第5話 白い砂
会場内の空気が変わった。
歓声は静まり、ざわめきが広がる。
決して好意的な反応、戦いを望むような声は上がらなかった。
当然といえば当然だ。フレイは、イドの実験途中に、暴走して、研究所ひとつを破壊し、そこで働いている研究者や職員を消滅させた人間なのだ。骨も残らずに、悲しみにふける遺族の様子が、連日報道された。
その情報は、ひとつの国だけで放送されたわけではない。世界中に流された情報なのだ。
いくら戦い好きな観客といえど、心からそれを見たいと思えないのは心情。もし、マイクの男が言うように、フレイ本人が戦ったとして、力を暴走させてしまえば、自分たちが第二の犠牲者になってしまう。それはどんな馬鹿にも、わかることだ。
観客が盛り下がったため、マイクの男は、狼狽するように、観客を見渡した。
「どうしましたんですか、みなさん? ルイーゼの相手にとって、不足はない最高の魔法使いです。力強い声援で、向かえよう――!」
マイクの男から、マイクを奪って、マンドレイクが、観客に話を始めた。
「イドの暴走を気にしてらっしゃるかもしれませんが、それなら問題はありません。研究書の報告で、イドの暴走は、イドを体内で蓄積した量が多ければ、多いほど、暴走の危険が高まるのです。暴走時のエネルギー量は、その人間の持つ魔力量――エレボスを溜める器の量に比例して、増大します。すなわち、イドの暴走は、イドを蓄積するという行為によって引き起こされるのです。通常の魔法を放つだけでは、イドの暴走を引き起こす力はありません。なぜだかわかりますか? 研究書に書いてあっただけではありませんよ!」
マンドレイクは、観客席にいるフレイを指さし、声を張り上げた。
「先ほどのバトル中、ルイーゼが、吹き飛ばされ、空中で不可思議に攻撃を受けました。ほんの十数秒のことです。これが誰の仕業かわかりますか? 先ほどのクラスBファイターたちにはとても出来ない芸当です。これを行なった張本人には、舞台の上に立つ義務があります。神聖なバトルのルールを汚されたのです! 横やりを入れられたのです! 命を賭けて戦っている男たちの戦いに、水を差したのです! こんなことを許せると言えますか!!!?」
マンドレイクは拳を振り上げて、叫んだ。
合いの手を入れるように、観客席から「許せねぇ!」といくつかの声が上がる。その流れは、少しずつ広がっていき、観客の熱量が再び上がっていった。
冷ややかなのは、フレイと、アンダンテだった。他人事のように、柵に寄りかかって、マンドレイクの演説に耳を傾けているだけだった。
おそらくフレイをつかまえたときに、フレイの執筆途中の論文を読んだのだろう。マンドレイクの話にあがった研究書とは、それ以外にない。現在、イドの研究で最先端に位置するところに、研究者としてフレイも含まれている。イドの暴走については、フレイは身を持ってた意見しているため、より研究のテーマにしやすい。そのため、暴走理論については、フレイが最先端を行く。世の中に出回っている論文は、ひととおり目を通しているため、ほかの人間が、マンドレイクの話した内容の論文を上げたかどうかなど、フレイには調べるまでもなかった。
しかし、その内容を、なんの教養もない一般人に話したところで、いったいどれほどの効果があるだろうか。
フレイにしてみれば、わかり安い“バトルに横やりを入れた人間”と言うレッテルを貼ることで、フレイを舞台に引きずり出そうとしているようにしか見えなかった。
リッツはおもしろ半分にヤジを飛ばし、舞台上に視線を向ければ、ルイーゼが白い砂に視線を落として立ち尽くしていた。
「下りてこい! フレイ・ソール!」
マンドレイクは、再度フレイを指さし、命令した。
観客の視線が、最上階にいるフレイのほうに集まる。
フレイは、リッツの方を向いて、まるで自分のことではないように振る舞った。しかし、観客も報道を見ているため、フレイの顔を知っているらしい。まったく騙されることなく、フレイの方を見た。さらにマンドレイクが追い立てる。
「とぼけるな! おまえだ! オレンジ色の髪!」
