第10話 湧き上がる憎しみに

 軍の指揮で、フレイは、ルマリアの街を走り回った。

 怪物に対抗できる戦力が、フレイ、アンダンテ、ルイーゼの3人――アポォリオンは、ケティル2世とユリア嬢が意識を取り戻していないので、命令を変えられないため、役に立たない――だけであったため、それらを分散させて、対応に回らせた。

 怪物を倒すのは、フレイの仕事。怪物をある区画に集めておくのが、アンダンテとルイーゼの役割だ。集められた怪物は、フレイが駆けつけるまで、広がらないように、ほかのファイターや軍の人間が、相手をするが、気を反らせて、移動させないようにする程度の活躍しかできなかった。

 若い軍人の操作するバイクの後ろにまたがり、フレイは、街中を疾走した。

 ところどころ家が破壊され、住人が、放心気味に立っている。警戒命令が出されているため、基本的には、人は、家の中に隠れている。旅行客も身近な民間人の住宅や、商店にかくまってもらい。怪物の目に付かないようにしていた。

 軍人の胸の無線機が鳴り、割れた声が響いてきた。

「第21区画の次。第23区画。コダイゴの丘に目標を10体まとめた。」

「了解」

 次から次に途絶えることなく、無線で連絡が入る。連携がとれているが、防衛対策は何も出来ていない。明らかになったことは、この国には、魔法を使える人間がいないと言うことだった。旅行客の中に入るのかも知れないが、誰も手を挙げない。緊急事態なのだから、魔法の使用は許されるだろうと、思うのだが、フレイは、ぼさぼさに吹き乱れた髪を振った。

「どこから攻撃されたか、わかってるんですか?」

 フレイは声を張って、前で運転している軍人に声をかけた。

 無線機はハンズフリーになっているだろうから、ふたりの会話は、軍の指示を出している人間に聞こえるだろう。

「いえ、今のところ見当はついていません」

 話を続けるかと、フレイは少し黙ってみたが、何も情報を分けてくれないので、ため息をついた。

「あ、そう」

 見当がついていれば、それように、あらかじめ準備が出来たはずだ。それが出来ていないと言うことは、想定外の敵から攻撃を受けたと言うことになる。

 では誰から?

 思考を巡らせると、怪物から、ガーゴイルが連想される。

「もうすぐ着きます」

「1ヶ月ほど前、僕が戦ったガーゴイルって、誰が連れてきたか知ってる?」

 フレイは、若い軍人に尋ねた。

「あれは、ヴラン・カァンという老人が、リチャード皇子に売ったものだと聞いている。なんでも、遠方のゴコワという街から来た呪術師とかで、ガーゴイルを操る言葉を話せるらしいな。軍としてもこの事件に関係のある重要参考人として、行方を追っている」

「いなくなったの?」

「と言うよりも、もともとガーゴイルを操るためにリチャード皇子が、ルマリアに住まわせていただけだから、ガーゴイルが死んだあとは、自分の家に戻ったというわけだ。今、政府が、ゴコワの政府に連絡を取って、老人のことを調べている最中だ」

 ガーゴイルを操れる老人――ヴラン・カァン。

 砂煙を上げたバイクは、少し小高い丘になっている広場に出た。

 広場の中央では、小怪物数匹と大怪物1匹が、ファイターや軍事と格闘をしている。フレイは、バイクがブレーキをかけるよりも速く、跳躍した。

「離れてろ!」

 ファイターや軍人たちの返事や避難も待たずに、フレイは叫びながら、エレボス弾を放った。




 結局、すべての怪物を処理するのに、夜まで掛かってしまった。

 10体ほど、小怪物が、地下水道に迷い込んでしまい、それを探し出すのに手間が掛かったのだ。

「骨が折れる仕事だ。これがサービス残業って奴だろうな」

 ルイーゼは、誰もいなくなったバトルアリーナの会場の外にあるベンチに寝転がりながらいった。

 バトルアリーナを囲む並木の下にあるベンチで、観客が熱中症にならないようにすえられたものである。

 軍関係者と、バトルアリーナの前で最期の報告会を行い。フレイとルイーゼ、アンダンテや、その他のファイターたちは、解散となった。ほかのファイターたちが帰って行く中で、ルイーゼが珍しく、アンダンテとフレイを呼び止めて、少しは成そうといってきたのだ。

