第4話 アニムス
アリーナを中心に、8本の大通りが放射状に延びていた。建物の周囲には、砂漠の街には珍しい、品種改良された緑の木々が植えられていて、日陰で休むところが作られていた。
観光客が多ければ、それだけ、その配慮をしなければならないと言うことで、昔のまま、闘技場の周りには何も建てないと言うことには出来なかったようだ。
日射病対策に、植えられた並木の近くには、露店が並び、アイスや冷たい飲み物、日よけや、紫外線対策の品物を販売していた。
アリーナは外壁と、内壁のに柔構造になっていた。
外壁は、柱が等間隔にならび、アーチ構造でつながって、その上に乗っている、建築物を支えていた。柱自体、大人が10人、輪になって手を広げても足りないほどの、極太の作りをしている。高さは、目算で12メートルほどあり、過去、巨大建築が、権威の象徴であったことを、まさに表わしているようだった。
外壁の中は、日陰になっており、風通しも良く涼しかった。さらに奥に進めば、内壁にあるアリーナの入り口になる階段があった。入り口の脇に置かれている簡易掲示板の前に、リッツがいた。
「今日のバトルは、ルイーゼとか言う奴なんだろ?」
フレイが近づくと、リッツが、何もわかってないんだな、とでも言うように、肩をすくめて見せた。
「ほかの闘技場のバトルインフォメーションを見てたんだよ。第二闘技場のメインは、クロコダイルとバトルらしいな」
「1匹と?」
「ほんと、なんにもわかってないなぁ」
リッツは腰に手を当てて、フレイを見上げた。
「第二闘技場は、舞台全面に水が張られてんの。そこに何十匹のクロコダイルを放して、ファイターは船の上から、襲ってくるクロコダイルをやっつける。体長2メートル以上だからなぁ、そりゃ迫力あるだろうよ」
「食われないのか?」
「負ければ食われるさ。そんな常識聞くなよ。頭働かせて、イメージしてごらん。高学歴くん」
嫌みたっぷりに、リッツがベロを出した。
フレイは素早くその舌をつまみ上げて、持ち上げた。
頭を上に向かせ、リッツは、顔をしかめる。両腕でフレイの手首を掴み、自分の顔に引き寄せようとするが、フレイが指先に力を入れると、鶏のような叫びを上げた。痛みで悶えるリッツを、周囲の人間が、好奇の目で見ているが、フレイは構わずに、穏やかに話した。
「口は災いの元、と忠告してくれたのは、誰だったかな?」
フレイはそういって微笑みを浮かべ、リッツの舌を離してやった。
咳き込みながら、リッツは舌を出して、わめき声を上げる。
「ばかやろう。力一杯つまみやがって、次こんな事をしたら、承知しねぇぞ」
すねを蹴り上げてきたので、フレイは、それを小さい動作で交わした。
「子供の言葉遣いじゃないな」
フレイはなおも腕を振って殴りかかってくるリッツの後ろに回り、両手で肩をつかまえると、リッツの腕を体に固定するように左右から押さえつけた。そして、リッツを後ろから押して、アリーナの入り口に押しやる。
文句を言うリッツを無視して、階段を昇らせ、ふたりは、会場に入っていった。
階段を半分ほど昇った踊り場で、入場確認を行なっていた。。
紺色の制服を着た男女が、丁寧にチケットを確認して、半券を切って、観客を誘導している。
「僕たちのチケットは持ってるのか?」
フレイは、前を昇るリッツに尋ねた。それに対して、リッツは首を振る。
「俺たちファイターは、関係者パスをもらって、それで入るんだ。遊びでバトルを見るわけじゃないからな」
リッツの言った通り、ふたりは、チケット確認口を通されたあと、階段の隅に置かれたテーブルの前に連れて行かれ、身分確認の上、“関係者”と書かれた首から提げるパスをもらった。
ふたりは、それを首にかけ、階段を上る。心なしか、リッツの歩みが、弾むようなうきうきしているように見えた。
