第7話 檻の中のイド

 男は、キャップを目深に被り、色の濃いサングラスをかけていた。

 だぼだぼのTシャツに、ゆったりとしたカーゴパンツをはき、首にかけた幾重のネックレスは高そうな響きを奏でる。

 フレイの行く手を遮るように、そいつは仁王立ちに立ち塞がった。

 顔は隠れているが、その所作までは隠せていない。フレイはその男が誰なのか、すぐにわかった。

「頭隠して尻隠さずだね。ルイーゼ」

「街中で普通の格好は出来ないからな。これでも変装してるのさ」

 おそらくは、アンダンテ同様に、人気のあるファイターであるから、街中を歩けば、それなりにファンが集まってくるのだろう。

 フレイがその脇を通り過ぎると、ルイーゼも、きびすを返してフレイの隣に並んだ。

「どこに行く?」

「寮に帰るんだよ。ついてこないでもらえる?」

 フレイは、ルイーゼの顔も見ないでいうが、彼は構わずについてきた。

 いったい何の目的があるのかフレイにはあまり見当がつかなかった。ホモセクシャルというわけでもないだろう。追い払う労力も面倒だったので、フレイは、特に何も言わずにあるいた。

「お前、カリフォルニアの研究所を消滅させたフレイ・ソールなんだろ?」

 ルイーゼは、口元に笑みを浮かべながら問いかけてきた。

 笑うようなことではない。

 フレイは、質問には答えずに、ルイーゼに尋ねた。

「なんで狸寝入りしていることに、気づいてたのに、黙ってたの?」

「言って欲しかったのか? 質問に答えろよ。もしフレイ・ソールなら忠告をしに来てやったんだぜ」

「忠告?」

 フレイは眉をひそめた。

 ふたりは、夕焼けの人通りの少なくなった闘技場を囲む並木道を並んで歩いた。

「知っての通り、俺は、半魔人――ヴレイド・レイドゥと契約をして体内に住まわせているアニムスだ。アニムスは、契約した魔人から、エレボスの流れを教えてもらうことが出来るが、そこで面白いお前に関係する情報を聞いてね。それで教えてやりたくなったのさ」

「前置きが長いねぇ、いったい何が言いたいの?」

 ルイーゼは、小さく舌を打って話を続ける。

「お前が魔法を使用するときに、エレボスを体内に溜め込むだろ。その行為が、カリフォルニアの研究所での事故を引き起こしたらしいが、直接の原因はわかっていない。それは普通の人間には、エレボスの流れを“見る”感覚が備わっていないからだ。半魔人であれば、蓄積されていくエレボスの変化を観察することが出来る。そして、俺の中の半魔人ヴレイド・レイドゥは、言っている。お前の中に蓄積されていくエレボスは、イドの干渉によって、意志を持ち、ひとつの生命体を作ろうとしている、と」

「生命体を作る? つまり、魔人が生まれる場所のような、エレボスの揺らぎが僕の体の中に出来ていると言いたいのか?」

 ルイーゼは頷いた。

「おそらく、お前はエレボスを蓄積する容量が、桁外れに大きいんだろう。そして2年前にエレボスの流れに含まれるようになったイドと呼ばれる物質が、触媒になっている事は、確からしい。この辺りは、僕の言葉じゃなくて、半魔人の言葉なんだけどな」

 フレイは立ち止まって、ルイーゼに向き直った。

「ならば聞きたい。さっきイドの干渉で、生命体が生まれると言ったが、イドと魔人は、つながりがあるものなのか?」

 ルイーゼは、フレイの目を見て立ち止まり、一瞬目を伏せて眉間に皺を寄せたあと、もう一度視線を上げた。

「関係はない。ただ、もしアニムスがイドの干渉と、エレボスを体内に蓄積することが出来れば、体内の半魔人を魔人化させ、体の中から出すことが可能かもしれない」

「なるほど、それで、僕に近づいてきたのか?」

 ルイーゼは、自嘲するように寂しそうな笑いを浮かべて、後ろを向いた。

「だけど、現実は甘くない。今の話は、理想だ」

 アニムスは、エレボスを溜める能力を持っていない。これは、100年ほど前の研究で、解明されたことだった。半魔人を体内に宿すために、エレボスを溜める器を利用している。そのため、エレボスをせき止め、溜めようとしても、溜めるための器がないのだ。