 ルイーゼは、顔をしかめながら話を続けた。

「考えてもみろよ。ファイターの給料は、アリーナで戦うことで支払われるんだぜ。アリーナの外で、軍にこき使われて、これじゃあただのボランティアだよ」

 アンダンテは、並木に背を着いて寄りかかって、サングラス越しに、ルイーゼの方に顔を向けた。

 話をしようといっても、アンダンテは話さないから、アンダンテにとって聞いていたほうがいい情報と言うことになる。

 フレイは、腰に手を当てて、ルイーゼに言った。

「あんたの愚痴を聞くために、残ったわけじゃないよ」

「せっかちめ。俺だって、愚痴を言うために、お前らを呼び止めたわけじゃない。アンダンテ。あんたも、何か言うことがあるよな。アニムスなら」

 ルイーゼは、寝っ転がりながら、首を起こしてアンダンテのほうに、顔を向けて、口の端を捻って、嫌みを言うように笑った。

 アンダンテは黙ったまま、何も答えない。

 ルイーゼは、鼻を鳴らして、フレイの方に顔を向けた。

「俺の中にいる半魔人が、ざわついている。エレボスの結晶――魔人がこの街のどこかにいる」

「昼間の一件が、魔人の仕業だって言いたいのか?」

「そこまでは言ってない。ただ、ルマリアに流れるエレボスの流れが、変わってきているな。そいつの影響で、不穏な空気が流れている」

「抽象的だな。そいつ、どこにいるの?」

「さぁ、アニムスは探知機じゃないんでね。もしかしたら、お前が魔人なのかも知れないし、何とも言えない。ただ魔人――エレボスの結晶が、近くにあることが、何となく臭うって感じ」

 そう言ってルイーゼは、仰向けに寝っ転がった。

 フレイは、昼間、天井付近で見た黒い影と、ガーゴイルを操っていたヴラン・カァンという老人のことを話した。

 早計してしまうと、両者が事件の犯人か、同一人物か、そのどちらかになる。ただそうだとしても、目的も何もわからないため、憶測の域を出ないだろう。そもそも、街に攻撃を仕掛けてなんになるのか。ルマリアと、ゴコワのあいだに紛争があって、その飛び火が今日の事件なのかも知れない。

 フレイは、寝っ転がっているルイーゼに尋ねた。

「話は変わるが、ケティル2世と、ユリア嬢はどうなったの?」

「さぁね、どちらも目覚めてないんじゃない? アポォリオンも怪物除去作業に出てこなかったしな」

「そうだな」

 フレイは、呟いて、バトルアリーナを見た。

 星空の下で、古びた建造物が、大きく見えた。昼間の戦いも嘘のように、そこは静けさに満ちていた。

 澄んだ空気は、遠くの星までくっきりと映し出す。

 フレイは並木の下からでて、空を見上げた。

 半月が地上を見下ろし、銀の光を差し込んでいる。

「僕、ちょっとユリア嬢のところに行ってくるよ」

 ルイーゼが、足を振り子のようにして体を起こす。

「なんで?」

「心配だからだよ」

「じゃあ、俺も行こうかな」

 そう言ってルイーゼは立ち上がった。

「なんで?」

「心配じゃないけど、興味本位。アンダンテは?」

 アンダンテは首を横に振った。それから、寄りかかっていた気から体を起こすと、きびすを返して、ふたりから離れていった。

「愛想のない奴」

 ルイーゼが、細めでアンダンテを見ながら呟いた。




「なんでこんなところを行かなきゃらないないんだ?」

 フレイは、先を行くルイーゼに向って、小さく不満を漏らした。

 ルイーゼとフレイは、バトルアリーナの塀を昇っている最中だった。

 ユリア嬢のところに行く進入路は、ルイーゼの提案だった。バトルアリーナの塀を昇って、アリーナの中に侵入して、王族ブースから、王族の区画に侵入する。フレイの提案した“バトルアリーナに隣接する病院の夜間外来から入って、どうどうと、王族の区画に入る”よりも、泥棒めいた作戦である。

