第9話 殺戮者、襲来

 午後13時。

 くもり。

 ルマリアで最大級のバトルアリーナは、入りきらないほどの観客で賑わっていた。

 入場制限が設けられ、会場の外には、いくつものテントが設けられ、そこには、会場には入れなかった人のために、舞台の様子を映したモニタが置かれた。座席が並べられていたが、あまりにもテントに密集してきていたため、座席が取り払われて、全部のテントは立ち見席に変えられた。

 開演前にごがつきがあったが、タイムスケジュールに遅れが出ないのは、軍のバトルアリーナ管理局が総力を挙げて、その戦いを成功させようとしているからだ。

 商業的にも、かなりの金が、その日1日のために動いている。

“ルイーゼ対アポォリオン戦”

 ほかの闘技場は、すべて閉鎖されている。客足が少ないのに、開けていれば、人件費や経費ばかりが掛かるだけだ。その人件費を、最大のバトルアリーナの管理に当てるほうが、まだ費用対効果はある。

 今日ばかりは、フレイを始め、アンダンテなどのファイターたちも、会場での観戦は禁止され、宿舎や、バトルアリーナ内の控え室に設置されたモニタで観戦することを強制された。

 何人かのファイター仲間に背中を叩かれて、ルイーゼが控え室を出て行く様子を、フレイは、アンダンテ、リッツとモニタの前に座って見送った。まるで戦争に行く人間を見送るように、肩を組んで歌う。大げさとは思わなかったが、アポォリオンと戦うことが、大きなイベントだと言うことは、ひしひしと伝わってくる。

 そうなのだ。

 王の兵士と戦いそれに勝利すれば、バトルアリーナから出るための木剣が手に入れられる。好んでファイターになったものであれば、その戦いの意味や、勝利の意味は違ってくるだろうが、強制的に連れてこられたものなら、その木剣を手に入れて、自由のみになりたいと思うのが普通である。何せ、体内に毒を盛られて管理されているのだ。

 毎週2回の抗生剤の投与を怠れば、毒――ウィルスが体の中で増殖し、死に至る。フレイ自身、投与を受けずに死に至ったケースを見たことはない。なぜなら、荒くれ者のファイターが、みなその定期接種を欠かさずに受けているからだ。完全に管理されていた。

 控え室に設置された10台のモニタは、会場内に設置されたいくつかのカメラの画像を定期的に切り替えながら、映していた。フレイたちは、一番前の席に陣取り――アンダンテがいたことで、席を譲ってもらえた――会場の様子を見ていた。フレイたちの後ろには、人だかりが出来、戦いの始まりを今か今かと待っていた。

 会場を移していたモニタのひとつに、王族のブースが映った。

 ブースでは、巨漢の皇帝ケティル2世と、その娘ユリア嬢の姿があった。

 ただし、ユリア嬢はモニタに映る左端のギリギリの位置に座っている。巨漢の皇帝の周りには、取り巻くように、化粧の濃い派手目な婦人と、ユリア嬢と同じくらいの年齢か、年上の男女が、観客の方に向って手を振っている。

 そのグループに比べるとユリア嬢の表情は暗く、元気がないように見えた。

 フレイは、皇帝の周りの取り巻きが、継母とその子供だと、推測した。

 モニタに映っていた映像が、すべて切り替わり、ひとつのカメラの絵に変わる。

 モニターには、観客席の最前列に設置された、小舞台に昇る、白いシャツに蝶ネクタイを締めた男を映した。カメラが、男のアップに変わる。金髪を横になでつけ、黒縁眼鏡を右手の指で持ち上げ、男は左手に持ったマイクを口に近づける。

「大変長らく、お待たせしました! 私は、この歴史的一戦の司会を担当いたしますジョー・フォスタと申します。今日はよろしくお願いします。解説実況には、軍バトルアリーナ管理局のマンドレイク氏が行ないます」

 司会のジョーが、舞台袖に座るマンドレイクを差し示すと、マンドレイクは、立ち上がって、観客席の方を向いて会釈をした。

「マンドレイク氏も、10年ほど前にファイターとして活躍をした人物ですから、記憶にある方もいるかも知れませんね。それでは、挑戦者ルイーゼの経歴を簡単に説明したいと思います。バトルネーム、ルイーゼ。先月のアンダンテ戦を勝利し、クラスが、一段階上がり、クラスAAファイターになりました。15歳の時に初舞台を踏み、それからわずか3年でここまでの人気、実力を持ったものは、かつていたでしょうか? いません、どれだけ調べても、そんな人間はいないのです。アニムスとして過酷な少年時代を過ごし、神に見放されたその運命は、このバトルアリーナで美しく華開いたのです」