 ルイーゼは並木の木に手を置いてため息をつくと、フレイのほうに向き直った。

「忠告って言ったよな」

「ああ」

「イドという物質は、体内から排出されない。そのため、魔法を使用するためにエレボスを溜め続ければ、その時にろ過されたイドが蓄積される。体の中のイドが器を満たせば、少量のエレボスでも生命の創発を生む。お前も気をつけるんだな」

 それだけ言うと、ルイーゼは、もと来た道――病院のあった方へ歩いて行った。

 ルイーゼの歩くさきの空は、群青の夜が覆いを隠していた。




 フレイのファイターとしての戦いは、否応なく始まった。

 魔法の使用は、どういうわけか許可がおり、あとは、フレイの任意だけだった。許可書は偽造されたものではなく、正式に、国連の理事会より発行されたものであった。少なくとも、フレイが、ファイターとして戦うことは、新聞沙汰に取りただされているわけだから、情報を検索すれば、誰もがルマリアの、バトルアリーナで魔法が使われる可能性があることは知れる。しかも、魔法平和利用条約制定の当事者が、使おうとするのだから、連日フレイがバトルを行なう日は、記者や、観光客やらで、アリーナは賑わっていた。

 本来クラスEのファイターであれば、小さな闘技場でバトルが行なわれるのが通例だが、フレイの場合、集客力が高かったため、異例中の異例で、最大級のバトルアリーナでの戦いが行なわれた。最大級のバトルアリーナで戦うのであるから、その相手も、会場にふさわしいクラス上位者であったり、ルイーゼが戦ったような、複数人、人ではないものなど、戦う相手もさまざまだった。

 しかし、フレイは、一度も魔法を使用しなかった。

 ルイーゼと張り合えるほどの体術を持ち得たことが幸いし、魔法を使用しなくても、体術ひとつで渡り歩くことが出来た。観客はそこは気に入らないらしく。フレイが勝利しても、相手を、「殺せ」とは言わず――フレイが、余裕で勝利するのが気に入らないようで、相手を殺して、完全勝利させないようにしているらしい――これまた幸いなことに、対戦相手を殺さずに、戦い続けることが出来た。

 これに腹を立て、そして焦ったのは、マンドレイクら、ファイターの管理をしている軍の人間である。

 商業的には成功しているが、一番の売りを出し惜しみされては、観客にも飽きられてしまう。はじめのほうは、弱い相手でも問題はなかったが、魔法を使用させるような強い対戦相手をぶつけなければ、観客の「いつ魔法を使うんだ?」と言う期待に応えられない。しかし、ジレンマもあった。魔法を使えば、そこで商業価値のピークが過ぎてしまうのではないかという、危ない予想もしかねる。

 魔法を使わないからこそ、フレイの価値がある。

 いつしか、「魔法を使わないと倒せないように見えて、何とか体術だけで戦える相手」を探すという、面倒な状態に陥っていた。もちろん面倒に陥っているのは、軍であって、フレイには関係のない話だ。戦い方を打診してくることもあったが、相手が、人間のファイターでなければ、それも無駄だ。人間のファイターだけと戦っていれば、それも可能だが、観客もそれでは飽きてしまう。必然的に獣とも戦うことになるが、獣であれば、人間の言うことなど、聞きはしない。