 別にやましいことはないのだから、夜間外来から入ろうが、王族ブースから入ろうが、別にどちらでも構わなかったが、ルイーゼが一点張りで、自分の意見を押し通すので、やむをえず、フレイもそれに従った。別々に侵入しても良かったのだが、ルイーゼが何を企んでいるのか、わからないため、放って置くわけにもいかなかった。

「ファイターなら、これも訓練と思え」

 答えになってない。

 だいたいにおいて、興味本位でユリア嬢のところに行くというのが、明らかに、不自然だ。ルイーゼの様子は、見舞いに行くのが恥ずかしいから、別のことを行ったという感じではなく、別のことに気をとられている様子があった。

 フレイとルイーゼは、バトルアリーナの上、観客席の上の天井になっているところにたどり着き、舞台上空のくりぬかれたところまで歩いて行った。

「ここで見たんだって? その影?」

「ちょっと飛んでみてよ。ルイーゼ。普通の人が、円の端から中央まで飛べるのか」

「バカバカ、飛べるわけないだろ。それに着地はどうする? 骨折だけじゃ済まないぜ」

 そう言ってルイーゼは、穴の縁に手をかけて、穴の壁につたって下りていった。天井に張り巡らされた、照明用の鉄骨――後から増築されたものらしい――に掴まって、猿のような動きで、消えていった。

「魔法が使えないと不便だな」

 フレイもそれに習って、ルイーゼのあとを追った。

 エレボスに干渉して、着地寸前に、緩衝しても良かったが、エレボスのコントロールが不安定になっているため、あまりエレボスを使わないようにした。先ほどのルイーゼの話しではないが、体の中で、何か別の意識が発現して、自分の体を乗っ取ろうと画策している不安があった。

 閑散としたアリーナは、やけに広く感じた。

 観客席の修理はされてない。

 おそらくは座席の発注を行ない、その間に破壊された、破壊された壁やら、観客席の床の修繕を行なうのだろう。別の闘技場から客席を集めたところで、それを設置する場所がないのだ。当分はここでバトルは行なわれないだろう。

 観客席の最上階の立ち見席にたどり着いたルイーゼは、立ち見席の手すりに掴まって、アリーナを見渡しながら、呟いた。

「これじゃあ、木剣を手に入れるのは、もう少し先になるな」

 フレイはそのとなりに立って、ルイーゼを見た。

「自由になりたいのか?」

「アニムスは、バトルアリーナの中にいろって言いたいのか?」

「そんなつもりじゃない」

「贅沢をしなきゃ、一生働かなくても、食っていくだけの貯蓄は溜まった。あとは無人島に行って、静かに暮らすか。別の国で、普通のアルバイトをしながら、細々と生活するさ。これ以上戦う気にはなれないし、それに働かなくても困らないと言うことは、アニムスとして、職にありつけないと行ったこともない」

 王族のブースの方に歩き出しながら、ルイーゼは感傷にひたるように星を見上げた。そんなルイーゼを、フレイは始めて見たような気がした。と言うよりも、フレイはルイーゼのことをほとんど何も知らない。バトルアリーナで始めて戦って、そのあと、少し会話して、それから、特に接点はなかった。