観客席は、円形の舞台を囲むようにドーム状になっていた。観客席の上には、日よけのための天井が作られているが、舞台の上は、ぽっかりと円筒状に切り抜かれ、そこから日差しが差し込んでいた。切り抜かれた部分の方が、大きいので、日差しは、観客席の大部分を照らしていた。日傘や帽子は、必須のようである。
席はほぼ満員で、熱気がアリーナの中に籠っていた。
関係者の内、ファイターは、一番上で、たって観戦するらしく、リッツが、観客席の一番上を指さした。リッツは駆け足で、席のあいだの階段を上っていった。フレイは、観客の顔ぶれを見ながら、ぶつからないようにゆっくりとあがった。
フレイの洞察では、アリーナに殺し合いを見に来ている人のほとんどが、舞台で行なわれている殺し合いを、自分とは関係のないものとして認識しているようだった。違う世界で起こっていること。ただのショーとしか、見ていないのだ。だから、平気で、人の殺し合いを、見られるのだ。人の死に際を見ることで、生を感じるなどと言う、対比など内省的に行なっているようには見られなかった。今か、今かと、戦いが始まるのを心待ちにする表情は、老若男女関わらず、フレイには違和感としか映らなかった。
フレイもいずれ、舞台に立って、殺し合いをさせられる可能性がある。それを、好奇の目で見られると言うことはいったいどういうことだろう。それを思うと、人間の無関心さに、虚しさを覚えた。
最上段には、手すりに寄りかかって舞台を見下ろすアンダンテの姿があった。
リッツはその隣で、アンダンテを相手にひとり長々と話をしている。両足をふわふわと揺らし、気持ちの高揚を押さえられないといった様子だ。彼もまた、戦いを見るのが、楽しみで楽しみで仕方がないと言うようだった。
フレイは、遅れてアンダンテの隣に立った。
「さっきは済みません」
頭を下げるフレイに、アンダンテは、首を横に振って答えた。それから、自分が殴ったフレイの右頬のケガの具合を確認するように、のぞき込むようにサングラスをかけた顔を近づけた。アンダンテは、小さく縦に頷いて、体を戻して、舞台の方に視線を向けた。大丈夫とでも言いたかったのだろうか、フレイは、アンダンテの横顔を見て、通訳をしてみた。
野太い銅鑼の音が、場内に鳴り響く。
「この音は?」
「始まりの合図だよ」
フレイの独り言をリッツは聞きつけ、素早く答える。
観客席の最前列の少し開けた部分にマイクを持った男が現われた。彼は、マイクを握りしめて、今日行なわれるバトルについての説明をし、さらに録画、録音が禁じられている旨を話した。観光客が商売相手であるから、中には、録画や録音が出来る機械をルマリアに持ち込んでいる。
舞台の端の鉄格子がゆっくり上に開き、中から上半身裸で、その肩と心臓の部分に軽い甲冑をつけた男――ルイーゼが現われた。右手には、始めて見たときと同じような細身の剣がにぎられている。フレイの位置からは表情は見えなかったが、その仕草は落ち着いていて、舞台のちょうど中心に来るまで、まったく心によどみを感じさせなかった。大津波の前の静けさか、それとも、戦いになれてしまったのか。焦げ茶色の短髪が、日の光の中で、揺らめいていた。
「皆様、ただいま登場いたしましたクラスAファイター、ルイーゼを今一度大きな拍手でお迎えください。彼は、5年前の衝撃的な13歳のデビュー戦以来、数々のバトルをくぐり抜け、今やあの最強のアンダンテに最も近い人物とまで言われています。昨年のファイトマネーも総合一位を獲得し、人気実力とも、申し分ないファイターであります」
比較にアンダンテの名前が挙がって、フレイはアンダンテの横顔を見た。
「手加減してくれたんですか?」