「今日の対戦相手の通知来た?」

 フレイが食堂で、朝食をとっていると、リッツがテーブルの向かいに座りながら言った。

 フレイは、スクランブルエッグを口に運びながら、少し上を向いて考えた。バトルの当日に、ダイレクトメールが、アリーナ管理局から送られてくる。

「ガーゴイルとか言ってたな。古びた名前だけど、どうせ獣だと思うよ」

「おとぎ話に出てきそうな名前だな。翼が生えてたりして」

「まさか」

 フレイはそういいながら、笑い声を上げた。

 ファイターとしての生活に慣れ、戦うことにも慣れる。

 人よりも獣との戦いのほうが、相手が獣である分、戦い方に融通がきかなくて大変ではあるが、人殺しの汚名を被らないだけ、まだ、精神的には苦痛が減る。獣とのバトルの場合、フレイの場合は、武器を持たずに戦うため、獣の戦意を喪失させれば、それだけで済んだ。または気を失わせれば、殺さずに戦いを終わらせることが出来た。

 人間と戦うときは、獣よりも形式的な戦いに近くなるが、観客を魅了させながら、且つ、相手にも花を持たせて勝利しなければ、相手が観客の命令で殺される可能性が出てくる。

 アンダンテが、フレイの隣の席に、何も言わずに、朝食の載ったトレーを置いた。他人と食事を共にすることがほとんどなかったアンダンテではあったが、ごくまれに、フレイやリッツと食事をすることがあった。ただし、リッツの場合は、リッツのほうからという場合が、多い。

 リッツが、トーストにたっぷりとバターを塗りながら、アンダンテに尋ねる。

「アンダンテの今日の対戦相手は?」

 アンダンテは、フレンチトーストをかじろうとしたところで、動きを止め、手を払ってから、服のポケットからダイレクトメールを取り出した。

 差し出されたダイレクトメールをフレイが受け取り、代わりに、読んでリッツに教える。

 簡素な真っ白いはがきの裏に書かれた、小さな黒い文面。それにフレイは、小さく声を漏らした。

「ルイーゼと戦うのか?」

 フレイはアンダンテの方を向いた。

 アンダンテは小さく頷いて、フレンチトーストを食べる。

 リッツが、バターを塗っていたナイフと、トーストを皿の上に投げだし、テーブルに身を乗り出してきた。

「ちょっと見せて!?」

 フレイの持っていたダイレクトメールを奪い取ると、両手で端を持って、顔の真ん前に持っていく。やがてリッツの体は上下に小刻みにふるえだした。

「とうとう、ふたりが戦うんだぁ。最強のアンダンテに挑む、ルイーゼ」

 感慨にふけるようにダイレクトメールを持ったまま、リッツは目を閉じて、昇天するように幸せそうな表情になった。

 フレイはそれを見て、アンダンテのほうに苦笑いを送った。

 リッツは視線をもう一度ダイレクトメールに戻して、内容に目を通すと、眉をひそめた。

「あれ、でもこれ変だぞ。開催地が、山岳地帯の第五闘技場だ。時間は、18時会場、18時30分開戦。メインのバトルアリーナでやらないんだ」

 リッツは、フレイのほうにメールを差し出しながら、アンダンテに言う。

 フレイが、メールを見ると、リッツの言った通りの内容が書かれていた。

「この時間、メインアリーナで俺が戦ってるよ」

 自分に送られてきたダイレクトメールをも出しながら、フレイは、顔を上げてリッツと、アンダンテに言った。

 リッツは、テーブルの上にひじをついて、身を乗り出す。

「えぇ、普通なら、開催地を逆にするか、連戦にした方がいいんじゃないの? 観客を分散させてどうするんだ?」

 すべてはアリーナ管理局の思惑であるため、フレイやリッツがいくら考えたところで、正解は出てこない。可能な限りの正解を考えれば、フレイに集客力が認められ、その客層と、アンアンテ対ルイーゼ戦のバトルを見る客層が違うと言うことだろう。もしくは、ふたつを同時に開いても、客数を減らさない自身か、秘策があるかのどちらかだろう。