 割れんばかりの歓声が、スピーカーから、聞こえてくる。司会の声も、マイクで拾っていなければ、一切聞こえないほどの、大音響だ。

「ルイーゼの戦いの成果を一から挙げるのは、不可能です。どれほど心に残る試合があっても、それ以上に“すべてに勝利してきた”と言う事実こそが、バトルアリーナの本質なのではないでしょうか。全512戦全勝。この偉業は、今日513勝目と栄光に包まれるのか、それとも、ルマリアを幾度も守り抜いてきたほぼ邪神に土をつけられるのか。大一番が今始ま労としています」

 その時、モニタの画面が一斉に変わった。

 舞台上のルイーゼの向いている方の大きな扉が、押し開かれる。カメラがズームインして、現われる黒い鎧を映し出した。

「ご覧ください。ルイーゼの向かいから、一歩一歩近づいてくる姿! あれこそ、ルマリアが誇る、最強の兵器アポォリオンです! 右手に持った黒刀が、何人ものファイターたちを引き裂き、はらわたを砂の上にチラしたのです」

 いつから最強の兵器になったんだ、と思わず画面に向って話し掛けそうになるが、寸前のところで、フレイは言葉を呑んだ。司会の言っていることなど、半分以上は、観客を盛り上がらせるだけの、茶番だ。いちいち、気にする必要などないのだ。

 フレイとユリアが襲われた時には持っていない武器を携帯していた。自分の身の丈ほどもある刃幅の太い、黒い片刃の剣で、細身のサーベルであれば、雑草取りのごとく、簡単に切り捨てられそうであった。何よりも驚くべきことは、全長と、刃幅から想定される、重量である。材質まではわからないが、軽く100キロは超えるのではないだろうか。それを右手ひとつで持っているわけである。鎧の中が、筋肉になっているのか、空洞なのかはわからないが、かなりの腕力である。

 フレイの隣に座っているリッツが、唾を飲んで、フレイをひじで突っついた。

「ルイーゼ、勝てるかな?」

「見てればわかるよ」

「そんなこと知ってるよ!」

 リッツは、起こってフレイの足を踏んづける。フレイは、踏まれた足を抱え込むようにして、一言「ジョークなのに」と言った。

 銅鑼が小さく連打され、戦いの前兆のように、会場内を静めていった。

 嵐の前の静けさのように、会場で騒いでいた観客たちは、その銅鑼の音に耳を傾けた。

 一瞬銅鑼の連打が止み、続いて力強い一撃が打たれた。

 観客が、総出で立ち上がる。

 ルイーゼが、地面を駆けた。ルイーゼの右手にはすでに赤い刃の超剣が握られている。

 観客が、声援が、スピーカーの音を割る。

 モニタに食い入るように見ているファイターたちも、ルイーゼに声援を送る。

 アポォリオンは、まだ動かない。

 電光石火のごとくルイーゼは突進し、その勢いのままアニムスの超剣を突き出した。

 甲高い音が響き、超剣の先端は、アポォリオンの鎧を突いた。モニタの解像度では、突き刺さっているように見える。しかし、アポォリオンは、右手をゆっくりと振り上げて、大剣を構えた。ルイーゼは手がしびれたのか、軽く手を振る動作をしながら、2歩下がる。そこへアポォリオンの大剣が振り下ろされた。

 大剣は、その一撃で地面を3メートルほど真っ二つに引き裂いた。物理的な攻撃だけではない。振り下ろしたときの剣圧が、衝撃となって、切り裂く距離を伸ばしたのだ。

 砂煙が左右に分かれ、その中に紛れるようにルイーゼは、転がった。

 アポォリオンは、顔を右に向けルイーゼをとらえる。突き刺さったままの大剣で、地面を抉るようになぎ払い、思い足音を響かせて、走り出した。

 なぎ払われた地面が、飛散してルイーゼを襲う。

 ルイーゼは跳ね起き、両手で長剣を構える。空中で体勢を立て直しているところへ、アポォリオンの巨体が猛進してきた。

 アポォリオンは、大剣を軽々と振り回し、ルイーゼの胴を切るように真一文字に斬りかかった。

 避けきれないと判断したルイーゼは、超剣を振られてくる大剣に垂直に重なるように体の横に構えた。

 無謀だ。

 フレイが呟こうとした瞬間、アポォリオンの大剣がルイーゼに重なった。

 ルイーゼの体は、少し浮き上がりながら、超高速で回転し始めた。大剣はその下を通過する。

 なるほど、フレイは少し感心した。大剣の力に逆らわず、侵攻する大剣の勢いにあわせて超剣を斜めに傾けて、ある程度傾けたところで、持っている超剣の角度を固め、そのまま受ければ吹き飛ばされるエネルギーを小さな浮力と大きな回転エネルギーに変換したのだ。言葉で説明すれば簡単だが、実践でそれを行えるのは、とんでもない技量を必要とするだろう。