フレイは、くしゃくしゃのオレンジ色の髪を掻いて、体を起こした。元々は、金髪であったが、イドの暴走を境に変色してしまったのだ。別に好きでオレンジ色の髪にしているわけではない。
観客の「戦え!」という大合唱の中、フレイは階段を下りていった。
アンダンテが、感情の見えない顔で、フレイのほうを見守り、リッツがにやにやと嗤いをこらえたような表情を向けた。
もちろん、フレイには、戦う気など、毛頭なかった。
舞台上のルイーゼが、ふっとフレイのほうを見上げた。
フレイは、舞台には下りずに、マンドレイクの方に歩いて行った。それから、小さい踊り場に立つと、マンドレイクからマイクを受け取って、観客をゆっくりと見回した。
「ただいま、ご紹介にあずかりました、イドの研究を行なっておりますフレイ・ソールです」
「ご託はいいから、下りて戦え!」ヤジが飛ぶ。
フレイは構わずに話を続けた。
「あなた方は、僕に戦うことを望むが、本当にそれが正しい選択かどうかを、一度考えてみては如何でしょうか。僕はイドの研究中に、イドを暴走させて、100人以上の仲間の命を奪ってしまった。その事実を忘れて、研究者ではない、一般の人間が、知ったかぶりをして説明したことを鵜呑みにするんですか? マンドレイク氏の話にあった研究書とは、僕の書きかけの論文です。まだ正式に認められた研究の成果ではないのです。イドの暴走が、いったいどんな引き金で起こるのかを、すべて解明したわけではありません! 僕は戦っても構いませんが、その結果、何が起こるかは、誰にも想定できないのです! 死にたい人間は、戦うことを望めばいい。第一に、僕が、先ほどの戦いに横やりを入れたというのは、マンドレイク氏の言いがかりです。僕に戦わせようと、無理矢理こじつけているのです」
フレイの声は、良く通り、会場で騒いでいる観客を沈めてしまった。フレイが戦うという問題を、イドの暴走による恐怖に、論点をすり変えることで、観客の熱量をそぎ落としたのだ。
誰だって死ぬのは恐い。死の危険があれば、萎縮してしまうのは当然だ。
皮肉にも、フレイにはそれを連想させる、前科がある。フレイの言葉を信じさせるには、これ以上ない証拠だった。
忌々しげにフレイを睨むマンドレイクにマイクを返すと、フレイは階段を上っていった。観客にも、マンドレイクにも、それを止めることは出来なかった。娯楽は、平和だから、娯楽としての価値がある。身の危険が本当にあるようなところでは、娯楽らしいなど存在しないのだ。
しかし、フレイの予想に反して、マイクの男が、口を開いた。
「皆様、この件につきまして、皇帝ケティル2世より、お言葉があるそうです」
フレイは階段を上る足を止め、振り返った。ちょうど真後ろの、目線の高さに、王族の個室があった。
椅子に座ったままのケティル2世の隣で、従者が膝をついてマイクを口元に差し出した。
巨漢のイメージの通りの口調で朗々と話し始めた。
「イドの暴走が起こり、舞台が台無しなってしまっては、お客様に甚大なご迷惑が出るおそれがある。バトルを提供するものとしても、魅せることを第一に考え、お客様の安全を第一に考えるものとする。それから、先ほどアリーナ管理局のものが話していた通り、第7戦に横やりが入ったのであれば、バトル規約に則り、横やりを入れたものを処罰するのが、法である。しかし、その証拠がないのであれば、そこのオレンジ髪を犯人に仕立て上げる筋合いはない」
フレイは、歯がゆい皇帝の発言に、唇を尖らせた。
ご託はどうでもいい。7.5戦をしないと、明言しなければ、ケティル2世が話していることに意味などないのだ。
「ただ、今話したことと、オレンジ髪が、戦わないということは、話が違う。聞くところによると、オレンジ髪は先日ファイターとして登録されたという。7.5戦目は予定通り行なうのだよ。ファイターであれば、戦いが組まれた瞬間に、舞台に立つ義務がある。魔法を使うかどうかは、オレンジ髪のさじ加減だが、馬鹿ではあるまい?」
皇帝というよりも、ただのデブの声にしか聞こえない、抑揚のない話は、結果として、フレイの足場を亡くすことになった。
フレイは、体を皇帝の法に向けて、眉間に皺を寄せたが、それが皇帝の目に見えることはなかった。
