛び越えて、上空に舞い上がった。

 地上では、ルイーゼが、持っていた剣で、黒いエネルギーの塊を、空へ打ち返した。どうやら怪我無く、打ち返せるらしい。

 フレイは、真下にいるアポォリオンに干渉領域を伸ばして、つり下げるようにして、アポォリオンを、空中に静止させた。それから、バトルアリーナの位置を確認して、干渉領域からアポォリオンがはみ出ないように注意して、飛んだ。

 飛行している最中は、無防備に近い状態なので、アポォリオンが放ってくる黒い玉が、服をかすめるようにして飛んでいった。かすめただけであっても、エネルギーの余波が広がり、皮膚をやすりで削るような痛みがあった。

 街並みは、フレイの苦労も知らずに、静かな寝息を立てている。

 暗い街の中で、バトルアリーナに明かりが灯った。ユリア嬢や、ヴラン・カァンたちが着いたようだ。

 しかし、フレイはすぐにはいけないだろう。なぜなら、バトルアリーナに今行ったところで、封印するための新しい鎧も、方陣も描かれていないのだ。じゃっかんの時間稼ぎはしつつ、頃合いを見計らって、バトルアリーナに向わなければいけないだろう。

 その時、干渉領域から感じていた、アポォリオンの重さが軽くなった。

 フレイが目をそちらに向けると、依然として、アポォリオンの姿がそこにあった。しかし、重さが軽くなったと言うことは、フレイの重力を支える影響から、とかれたと言うことで、つまり、アポォリオンは、フレイのエレボスの干渉領域から浮かび上がり、自分の力で空を飛んでいた。

 体を黒いエネルギーが包む。放出された自身のエネルギーを体にまとわせることで、エレボスの干渉領域と同じような働きを持たせているのだろう。そして、空気に干渉して、自分の体を持ち上げているのだ。

 アポォリオンは、全身に力を込めて、雄叫びを上げた。

 その声は、街中に響き渡るような太く、嵐を巻き起こそうとしているイナズマのとどろきにも似た、恐怖を誘うものであった。

 鎧の隙間から放出されるエネルギーの量が増え、次第に鎧に亀裂が走り始めた。フレイはどうすることも出来ずに、その様子をずっと見ている。卵の殻が割れるように、鎧の一部が、めくれ上がると、黒煙幕が噴出し、アポォリオンの体を完全に包み込んでしまった。黒煙の中で、陶器が踏み砕かれるような音がすると、パラパラと、地上に黒い鎧の破片が落ちていった。黒煙が、八方に広がり、本来の姿を取り戻そうとしているようなうごめきを見せた。

 獣の唸り声が、黒煙の動きに合わせて、空に響き渡る。いまにも土砂降りの雨を振るような不気味な音だった。

 八方に広がった黒煙は、それぞれの位置で、形を整え始める。背後に伸びた6本は、翼のように広がり、フレイのほうに伸びてきた1本は目のような光の玉が、瞬きをする。後ろに伸びた1本は、尻尾のように左右に振られた。

 やがて黒煙は、透明な液体のようなものに変わり、その中から、スライムと爬虫類と、鳥類を掛け合わせたような得体の知れない生物が姿を現した。

 全身は透明な物質で構成されていた。本来内蔵があるべきところには、なにもなく体内の液体が揺れ動いているような、光の屈折があるだけだった。翼はただの飾りなのか、羽ばたくことなく、背中に生えている。羽毛のような立体感はあるが、羽も体と同じように透明だったため、形が鳥の羽のように見えるだけである。太古の昔生きていた翼竜のような翼なのかも知れない。頭部にあったふたつの光は、黒煙が消えたと同時に消失し、透明な牙がはえた口が現われた。頭部の形状は、ワニのような形をしていたが、すべてが液体で満たされているため、どこがどの部分なのか、判別がつかなかった。

“体を失って、精神体になったのだ。気をつけろ、私たちを喰おうとしているぞ”

 フレイの中で、もうひとりの自分が、珍しく緊張した声で警告した。

 アポォリオンは、胴体をしならせて、勢いをつけるように、身をくねらせると、フレイ目掛けて大口を開けて飛翔してきた。ヘビが鎌首をもたげ、獲物を仕留めるような目にも止まらないようなスピードで牙をむく。

