第3話 ファイターという職業

 7日間、フレイは与えられた個室で、静養した。

 体のアザは薄くなり、身体能力の半分は回復した。4日目の夜から、凝り固まった筋肉をほぐすために、入浴後にストレッチを始める。6日目からは、簡単な筋トレも行い始めた。

 あてがわれた部屋は、1.5メートル×2.5メートルほどのひとり部屋で、人ひとりが寝られる程度のベッドが、部屋の半分以上を占領していた。旅行中持ち歩いていた鞄は、切り刻まれた跡を残したまま、フレイに返却された。中に入っていた金品は、さすがに没収されていたが、資料の書籍や、書きかけの論文は、少し切られてはいたが、無事に返却された。

 個室には、ベッドのほか何もなく、トイレと、洗面は共有スペースのものを使う。驚いたことに、トイレも洗面、入浴施設も、毎日、数度清掃が行なわれ、衛生が保たれていた。清掃業務委託をしているが、無理矢理捕獲して、戦わせようとしているわりに、気が利いている。さすがにベッドメイクは、シーツを所定の場所に持っていき、クリーニングされたものと取り替え、自分で行なわなければならない。

 フレイは7日間、第三ファイター収容所で静養しながら、共同で済んでいる者たちを観察した。

 行き届いた生活環境と同じく、そこで生活しているものも、一風変わっていた。

 ファイターとして、闘技場で、殺し合いをしているにもかかわらず、彼らは気さくで、話し好き、べらべらと、長時間食堂で話をしたり、筋肉自慢をしたり、腕相撲をしてコミュニケーションをとっていた。陰湿なもも中に入るが、それらは少数で、フレイがひとりで食事をとっていると、何人も物珍しそうに話し掛けてきた。全員が男の収容所ではあるが、収容所外部の出入りが自由にできるため、7日間住んでみて、同性愛者は見あたらなかった。外の歓楽街、風俗街で、性欲処理を行なっていた。

 フレイと同じように国境沿いで捉えられたもの、別の何千キロも離れた国で誘拐されたもの、スカウトされたもの、自らファイターに志願したもの、いろいろな経緯で戦う道を選ぶ・選ばされたものたちが混在していた。

 誘拐され、無理矢理ファイターにさせられたものと話をする機会があったが、彼らは一様に、今のファイターとしての生活を楽しんでいた。家族に手紙を書くことは許されていたため、中には家族を呼び寄せ、ルマリアで養っているものも出ていているらしい。

 ファイターとはある種の俳優・芸人のようなもので、観客を沸かせることができれば、ランクが上がり、報酬が上がるシステムになっていた。殺し合いではあるが、殺す、殺さないの審判は、最終的に観客が行なう。良い戦いを魅せてくれれば、敗者も生かされる。

「た・だ・し、出来レースであったり、八百長は、目の越えた観客に通用しない。もしも、そんなことをしようものなら、国王直属のファイターが、直接観客の前で、惨殺することが暗黙知されてんだよねぇ。死にたくなかったらフレイも、全力で戦うことだね。運が良ければ、生き延び続けられる。ククク」

 そう偉そうにフレイに話すのは、1日目の夕食を部屋に運んできた少年だった。

 齢13歳のその少年は、手入れの行き届いた金髪をした、大きな緑色の瞳の童顔で、容姿から、殺し合いを連想できないような子だった。しかし、話を聞く内に、少年がファイターに憧れ、自らの意志でファイターの道を志し、5歳の頃から、訓練施設で生活をしているという話だ。

 フレイは、自室で、寝具から普段着に着替えながら、壁により掛かって、つま先をならしているその少年に話し掛けた。

「気乗りはしないなぁ。殺し合いを娯楽で観戦するなんて、普通の神経じゃない。今日の殺し合いだろうが、明日の殺し合いだろうが、昨日の試合だろうが、わざわざ見に行きたいと思う心境には、僕はならないよ」

 少年は、床を踏みならし、やる気のないフレイの言葉に声を荒げた。

「今日は、ルイーゼと、宿敵ボンバル・ジックのバトルだぞ! これ見なかったら、ファイターの風上にも置けないね。どっちもAクラスファイター。戦いを見ているだけで、勉強になるぞぉ。相手が斬りかかってきたら、どう避けるのか。ハッ、それとも切り返すのか。ホッ、人の戦いを見るのだって、ファイターの仕事のひとつなんだよ!」