フレイは、自分の右頬を人差し指でさして、アンダンテに尋ねた。アンダンテは、フレイのほうに顔を向けて、小さく頷いてから、また舞台の方に視線を戻した。
「先ほども話しました通り、そんなルイーゼに新しい試練を、皇帝ケティル2世から直々にお与えになるのです。わたくしの正面の特設ブースをご覧ください。皇帝ケティル2世と、そのご息女ユリア・R・ルマリア皇女がお見えになりました」
マイクを持った男が指した方向を見ると、舞台側の壁が取り払われた小さな小部屋があって、ゆったりと椅子に座った男と、隣で手を振っている女が見えた。その背後には、付き人らしき人間が、何人か頭を下げて、佇んでいた。男は丸々と太り、ちょうどフレイの位置から正面に見えたが、遠目では、ただの球体にしか見えなかった。太りすぎだ。内臓を脂肪が圧迫して、そのうち死ぬのではないかと、一目見た瞬間に考えてしまうような体型だった。隣でしおらしく手を振っている女は、ご息女と言ったが、隣の父親とは対照的に細い遠くから見れば、マッチ棒とボールの親子にしか見えなかった。
小部屋の左右には、彩度の高い赤いカーテンが止められ、床も同じ色の絨毯が敷かれている。特別席と言うにふさわしく、豪華絢爛の装飾が施されていた。太陽光に反射しないのが、幸いである。
「さあ、役者もそろい、時間いっぱいになってきました。改めて今日のバトルの目録を言いますと、第1戦目は肩慣らしに雄牛1頭と戦います。ただしこの雄牛、ただの雄牛ではありません。闘牛士を50人以上血祭りに上げてきた、普通の闘牛の3倍の体躯を持った遺伝改良を施されたものです。第2戦目は先月、同盟国ラファーエリンで捕らえられた賊20人。強盗、強姦、殺人、窃盗、薬物の密売に至るまで犯罪の限りを尽くしてきたグループで、本日ルイーゼの手による公開処刑が行なわれます。第3戦目は、陰國(いんこく)の勇敢な騎馬兵10人。腕自慢のために、わざわざルマリアにやって参りました。生きて帰れるかは、その戦いぶりに掛かっていますね。第4戦目は、軍が開発したマシン兵器25機。センサにより対称を認識し、レーザによる攻撃を行ないます。新たに導入された群衆プログラムが正常に作動すれば、手強い相手に間違いありませんが、こればかりは、運を天に任せる以外にありません」
機械がプログラムを搭載して戦うと言うことは、レベルはわからないが、AIを書くプログラム技術があると言うことだ。
フレイは、リッツに尋ねた。
「この国の科学技術力は、AIを作れるほどあるの?」
それに答えたのは、リッツではなかった。
フレイの隣で手すりに寄りかかるように、マンドレイクがやってきた。
「もちろん、あまり学校教育は熱心じゃないが、勉強したい奴は、外国に行くための多額の援助金がでる。外に出るのは、勉強好きな奴らだけだから、そいつらが、学んで戻ってくれば、いくらでも研究できる予算は、国が援助できる。商業で発展して、紙幣の力は、偉大だってことだな」
フレイが口を開こうとするが、マイクの男の拡声された声が会場に響いたため、それ以上、話をするのをやめた。
「第5戦目が4頭の獅子。これも1戦目の雄牛と同じく遺伝子改良が施されていますので、知力、筋力とも、野生の獅子よりも高く、中盤最大の激戦区となるでしょう。第6戦目がトラップ地獄。アリーナに新設された数々の新トラップのお披露目、テストを兼ねております。ルイーゼの美しくしなやかな動きが、ご堪能出来るのではないかと、個人的には期待している6戦です。第7戦目が3人のクラスBファイターたち。クラスは違えども、連係プレイと、6戦を終えて疲れているルイーゼであれば、勝つ可能性も出てくるでしょう。先ほどのインタビューしてみましたところ、かなり強い意気込みを感じました、健闘して欲しいものですね。そして、最終戦は、宿敵ボンバル・ジック。59戦12勝11敗36分け。現在のところは、ルイーゼが1勝だけ勝ち越していますが、はたして今日は、その1勝を伸ばすことが出来るのでしょうか。そのためにはいかに7戦目まで力を温存し、ボンバル・ジックと戦うための時間を確保するかです。閉会の20時までに決着をつけることが出来るのでしょうか」