 フレイが寸前のところで交わすと、旋回して、フレイを取り囲むように飛行しながら、執拗に食らいついてきた。逃げ場所を奪うつもりらしく、その大きな体と、尻尾でウロボロスのように円状にフレイを取り囲み、遠慮無く首をしならせて、噛みつこうとする。

 アポォリオンの攻撃をかわし、フレイは上昇を試みたが、アポォリオンの方が、飛行の自由がきくらしく、あっという間に追いつかれてしまう。フェイクで、すぐに降下するが、あっという間に、下に回り込まれる。大きな体のくせに、やけに動きが速い。精神体と行っていたが、まさに、重力の束縛から解放され、自由に動き回れるといった様子だった。

 かろうじて噛みついてくる大口からは逃れているが、それもフレイの体力が減少すれば、いつかは、逃げ切れなくなる。そうなる前に、対処をする必要があった。

 フレイが、アポォリオンの攻撃を避け、首に沿って、飛翔したところで、背後から衝撃を受けた。

 一瞬呼吸が乱れる。

 真横からアポォリオンが、首を捻り、フレイに照準を合わせる。

 横目で見上げると、尻尾が高く振り上げられ、鞭のように振り下ろされた。

 フレイは、両手で、盾を作るような顔の前に合わせ、体を縮ませて、衝撃に備えた。

 直後、背後から受けた衝撃と同じ打撃をくらった。

 エレボスの干渉領域を打撃に合わせて、後方に打ちだし、衝撃を緩衝する。

 体を宙返りさせて、体勢を整えようとしたとき、アポォリオンが、口を開けて、迫ってきた。避けきれる距離ではない。フレイは、丸呑みされるように噛みつかれた。上下を手と足で押さえてはいるが、その噛みついてくる力は強く。あっという間に、口の中に取り込まれてしまう。口が閉じると、口内が破裂して、液体に満たされる。水の中を藻掻くように、フレイの体は、喉を通り、長い首を送り出される。

 エレボス波を放つが、皮膚――外界との境界面で、吸収されるように消えてしまった。しかし、フレイは、抵抗を続けた。体の周りを包んでいるエレボスの膜を振動させ、加熱する。膜の内側には、熱は伝わってこないため、フレイには、それほど影響はなかったが、外側のエレボスに触れている面の液体が、沸騰するように泡立ち始める。気泡が、体外に放出されるが、それによって、アポォリオンが、苦しむと言うことは無かった。

 ならばと思い、フレイは液体に緩衝して、凍らせてしまおうと試みたが、ただの液体ではないらしく、上手くいかなかった。フレイの体が、徐々にアポォリオンの体内に進む。エレボスを体の表面に密集させ膜を作っているため、今のところ体に影響はないが、もしその膜を分解させるようなことがあれば、溶解されるか、窒息するかのどちらかだろう。

“違う。エレボスのバリアが溶けた瞬間に、貴様の体の中に、アポォリオンの精神体が入り込み、体を乗っ取るつもりだ” 頭の中で、もうひとりの自分が、呟いた。

 フレイは、何か手はないのかと尋ねるが、もうひとりの自分の答えは、芳しいものではない。

“エレボス以外の攻撃であれば、外皮の干渉を受けずに、外に抜けることが出来る。気泡が外に飛び出したのは見たはずだ。精神体であるため、エレボスの攻撃には強い体勢を持っているが、物理的な攻撃には、案外脆い”

 かといって、物理的な攻撃をしようにも、液体がやけにさらさらしているため、かき分けても、力が分散されて、思うように、泳ぐことは出来なかった。首を通っているいまのうちに外に出なければ、もし体の方に送られて、中心部のなにもないところに追いやられては、助かる見込みもない。

 しかし、ポンプのように体液は体の方に押し出され、フレイの体も、半分が体の中に入っていた。

 もう手立てがないのかと、頭を巡らせたとき、アポォリオンの首をかすめて、ルイーゼが、飛来した。

 ルイーゼは、超剣の刃を身の丈以上に長く伸ばし、振りかぶると、一気にアポォリオンの首を切断した。

 フレイの頭をかすめるようなギリギリを、剣が走る。

 首が前後に切られ、中の体液が漏れる。その流れに身を任せ、フレイの体も、外に放り出された。

 ルイーゼは、落下しながら、フレイのほうに手を伸ばしながら叫んだ。

「飛べ!」

 フレイは、エレボスの干渉領域を、目一杯広げて、風に乗るように、空をグライドした。

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