 鼻息を荒くして、まくし立てるリッツは、剣を振る動作や、斬りかかられて避ける動作を一人二役で演じて魅せた。

 フレイは、くしゃくしゃの髪を書きながら、首をかしげた。

「えっと、リッコと言ったっけ? この間、“王の木剣”のことを話してたけど、詳しく教えてもらっていいかな」

「リッツ! ホント興味ないことは、ぜんぜん頭働かせないなぁっ!」

 少年は、壁を蹴りつけると、後ろ手に部屋のドアを開けて、外に出る。

 フレイが後に続いて出ようとすると、勢いよく閉めてきたので、あわてて、ドアの端を手で押さえてとめた。

「リッツね。覚えた」

「何度も聞いたっての、その言葉!」

 リッツは腕組みをして、床を蹴ると掃き捨てるように言った。それからきびすを返して、歩き始めた。

 苦笑いで、顔をしかめた布令も、その後を続いて歩いた。

 ファイターの寄宿部屋は、ファイター収容所の西の棟にあった。第三収容所では、114人のファイターが、共同生活を行っている。フレイが与えられた部屋は、3階の一番奥の角部屋で、廊下を挟んで向かい合わせに計20室あるうちのひとつだ。個室の中では一番小さい部屋である。

 1階と、2階は50人が雑魚寝する大部屋になっており、いまは1階に43人、2階に40人が住んでいた。彼らは、ランクZと呼ばれる訓練生で、まだファイターとしては、実戦経験のないものたちばかりだった。リッツもそこで寝泊りをしている。フレイのように捕まえられたものは、戦闘経験や、能力によらず、はじめは大部屋に住み、集団生活をさせることで、規制本能を抑えようとするらしいが、フレイは特例で、訓練生からのスタートではなく、ファイターとしては一番下のランクEに指定された。

 ファイターランクが上がれば、寄宿棟の部屋も階が上がり、よい部屋での生活が許可される。ランクBまでは収容所での生活になるが、ランクAからは、街の一等地に建設された、豪勢なマンションの一室が、与えられる。

 この国で、ランクAのファイターは、映画スターや、一種の権威を持った人間のように、羨望(せんぼう)の目で見られる存在のようだ。簡単な言葉で表すならば、ヒーローだろう。

 どちらにしても、身勝手な話である。

 廊下を歩いていると、出入り口近くの一室のドアがゆっくりと開き、包帯を顔に巻いた人物が現れた。

 リッツがそれに気づき、腕組みを解いて駆け出した。

「アンダンテ!」

 手を振りながら駆け寄ってくるリッツにその“アンダンテ”と呼ばれた人物顔を向けた。

 Tシャツの袖口から、ドアを閉める指先にいたるまで、包帯を巻いている。リッツの情報によれば、全身火傷を負い、それを隠すために包帯を巻いているらしい。もちろん露出した皮膚にばい菌が入らないようにする意味もあるが、目と口、鼻の穴だけ、包帯がよけられて巻いていた。ただし目は、色の濃いサングラスをかけているため、その表情はほとんど読み取れなかった。手にはツバの広い帽子を手に持っている。白いTシャツに、裾の長いベスト――コートの袖無しと言った方が良いかもしれない――を羽織り、アイロンの効いたスラックスをはいていた。

「アリーナに行くの?」

 リッツが尋ねると、アンダンテは、黙ってうなずいた。

 背中が曲がっていて、酷い猫背だ。それが包帯で巻かれた全身の印象と重なって、薄気味悪さを増していた。節虫を連想させる包帯の上からでもわかるやせ細った体躯だった。

 食堂で見かけても、誰かと話していることはなく、一人で黙々と食べている。時折、リッツが一方的に話しかけるが、それ以外の人間は――フレイには気さくに話し掛けてくる人たちは、なぜかアンダンテを避けて、談笑を交わしていた。