 階段を下りて、王族のブースに近づきながら、フレイはルイーゼの背中に視線を送った。

 無人島。

 普通のアルバイト。

 彼の口から出た言葉としては、意外なものだった。何を考えているのだろう。ただの戦い好きではないような気がした。

 王族ブースは、大怪物の触手になぎ払われて、瓦礫が散乱していた。奥の通路の扉も巻き込まれて破壊され、“危険”と書かれた立て看板が、置かれているだけだった。

 ルイーゼは、絨毯の上の埃を、蹴って、舞い上がらせると、鼻で笑って、奥に進んだ。

「何が危険か説明できてねぇよ」

 ルイーゼは、呟いて、立て看板の足を蹴り、通路に倒した。

 フレイはそれを起こしながら、前を歩いて行くルイーゼの背に話しかけた。

「お前の行動が、危険なんじゃないの?」

「そう、俺は危険な男だぜ。ククク」

 冗談めいた口調で、肩をふるわせてルイーゼは笑った。しかし、フレイは特に笑えなかった。面白くないよと、心の中で行って、ルイーゼの後ろに続いて、中に侵入した。




 地味だった通路は、すぐに建築が派手になった。

 最初の数メートル、天井も低くく、たいした印象は受けなかったが、そこを過ぎると、天井がアーチ状になり、廊下の両側に鎧の置物が並ぶ。ほの暗い照明の中では、ただの鎧であるはずなのに、薄気味悪い印象を受けた。

 橙色の細い明かりであったために、周囲の色味はハッキリわからなかったが、絨毯の感触が、アポォリオンの広間の感触と似ている。天井のアーチ具合からすると、どこに通じているのかが、何となく想像できた。

 ルイーゼは、歩きながら、通路の両側に並ぶ世路をを見上げ、少し後ろを歩くフレイに不適に笑いかける。

「お前も、自由になりたかったら、こいつらか、アポォリオンと戦うことになるんだぜ」

 顎でしゃくって、ルイーゼは指し示した。

 フレイは、眉間に皺を寄せて、鎧に近づいて、その装具と、装具のあいだを、目をこらしてみた。

「これも、呪皮が詰められている」

「そのとおり、王族――ケティル2世の忠実なる僕さ」

「じゃあ、これにも邪神が?」

 ルイーゼは、手を振って、前を向いて答えた。

「まさか、アポォリオンは、特別だ。ここに入ってるのは、歴代のファイターたちさ」

「なにそれ? 生きたまま密封されたってこと?」

 フレイは、足を速めてルイーゼの隣を歩いた。

 ルイーゼは肩をすくめて、言った。

「方法は知らない。でも生きたまま、封じられているのは事実だろうね。邪神だって、倒すのが困難だから、鎧の中に封じ込めたって話しだ。歴代のファイターたちも、老人になって死ぬのが恐くなって、鎧の中に、自分の魂を封じて、疲れることも、死ぬことも出来ない体を手に入れたってことだ。中身は空洞って話しだから、筋肉の疲労は感じないだろう。自分の意志が、完全に鎧に同調しさえすれば、どんな動きだって、物理法則が許す範囲で可能になるだろうよ。お前も知らないうちに、封印される可能性だってあるんだぜ。もちろん俺もだけど……」

「それが本当なら、ゆっくりと寝てもいられないじゃん」

「そうだ。強くなればなるほど、そのリスクがある。ちゃんとは公表されてないから、のんきにファイター屋って給料稼いでる気になってるけどね」

 ふたりは話しながら広間に出て、アポォリオンの姿は見えず、あるべきものがないと、落ち着かない感じがした。

 階段を上って、2階のエントランスまで来ると、左右と、それから真っ直ぐ進む通路に別れていた。

「確か、左だったかなぁ」

 呟いて、左の通路の方に歩き出すルイーゼにフレイは聞いた。

「鎧に封じられるって、いったい誰の情報?」

 ルイーゼは、一瞬立ち止まったが、すぐに歩き出した。彼は、小さい声であったが、ハッキリとフレイに聞こえるように答えた。

「知り合いが、封じられたんだよ」

 フレイは、ルイーゼの背中を追いながら、小さく尋ねた。

「仲が良かった人?」

「いや」

 ルイーゼは首を振った。

「俺が、クラスAに昇級するときにアンダンテの次に強かった人だ。話したことはほとんどなかったけど、その人の戦いを見て、いろいろ学んだ。尊敬しているって言い方が、きれいだな。でも、俺が勝ったことで、その人は引退することを決めた」

 ポケットに手を突っ込んで、ルイーゼはため息をついた。

「俺がクラスAの宿舎に移ったその日だ。珍しくその人が、俺の部屋に来てな。様子がおかしかった。おどおどしているって言うか。なんだか、不安があるみたいだったから、なんだって聞いたら、そんなことを話してた。俺は殺されるかも知れないってね」

