第14話 血の頸木

 眼下に見える建造物を見下ろした。

 それが、ユリア嬢の言う城だった。

 平均的なルマリアの家屋や、建物から頭10以上飛び出た巨大建造物で、3本の塔が天を刺すように伸びていた。自身が起こらない地方ゆえの、全長100メートルの建物である。3本の塔は、地上から3分の1の辺りでひとつのフロアを共有していた。権威の象徴としてのモニュメントとしては、十分すぎるものである。

「これが作られたのが、およそ400年前当時のルマリア皇帝が4代かけて建築を続けさせた。わたくしたち皇族の居住区や、政府の制作が行なわれている国会は、塔の下部の4階までね」

 そう言ってユリア嬢は、指を指して、塔の根本を指さした。

 塔から半径500メートルほどの敷地内にかけて、4階建ての建物が、広がっていた。ところどころに中庭のようなものや、建物のあいだに通路のような線が入っている。

「書庫って言ってたけど、どの辺りにあるのか知ってるの?」

 フレイは、空中に静止したまま、抱きかかえているユリア嬢に尋ねた。

 ユリア嬢は、建物を見下ろして、少し唸ってから、曖昧に指さした。

「中に入らないとわからないけど、たぶんあの辺だと思うわ」

 それは3本の塔のうち、右端の塔のだいたい真下に当たった。

 フレイは冗談交じりに、少し笑みを浮かべながら言った。

「どうどうと中に入って、書庫まで行った方が良いのかな?」

「中には入るけど、どうどうとは無理よ。セキュリティの網を抜けて、どうにか書庫に行きたい。政府内も、新旧と少し構想のようなものがあるらしいから、もしかすると、見つかって不利な状況に追いやられるかも知れないよ」

「とはいうものの、どこから侵入すればいいか。それに、侵入できるのかが問題だなァ」

 フレイは、東の空を見た。

 地平線の向こうが、ほのかに明るくなりかけている。

 日の出までは、もう少し時間がありそうだったが、それでも、朝になって、人が活動し始めれば、それだけ、侵入は難しくなるだろう。さらに言えば、内部のセキュリティ構造がまったくわからないという状況だ。せめて、どんな管理状態になっているかかがわかれば侵入もしやすいだろう。

 フレイは塔を見て、いったんそちらの上空に飛翔した。

 ユリア嬢は、眼下の建物群を見下ろしながら言う。

「真上から侵入するのが一番手っ取り早く、見つかる確率が少なそうだね」

 フレイは、塔の地上から3分の1辺りにある箱のようなフロアを指さした。

「あそこに見張りはいるよね?」

「人が立っているかどうかはわからないけど、少なくとも監視カメラはあるかな。でも下の建物から闇雲に入るよりも、まだマシだよね。見つからないようには入れればいいけど、まずは、どんな様子か調べてみた方が良いのかしら?」

「ユリア嬢って、意外と計算高くみえるけど、どこかに忍び込んだ経験あるの?」

 彼女は、小さく微笑んで、塔のほうに視線を向けた。

 ふたりは、3本の塔の、真上にまで飛んできて、そのまま右端の塔に沿って、降下した。

「この塔の中って入れないの?」

 フレイは、塔のあいだをゆっくりと旋回しながら、言った。

 見る限り塔は、いくつかのパネルを敷き詰めて外壁をかたどっていて、侵入できるような窓は、見あたらなかった。いくつか、頑丈に取り付けられた丸い出入り口のようなものが見えたが、内側から開けるらしく、外にはとってのひとつもなかった。

「中は塔を支える構造を除いて、空洞になっていたはずだけど、窓は外から開ける構造になってなかったと思うわ。一度、中を見せてもらったことがあるの」

「その時に監視カメラがあるかないか、見なかったの?」

「見るわけないじゃない。まさか、こっそり侵入する事になるなんて思っても見てないんだから」

 ユリア嬢の言った通り、右端の塔の外壁には、侵入するところはなかった。一応隣の塔も横目で見ていたが、見落としはないようだった。

 ふたりは足音を立てないように、3本の塔をつなげているフロアの天井に降り立った。フレイは、天井の端の方まで歩くと、減りに腹を引っかけて、ゆっくりと折り曲げ、中の様子を確認した。