「すげぇ」

 フレイの背後で誰かが呟いた。まさにその通りだった。

 だがアポォリオンの攻撃はそこで終わったわけではない。回転しているルイーゼに肩を向けて、突進をやめなかった。ルイーゼはその攻撃も、受け流すようにやり過ごす。もはや、モニタの解像度では追いつかないほどの攻防である。

 フレイはリッツを肘で突っついて、周囲の人間に聞こえないように小声で話した。

「生で見てこない? モニタじゃ、いまいち動きが見えないし」

 リッツは一瞬驚いたが、何か考え込むように眉間に皺を寄せると、小さく頷いた。

「舞台袖の出入り口なら、隙間を空ければ、見られるかもしれない。監視カメラで撮られているけど、あそこのドアの開閉は機械で遠隔操作しているから、警備はいない」

 フレイは頷き、アンダンテの方を向く。

 アンダンテは、話を聞いていたのか、フレイの方に顔を向けていた。

「(行く?)」

 口をぱくつかせて、問いかけると、アンダンテは小さく頷いた。

 3人は目配せをして、さっと席から立ち上がろうとしたとき、スピーカーから悲鳴が聞こえてきた。3人は動きを止め、同時にモニタに視線を向けた。

 モニタの舞台上には、ルイーゼ、アポォリオンを取り囲むように、黒い巨大な生物らしきものが映り込んでいた。1体どころではない。モニタに映っているだけでも、5体以上は視認される。

 それは、どろどろの液体が表皮を流れ、ゆっくりと何かを形作るように変形すると、それは、フレイが戦ったガーゴイルと似たような形状に変化した。ただし、胴体からは、触手のようなものが伸び、鞭のようにしなって観客席に振り下ろされた。

 観客席に血が飛散した。

 1本や2本ではない、一体につき複数本。それが無作為に、観客席に打たれたのだ。

 モニタにはパニックになって逃げ惑う人びとが映し出されている。我先に触手から遠ざかろうと、席を飛び越え人を踏みつけ誰もが、人間としての尊厳を忘れてしまった。しかし、逃げ場は数に限りがある。出入り口付近は人で混み合い、モニタからでも、圧死してしまうのではと心配してしまうほど、ぎゅうぎゅうに詰めていた。

 出入り口の付近は、舞台に近く触手の餌食になりやすかった。1本の触手が無味乾燥的に、出入り口に群がる人を頭からたたきつぶした。モニタはすぐに切り替わり、舞台の全景のカメラに切り替わる。つぶされた出口は、遠くの方で赤くしたたりを舞台にながしていた。

 なにが起こっているのか?

 なぜこんなことになったのか?

 誰も考えているヒマはなかった。

 全景に切り替わったカメラの正面に王族のブースが見えた。

 ブースの奥が崩れ、通路がふさがれたらしく。従者が散乱する瓦礫を片付ける。ブースの左端では、継母たちとその子どもたちが身を固めて、舞台上の惨劇と、従者の作業をせかし、いつ自分が攻撃されるのかと絶えずおどおどしているように見えた。その反対側では、ユリア嬢がブースから身を乗り出して、会場全体を見渡している。中央では、皇帝ケティル2世が、従者に支えながら車椅子をブースの端まで進ませて、舞台上にいるアポォリオンとルイーゼに向って叫ぶ。