 フレイはアンダンテにメールを返した。

「応援には行けないけど、がんばってね」

 アンダンテは、受け取って、小さく頷いた。




 バトルアリーナは、満席だった。

 アンダンテ対ルイーゼ戦の影響で、客足が遠のくかと思ったが、その予想は外れたようだった。

 フレイは、控え室にあるモニタから、ほかの会場のバトル風景を見ながら自分の出番を待っていた。

 控え室の中央には、長椅子が並列に並べられ、それに向かい合う壁に小さなモニタが5台ずつ、上に重ねられて設置されていた。モニタの置かれていない壁には、ゆったりと座れるひとり掛けのソファが小さいテーブルを挟んで、何組か置かれている。

 フレイは中央の長椅子にほかのファイターたちと一緒に座りながら、モニタを見ていた。

 第五闘技場は、予想通りの客数で、満席の上に最上段の立ち見席まで寿司詰めのような盛況ぶりであった。観客向けの発行紙には、1ヶ月ほど前から、予告があったらしい。観客の足が途絶えないのは当選の話である。

 リッツもおそらくは会場の冗談の立ち見スペースにいるのだろう。このふたりの戦いを楽しみにしているのは、観客だけではない。ファイターたちも、頂点と、その首を取ろうとするものの戦いを見たくて、身もだえるように興奮していた。そのファイターたちは、誰もが、アンダンテと、ルイーゼに負け戦をしてきた人間たちでもある。

 フレイは、控え室に備え付けられたモニタに群がるファイターたちを横目に、少しずつストレッチを始めていた。

 結局のところ、フレイは、自分の戦いを早く終わらせないかぎり、ふたりの戦いを見ることは出来ないのだ。ふたりの戦うところには関心を持っていないが、アンダンテは同じ寄宿舎に住んでいるある意味仲間のようなものだし、ルイーゼとは、一度戦って以来、動向を気にしていた。イドに対する助言をしてくれたことが、影響しているのだろう。

 両者がアニムスと言うことも、もしかしたら、関係しているのかも知れない。アニムス同士の戦いであれば、必然的に、その両者が契約し、体内に取り込んだ半魔人の力を使って戦うことになるだろう。観客もそれを期待している。

 ルイーゼのアニムスは、フレイも身を持ってた意見していた。しかし、アンダンテのアニムスは、見たことはない。これは、フレイに限ったことではない。リッツも、観客も、誰も、アンダンテのアニムスは見たことがないのだ。底なしの強さと、アニムスであるという言葉しか、証明するものはない。アンダンテのアニムス――半魔人に借りた力がいったいどんなものか、ついに今日判明するのかも知れない。

 モニタの右にある控え室のドアが開き、若い男が顔を覗かせる。若い男は、控え室を見渡し、モニタを見ているフレイを見つけると、声をかけた。

「フレイさん、衣装合わせをしますよ」

 フレイは返事を返し、席を立った。

 若い男――今週のスタイリストに続いて、控え室を出ると、向かいの部屋に移る。そこには、スタイリストが運び込んだ衣装が、数種類のサイズと共に置かれている。スタイリストは、毎週変わるので、名前は覚えないことにしている。今週のスタイリストは、やや民族衣装気味の原色の強く、色彩の豊かな服装をそろえていた。部屋に運び込まれた。

 衣装の中には、スカートのような、裾の長い履き物もある。

 フレイが、入り口脇のパイプ椅子に座って舞っていると、部屋の中央に置かれたテーブルの上にスタイリストが衣装を並べ始めた。

「どの衣装も、彩度が高いですね」

 フレイは立ち上がって、並べられた衣装の前に立って、感想を述べた。

 どの衣装を着て戦うかは、スタイリストに任されている。スタイリストは、事前に対戦相手の服の色味であったり、毛の色を確認する機会が与えられている。そこから、対戦時にファイターが生える色を決めるのだ。基本的には、挑戦者側の人間が、相手の衣装の色味に合わせて、衣装を選ぶことになっている。相手が獣の場合は、余計にそうである。

 スタイリストは、並べられ対称を取り、絶っているフレイに合わせながら言った。

「民族衣装をモチーフにしたオートクチュールですね。シンバル・シンバルという有名なブランドが、春のコレクションで使ったものをそのまま借りてきたんですよ。ファイターが着て戦うと言うことは、ひとつの宣伝効果がありますからね」