白い砂を蹴り払うと、その奥に血を吸って黒く変色している砂が見えた。
血は砂を通って、舌にろ過されていく。表面の砂は、いつも新品のおもちゃのように、輝いていた。反射した光線が、フレイの瞳孔に入り、瞼を細める。
正面に立つほっそりとした青年は、涼やかな顔で、汗ひとつ浮かべずにいた。赤い刃の周りには、上昇気流が発生しているのか、湯気が揺らぐように、空気が波打っていた。
フレイは、ルイーゼが最初に持っていたような、細身の剣を渡され、舞台上に下りていた。
抵抗はしたが、無駄であった。体の中にある毒を持って、強迫されれば、やむを得ない。常に人質を取られているようなものである。それに、いずれにしても戦わないかぎり、自由にはならないようであるから、戦場に飛び込むのが早いか、遅いかだけの違いでしかない。
剣など振るったことのないフレイは、手元でそれを弄びながら、ルイーゼの方を見た。そして、観客には聞こえないように、舞台の中心で対立しているルイーゼに聞こえる程度の声で話を始めた。
「僕の攻撃に気づいてたみたいだね」
ルイーゼは、目を閉じて微笑み、赤い剣を前に差し出した。
「俺はアニムスだから、エレボスの流れに変化が起きれば、取り込んだ半魔人が教えてくれる」
そういうと、ルイーゼは、地面を蹴ってフレイに斬りかかってきた。
加減をしているのか、ルイーゼの切っ先は、観客席で見ていたときよりも、鈍っていた。フレイは、上下左右から振られる剣を巧みにかわしながら、今まで勉強したことのない剣を払う。寸前のところで、ルイーゼが身をよじってかわし、距離をとった。
「剣は使ったことないようだな」
「包丁さばきは得意だけどね」
嘘である。
フレイはハッタリをかましながらも、重心を低くして、ルイーゼの次の動作にいつでも対応できるように準備をした。
ルイーゼは、不敵に笑いながら、フレイの方に歩き出した。
「河原で見たときは、体術の能力はかなり高かったな。少しは観客をたのしませなきゃ、クラスBの奴らの代わりに死ぬのは君になるぜ」
フレイが動いた。
風切り音を響かせ、ルイーゼとの距離を縮める。
「クラスAのファイターに体術を褒めてくれて、光栄だね」フレイは、剣を投げつけ、地面に腹ばいになるように伏せて、体を捻りながら、ルイーゼの足を払いに掛かった。
ルイーゼは、フレイの投げた剣を左手で掴むと、そのまま体を浮かせながら、フレイに突き刺してくる。しかし、フレイの体にあたる前に、切っ先がそれて、地面に突き刺さった。
地面を横転しながら、フレイは宙に浮いているルイーゼの体を、蹴り上げる。右足が、ルイーゼの背中を捉えた。しかし、反撃とばかりに、ルイーゼが、反転して、赤い剣を振った。砂に後頭部を押しつけるように、寸前のところで避けるが、髪が何本か焼け焦げて、匂い立った。
フレイは跳ね起きて、着地する間際のルイーゼの足に体当たりをする。ルイーゼは掴まれまいと、右足を蹴り上げるが、それはフレイの左肩をかすめるだけだった。フレイはルイーゼの左足をつかまえ、さらに突進のスピードをやめなかった。おそらく、足を掴んだまま、その場に立ち止まれば、ルイーゼの超剣の餌食になっているだろう。ルイーゼの体のバランスを崩さなければ、いけなかった。
ルイーゼの体は、フレイの予想通り、前のめりに傾いた。しかし、剣を持った右腕は、自由だ。フレイは、津込んだ勢いのまま、体を反転させて、ルイーゼの足を視点に、背後に回った。直後、右の二度腕に焼けるような痛みが走った。予想通り、超剣をフリーにさせていたため、バランスを崩しながらもルイーゼは、フレイに攻撃を仕掛けてきていた。
フレイの勢いは衰えなかった。ルイーゼの左足を掴んだまま、円を描くように一度振り回し、砂上に投げ捨てた。もう少し腕に筋力があれば、振り回し続けることが出来たが、いかんせん、勉強ばかりをしてきたため、力を込める筋肉が、未発達なのだ。
ルイーゼは、空中で、器用に体を曲げて、くるりと回転すると、砂煙を上げながら着地した。
瞬間、今までにないほどの大きな歓声が巻き上がった。
ルイーゼと距離をとったフレイの耳にも、その歓声が届き、視線を左右の観客席に向けた。