 おそらくは、アポォリオンへの指示を出しているのだろう。アポォリオンは王族の命に従うと言う。

 しかし、ケティル2世の声が届くより先に、触手が、王族のブースを襲ってきた。ブースの右側から凪ぐように1本の触手が振られ、ブースの壁が吹き飛び、埃が舞い上がった。

 フレイはモニタに飛びつき、それから、すぐに控え室のドアに向って走り出した。

 モニタの様子に固まっていたファイターたちは、フレイのその行動に我に返り、「観客たちを助けに行くぞ!」口々に声を張り上げた。

 フレイは、ドアを開けると、一目散に、舞台袖に走った。

 ほかのファイターたちは、武器を取りに別室になだれ込む。

 フレイの隣をアンダンテが並んだ。サングラスをかけた顔をフレイに向けて、小さく頷く。包帯の巻かれていない口元が真一文字に結ばれていた。




 舞台袖のドアを蹴って、フレイとアンダンテは、舞台に立った。

 フレイが状況を把握するより先に、アンダンテが動いた。

「こぉぉぉぉぉぉッ!」

 体内に溜め込んだものを発散するように、アンダンテの体から、黄色の光があふれ出す。

 被っていた麦わら帽子が、空に舞い上がり、アンダンテは、跳躍した。

 真っ直ぐに舞台中央にいる怪物に殴りかかる。アンダンテの拳が、怪物の頭部を殴打し、怪物の体が傾いた。続けざまに原に何度もパンチを浴びせれば、怪物の口からは唾液が飛散した。

 アンダンテのアニムスは始めて見る。打撃タイプの能力かと視界の隅で確認しながら、フレイは、会場を見渡した。

 観客は、逃げ場のない観客席最上段に避難してひしめき合っている。ときおり触手が伸び、さらわれたり、たたきつぶされたりと、痛々しい。子供の泣き声も聞こえる。隙を見て、破壊されていない観客席出入り口から逃げ出すものもいたが、何人かは、触手に見つかり、その命を奪われる。

 王族のブースは屋根と壁が吹き飛ばされているが、その中にいる人は、とりあえずは生きているらしい。ケティル2世の周囲に人が集まっている。その脇には、ユリア嬢が、地面に伏して倒れていた。気にもかけてもらえないのかと、フレイは原正しく思ったが、王族のブースに関しては、アポォリオンが、触手を防いでいるので、問題はないだろう。

 舞台上では、アンダンテと、ルイーゼが戦っていた。

 ルイーゼは、超剣を使わずに、体術で怪物と戦っていた。だが、武器を使わないルイーゼほど、役に立たないものはいないだろう。怪物にダメージを与えることも出来ず、パンチがあたっても、キックがあたっても、怪物は屁とも感じていない様子だった。

「大丈夫そう?」

 フレイは後ろから声をかけられた。

 ほかのファイターがたどり着いたのかと思って振り返れば、そこにいたのはリッツだった。

「なんで来たんだ!?」

 フレイはとっさに怒鳴っていた。

「何でって――」

「命を失いかねない危険なところだってわからないのか? 早く帰れ!」

 リッツの言葉に覆い被さるように、フレイはさらに言葉を続けた。

 悪寒が走った。

 見上げると、フレイとリッツの頭上に、怪物のスケールの小さい小怪物がいた。小怪物は、猿が木から落ちてくるように四肢を広げて落ちてきた。

 フレイは、リッツの腹を抱えると、横っ飛びする。間髪遅れて小怪物が、着地した。砂地が凹み、表面の塵が舞い上がる。

 1メートルもないほどの小柄な体型で、背中を丸めて長い両腕で、ゴリラのように地面を押して体を起こした。それから、薄気味悪い笑みを浮かべ、フレイとリッツの方に顔を向けた。

 リッツか指さしながら、叫ぶ。

「さっきはこんな小さい奴いなかった!」

「わかってる!」

 フレイが答える。

 小怪物は、手足を使って走り出し、フレイたちの方に向ってきた。フレイはリッツを自分の後ろに下がらせ、突進してくる怪物の首元をつかまえた。知能が低いようで、小怪物はそのまま押し倒そうとしたが、フレイはエビぞりになって小怪物の身体を持ち上げた。普通に持とうとすれば不可能でも、力の方向を変えれば、フレイの細腕でも、70キロくらいは持ち上げられる。

 小怪物の突進してくる勢いのまま、斜め後ろに投げ飛ばした。

 小怪物は、リッツの頭上を越えて、遠くの方で着地した。だがそれまでだった。フレイのエレボス波が着地した瞬間を襲い、小怪物の半身は消滅した。それだけではない。エレボス波は、観客席の塀を抉るように粉砕した。飛び散った破片は、衝撃波で、粉みじんに消滅してしまった。

 エレボス波の予想外の威力に、フレイは、驚いた。

 だがそれで固まっていられるほど、ゆとりのある状況ではない。別の小怪物が数匹、リッツのほう牙をむいて襲いかかってきた。フレイはリッツを抱えたまま、舞台上で大怪物と戦っているアンダンテの方に向う。