銅鑼が鳴り響き、正午、頭上の日が傾き始めると共に、戦いが始まった。
1時間も経たないうちに、6戦目まで終了した。
雄牛は、一撃で眉間を突き殺され、20人の賊は、全員首を切り落とされた。3戦目の10人の騎馬兵は、馬から振り落とされ、観客の「生かせ」の声で、瀕死の状態ではあったが、命を助けられた。
手こずったのは、マシン兵器25機ではあったが、これも、ひとつひとつ確実に仕留めていき、かすり傷ひとつ追わずに勝利した。そのルイーゼの一挙一動に観客が魅了されていくのが、手に取るようにわかった。無駄な重心移動ひとつないため、ルイーゼの動きは、水の流れのように、そして、風のようにしなやかで、美しかった。美しいと形容する以外に、もう誰も言葉を見つけられない。
観客の歓声さえも、ルイーゼの指揮に合わせて、歌った。
獅子も、トラップ地獄も払いのけ、ルイーゼの呼吸は、遠目の遠くから観戦しているフレイの目には、まだ乱れていルようには見えなかった。
日差しが強く、さすがに額には汗をかいているが、それは冷や汗ではなく、ただ体温を下げるための産物だと云うことは、会場にいる誰もが承知していた。
観客席から黄色い声が上がり、観客席の縁から、タオルを振る女子のグループがあった。ルイーゼは、舞台の壁をひらりと昇り、縁に腰掛けると、黄色い声を上げる女子からタオルを借りて、顔を拭き、また、舞台に下りていった。
舞台には、新しい対戦相手が、現われていたが、観客の注目はルイーゼにあって、完全に空気に飲まれていた。
体躯はルイーゼよりも凛々しく、鍛えられた筋肉が、隆起している。腕も一回りも、二回りも太く、一見すれば、ルイーゼに勝ち目はないように思えるが、今までのルイーゼの戦い方を見れば、力で無理矢理押し勝つようなことはせず、技巧を駆使して、美しく、観客に魅せる戦いをして、勝利していた。
フレイの隣で観戦していたマンドレイクも、冷笑を浮かべて、呟いた。
「役不足だな」
3人のクラスBファイターを鼓舞するように、銅鑼が連打され、戦いが始まった。
3人は、示し合わせたように、一定の距離をとりながら、正三角形の陣を取り、ルイーゼに向って行った。先頭にいるファイターが斬りかかり、右翼と左翼のファイターが、援護する。
どんなに打ち合わせをしていようが、すでにルイーゼの力は、観客に印象付いている。観客が、マンドレイクと同じように、その3人では、役不足だと気づくのに、それほど時間はいらなかった。
「殺せ!」
会場内から、死を求める声が轟き、その渦は、あっという間に会場全部に広がっていった。
“なんという狂気”
フレイは、最上階から見渡して、その異常さに、愕然とした。笑いながら、人を殺せと、叫びを上げているのだ。それも、ひとり、ふたりではない。会場全部が、それに呼応しているのだ。
ルイーゼと先頭の男が、数度切り結び、ルイーゼが体を回転しながら、左に回り込むと、右翼の男が、すくい上げるように、幅の太い剣を振るった。
ルイーゼが自身の剣で、それを防ぐが、連戦が祟ったのか、高い音を響かせて、半ばから折れてしまった。
砂の上に、銀色の刃が、横たわる。
ルイーゼが、距離をとろうと下がるが、クラスBのファイター3人は、ここぞとばかりに、追撃をゆるめなかった。
マンドレイクが鼻で笑うのを、フレイは聞き逃さなかった。
襲いかかる3人を前にして、ルイーゼは、穏やかなようすで、刃の折れた剣を構えた。