「殺されたの?」

「さっきの鎧の中のどれかに封じ込められているさ。まだ死んじゃいないんだろう。でも、どの鎧に入っているのかすらわかんねぇ。せめて、戦うところでも見れば、わかるんだけど」

 ルイーゼは、そう言って、ひとつのドアの前で止まった。

 フレイは、並んで、問いかけた。

「着いたのか?」

 ルイーゼは、頷き、部屋のドアをノックした。

 誰か知り合いでもいるのだろうか。フレイは首をかしげて、ことの成り行きを見守った。

 そこは、王族が住んでいるような、豪勢な印象は感じられないところで、天井も平らで、照明も普通の蛍光灯であった。今は、電灯がついているが、それでも、あまりにも質素だ。窓にはカーテンが引かれていて、フレイはそこをそっと開けて、外の様子をうかがう。

 月明かりが差し込み、床を照らした。

 外は、人影もなく、静かだった。バトルアリーナを囲む並木が夜風にそよいでいた。

 ノックしたドアの向こうで、気配がして、続いて、女の声が聞こえた。

「どちらさまですか?」

「ルイーゼです」

「ルイーゼ様? すぐに開けますので、お待ちください」

 フレイはカーテンを閉め、ルイーゼの方に顔を向ける。当のルイーゼは、フレイに背を向けたまま、一歩ドアから下がり、姿勢を正した。

 ドアが開き、アン・フォアイトが顔を覗かせた。

 髪をとき下ろし、シルク生地のネグリジェの上にカーディガンを羽織っていた。部屋の中は細い明かりが灯っていて、すでに就寝に着いていたようだった。

「どうされたのですか、こんな夜遅くに?」

 アンは、目を大きく開けて、ルイーゼを見上げた。ふとフレイは、アンの話し方が、フレイや、ユリア嬢と話しているときのような砕けた言葉遣いではないことに気づいた。

 ルイーゼは、頭を少し傾けて、アンに言った。

「あなたに会いにきました」

「まぁ」

 フレイは、思わず失神しそうになってしまった。それから、ルイーゼの肩に手をかけて、言った。

「おいおい、なんでそうなるんだ?」

 そんなフレイを見てアンは、首をかしげて、酷く残念な口調で話した。

「あら、フレイ。どうしてここにいるの?」

 ルイーゼは、肩にかけられたフレイの手をどけながら、アンに説明をする。

「ユリアさんに会いたいんだって」

「こんな夜遅くにですか?」

 ルイーゼの言葉に、アンの顔つきが疑心に満ちた。明らかにフレイが、ユリア嬢によからぬことをするのではと、考えているようだった。

 アンは毅然として、鼻を高く上げていった。

「ユリア様は、まだ意識を取り戻していません。そんな女子の部屋に行って、いったい何をするおつもりですか?」

「ただの見舞いだよ。どうしているか気になっただけ」

 フレイは肩を落として、答えた。

 そんなフレイを慰めるように、ルイーゼが、背中を叩いた。

「やましいことはないから、出来れば、ユリアさんがどこにいるか教えてもらいたいんだけど、お願いできないかな」

 アンは困ったように、眉をひそめて俯いたが、ややあって答えた。

「わかりました。ルイーゼ様の頼みであれば、断るわけにはいきません。ですが、何かあってはいけませんから、あたしがユリア様のところまで案内します。それで構いませんか?」