「防具はないんですか?」

 テーブルの上と下を見る限り、普段着るような布地の服しかおかれてない。テーブルの下の靴も、薄い革製のもので、どの靴も先端が長く曲がっていた。

 バトルをする際は、衣装とは別に、軍から防具を借りることが出来、衣装合わせのときに、その組み合わせも、試すことがほとんどである。現に、部屋の隅には、軍から支給されたであろう。使い古された防具――小手や、上半身を守る革製の鎧、スネ当て、盾、全体のバランスを見るためにサーベルも置かれていた。

 スタイリストは、バインダーの資料を見直しながら、答えた。

「えぇっと、フレイさんのバトルは、防具なしですね。衣装のみ支給となります」

「防具なしでも問題ないってことですか?」

 フレイの質問に、スタイリストは、明らかに、顔をしかめた。

 スタイリストは、対戦相手の前情報――コンディションやどんな武器、防具を使うか等々の――を、ファイターに教えてはいけないことになっているため、顔をしかめた原因を問い詰めたところで、何も出ないだろう。しかし、明らかに何かを知っている様子だった。

 スタイリストは、フレイの衣装合わせを続けた。

 ガーゴイルという名前の対戦相手である。古い彫刻につけられるような名前ではあるが、実際にその彫刻に彫られたような怪物が対戦相手であることは少ない。チーム名であったり、ファイターのリングネームであったりすることもあるのだ。 本来であれば、アンダンテ対ルイーゼ戦のように外部に対戦相手の情報公開がされているはずではあったが、フレイの今日の対戦相手だけは、名前以外の前情報が得られなかった。

 フレイはスタイリングを終え、鏡の前に立たされた。

「うん、暖色系の色のほうが、今日はいいね」

 スタイリストは満足そうに、頷きながら、フレイを舐めるように見回した。

 赤や黄、オレンジなどの糸で紡がれ、刺繍がされたブレザーに、スカート、スカートの下には、足下に行くにつれゆったりとしているズボン、頭に密着するように被るリンゴのへたをとったような帽子、靴にも銀の装飾が施されていた。別にフレイはこれと言って、服に対する執着はないが、さすがに有名ブランドのオートクチュールでも、これで普段の生活は出来ないだろうと、感想を持った。すでに、似合っている、似合っていない、の判別すらつかないのだ。

 フレイはその衣装のまま、控え室に戻った。

 控え室のファイターたちに、大きく笑わた。

 フレイは、中央の椅子の入り口に一番近い席に座って、モニタを見ながら、自分の戦うまで、時間つぶしをした。

 モニタに映る戦いは、どれも、アンダンテ対ルイーゼ戦の前哨戦に過ぎないのだろう。そう思いながら、フレイはモニタを眺めた。




 フレイは、出番の2時間前になると、控え室を出て、バトルアリーナの舞台入り口脇のトレーニングルームに移り、ストレッチを始めた。念入りに体をほぐし、衣装が体の動きを妨げないかを確認する。

 スカートのひらひらとした感触が、蹴りを放つ際まとわりついて、跳ね上がる。裾が広がって、視界を遮ることがあった。

 時間いっぱいになり、フレイは、歓声の巻き起こる舞台に案内された。

 例により、マイクの男の実況で、フレイが紹介される。

「連戦連勝のフレイ・ソール。今までは、魔法を使わずに何とか体術だけで勝利してきましたが、それも今回までとなりそうです。王室ブースをご覧ください」

 フレイは、実況の声に合わせるように、観客たちと一緒に王室ブースを見た。

 ブースには、派手な服装――フレイからすれば、貴族の服装はすべて派手なだけで、実用的ではない――の、ハンサムな青年が手を振っていた。その脇には、付き従えるように、背を丸めた老人が立っていた。

「第一皇太子、リチャード・Jr・ルマリア皇子が、お見えになっております。今回の対戦相手のガーゴイルは、リチャード皇子の計らいで、遠方より連れてこられました。古びた名前にふさわしい、どう猛で、野蛮な獣。おそらく御神体アポォリオン以前の魔物と呼ばれる生物です。少なくとも、今までのように体術だけで、倒せるような相手ではありません!」