すれ違った瞬間、3人のうちのひとりの腹が鮮血した。
ルイーゼは、前転しながら、3人から距離をとる。その手には、折れたはに重なるように、赤い半透明の棒が延びていた。
沸き上がる観客の声は、今までにないくらいに、場内に轟いた。
切られたファイターは、ほかの2人の影に隠れて、傷口を手で押さえる。戦えないほどの深い傷ではないようだ。
「あの赤い棒は?」
フレイは、目を細めて、ルイーゼの右手に注目した。
「“超剣”。ルイーゼの本当の武器だ」マンドレイクが、嬉しそうに呟いた。
「“超剣”? 魔法使いだったのか?」
フレイの質問を嗤うように、マンドレイクは口の端を歪めた。
「ルイーゼは、半魔人“超剣”と契約をしたアニムスだ」
風が吹いた。
アンダンテの帽子が、それに舞った。
フレイは、ゆらゆらと舞台の方に落ちていく、アンダンテの帽子を見送った。
「アニムスか」
ルイーゼに声援を送る観客は、ただ熱狂するばかりだ。
「観客は知っているのか?」
リッツが、観客の声に負けないくらいの大きな声で答えた。
「もちろん! 舞台の上じゃ、アニムスも、極悪犯罪者も、病人も関係ない! くだらないバックボーンなんて取り払われて、ただの戦士として、扱われるんだよ!」
そういうと、リッツは、気づかないほどの一瞬だったが、アンダンテを見上げた。
アンダンテは、帽子が飛んでいったことも気にせずに、舞台を見ている。
舞台上では、ルイーゼが、振ってきたアンダンテの帽子をつかまえ、上下左右に動かして、帽子を観察していた。それから観客席の方をゆっくりと見渡して、フレイたちの方――アンダンテを見ると、勢いよく、帽子を投げた。見当違いの方向に飛んでいった帽子は、円弧を描きながら、観客の頭上をかすめ、アンダンテの手元に届いた。
帽子に視線を送っていた観客が、アンダンテに気づき、歓声がより大きくなった。
「ほら、手を振って」
リッツがアンダンテの右手をとって、強引に手を振らせる。当のアンダンテは、左手で帽子を深く被り直し、振られるままの右手を無視して、ルイーゼに視線を向けた。
マイクの男が、視線を交わす2人の実況をする。
「観客席の後方では、現最強のクラスSSファイター、アンダンテが、ルイーゼの戦いを観戦しています。ご覧ください、にらみ合うふたりを、一歩も引かず、お互いの実力を認め合っているのでしょうか。わたくしだけではなく、全世界が、このふたりの戦いを待ち望んでいると信じています。頂点をとるものの、頂点に君臨するものの生死をかけた戦い。命をかけているからこそ生まれるものこそが、ファイターというものの芸術なのかもしれません」
舞台上のルイーゼは、笑いをこらえるように口元を左手で隠し、顔を戦っている3人に向けた。
ルイーゼが視線を戻し、観客たちの熱も少し下がった。アンダンテに注がれていた視線も減り、手を振らせていたリッツも、舞台に注目し直した。
フレイは、アンダンテを横目で見ながら、その鉄仮面の心を思っていた。
ルイーゼにしても、アンダンテにしても、ここで戦う以外の選択肢がなかったのではないだろうか。
“アニムス”が生きていくために――社会の表側で正常な生活を送るための唯一の方法が、このアリーナで戦うことだとすると、ファイターとして戦うことで、光を見られるのかもしれない。
アニムスの概念を理解するためには、魔人と呼ばれるものを理解しなければならないだろう。
ガイアを満たす、魔力のエネルギーの源たるエレボスは、衛星の重力に引かれて、衛星とガイアのあいだに流れを作る。その流れの影響で、地上にエレボスの川が出来るのだ。これは星の自転に引き込まれて、大気の流れが出来ることと似ている。