「ああ」

 ルイーゼは頷き、フレイの方に顔を向けた。

 フレイは無言で頷き、心外な、憶測に、少し不快になった。

 寝込みを襲うなんてことはしない。もう少しまっとうな、口説き方をするさ。

「履き物と変えてきますので、少しお待ちください。それから明かりも用意しますね」

 そう言って、アンは、部屋の中に戻っていった。

 閉るドアを名残惜しそうに見ながら、ルイーゼは小さく呟いた。

「かわいいだろ。俺のファンなんだって」

「なんだそれ? 遊び目的で、アンに近づいたのか?」

「ちっ、ちっ、ちっ」

 ルイーゼは人差し指を横に振って、のぼせた顔をする。

「俺とあの娘の瞳のあいだに生まれている愛に気づかないなんて、お子様だな」

 バカバカしい。

 フレイは、相手をするのも面倒になって、ルイーゼの言葉を無視した。

 ドアが開き、アンが、手持ちランプをもって現われた。ランプの中では、ろうそくの火がほのかに揺らぎ、赤い光を飛ばした。

 アンは、フレイを眉間に皺を寄せてみてから、ルイーゼの方に笑顔を向けて、口を開いた。

「それでは行きましょう」




 ユリア嬢の寝室は、アンの部屋があるフロアから、さらに3階上に昇ったところにあった。

 両開きの、分厚い木製のドアで、ドアノブもツタが絡み合ったような複雑な装飾がされてあった。

 そのフロアは、絨毯や、窓に掛かっているカーテンに至るまで、何から何まで値打ちのありそうなものばかりだ。幅の広い通路には、ときおり美術館か博物館のように、遺物のようなものがガラスケースに入れられて置かれていた。中には、古い古文書も展示されており、フレイが、思わずガラスケースを開けようとしたほどだった。もちろん開ける寸前で、アンに手の甲をはたかれて叱られたのだが……。

「ユリア様。アン・フォアイトです」

 アンはそう言ったあとで、後ろにいるルイーゼとフレイの方を向いた。

「まだ、意識を戻してない可能性もありますから、あたしが良いというまで入らないでくださいね」

 フレイとルイーゼが頷くのを確認して、アンは中に入って、ドアを閉めた。

 辺りは急に薄暗くなってしまった。

 間髪おかずに、フレイが、ドアノブに手をかけると、ルイーゼがその手の甲をはたいた。

「お前はトリ頭か。入るなっていわれた数秒あとに、もう忘れてんのかよ」

「別に問題ないだろう」

 そう言ってフレイがもう一度ドアノブに手を出すと、今度は、手首を掴んでそれを阻止しようとしてきた。

 小競り合いをするようにフレイとルイーゼは、ドアノブの前で、手を応酬し合った。

 フレイは、ルイーゼに掴まれてしまった両手首を話そう自分の方に捻りながら引っ張る。小さな声で、言葉の攻撃を仕掛ける。

「女の前だからって、いい格好しようとするなよな。お前だって入りたいんだろう?」

 ルイーゼも負けじと言い返してくる。

「お前と一緒にするなよ。スケベ野郎。女の子の寝室に入り込んで、何しようってんだ」

「何もしないよ。ただ気になるって言ってんだよ。いちいち待ってる暇ないだろ。こんなところで、余計なことをして誰かに見つかったらどうするんだよ」

「だったらおとなしくしてろ。アンが良いって言うまでの、1分か2分程度も待てないのか、テメエは」

 フレイとルイーゼは同時に、フレイの背後に視線を向けた。

 直感だ。

 赤い火の玉が、高速で迫り、フレイとルイーゼは、同時にユリア嬢の部屋に飛び込んだ。着弾はそのすぐあとだった。ドアを閉めるより先に、火の玉が、ふたりの立っていたところに着弾し、火柱が上がった。炸裂した瞬間に、四方に火の手が飛び散り、フレイとルイーゼは頭を抱えて、床に伏せてそれを交わした。

 驚いたアンが小さく悲鳴を上げる。

 フレイとルイーゼは同時に跳ね起きて、通路に向き直って、臨戦態勢に構えた。

 明らかに、殺意のある攻撃だ。薄暗い中で、口論している相手が、誰かを判別できたとは思えない。無差別である。

「どうしたんですか!?」

 アンが、ルイーゼに近づいて、明かりを掲げた。

「わからない。誰かわからない奴から攻撃を受けたんだ。ここは危険だから、ユリアさんと一緒に逃げた方がいい!」

「そのユリア様が、いないんです。確かにこの部屋に寝かされてたはずなんですが、布団も冷えていて、もぬけの殻なんです」

 フレイとルイーゼは、顔を見合わせた。それからルイーゼは、アンからランプを受け取って、アンに下がっているように指示を出した。何かあったら、必ず助けるからと、キザな台詞を吐きながら。