 さすがに70メートルほど高さがあると、風が強く、フレイの髪が吹き乱れた。

 ユリア嬢が駆け寄ってきて、フレイが落ちないように、足首を押さえてくれる。もちろん落ちても、エレボスに干渉して浮き上がることが出来るため、問題ないのだが、人の気分だろう。

 そのフロアの側面は、すべての面がガラス張りになっており、室内が良く見渡せた。東の空が青くなり始め、室内もそれに応じて、明るくなっている。人影はないが、フロアの天井には、数機の監視カメラが見られた。

 フレイは身を起こし、ユリア嬢にそれを告げると、彼女の表情は曇った。

 このまま下りても、姿が見られるだろう。仮に監視カメラに細工をして、フレイたちが映らないようなことが出来れば良かったが、それは、あまりにも非現実的だった。

「どうしようか?」

 ユリア嬢は、途方に暮れたように、肩の力を抜いて、だらりと座り込んだ。

「あまりおすすめできないギャンブル的な方法で避ければ、侵入する方法はあるよ。でも、もしかすると、あまり意味がないかも」

「どんな?」

「このフロアの下におりて、塔の外壁を壊して、階段に侵入する。フロアに監視カメラがあったとしても、階段にまであることはまれだよね。ただし、ギャンブル的な要素は、まだあって、階段を下りた先に、監視カメラがないとは限らない」

 ユリア嬢は、口元に手を持ってきたまま、フレイお言葉を聞き、考えを巡らす。

 フレイは構わず、話を続ける。

「下の建物から入ったとしても、確実に廊下には、監視カメラがあるんだから、この際見つかっても、放って送って言うのも手だね。本当なら協力者のひとりくらい欲しいんだけど、あまり期待できないだろ」

 ユリア嬢は頷いて、答えた。

「OKそれで行きましょう」

 ふたりはすぐに行動を起こした。監視カメラの死角を探しだし、そこからフロアの下に降りると、右端の塔の外壁に取り付いた。

 ユリア嬢は、フレイの首に腕を回して掴まりながら、少し下を指さした。そこには、内側から開ける構造になっている部分があった。

 フレイはそこまで下りると、指先にエレボスを溜めた。そして、指先を外壁の、丸く線が入っているところに会わせ、先端からレーザーのように極細の光線を飛ばした。外壁は、一瞬、火花を散らしたが、すぐに溶けて細い溝を作った。フレイは、慎重に戦を沿うように指先を動かして、外壁を、円筒状に切り抜く。

「今のところ、警報は鳴っていないようね」

 ユリア嬢が、耳元で呟く。

 切り抜かれた円筒を、フレイはゆっくりと引き抜いた。かなり重量があり、浮遊が落下しかけるが、その前に、足を空いた穴の端にかけて、物理的に、体を支える。

 ユリア嬢を先に中に入れ、体を引っ張ってもらって、ようやくフレイも半身を塔の中に入れた。

 ユリア嬢は心配そうにフレイに声をかけた。

「そのくりぬいた外壁、上手く元の位置に納まるかしら?」

 フレイが重そうに抱えているのを見て、そう感じたのだろう。普通の人間であれば、円柱を穴の端に引っかけてから、体を中に入れ、それから、隙間に指を差し込んだ状態で、円筒に入れることになるだろう。調整しながらだと、かなり時間が掛かることになりそうだが、フレイはその心配はなかった。

 フレイは、円柱の底辺のエレボスの密度を、物質に干渉するレベルにまで高める。すると、円柱は見えない机にのせられたように重さを感じ無くなり、そのテーブルを移動させながら、静かにはめ込んだ。

 その様子を見ていたユリア嬢は、感心したように、声を上げた。




 予想通り、塔を下りた先にもあった。

 フレイは顔を覗かせ、即座に引っ込めて、ユリア嬢にそれを告げる。

「だいたいの道はわかるから、カメラで警備に見つかっても、お父様の書庫にたどり着けるかな」

「じゃあ、自然に歩いて強行突破か。せめて、もう少し人通りが多くなるまで待たないか? あまり人気のないところを歩けば、一発で警備の注目を集めるけど、例えば、清掃の人たちが働きだしてからなら、それに紛れることも出来るんじゃない」

 ユリア嬢は、じれったそうに唇を噛みながら、フレイの案を呑んだ。

 塔の内部は、根本に行くにつれ少しずつ広がり、フレイのいる辺りは、だいたい直径20メートルほどの空洞になっていた。その外周に、ふたりが並んで上れる鉄筋の階段が備え付けられ、さらにそれを取り囲むように、幅の広い鉄骨が張り巡らされている。