 少なくとも、アンダンテと背中合わせになり、その間にリッツを置けば、まだ安全である。

 フレイたちの入ってきた出入り口は、小怪物が山鳴りにあふれかえり、奥からやってきたファイターたちと戦い始めた。

「しかし」

 フレイは自分の右手を見ながら呟いた。

 エレボスのコントロールに違和感を感じた。先ほどの攻撃の出力にしても、普段の倍以上の力がこもっていた。すなわち、イドの暴走ギリギリの値を超えている。しかしフレイには、その間隔がなかった。エレボスを溜めた量は、ガーゴイルの時の暴走の反省から、極微量の相手の出方を見るために放った程度のものだった。後ろの壁どころか、相手に傷ひとつつけれる可能性も、考えていなかった。

 フレイは、リッツをアンダンテの後ろに投げ飛ばし、アンダンテの背後にせまっていた大怪物に跳び蹴りを食らわした。

 皮膚の感触は、ガーゴイルと変わらない。

 フレイは、蹴り足を軸にして、大怪物の頭上に跳躍すると、エレボス波を、さっきよりも弱めて、放った。溜める時間など、1秒にも満たないほどである。

 しかしそれは、大怪物の頭から直線上にある胴体を、完全に消し去ってしまった。残った腕と、膝から下の足は、無残に砂地に落ちた。

 完全にエレボスのコントロールがバカになっていた。

 ルイーゼが、フレイとアンダンテのもとにやって来た。

「エレボス波で、奴らを消滅できるんなら、早いところやっつけてくれ。剣であいつらを切っても、ダメージを与えるどころか、分裂させるだけでしかない」

 そう言ってルイーゼは、観客席を指さした。

 王族のブースの前では、アポォリオンが大剣を振って、襲ってくる大怪物や小怪物を切り払っている。腕や、胴体が切断され、地面に伏した怪物は、間を置かずに痙攣して、切断面から新しい細胞を作って、分裂していた。数がどんどん増えているにもかかわらず、アポォリオンは、ブースの前で剣を振り続けた。

「止めろよ!」

「止められないんだよ。王位継承権のある奴しか、あいつに命令できない仕組みになってるんだよ。そのケティル2世はやられちまったし、血のつながりのない妃は当たり前だけど、馬鹿息子、馬鹿娘どももアポォリオンに命令しても、全然言うこと聞きやしない」

 そこへ大怪物の触手が振り下ろされる。アンダンテが、フレイとルイーゼの間を縫って、突進し、強烈な右フックを浴びせた。

 フレイは、地面を這ってきた小怪物を蹴り返し、ルイーゼに叫んだ。

「そんなはずはない。ユリア嬢は、この前アポォリオンに命令して動かしたぞ!」

「まさか!?」

 ルイーゼは、半信半疑の表情で王族ブースに顔を向けた。

 フレイも、殴りかかってきた大怪物の頬を蹴りながら、ブースを見た。

 ユリア嬢は、地面に伏しているようで、階段越しに、頭の影がちらりと見えた。おそらく王族ブースを破壊した触手の一撃で、意識を失っているのだろう。運が悪ければ、死んでしまったか。

「ルイーゼ、ユリア嬢を頼む!」

 フレイは、ルイーゼに向って叫んだ。

 ルイーゼは、頷いて、迫ってきていた大怪物の頭を飛び越えて、大きく跳躍して王族ブースの方に向った。

 ユリア嬢が意識を取り戻せば、アポォリオンを止めて、これ以上増殖されるのを抑えられる。しかし、ユリア嬢が死んでいたら、いったい誰がアポォリオンを止めるのだろう。

 フレイは不意に起こった身震いを抑えて、アンダンテに声をかけた。

「アンダンテ! 僕を空に放り投げてくれ、舞台上からエレボス波を打てば、観客に被害が出るかも知れない。空から攻撃する!」

 アンダンテが頷いたので、フレイは走った。

 両手を組み合わせて、アンダンテはフレイの乗る足場を作る。フレイがそれに両足で乗ると、力を込める様子もなく、軽く放り投げた。

 しかしフレイの体は、あっという間に、バトルアリーナの天井付近まで到達した。円形にくりぬかれた天井を少し通り抜け、視界にルマリアの街並みが入る。そこでフレイは驚いた。