一人ひとりの声は混じり合い、言葉の内容は聞き取れなかったが、観客席に満ちている客の表情は、舞台上にいるふたりに対して好意的で、歓喜に満ちていた。ふたりの攻防を気に入ってもらえたのだろう。
ルイーゼは、詰め寄りながら、口の端を歪めた。
「良かったな。これで、殺せといわれる確率は減った」
斬りつけられる剣を避けながら、フレイは皮肉混じりの表情で応戦した。
「だったら、潔く負けてくれるかなァ! 僕としては、負けて、怪我をしたくないんだよね」
「お互い様だ!」
ルイーゼは、叫びながら、フレイの胴を蹴りつけた。
後ろに少し下がって、ルイーゼの攻撃の威力を弱めながら、フレイは、宙返りをして、距離をとった。
長引けば不利。
ルイーゼの体力は、おそらくはフレイのはるか上をいっている。フレイとの7.5戦の前に7戦も行なっているのに、行きひとつ乱していないのだ。体力を使わないように、戦っていたのだろうが、それでも、1時間近く動き回っていて、息が切れないのは、ルイーゼの体力の底を見えなくしている。
フレイの体力はと言うと、恥ずかしい話ではあるが、すでに、大きく息をしなければならないほど、体に疲れが蓄積されてきた。体が動くことと、持久力は別ベクトルである。切られた右の上腕も痛む。
フレイの頭には、このまま潔く体力を消耗して、負けるか。魔法を使用して、一撃で、ルイーゼを倒すか。そのどちらかの選択に絞られていた。
追撃をかけるルイーゼは、地面すれすれを滑るように接近して、フレイに足払いを仕掛けた。フレイはそれを横転しながら交わし、起き上がろうとするルイーゼに、横転したときに掴んだ砂を投げつけた。
負けるのは構わないが、そのせいで、切り刻まれるのは、さすがに考え物だ。上手く負けることが出来ればいいが、相手が剣を振ってくる以上、それに数度接触したほうが、見せ場になるし、負ける原因としても、申し分ないだろう。観客の動向も気になる。体力がなくなって、倒れたり、動けなくなった人間を、生かせというのだろうか。体力がなくなるということは、動きが鈍っていくということで、戦っている姿としては、みっともなく見えるだろう。そのみっともなさに、観客のボルテージが下がってしまえば、今歓声を上げている観客とて、期待はずれと思い、ルイーゼに殺せと命じるかもしれない。
ふたりは舞台上を大きく旋回するように、対峙しながら、走った。フレイが止まると、ルイーゼも止まり、舞台上を砂煙が流れた。
フレイは、エレボスを体内にせき止めるための言葉を口ずさんだ。
「イェラ・フェール・ヴ・ヴ・チェーミィン」
体を通り抜けていたエレボスは、その言葉に引き寄せられるように、体の中心に集合し、器の中に少しずつ満たされていく。
アニムスはエレボスの流れが見えると話していた。すなわち、口の動きや、言葉は聞こえなくても、ルイーゼには、フレイが魔法を発動させるために、エレボスの流れをせき止めたことは、ばれているはずだ。どんな魔法を使うかは、発動させるまでは、認識されない。これに関しては、発せられたエレボス波が“何に干渉するか”によって、変わってくるのだ。
ルイーゼが動いた。
剣を高らかに上げると、その剣先が、5メートルほどにまで伸びる。
刃は物質ではなく、魔人のエネルギーであるから、伸ばそうが、太くしようが自由自在ということだ。
ルイーゼは、伸ばした刃のまま、一気に振り下ろす。刃が延びている分、その射程にフレイも含まれている。唐竹わりにフラレる赤い刃を交わす。砂を焼きながら、刃が埋まる。しかしルイーゼはそれに構わずに、砂を巻き上げながら、フレイめがけて、横に払った。
エレボスを溜めることに集中力が割かれているため、刃を飛び越えたフレイの服の裾が、焼け焦げた。
前転しながら、砂の上を転がるフレイを執拗にルイーゼが襲う。
フレイは飛び起きて、弧を描きながら、ルイーゼに近づく。半ば、ルイーゼの超剣は、反則に近い強力な武器であった。刃には質量がないようで、手首を返せば、それだけで、簡単に振り回せるのだ。近づけば近づくほど、隙間がなくなる感じだ。赤い軌跡が、壁のように残り、今刃がどこにあるのかを目くらます。