「じゃあ、一緒に行こうよ。ぼくらも今からアリーナに行くところなんだよ。ルイーゼ対ボンバル・ジック、楽しみだよねぇ」

 リッツが跳ねるように、体を揺すって話すと、アンダンテは先ほどと同じように、無言で頷いた。

 フレイが側によると、アンダンテは、ちらちらと見るように顔を横に動かした。それに気づいたリッツが、フレイのとなりに立ち紹介をした。

「こいつはフレイ・ソール。7日前に来たばかりの新人ファイター。よろしく頼むよ」

 リッツのため口を気にしながらも、フレイは、アンダンテに手を差し出した。

「フレイです。よろしく」

 アンダンテは、差し出されたフレイの右手に視線を落とし、じっと固まった。

 フレイが首をかしげるよりも早く、リッツが、フレイの右手に上から平手を下ろした。リッツはフレイの手を叩くと、さらに向こうずねを蹴って、大きな声を出した。

「馬鹿! ファイターがうかつに握手を求めるなよ。アンダンテは右利きだぞ、握手するわけ無いだろ! 何考えてんだ!」

 向こうずねを蹴られたフレイは、しゃがんですねを撫でながら、リッツを見上げた。

「暴力的だなぁ。それくらいで声を大きくするなよ」

「ファイターなら当然のことを教えてやってるんだろ。すねの痛みは、授業料だよ。行こうアンダンテ」

 リッツは、言い捨てると、さっさと歩いて行ってしまった。

 フレイとアンダンテは、その背をあっけにとられて見送っていた。

「魔法学校の1年生よりも、タチが悪いなぁ」

 魔法学校の8年生の頃に、同じ年頃――13歳の少年少女たちの面倒を見たことがあったが、リッツとは正反対の穏やかな子たちだった。中には手の掛かる子もいたが、やはり体育会系と、文化系の違いだろうか。

 立ち上がろうとしたフレイに、アンダンテが、右手を差し出してきた。

 フレイは、目を丸くして、アンダンテのサングラスを見上げた。

「いいんですか?」

 アンダンテは、無言のまま小さく頷いた。

 聞き手ではなかったのだろうか、と頭の隅で考えながら、その差し出されて手に自分の手を重ねた。

 思った以上に細い指先をしていて、骨と皮しかないのではないかと、疑う。さすがに引っ張り起こしてもらう気にはなれず、軽く手をかける程度にとどめておいた。

「右手は、火傷のあとが痛まないんですか?」

 立ち上がったフレイよりも、アンダンテの方が少し身長が高い。少し見上げるように、フレイは尋ねると、アンダンテは、ぴくりと指先をふるわせ、フレイの手から逃げるように離した。胸の前で、帽子のつばを持つと、ゆっくりとそれを被り、きびすを返した。

 フレイは、聞き入ってはいけない領域だったのかと、じゃっかん後悔して、そのあとに続いた。

 アンダンテの背は、戦いをするものには見えないほど小さく、弱々しい印象を受けた。ファイターとして戦うような人間には見えない。勝手なフレイの意見ではあるが、ほかに働き口を見つけて、静かに暮らした方が良いのではないかと思った。火傷を本当にしているのであれば、戦って、その傷をなめるようなことをするよりも、安静に静養した方が良い。

 フレイは、左肩の、注射されたあとを、服越しに撫でた。小さな痛みが帰ってくる楔と同じものを、アンダンテも抱えているのだろうか。フレイは、その小さな背にそんなことを感じた。




 アリーナへ行く途中、リッツは、ずっと喋り続けた。フレイとアンダンテが、話を聞いているかどうか、まったく関係なく、話がとどまることはなかった。

 事実フレイは、リッツの後ろをアンダンテと並んで歩きながら、話を聞かずに、街の様子を観察していた。

 ファイターが人気職だというのは、すぐにわかった。

 アリーナは、ルマリアの王都から15キロほど南に進んだところにある商業区にあった。そこには、ファイターたちの宿泊施設もあるが、基本的には、観光旅行客たちを呼び込む古い建物が並んでいた。話に寄れば、5000年以上前に立てられた建物を修繕して使っているらしい。自然災害が、土地の乾燥以外なく、地震や津波、トルネードなどとは無縁の地方だった。

 ファイターたちも、気軽に街中を歩き、観光客や、街の住民とコミュニケーションを行なうことで、バトルアリーナが土地に浸透しやすい状態を作っている。

 フレイが寄宿している第三ファイター収容所は、バトルアリーナから一番遠い位置にあり、長い距離を歩くことになるが、その途中には、1キロに及ぶ観光客向けの商店街が建ち並び、建物もそれに応じて、見ていて飽きの来ないデザインをしていた。

 若い女や、果物を売っている主人、老若男女問わず、アンダンテに声をかけ、サインをねだったり、ささやかな手土産を渡しす。

 ここでも率先して働くのはリッツである。

「手土産は、こっちのオレンジ頭に渡してねー! サインは押さないで並んで、3分だけだからね。おじいちゃん順番抜かすなよ」

 オレンジ頭とは、フレイのことを指しているらしい。くしゃくしゃのオレンジ髪を掻き、アンダンテから、渡された手土産を受け取った。その量が、3分のあいだに両手で抱えるまでに増えた。アリーナに到着するまでのあいだに、幾度となく、手土産が渡される。