 体術だけで倒せないなら、舞台脇に控えさせることも出来ないだろう。フレイは、心の中で指摘しながら、対戦相手が現われる出口に視線を向けた。どう猛であれば、すくなくとも、人間の言うことなど聞くまい。暴れて手がつけられないか、すでに舞台上の一部が破壊されていてもおかしくはないだろう。

 そう思っていると、会場を揺らすような、地鳴りがした。

 舞台一面の砂が舞い上がる。

 何か突進して、壁に体をぶつけるように、数度、大きな音がした。

 フレイは、息を吸った。

 対戦相手が出てくる出入り口は、幅5メートル、高さ6メートルほどのアーチ状になっており、上から鉄格子が下ろされていた。その鉄格子が、徐々に持ち上がり、奥の暗闇から、濃い青紫色の体が現われる。

 現われた相手に、フレイは、口をだらしなく開いた。

 全長3メートルはゆうにある巨体。青紫色の皮膚は発達した筋肉で盛り上がり、ゴリラのように、両手をつきながら進んだ。体長から推測される体重は、おそらくは500キロを越えるだろう。海のようなブルーの瞳でフレイを見据えた。唾液がしたたり落ちる口元は、鋭い犬歯が生え、その生物が、肉食だと容易に想像がついた。ほぼ人間と同じような、波の形状をしているが、上あごの犬歯は、30センチ以上の長さに伸び、食らいついた餌を逃がさないような作りになっている。鼻の潰れた犬のような、顔をしていた。何よりも前時代的なのが、背中の羽である。その巨体を支えるため、必要以上に発達した翼を背負うように、前屈みに――つまり、ゴリラのような姿勢で――動かなければならない状態に陥らせていた。

 フレイは、実況をしている男に声を張り上げて言った。

「こんなんと闘って勝てるわけないだろう! 常識考えろよ!」

「フレイ・ソールから文句の声が上がりましたが、誰もそれに聞く耳を持ちません。ファイターは戦う以外にこの会場から出ることは出来ないのです。しかし、このガーゴイルとの戦いで、フレイ・ソールも、骨までしゃぶられるかも知れませんねぇ。捕捉しておきますと、ガーゴイルは、それを操る術士によって、催眠状態にあります。舞台場外にいる我々は、襲われないようになっておりますので、ご安心してご観覧ください」

 完全にフレイの言葉を無視して、実況は、戦いのゴングを鳴らした。

 その音に反応して、ガーゴイルは、翼を広げ、倒れ込むように跳躍し、低空を滑走する。さらに右の拳を振り上げ攻撃の体勢に移る。その敏捷さに、フレイは、慌てた。

「冗談じゃない!」

 振り下ろされた拳を跳躍して避けその腕に着地する。追い打ちをかけるように左手を伸ばしてフレイをつかみかかろうとするが、それも体を捻って、飛び越える。フレイは、右手をついて、側転するように、ガーゴイルの左腕に乗ると、そのまま左肩のほうに飛んだ。跳ねるように肩を蹴って、ガーゴイルの側頭部に強い蹴りを入れる。

 ガーゴイルの頭は、軽く傾いたが、強靱な首の筋肉が、フレイの蹴りを完全に支えていた。ダメージも少なく、脳しんとうを起こすレベルには至っていないようで、すぐにフレイに牙を向けた。

 中を浮いているフレイに噛みついてくるガーゴイルの下あごに足を引っかけ、噛んだその力を利用して、頭を飛び越える。だが、それを阻むように翼が広げられて、フレイを地面にたたきつけた。