体内に溜めたエレボスは規定値に達し、それ以上溜めれば、暴走の危険性が出てくる。しかし、その量は微々たる量で、ルイーゼを沈めるほどの力はないことは、フレイにはわかっていた。
しかし、馬鹿とはさみは使いようである。
ルイーゼの攻撃を避けたフレイは、走る速度をゆるめながら、砂の中に両手を突っ込んだ。それから、砂を掴みあがるようにして、エレボスを放出しながら、砂に干渉する。すると砂はまるで布のように引っ張り上げられた。引っ張り上げた砂の布を勢いよく振り下ろせば、舞台上の砂が大きく波打ち、ルイーゼを空中に跳ね上げた。
炎を起こすような、分子同士を反応させる魔法でなく、砂同士の分子のあいだにマイナスの電荷を与え、それぞれが惹きつけ合うようにして、布のようにすることは少ないエレボス量でも可能であった。
歓声の声が、どよめきに変わる。
空中から、超剣を伸ばしてなおも攻撃を加えようとするルイーゼに、フレイは、追い打ちをかけた。
体を回転させ、砂の布を巻き込むようにしながら、勢いをつけて、ルイーゼめがけて投げつける。漁の網を投げ入れるように、砂は広がりながら、ルイーゼを吹き飛ばした。
フレイは、残しておいた残りのエレボスで、砂の干渉を強め、ひとつの本流にして、ルイーゼを舞台場外へ押し出しに掛かった。
空中で身動きのとれないルイーゼは、なすがまま、砂に押され、舞台外の、王族のいる箱の脇の空席に直撃した。
砂のカスが、皇帝ケティル2世の座っているところにまで広がり、従者が慌てて、箱の全面に取り付けられた赤いカーテンを引いた。
戦うハメになった、フレイの仕返しである。
そしてフレイは、ルイーゼが胴なったを最期まで見ずに、前のめりに倒れた。魔法を使ったことで、力を使い果たした、と言う演出である。喧嘩両成敗であれば、少なくともどちらかが死ぬことはないだろう。そして仮に、ルイーゼがまだ戦えたとしても、派手な演出をして観客を沸かせたフレイを、観客は殺せとは言うまい。フレイにしてみれば、殺せと言われれば、起き上がる算段もしているのだ。
フレイは目を閉じて、耳をすませた。
マイクの男が、熱の籠った解説を叫ぶ。
「大変な事態になりました。フレイ・ソールの魔法によって、ルイーゼは、観客席に吹き飛ばされ、その影響で、ケティル2世のいるブースにまで被害が出ております。今従者が、ブースのカーテンを開けました。無事です。わたくしの席からは、よく見えませんが、絨毯が砂にまみれているだけで、ケティル2世と、ユリア嬢にはお怪我はないようです。ユリア嬢が、ブースから出てきて、舞台上に倒れているフレイ・ソールをにらみつけています。何か従者に指示を出しているようですが、わたくしにはなんといっているのか聞き取れません。ああ!!!!」
マイクの男は何かに気づいたように、大きな声を上げた。
「見てください、見てください! 王室のブースの脇。ルイーゼが吹き飛ばされた砂山が、崩れてきました。したの観客席に人がいないのが幸いですね。ルイーゼです。ルイーゼが、砂の中から出てきました。どうやら口の中に大量の砂を食べてしまった様子ですね。咳き込んでいます」
さすがに、砂をぶつけただけでは、負かすことは出来なかったようだ。予定通りである。
フレイは、身動きひとつしないように、体の力を抜いて、眠りにつくように、心を穏やかに静めた。
ユリア嬢という、王族の人間が何か従者に言っていたようだが、それが唯一の気がかりである。まさかとは思うが、王族を巻き添えにしたから、「死刑」などという話にはなるまい。
なおもマイクの男の実況は続く。
「舞台上のフレイ・ソールは、魔法を使ったせいか、倒れて動きません。しかし、かれもこのバトル、かなり健闘したのではないでしょうか。クラスAのファイターとほとんど互角に戦い、そして、場外に吹き飛ばすというような所業を行なったのです。ルイーゼが、舞台に戻っていきます。とどめを刺すのでしょうか? さあ、お客様の判決は!?」
フレイの耳に、砂を踏みしめる足音が聞こえてきた。
マイクの男の実況によれば、おそらくルイーゼだろう。
瞼が動かないように、注意をしながら、フレイは狸寝入りを続けた。