 フレイは手土産を落とさないように気をつけて歩きながら、アンダンテに尋ねた。

「いつもこんな感じなんですか?」

 するとアンダンテは、首を振って、前を陽気に歩くリッツを指さした。リッツは、頂き物の果物をむしゃむしゃと食べながら、肩を弾ませていた。

 リッツには、ファイターの才能よりも、ファイターをプロデュースして、お金を儲ける方が、合っているのではないかと、フレイは感じた。それと同時に、全身包帯で巻かれたアンダンテが、どうして、ここまで貢がれるほど人気を持ち得ているのかに疑問を持った。

 フレイよりも、少しアンダンテの方が身長が高いので、横目を向くとちょうど目線の高さに、アンダンテの口元があった。隣を歩くアンダンテの表情は、サングラスと包帯で隠れているため、口元しか伺えないが、そこには笑みも何もなく、アンダンテの感情を外部に伝達するには、不十分であった。語りもせず、能面のように固まっていた。少し厚みのある口元は、全身の不気味さに反して、色気を醸し出している。

“女か?”

 フレイは、唇の形から、アンダンテの性別を予想した。

 胸もなく、尻のラインはベストの裾で隠れていてわからないが、先ほどの細い指と、か弱さは、女性的なベクトルを向いている。

「女性の方ですか?」

 フレイの口を滑って、言葉が流れた。

 アンダンテは、立ち止まり、フレイを凝視するように、サングラスをかけた顔を向けた。

 自分の失言に気づき、フレイは、顔をしかめた。それから、すぐに頭を下げて、アンダンテに謝った。

「あ、失礼」

 顔を上げてアンダンテを見ると、その顔のサングラスをとって、口を尖らせて、フレイに鋭い視線を突きつけた。

 目尻が少しつり上がり、瞳が大きかった。涙が出ているのか、みずみずしく潤んだ視線で、それはまさに、アンダンテが、女性だと証明するに、それ以上のものはいらなかった。

 周囲の人間たちが、フレイとアンダンテを囲むように――いや、アンダンテの顔を注目するように、取り囲んだ。小声でうわさ話をするように、アンダンテがサングラスをとるのは初めてだと、口々に話す。

 うろたえるようにフレイは、周囲を見渡し、フレイを見たまま固まっているアンダンテに顔を近づけた。

「歩きましょう。人が集まってきてます」

 フレイの言葉で、アンダンテは、ぴくりと、体を震わせて、瞳を左右に振って、素早くサングラスをかけ直した。周囲の人間たちに気づかないほどの、衝撃でもあったのだろうか。フレイはアンダンテを促しながら、頭の隅で、不思議に思った。

 男装しているわけではないので、体のラインと、顔で唯一露出している口元・唇を見れば、誰だって、アンダンテが、女性なのでは、と思いつくはずである。だが、アンダンテの反応は、フレイが始めてそれを見破ったとでも言うように、衝撃を受けてしまっていた。

 フレイの隣を歩くアンダンテは、肩がぶつかるほど近くを歩き、ちらちらとサングラス越しに、フレイの横顔を伺っていた。サングラス越しのため、必要以上に、顔を斜めに向けなければならず、本人は気づかれないつもりなのか、どうか知らないが、フレイには丸わかりである。

「女性だと言うことは、内緒だったんですか?」

 フレイの質問に、アンダンテは、ややためらい気味に首を横に振った。

「それじゃあ、あなたが、女性だってことは、みんな知ってるんですか?」

 その質問にもアンダンテは、首を横に振って答えた。

 知らないで、人気があるのか、とフレイは、少し驚いた。もしかすると、その包帯の下はとても美人で、街の人や、観光客、ファイターたちにファンがついているのかとも想像したが、そう簡単な話でもなさそうだった。

 いつの間にかリッツは、先に行ってしまい、フレイと、アンダンテが並んで歩いていた。周囲の人から見れば、フレイがアンダンテの付き人のように見えるのだろう。すれ違い間際に、何度か、抱えている手土産の山に、お菓子や果物をのせられた。

 フレイは、その手土産を見ながら、ひとり話を続けた。

「でも、どうしてファイターなんて、殺し合いの仕事に就いているんです。どんな経緯で入ったかは知りませんが、もっと普通の仕事があったんじゃなかったんですか? 女性だってわかれば、軍だって無理にファイターなんて危ない仕事させようとはしませんよ」