 転がりながら吹き飛ぶフレイに、ガーゴイルは追い打ちをかける。

 フレイは、砂が目に入るのを防ぐように、目を閉じながら、吹き飛ぶ流れに逆らわ内容にしながら、体を起こして、宙に舞い上がった。

 ガーゴイルは、すぐ側まで接近してきていた。両手を広げて、フレイを左右から掴むように手を叩く。風圧が、舞い上がっていた砂をなぎ払う。叩かれた手の音は、軽快に会場に響き渡る。あいだにいれば確実につぶされていただろう。フレイは、地面に寝転がるように、目の前で組まれる両手を見上げていた。

 転がっている最中にエレボスを溜めて、空気に干渉して、自分の位置を強引に変えていたのだ。

 組まれたガーゴイルの腕は、そのまま振り上げられて、地面に寝転がるフレイに振り下ろされる。

 フレイは、後転するように、跳ね起き、間一髪のところで避ける。

 休んでいるヒマなどない。次々と繰り出されるガーゴイルの攻撃を避け、細々とした体術を繰り出す。体術はすでに聞かないことはわかってしまったため、怪我をせずにこの戦いに勝利するには、魔法を使わなければならないだろう。

 人間との戦いであれば、間合いを計ったりするタイミングで、体力を回復させることも出来たが、相手が相手だけに、それすら出来ない。

 戦況は否が応でも、フレイに魔法を使用させる方向に傾いていた。

「せめて武器があれば」

 滑空してくるガーゴイルを横転して避け、見送りながら、フレイは苦々しげに呟いた。それと同時に、エレボスをせき止める言葉を口にする。

 観客席すれすれを旋回しながら、ガーゴイルが雄叫びを上げる。闘技場を囲んでいる壁を蹴り方向転換をして、舞台に舞い戻る。

 体の中でせき止められるエレボスの流れを感じながら、接近してくるガーゴイルの攻撃に備えて、身構えた。十分な量のエレボスを溜めて、環境に干渉する量を多くしないとあの硬い皮膚に傷をつけることは出来ないだろう。

 ガーゴイルの口の中に閃光が走り、汚物を吐き出すように口を開くと、光線が伸びた。

 狙いが甘く、初撃はフレイの着ているスカートをかすめるだけだった。横に飛んで、なぎ払われる光線の道から逃れて、なんを逃すが、おそらくはじめの攻撃が、フレイを捉えていれば、確実にフレイは死んでいただろう。スカートの端は、大部分が一瞬で繊維を焼かれ、焦げ臭い匂いを放っていた。

 砂地がえぐれ、その下の砂利の層が、黒く煤けた状態で第2層まで露わになった。

 明らかに攻撃力過多である。

 フレイは、粉じんの中にまみれながら、舞台に着地するガーゴイルを睨んだ。

 会場のボルテージは、それほどあがっているようには見えない。対戦相手として、あまりにも攻撃性がまがまがしすぎるのだ。観客を沸かせるには、フレイが、ガーゴイルを倒す以外にない。

 エレボスの蓄積量は、イドの暴走値ギリギリまで満たされている。

 ガーゴイルが次の光線を放とうとしたとき、フレイは、空気に干渉した。

 空気中に自由に飛翔している分子の一部を高密度に結合させ、見えない膜を張る。

 光線が閃く。

 フレイに向って直進してきた光線は、フレイに当たる直前、鏡に反射したかのように、ガーゴイルのほうに戻っていった。

 苦痛に喘いだのは、ガーゴイルのほうであった。腹部に自分の光線を受け、臓器が見えるほどの深いダメージを受けた。体を折り曲げて、苦悶の声を漏らし、傷口から流れ落ちる紫の濁った体液を、手の平で止めようと押さえる。

 観客の歓声が巻き起こる。

 フレイは、減ったエレボスを溜め直す。溜めながらではあったが、両手を頭上に挙げて、エレボスをそのままの状態で凝縮する。

 今まで緊張を強いられていたように固唾を呑んでいた観客たちは、席から立ち上がり、腕を振り上げたり、飛び跳ねたりしながら、フレイに声を送った。

 エレボスは、魔法使いの手によって、自然界を個性する分子構造に直接作用することが出来る媒体である。しかし、それ自体を一点に集中して、エネルギー量を増大させれば、エレボス自体が、物質を破壊する作用を持つことが出来る。体内に満たされていくエレボスの量は、暴走値寸前まで高まっていたが、それを越える手前で、両手から放出し、エネルギーに変えていた。