「この国にいる魔法使いは、フレイしかいないはずだ。相手は、もしかすると、昼間怪物を操っていた奴かも知れない。近づいてくるぞ」

 ピリピリとした圧迫感が、フレイの産毛を逆立てる。

「それはともかく、かなりの使い手だ。エレボスの流れが、壁の向こうに流れてい言っている。僕にエレボスを溜めさせない気らしいね」

 毛足の長い絨毯は、瞬く間に燃え広がった。その中を平然と歩いてくる足が見えた。裾の長い日よけのローブを頭から被り、鼻から下しか見えていない。燃え上がる火の勢いで、ローブの端がはためくが、燃え移りはしなかった。そう、全身を何か膜に覆われているように、防壁が張られているようだった。

「思わぬところで、思わぬ人間、と」

 それは、手をかざして、ふたつの火の玉を放った。

 フレイは、一歩前に出て、簡単な障壁を張る。そこを通過すれば、燃えている分子が、治まり暖かい風に変化した。

「流石フレイ・ソール。一筋縄ではいかないね」

 聞き覚えのある声に、フレイは、声を上げた。

「お前、昼間アリーナで、僕を地上に突き飛ばした奴だな」

「はいはい、ご名答。ご褒美に、これは如何かな?」

 ローブの人物が右足のつま先で、地面を叩くと、絨毯が切り裂かれ、その下の床がめくれ上がった。その衝撃は波打つようにして、フレイとルイーゼに迫ってきた。

 フレイは、床に手を突いて、エレボスを緩衝させて、床の崩壊を止めようとする。

 しかし、フレイのせき止めようとする力よりも、破壊するエネルギーの方が勝っていた。床一体が盛り上がり、火山が噴火するように、脈打つ。

 ローブの人物は、拍手をして、ケラケラと笑った。

「いつまで持つかな」

 そう言って、右手の人差し指と親指を打ち鳴らすと、天井が崩壊し始めた。

 フレイは、即座に、空いていた左手を突き出して、崩れる天井を抑える。

 攻防はわずか、10秒のあいだに行なわれた。

 ルイーゼが、超剣を出現させ、波打つ床を器用に飛び跳ね、ローブの人物に差し迫る。しかし、それは、ローブの人物が、エレボス弾を人差し指ではじいただけで、部屋の隅まで吹き飛ばされた。

 転がるルイーゼに、アンが駆け寄る。

 フレイは、後を向いて、叫んだ。

「逃げろ! 異常に強いぞ!」

 ルイーゼは、アンを抱えると、近くのドアを蹴り開け、外に飛び出した。

 フレイの立っている床が、膨れあがり、中心から、石畳が、めくれ上がる。

 天井が落ちる。

 フレイは、走り出した。

 瞬間、床が爆発して、衝撃が、フレイを襲った。

 後から無数の瓦礫が飛んできた。フレイはそれを空気の壁を作って、すべて衝撃を抑えた。

 ローブの人物が、手をかざし、3度目の火の玉を作る。それは前よりもはるかに大きく、エレボスのエネルギーが、膨大に膨れあがっていた。

 フレイは、ルイーゼの飛び出したドアから外に出て、上の階に飛び上がった。

 先に出ていたふたりは、窓枠伝いに、ユリア嬢の部屋からさらに3階ほど下りている。ルイーゼは、フレイが飛び出してきたことに気づいて、そこから、地面に飛び降りた。2階の高さからであるから、ギリギリ骨折しない程度なのだろう。

 ユリア嬢の部屋の壁がふくれて、火の玉によって、貫かれる。見るも無惨に一面の壁が、吹き飛ばされた。

 下にいたルイーゼたちは、慌てて振ってくる瓦礫からは知って逃げた。

 フレイは、もう1階上がって、最上階の窓に、取り付いた。

 その時だ。

 窓の中から腕が伸び、何ものかが、フレイの首を、掴み挙げた。

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