流れが出来ると云うことは、その流れの中で、流れの速い部分と遅い部分も出来ると云うことを意味する。そして、その遅い部分には、エレボス溜まりが生まれ、ひずみとなって、周りのエレボスを引き込んでいく。そうして、長い時間をかけて、結晶化したものが、魔人という固体を持った生物なのだ。現段階で、フレイが認識しているかぎり、この世界に魔人はいない。破滅に導いた7体の魔人は、すでに4年も前に消滅しているのだ。
魔人として、結晶化されるまでの期間は解明されているわけではないが、エレボス溜まりが魔人化に至る前に、薄れて消えていくことは、研究機関の観測で明らかになった。
そして、それが半魔人とアニムスの関係につながっていくのだ。
結晶化されずに、エレボス溜まりが消滅したとき、ある密度に達していると、それは量子としてエネルギーとしての生命を形成する。現実の物質ではなく、量子で形成されているために、視認することは出来ないが、量子の振動を利用して、会話が可能なレベルの生命体を形成するのだ。
それが、半魔人と呼ばれる魔人になれなかった生命体だ。結晶化されずに、固体を有していない彼らは、放っておけば、エネルギーを1カ所にとどめておくことが出来ずに、自然消滅してしまう。それを防ぐ唯一の方法が、人と契約をし、自分の能力を契約者に貸し与えることで、自分の生命の借宿を得る方法だ。
一度生まれてしまった生命体である以上、死の恐怖には勝てない。彼らは生き残るために、人の中に住み、その人に爆発的なエネルギーを供給することで、その人間が行き続けるかぎり、生命を現世にとどまらせることが出来る。
半魔人と契約を結べるのは、自我の形成がされてない8歳前の子供である。8歳を超え、自我が形成され始めると、半魔神が住む精神の領域が、個によって満たされていくため、融合が上手くいきにくくなる。
アニムスの存在は、数1000年も前から確認されていて、その研究も行き届いている。しかし、研究が進めば、すべてのことが上手くいくかというと、そうではなかった。
アニムスは、その取り込んだ半魔人の影響を受け、精神疾患を患うケースが多く。長い歴史の中で、いくつかの大きな犯罪を犯してきた。それは、取り込んだエネルギーの暴走か、本体の暴走か、どちらともつかず、結局は、アニムスに対しての、迫害的な精神だけが、現在残っている話だ。
フレイの目の前で、アニムスの活躍に声援を送ったり、アニムス同士の戦いを、楽しみにするという現象は、おそらく、世界の中で、このルマリアしかないのではないだろうか。そもそも、アニムスになったものは、そのことを隠している。ルイーゼのように、見せびらかすようなことはないだろう。
アンダンテの細腕で、フレイを吹き飛ばすほどの拳を振るうというのも、もしかすると、アニムスのあらわれなのかもしれない。
確かにアンダンテに対して、普通の生活をしてはどうか、と発言したのは、間違いだったかもしれない。まだ本人の口から、アニムスだと聞いたわけではないが、もしそうならば、普通の社会の中で、日の当たる生活など、出来はしないだろう。
ルイーゼが、剣を振るえば、赤い衝撃波が、飛翔して、3人を分散させる。
“超剣”と呼ばれる赤い棒が、赤外線の波長を持っているか、噴出したエネルギーが、空気中の酸素や物質と化学反応を起こし視認できるのだろう。
戦いは、すでにルイーゼの流れにあった。
「あの3人も、ようやくクラスBまで成長したのに、残念だったな」
肩をすくめるだけのマンドレイクを、フレイは睨み上げた。
「残念だと思うなら、試合を止めればいいだろう。これ以上戦う意味はない」
「無理なんだよ。戦いが始まっちまったら、どちらかが死ぬまで、終わらないんだよ。それがバトルアリーナの掟だ。生きたきゃ、精いっぱい戦って、観客に生かしても良い――生かす価値があるファイターだと判決をもらわなければならない。どんな人間だろうと、それは、変わらない。貴様もファイターとして戦うことになるんだから、それくらい覚えておけ!」