 ルマリアの街は火の手が上がり、粉じんが立ちこめている。火事などではない。家々の影から、大怪物の姿が見られた。戦闘が行なわれているのだ。

「なにが起こっているんだ? どうしてこんなことになったんだ?」

 問いかけてみても、何も答えは浮かばない。

 フレイは眼下の大怪物に人差し指を向けた。そして続けざまに、少量のエレボス波の弾丸を撃ち出す。

 舞台上にいる大怪物は、直径1メートルほどのエレボス弾の黄色い光に体を抉られた。エレボス弾が砂にあたった反響で、残された腕や、体の一部が消滅する。

 おそらく、エレボスの揺らぎの干渉を受けすぎる、体の構造をしているのだ。

 その証拠に、間近にいたアンダンテは、その余波を受けても、なにも起こっていない。

「アンダンテ! 舞台から離れてて!」

 アンダンテは、舞台上にいたリッツを抱えると、素早く観客席のほうに逃げてった。

 それを確認してから、フレイは、エレボス弾を連射した。溜める量が少ないため、ほとんど間髪なく、黄色い閃光が、舞台上にいる大怪物を消滅させていった。

 自由落下の加速が速くなりかけたときには、舞台上には怪物の姿はなかった。

 フレイは、観客席のほうにいる大怪物に照準を合わせた時、背後に衝撃を感じた。

「期待しているようには、いかないかァ」

 声がしたときには、フレイの身体は、地面に向って、たたき落とされていた。体を捻って、誰が攻撃してきたのかを確認したが、すでに天井の影に隠れるところだった。日差しのせいで、黒い固まりにしか見えなかった。

 フレイは、地面にぶつかる寸前、体からエレボスを噴出させ浮力を働かせ、落下の衝撃を打ち消した。

 天井の空いた空間から空を見上げながら、フレイは、事件の犯人を見たような感覚に落ちた。男の声だったと思うが、正確にはわからない。それほど低い声ではなかったのは確かだ。武器を所持していた。鋭利な刃物でもなければ、金属製のものではなく、おそらくは、プラスチック製か、木製のものだ。

 天井は、直径100メートルほどの大きな空洞になっていて、フレイが打ち上げられたのはそのちょうど、中心辺りである。そんなところに、普通の人間が――例えファイターであったとしても、特殊な力を持っていなければ――跳躍してこれるはずはない。魔法使いか、アニムスか、それとも、何か道具を使って、空を飛行してきたのか。見過ごしてしまったので、それすらハッキリとしなかった。

 舞台上には、フレイのエレボス波の衝撃で、粉塵が舞い上がっていたが、少しずつ収まってきた。

 観客席のほうから、声がかけられ、フレイはそちらの方に顔を向けた。

「アンダンテが、怪物を舞台に落とすから、倒してくれ!」

 リッツがアンダンテを指で差し示しながら、叫んできた。

 アンダンテは、、観客席を破壊しながら、観客の方に向っている小怪物の前に立ち塞がり、その腹に拳を食らわした。小怪物の体が持ち上がり、舞台上空に放り投げられる。

 フレイはそれに人差し指を向けて、エレボス弾を放った。

 小怪物の身体は、灰になったかのように、黒い粉末に吹き飛ばされる。

 続けざまに、何体もの小怪物が、打ち上げられる。アポォリオンのせいで異様に増殖していたため、作業は、気が遠くなるような気がした。

 エレボス弾を連射しながら、フレイは隙を見つけて、王族のブースに視線を送った。

 王族のブースの前では、アポォリオンが、主を守るように、仁王立ちになっている。その前で、アポォリオンに小怪物が近づかないように、ルイーゼが、殴ったり蹴ったりしながら小怪物を追い払っていた。アンダンテはちょうど反対側の小怪物を打ち上げている最中なので、まだ、ルイーゼの作業は楽にならないだろう。

 王族ブースの左側――フレイとリッツがやってきた入り口の前では、ファイターたちと、小怪物の戦闘が繰り広がられていた。残念ながら、ルイーゼや、アンダンテとは違い、彼らは普通のファイターであったために、剣を使わずに体術だけで、小怪物を倒すと言うことは出来ない。追い払うと言うよりも、追い詰められているのが現状だろう。こちらも、アンダンテがくるまで舞ってもらうしかない。

 フレイは、エレボス弾で、作業的に小怪物を殺しながら、バトルアリーナを片付けたあとのことを思い、頭を痛くした。

 何がどうなっているか、誰かに説明してもらいたかった。

 ルマリアに来てから、ろくなことに巻き込まれていない。

 誰が後ろで糸を引いているのか、絡まらずに、簡単に解けて欲しいと、心から思って、フレイは、エレボス弾を連射し続けた。

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