 照明は、小さな間接照明のようなものだけだったので、たんに人がのぞき込んだだけでは、フレイたちの姿は見られないだろう。仮に警備員が階段を上ってきたとしても、内部構造の鉄骨の陰に隠れれば、やり過ごせる。

 ふたりは階段に腰掛けて、しばらく黙って座っていた。

 ユリア嬢が、不意に呟いた。

「いつまで、ここに座っていればいいのかしら。時計なんて持ってないから、時間がわからないよ」

「秒数は数えている。今は座り始めて、934秒たったところ」

「だとすると、もうすぐ日の出だから、いまが4時だとして、5時半くらいには、清掃係や調理係が活発に動いているから、5400秒経ったら行きましょう」

 フレイが了解すると、ユリア嬢は、あくびを手で隠しながら、言った。

「わたくし、少し休んでも良いかしら。少し疲れが出てきました」

 ユリア嬢は、フレイの答えも聞かずに、隣に座っているフレイの肩により掛かってきた。まるでフレイが、良いよ、と言うことが、わかっているようである。と言うよりも、だめと言っても、意味がないので、良いよと言うしかないのだ。

 瞳を閉じて、完全に体の体重を預けてくる。フレイはそれを支えながら、心の中で、秒数を数えた。

 961……。

 962……。

 963……。




 幸いなことに、5000秒数えるまでのあいだ、階段を上がってくる人はいなかった。

 5400秒も数えることなく、フレイは、5000秒で、ユリア嬢を起こした。心の中で数えているとは言え「さんぜん、きゅうひゃく、にじゅう、よん」と長々と数えているのでは、それを唱えているあいだに、1秒経ってしまう。ある一定数を数えて、それを分けてあとで足しあわせれば良かったが、そもそも、正確な秒数を数える必要はないのだから、十分である。

 ユリア嬢は、フレイの先頭に立ち、振り返って言った。

「まずわたくしが先頭を歩きます。フレイは、付き人のように、少し後ろを歩いてください。少なくとも、フレイが先頭を歩くよりも、怪しまれずに済みます」

 階段を下りるユリア嬢に、フレイは続いた。

 塔の出口付近でユリア嬢は一度立ち止まり、深呼吸をしてから、また歩き始めた。

 階段を下りきり、非常口のような、簡素な出入り口を抜けると、ユリア嬢は、左右をちらりと見てから、通路を左に進んだ。フレイもそのあとに続くが、監視カメラが、ふたりの後ろ姿を追うように、レンズが方向を変えるのが見えた。

 自動か?

 手動か?

 フレイは、警備員がユリア嬢に気づいてカメラを操作したのではないようにと、心の中で祈った。

 通路は、カーペットがひかれ、天井には、等間隔に2個ずつ、照明が灯っていた。外から見ても、外周が、外に面しているところの方が少なく、ほとんどが建物の中にしまい込まれているような作りだった。塔にくらべると、内装は、比較的新しい。よく見ると、通路に面して設置されたドアの脇には、指紋による本人確認装置がつけられている。これは、ガイア製のの商品ではない。地球製のものだろう。もし、そうだとすれば、この国は、地球とのあいだに、外交が行なわれていることになるが、それもあまり現実的とは言えなかった。

「指紋を見る機械だよね?」

「そうです、よく知っていますね」

「僕は、地球出身ですから」

「聞いたことがあります。地球でもエレボスに干渉できる能力を備えた子が生まれると、そしてその子たちには、ある年齢に達したら、ガイアにある魔法学校から、入学案内が来るらしいですね」

「11歳の時に、僕のところにも入学案内が届きました」

「あの指紋セキュリティは、地球に留学した研究者が、地球で起業し、そこの会社で使うと銘打って、ルマリアに輸入させたものです。予算はすべて国持ちで支払われたそうです。これはわたくしが、セキュリティの管理をしている肩に伺った話ですけどね」

「そう言えば、前に留学の話は聞いたことがある」

 ユリア嬢は突き当たりをまた左に曲がった。

「この国では、魔力――エレボスに干渉する力を持ったものがひとりもいません。いえ、生まれにくいだけで、お祖父様は、魔法に似た力を持たれていたそうですが、とにかく、国でエレボスに干渉する事業は興せません。しかしそうすると、国力が弱まってしまうため、国の基本方針として、学問に力を入れることが推奨されているのです。海外のレベルの高い大学には、全額補助で入学することが出来ますし、希望者によっては、地球への留学も、取り繕ってくれます」