この戦いで、観客が、“生かせ”いう確率がほとんどないことくらい、マンドレイクはわかっているはずだ。両者の力の差は歴然だ。
公開処刑を行なわれた盗賊20人の並んだ首は、残虐の極みであった。
舞台上の3人は、ルイーゼの超剣の威力に、ほとんど丸腰にされて、腰が引けていた。素手で戦って、観客に意思表示すれば、まだ生きる可能性が残されているかもしれないが、それを望めるようには見えなかった。
フレイは、誰にも気づかれないように、“言葉”を呟いた。
大気中のエレボスの流れが、フレイの体にせき止められ、器の中に少しずつ満たされていく。安全な基準値を超えなければ、イドによって暴走することはない。それは、自身が暴走して以後、何度か研究を続けていく中で見つけた。
チャンスは一度きりだ。
観客に、舞台外から援護されたと気づかれないように、上手く見せる必要があった。
フレイの目が座った。
ルイーゼが3人に手招きをする。
3人は、顔を見合わせ、丸腰のまま、走り出した。
最期を華々しく散るつもりか。
殴りかかってくる、3人を受け流しながら、ルイーゼは美しく舞った。
3人がかりでも、体術では、ルイーゼの方が上のようだ。
フレイの髪が、体内から噴出するエネルギーによって、風になびくように揺らめいた。
ルイーゼの正面の男が蹴り上げた瞬間、フレイは目を細めた。
体の中にせき止めたエレボスが、光の速度でルイーゼの足下の地面に干渉した。
蹴り上げる動作に合わせて、地面が、垂直に爆発し、ルイーゼは、粉じんに巻き込まれて吹き飛んだ。
観客が、椅子から立ち上がる。
悲鳴と歓声が、渦巻いた。
吹き飛ばされて、空中を浮いたルイーゼの体を、さらにフレイのエレボス波が襲う。
ルイーゼの体はなすすべもなく、左右に飛んだ。打たれた場所が特定できないように、いくつかを壁に反響させながら、フレイは、4度目の攻撃でやめた。時間にして、10秒程度だが、舞台上の3人が生き残るには、十分な演出であった。
ルイーゼが、地面に伏して倒れている様子に、観客は悲鳴にも似た歓声を上げた。今まで罵倒されていた3人は、好意的な声援を送られ、目を丸くしたように、キョロキョロと左右を見渡した。
「なんだ今のは?」
舞台上で起こったことを認識出来ずに、フレイの隣でマンドレイクが狼狽する。
マンドレイクだけではない。誰もが、たった10秒のあいだになにがあったのか認識できていなかった。
ルイーゼは、地面に手をついて、頭を振った。そして、最初の一撃が飛んできた方向――フレイのほうを見上げた。驚くべきことではない。フレイはそれも予定の内であった。魔人を体内に取り込んだアニムスであれば、人間には認識できない、エレボス波を感じるかもしれない。
ふとフレイが、アンダンテの方を見ると、アンダンテが、サングラスを少ししたにずらして、フレイに視線を向けていた。
体に取り込んだ、半魔人が、宿主に教えた。ふたりともアニムスだということが、確定したと言うことだ。
ルイーゼは、少しのあいだフレイのほうを見上げていたが、すぐに丸腰の3人に向ってきびすを返した。3人が構える間もなく、ルイーゼがすれ違うと、ゆっくりと体を傾けて、地面に倒れた。
勝負は決した。
観客は、倒れた3人にエールを送り、命を奪うことを主張しなかった。
担架に乗せられて、舞台から消えていく3人を会場は、拍手で送り出した。
マイクの男が、観客席に作られた踊り場に昇り、戦いの解説を始めたが、その言葉はフレイの耳に入ってこなかった。ルイーゼが、じっとフレイを見上げていた。遠く距離があったため、表情はお互いに見えていないはずである。しかしフレイには、見られている感覚があった。