 自分の光線を食らって、腹をえぐられたガーゴイルは、額を地面につけ、大量の汗を吹き出しながら、倒れていた。すでに勝負は決したようなものである。だが油断は出来ない。相手はただの動物ではないのだ。

 ガーゴイルは、顔をこすりつけながら、顔を上げて、フレイをにらみつける。それから口の端をニヤリと歪め、流れる唾液も構わずに口を開いた。

「イドが目覚めないように、力を押さえているのか」

 くぐもった息混じりに、低い50Hzほどのしわがれた声が響いた。

 その声はフレイに聞こえるか聞こえないかくらいのもので、歓声の呑まれながら、かろうじて届いてきた。

「しゃべれるのか?」

 素直にそう驚いた。

 ガーゴイルは、不適に目を細め、背中の大きな翼を羽ばたかせた。

 砂が舞い上がり、巨体がゆっくりと持ち上がる。滴る体液にも構わず、ガーゴイルは、体を浮かせ、体を起こした。

「次に放つ光線は、そう簡単に反射できるエネルギー量ではないぞ。イドを暴走させずに、どれだけ防ぎきれるかな」

 それだけ言うと、ガーゴイルは、低く喉を鳴らして、上昇した。

 人種が違うのに、どうして、人後をしゃべれるのか、フレイはそれに疑問を持った。

 しかし、思考を発展させる間もなく、上昇したガーゴイルの口に、溢れるくらいの光があふれた。

 観客がどよめく。

 ガーゴイルはのけぞったあと、それをフレイめがけて放出した。

 フレイも凝縮したエレボスを放つ。しかし、光線のほうが、エレボスの速度よりも圧倒的に早かった。フレイの手元両者はぶつかり合い、火花を散らす。光線のほうが移動量が早い分、次から次へとエネルギーが伝達される。ひとつひとつのエネルギー量は小さくても、それに速度が加われば、持っている攻撃力は増大する。

 熱せられた空気が、フレイの顔を焼き付けるように、風を巻き起こした。

 額から一筋の汗が落ちる。

 ガーゴイルの言った通り、その光線は、イドを暴走させずに済まそうと抑えていられるほど、生やさしいものではなかった。エレボスの暴走値限界を超えないように、容量を溜め続けながら、その一部を攻撃に回す。一応攻撃自体は、防ぎ切れているが、それは水の出る蛇口に指を当てているようなもので、フレイの手元が一番圧力が高いだけなのだ。押し返すほどの力を出そうとすれば、危険を冒さざるを得ない。

 光線と、フレイのエレボス波がぶつかり合い、不況和音が会場に響く。

 力を暴走させれば、すべてを破壊しかねない。その躊躇が、フレイを拘束していた。

 その時声がした。

「私を解放しろ」

 不況和音に混じることなく、澄み切った女のような声が、フレイの意識に響いた。

「私を解放すれば、すべてを片付けて見せよう。私を解放しろ」

 反射的に、放っていたエレボスを消す。

 光線がフレイを襲うが、すでにそこにはフレイの姿はなく、えぐれた土や砂煙が広がる。

 誰もが、フレイが死んだと錯覚した。

 悲痛な断末魔に、観客の視点がガーゴイルに注がれる。

 そこには、素手で、ガーゴイルを肩口から真っ二つに裂いたフレイの姿があった。

 ガーゴイルの体は空中でゆっくりとふたつに分かれる。

 落下するフレイが、降下し始めたガーゴイルを見上げながら、ガーゴイルに向けて、右手を突き出した。

 手の平に光が収束したかと思うと、そこから先ほどのエレボスは以上の極太い奔流が放たれる。

 奔流は、ガーゴイルを呑み込み、一瞬で塵とかし、天高く伸びていった。

 フレイは頭から、地面に落下し、完全に動きを止めた。

 耳には何も届かなかった。

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