「勉強の国かぁ」

 勉強するのは構わないが、それが、ファイターを国に縛り付ける毒薬造りにまで、エスカレートしたのでは、周りがたまったものではない。フレイも、1週間おきに、中和剤を接種しているのだ。

 国力も、ファイターに戦闘をさせることを中心に、商業を発展させたのは、商才があるのかも知れないが、裏はやはりどろどろしている。

 ユリア嬢が、通路の右側のドアに近づき、その指紋セキュリティに人差し指を差し入れた。

「確かここだったと思う」

 そのドアの上部には、“L1892X11”という簡素なプレートが取り付けられているだけで、その他の呼吸名が書かれていなかった。

「どう考えても、迷う作りになっているだろう」

「塔の周囲は、基本的に皇族の居住区になっているから、どこに何がるかをわからないような造りになっているのよ。政府関係の区画に行けば、“6B会議室”や“商工業開発課”なんて、プレートが掲げられているわ」

 電子音が鳴り、ドアが左右にスライドした。

 部屋の内部は1階分下に造られており、フレイの前に、ずらりと並んだ本棚が広がっていた。

「正解ね」

 ユリア嬢は呟いて、進み出た。

 フレイも後に続いて部屋の中に入ると、ドアは自動でスライドし、静かに閉じられた。

 ドア脇のパネルの前に立ち、ユリア嬢は、何度かボタンを叩いた。

「これわたくしの部屋にもある装置なの。ロックを一応かけておくわ。たぶんここに入ったところは見つかってないと思うけど、途中の監視カメラで、ある程度行き先はわかると思うから」

 ユリア嬢はそう言って、パネルを操作し終えると、ドアを出て右手にある階段から下の階に下りていった。

 フレイは、パネルを見て、文字盤に何も書かれていないのを確認すると、小さく呟いた。

「作業の邪魔にならないようにか……すでに誰かが潜り込んでたら、逃げ出すときに面倒だな。いや、勘ぐり過ぎか」

 書庫は、2階分の部屋を吹き抜けにして、奥行きも、50メートル以上ある広い部屋だった。その半分以上が、本棚で埋め尽くされている。本棚の感覚は、1.5メートルほどだから、ケティル2世の巨体は通れないだろう。下の階に下りてみて気づいたが、入り口の左手が少し広い空間になっていて、それ自体が、フォークリフトの構造になっていた。車椅子で移動しているケティル2世に合わせて建て増しで造られたのか、本棚を運び入れるときに使ったのか、少なくとも、ケティル2世が晩年それに乗って、昇降を行なっていたことは容易に想像が付く。

「フレイ、こっちよ!」

 ユリア嬢が、奥の書棚のあいだから手を振った。フレイは、小走りに書棚の方に向うと、不意に後で、声がした。

「ロックが解除されました」

 振り返ると、ちょうど、ドアがスライドして、開いた。

 フレイは慌てて、書棚のあいだに入り、背をつけて、ドアの方を見上げた。

 ひとりは警備員らしく、青色の制服らしきかっちりとした服を着て、帽子を目深に被っていた。

 もうひとりその後から、杖をつきながら入ってくる老人がいた。豊かな髪はすべて白髪に変わり、背を曲げてはいるが、その雰囲気は、老人特有の弱々しさや、儚さはなく、どこか精気に満ちあふれていた。