マンドレイクが、突然フレイの方を向き、左腕でフレイの肩を力強く掴んだ。
「そうか! さっきのはおまえがやったのか!?」
「なんの話だ?」とぼけた。
「とぼけるな、あいつらにあんな芸当出来ないことは、わかっているんだ。あいつらに出来なければ、誰が出来る? この会場にいる中で、ルイーゼにあんな攻撃を仕掛けられるのは、おまえくらいしかいないだろう!」
詰め寄るマンドレイクに、フレイは冷ややかに嗤った。
「憶測で決めつけられちゃ困りまるね。そもそも、本当にルイーゼが攻撃されたのか? 自分から飛び跳ねて、空中で体を捻っているようにしか見えなかったよ。さらにいえば、あなたが言うように、ルイーゼに何かしらの攻撃がされたとして、僕以外にどうして可能性を見ないのですか? 観客席の中に犯人はいるかも知れないでしょう。それも探しもしないで、無責任に、僕がやったようなことをいわないで頂きたい!」
フレイの言葉に、マンドレイクは言葉を飲んだ。
リッツも、フレイを後押しする形で、笑った。
「そうそう、こいつにそんなこと出来るわけないじゃないですか。口ばっかで、どうしようもないことばっかり言ってんだよ」
ケタケタと声を上げて笑われて、不快感は少し感じるが、それでも、リッツの言葉が、追い風になっていることは、確かだった。
眉間に皺を寄せたマンドレイクは、言い返せずに、歯を鳴らした。
「ならば、いやでも証明させてやるぞ」
そう吐き捨てるように言うと、マンドレイクは走って階段を下りていった。
マイクの男のところに行き、関係者数人をつかまえて、何か相談を始めた。腕を大きく振って、指示を飛ばす。
「なにしてんだろう、マンドレイクの叔父さん」
リッツは、体を手すりにも垂れかけ呟いた。
なんにしても、フレイにとっては利益になるようなことではないことが、予感された。
マンドレイクの隣にいたスーツを着た男が、無線に話し掛ける。
マイクの男が、会場にいる観客に、少し待つように声をかける。ボルテージの上がった観客たちも、マンドレイクや、その他の様子に、何かを感じて、ざわめいていた。
無線で話していた男が、親指を立てて、マンドレイクに合図をする。マンドレイクは、胸に手を当てて、観戦している皇帝ケティル2世の方にお辞儀をした。
マイクの男が、マイクをにぎり直して、手を高らかに挙げた。
「クラスAファイターのルイーゼの戦いはすさまじく、予定されていた試合時間を大きく前倒ししております。余興が余興にならず、お客様により満足して頂くために、急遽7.5試合目を行ないたいと思います」
フレイは、額に手を当てた。
「皆様もご存じかと思われますが、数年前までは、この世界は、魔人と呼ばれる破壊するものによって、恐怖に脅かされておりました。そしてその魔人は、少年たちの手によって、エレボスの流れに返され、世界に安息が訪れたのです。しかし、2年前のUSノスカァロライナ州のイドの暴走事件以後、魔法の使用が禁止され、魔法使いがこの世から消えました。ルマリア・バトルアリーナ協会では、魔法の使用が禁止になる以前から、魔法使いの先頭を皆様にごらん頂けないかを苦心し、手を尽くしてきました。その迫力を、今日この場所で、存分にご堪能してください。この世界で、魔法を使った戦いが見られるのは、このバトルアリーナ以外にありません。長い歴史に培われたアリーナの歴史があるからこそ、バトルに魔法の使用が許可されたのです!」
フレイは首を振って、かぼそい声で、マイクの男の言葉を否定した。
「許可が下りるわけないだろう」
「ご紹介しましょう。世界を救った少年――フレイ・ソールです!!!!!」
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