そんなフレイに、ルイーゼが話し掛けてきた。
「そのまま寝たふりをしていろ」
観客の「生かせ!」と言うかけ声の中、ルイーゼの声がしっかりとフレイの耳に届いた。
フレイがうっすらと目を開けて、様子を探ろうとすると、目の前に立っていたルイーゼが、咳き込んで、それをいなした。
どう言うつもりか知らないが、ルイーゼはフレイが狸寝入りをしていることに気づきながらも、これ以上攻撃を加えてくる様子はなかった。
観客の声が完全に揃って「生かせ!」という言葉を賛すると、ルイーゼの離れていく足音が聞こえてきた。
観客の声がざわめきに変わると、マイクの男が、やや落ち着いた声で、解説を始めた。
「今、ルイーゼが、剣を引いてフレイ・ソールから離れていきます。救護班が、担架をもって倒れているフレイ・ソールのもとに走っていきます。みなさん、健闘したフレイ・ソールをたたえるべく、拍手で送り出してあげましょう」
倒れているフレイを、救護班のふたりが、上半身と頭をもって担架に乗せた。仰向けに寝かされ、担架を持ち上げられると、不例の怪我をした右腕が担架からだらりと垂れた。
耳では、会場が一体となって手を叩いている音が響いてきた。
拍手されるのも悪くない。
フレイは、のんきだなと、心の中で自分を笑った。
頃合いを見計らって、フレイはうめきながら、担架の上で身をよじった。救護班のひとりが、声をかけるが、とりあえずは聞こえなかったふりをする。意識がもうろうとしているように、流れていく天井を見上げた。やがて天井の流れは、遅くなり、前後で担架をもって急ぎ足で歩いていたふたりは止まった。
目を左右に回して、周囲を伺うと軽度第三診療所・第三病棟と言う文字が見えた。
様子をうかがっていたフレイの顔をのぞき込むように、白衣を着たおそらく医師が、顔を近づけた。
半目の状態のフレイの瞼を人差し指で押して開き、瞳孔にライトを開ける。
「うん、意識はもうあるようね。手前の簡易ベッドに運んでちょうだい」
医師は、救護班に指示を出して、フレイと救護班を部屋の中に入れた。
フレイをぎしぎしと音を立てる簡易別途にのせると、救護班の人間は、簡単に医師に挨拶をして、部屋から出ていた。
「うわぁ、ひどい砂だらけじゃない。手当の前に着替えなさい」
医師はそういって、寝ているフレイの胸に服をおいた。
砂が入り込んでじゃりじゃりしている服を、医者が出した病人の寝具に着替えて、着られた上腕の手当をすませると、フレイは、簡易ベッドから下りて、部屋を出ようとした。しかし、医者は、一応安静にしろと指示して、無理に部屋の奥のベッドに押しやった。
病室は、奥行きがあり、手前の入り口脇に、医師のデスクや、診療具が置かれてあった。そのさらに奥は、両サイドにベッドが並べられていた。ベッドは洗い立てのシーツで、きれいにベッドメイクされていて、フレイのほかには、病人はいなかった。
フレイは、ベッドの周りを白いカーテンで仕切ろうとする医師に尋ねた。
「ルイーゼと戦ったファイターや、騎馬兵は、ここには運ばれてこなかったんですか?」
医師は、カーテンを引きながら、首をかしげながら答えた。
「わたしのところは、軽症の患者しか来ないのよ。急な接合手術が必要な患者や、重傷な患者は、もう少し設備の整った診療所に連れて行かれるわ」
「軽傷なら、別に横になって休む必要なんてないんじゃないんですか?」
軽い掛け布団を掛けられながら、フレイは、医師に尋ねた。
医師は、掛け布団の隙間を優しく手で押さえながら、微笑んだ。
「魔法を使って、倒れたんでしょう。脳にどんな障害があるかもわからないわよ」
「エレボスは、脳に障害を――」
反論するフレイの口をそっと押さえて、話を遮り、医師は、カーテンを閉めて出て行った。
魔法発動するためにエレボスを溜めても、体の細胞には作用されない。これは、魔法をかじった人間であれば常識であるし、医師であれば、その程度のことくらい知っていて当然だろう。フレイは、訝しがりながらも、瞼を閉じた。
休めというのだから、休む。それだけのことだった。
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