 老人はネクタイをただし、警備員に話し掛けた。

「ここか?」

「はい。指紋センサーにユリア様の反応が現われました。それに中からロックがかけられていましたので、間違いないかと思います」

 フレイは、書棚に背をつけたまま、足音を忍ばせて、ユリア嬢の本に向った。

 ユリア嬢は、書棚から本を何冊も引っ張り出し、中をパラパラと確認した。

 フレイがやってきたのに気づいたユリア嬢は、口を開きかけるが、それをフレイが、阻止する。

 フレイは声を立てずに、指で、入り口の方を指さした。ちょうどそこは、死角になっていたが、書棚の上からドアがスライドして閉るのが見えた。

 ユリア嬢は、フレイの手をどけると、耳元に口を近づけて話し掛けてきた。

「警備?」

「もうひとり、背の曲がった白髪の老人」

「急ぎましょう。R19の本棚の4段目の本に、隠し扉の鍵が挟まれている」

 フレイも、本棚から本を取り、ページをパラパラとめくる。

「鍵は、普通の鍵の形をしているの?」

「いいえ、薄い紙のような、合板だって言っていたわ」

 その時、書庫に、老人の声が響き渡った。

「ユリア様、ガゼル・ジィニアスでございます。いらっしゃるのでしたら、どうかお姿をお見せください!」

 ユリア嬢は、目をしばたたき、フレイのほうを見た。

「ガゼルが来ているの?」

「誰?」

 フレイは本をめくりながら、小さく呟いた。

 ユリア嬢は、新しい本を手に取りながら、答える。

「ガゼル・ジィニアスは、お祖父様の代から国の政治を行なっていた人です。つい先日、ケティル3世が王位を継承したときに、それまで就いていた仕事を追われたと、聞きました」

 ガゼルの声は、さらに続いた。

「警備のものは帰らせました。“秘密の部屋”に入る鍵をお探しなのでしょう。せんえつながら、わたくし目が預からせて頂きました。先頃から、ケティル3世が、秘密の部屋について調べておりましたので、身勝手な行為とわかっておりながら、わたくしが、守らせて頂きました」

 ユリア嬢は、眉をひそめて、フレイに耳打ちをした。

「なぜ秘密の部屋のことを知っているのかしら? それに鍵のことも」

「少なくとも、“秘密”ではなくなっているね」

 微かだが、モーターが駆動する音が、フレイの耳に聞こえてきた。

「リフトを使って降りてきたのかも知れない。まだ調べてない本を手分けしてもって、奥に行こう」

「そうね。でも、本当に秘密の部屋の鍵を持っていて、入り口の場所まで知っていたとしたら……」

「老人に手荒い真似はしたくないね」

 フレイは、本棚から、ごっそりと本を抜き、両手に持って、顎でそれを支えた。ユリア嬢は、フレイが持てなかった10冊程度を手に持って、フレイを先導して奥に進んだ。

 途中、見つからないようにしながら、列を変える。ガゼルが、本棚の影に隠れた時を狙って、やり過ごし、そのまま書庫の、右手側に移動している。

 前を静かに早足で歩くユリア嬢が、フレイのほうに小声で話し掛けてきた。

「ガゼル、R19の列の方に向っているわ」

 それは、ガゼルの言葉が、偽りではないことを証明するものであった。

 右端の棚のR31にたどり着いたとき、書庫の左手側から、ガゼルの声が響いてきた。

「ユリア様、探しても無駄でございます。どうかこのわたくしを信じてください。ここに来るまでのあいだ、なにが起こったのか、想像できます。ケティル3世の手のものが、本来、王位継承権を持っているユリア様のお命を、狙ってきているのでしょう。そしてユリア様は、ケティル2世から、秘密の部屋で何をすべきか、あなた様の血塗られた義務を聞かされたはずです」

 フレイが本を下ろすのを見てから、ユリア嬢は、フレイの腕を掴んだ。

「どうしよう。何もかも知っているみたいよ」

「なぜケティル3世が、ユリア嬢の命を狙っていることまで知っているんだろう? どこか胡散臭いイメージはあるよね」

 ユリア嬢は、少し俯いてから、フレイの目を見据えて、言った。

「少し話しても良いかしら?」

 フレイはその言葉に、小さく頷き、ユリア嬢の肩をさすりながら、答えた。

「何かあれば、僕が守るから、安心しな」

 そうして、フレイはユリア嬢の背中を軽く叩いた。

 ユリア嬢は、頷いて笑みを浮かべると、少し顔を上げて、声を張り上げた。

「ガゼル。どうしてあなたが、王位継承権を持っている者しか知らない秘密の部屋について知っているの?」

 ユリアの声に間髪おかず、ガゼルが返答をした。

「おお、ユリア様。やはりいらしていたのですね。どうか、お姿をお見せください」

「いいえ、ガゼル。まずあなたが信頼に足る人間か、確かめる必要があります。あなたはいまいる場所から動かずに、わたくしの質問に答えなさい」

 フレイはユリア嬢の表情が、どこか鋭さを増しがのを、感心してみていた。

 ユリアの指示に、ガゼルの返答が続いた。

「わかりました。仰せのままにいたします」

「まずは、なぜあなたが、秘密の部屋について知っているのかを説明なさい」

「わたくしの祖父、父は、建築家を営んでおりました。ユリア様のお祖父様にあたるケティル1世の命を受けて、ふたりは、この書庫と、秘密の部屋の設計、建築を行ないました。その図面を当時子供だったわたくしが見ていたのです。それからしばらくして、ケティル1世に仕えるようになりました。わたくしは、子供の頃に見た図面が確かなのかをケティル1世と話す機会があったときに尋ねると、そのとき始めて、部屋が、祖父、父、ケティル1世と、数名の職人以外が知ることのない秘密の部屋だと知らされたのです」

 フレイは、ユリア嬢の肩を叩き、尋ねた。

「あのおじいさんの家が建築家だっていうのは、本当?」

「さぁ、わたしもそんなに話したことはないから」

 ユリア嬢は首をかしげた。それから、少し上向きに顎を上げて、声を上げた。

「そこでお祖父様は、あなたに秘密の部屋のことを話されたのですか?」

「はい。もともと、ケティル1世とは、祖父、父が親交を暖めておりましたゆえ、わたくしもそれに混ぜて頂けたのでしょう。なぜ秘密の部屋を造ったか、そして、血を受け継いだものが、何をすべきなのか教えてくださいました。それは、ケティル1世が亡くなられたあと、万が一、システムが、悪人の手に渡らぬようにわたくしに管理をさせるためだったのかも知れません」

「悪人?」

 ユリア嬢は、フレイの方を向いて、眉をひそめた。それからまたガゼルに話し掛ける。

「悪人とはどういう事ですか? わたくしはそのような話しをお父様から、聞いてはいません。それに、どうして秘密にする必要があるのですか? 人の悪意を吸い取り、鎧に封印させる。それは、儀式として、正当に評価され、外部に公表すべき良いシステムではありませんか」

 ガゼルは、少しの沈黙の後、答えた。

「吸収、封印するのは、人の悪意だけではありません。ユリア嬢はご存じないかも知れませんが、ファイターたちの中で特別に優秀なものが、瀕死の状態になったり、施設から逃げだそうとした場合、治療・後生の余地がないと判断されると、その意識を抽出し、鎧に封印するのです。御勘違いなされているかも知れませんが、システムが吸収させるのは、決して、悪意だけではありません。人の意識を吸収するのです」

 ユリア嬢は、フレイの目を見た。

「そうなの?」

 フレイは少し考えてから頷いた。

 ユリア嬢の表情が、険しくなる。

 ローブ野郎――ヴラン・カァンに襲われた日。ルイーゼとフレイは、バトルアリーナから、ユリア嬢の部屋に向った。その途中、アポォリオンの置かれている広間に行くまでのあいだに置かれてあった鎧の置物立ちを見て、ルイーゼは、自分の知り合いが鎧の中に吸収され、封じ込められたと言っていた。

 それをユリア嬢に説明すると、ユリア嬢は、胸元に手を置き、心臓を落ち着かせるように深呼吸をした。

 フレイは、ユリア嬢の背中をさすりながら、大丈夫かと尋ねる。

 その時、杖をつく音が聞こえ、足音が、フレイたちの方に近づいてきていることに気づいた。ガゼルは、話しながら、少しずつ、ふたりの位置を探り、歩いて来ていたのだ。

 本棚の陰から、背の曲がった、顔に深い皺を刻んだ老人が顔を覗かせた。

「秘密の部屋は、人の意識を吸収するための施設なのです。だから、その存在は、誰にも知られてはいけなかった」

 ガゼルは、フレイのほうに鋭い視線を向けた。

「フレイ・ソールだな。先日のユリア様をお守りした件は、聞いている。少しのあいだ、ユリア様のお側に仕え、支えになってくれるか?」

 フレイが、ユリア嬢の背中を優しくさすっているところから、フレイがユリア嬢にとって危害を与える人物でないと、判断したのだろう。フレイは、黙ったまま頷いた。

 ガゼルは、視線をユリア嬢に戻し、杖の持っていない手を、懐に手を入れ、一枚の紙を取り出した。

「さぁ、長居をしていると、ケティル3世の手のものが現われるかも知れません。話しの続きは、秘密の部屋でしましょう」

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