 不意にアンダンテの雰囲気が変わった。

 具体的にどんな変化が起きたのかわからないが、フレイの感覚が、何かを感じ取った。

「戦って死ぬかもしれないのに、どんな理由で戦おうと決めたんですか?」

 不穏な空気を感じながらも、フレイは言葉を最後まで続けた。

 その瞬間、隣を歩いていたアンダンテに頬を殴られて、露店に吹き飛ばされていた。

 手土産散乱し、露店で売られていたメロンが潰れる。

 殴られたと気づいたのは、潰れたメロンの甘い液が、右手の甲に滴ってきたときだった。

 拳さえ見えなかった。

 自分の体がどうなっているのか、フレイには認識できない。おそらくショック症状だろう。目の前で、殴った姿勢から姿勢を正すアンダンテの姿が、頭に焼き付く。

“なんだ、猫背じゃないのか”

 頭に浮かんだのは、何でもない言葉だった。

 背筋を伸ばし、フレイを見下ろすアンダンテは、弱々しさなど微塵も感じられない迫力をまとっていた。敵意だ。

 周囲に集まる人が集まるが、アンダンテが、歩き出すと、みんな避けるように道を空けた。

 フレイは一人残されて、放心状態のまま、動けずにいた。

 街の人たちは、フレイを起こそうとも、声をかけようともせず、ただ遠巻きに、どうしていいかわからなそうにしていた。

 そうしていると、人垣をかき分けて、リッツが、駆け寄ってきた。

「おい生きてるか?」

 フレイは顔をしかめて、ゆっくりと頷いた。

 頬を殴られたらしく、首の筋肉が緊張して、動かし辛かった。

「ろくでもないこといって怒らせたんだろ、お前。アンダンテはクラスSSの最強のファイターだぞ。生きてるだけで、儲けもんだな」

 そういいながら、リッツは、フレイの腕をとって、肩に回し、体を起こした。それから、露店の主人らしき、髭の濃い男の方を向いて、話し掛ける。

「損害賠償の請求書は、第三ファイター収容所のアンダンテ宛に送ってくれ」

 露店商が返事をするのを確認して、リッツは、フレイを引き摺るような格好で、歩き始める。

 周囲を取り囲んでいた人たちは、ふたりに道を空けるように左右に分かれて、見送った。

「慣れてるんだな」

 フレイは、かすれた声で、リッツに言った。

「ファイターが街で起こしたいざこざは、基本的にファイターが責任を持って対処する決まりになってる。お前も覚えておけよ。不用意に店で暴れて、ものを壊したりすれば、請求書が山のように来るぞ。戦って報奨金を手に入れなきゃ、死ぬまで働かされるか、死刑にされる。アンダンテなんて、気性が激しいから、話し掛けてきた観光客を病院送りにしたことだってあるんだぜ。昔は、瀕死の重傷を負わせて、そいつの一生分の生活費を支払ったこともある。まぁ、それを支払えるだけの、戦果があるからすごいんだけどな」

「そんなに強いようには見えなかったけど、身をもって体感したよ」

「口は災いの元。お前、アンダンテに何言ったんだよ?」

「なんて言ったんだろう。まだ頭が働かないや」

 引き摺られている膝が、熱い。摩擦熱だ。雑念がフレイの思考を遮断している。まだショックで思考が、正常に戻っていないらしい。だた、何か失礼なことを言ったかもしれないというのは、痛みの残る頬に刻まれている。それほど失言の覆い性格をしていると、自分では分析したことはないが、この国に入ってから、口が滑る経験を何度もしている。暑さのせいだろうか。

 照りつける日光は、頭上に輝き、フレイのオレンジ色の髪を熱くした。

 空気が乾燥しているため、日陰になれば、涼しいが、日差しを直接浴びる道は、拷問だった。

 フレイは、リッツに礼を言って、ふらつく足で歩き始めた。

 思考が戻ってきたために、アンダンテに何を言ったのか思い出し、それをリッツに教えたところ、リッツは大きく頷いた。

「殴られて当然だぜ。知らなきゃなんでも言って言い訳じゃない。お前大人なのに、そんなこともわからないのか?」

 フレイは返す言葉もなかった。

 リッツの言う通りである。アンダンテのバックボーンを知らないのに、うかつなことを言ってしまったと、後悔している。

「アンダンテだって好きで戦ってるわけじゃないんだ。あんまりそういうこと言わないし、そもそも一言も話さないから、人気ファイターでお金をたくさん稼いでいるように見えるけど、本当は、普通の生活が出来ないから――普通の世界で、働き口がないから、ファイターをやってるんだよ」

 13歳のくせに、知ったような口をきいて、リッツは目を細める。

「何か知っているような口ぶりだね」

 フレイの言葉に、リッツは鼻で笑い飛ばし、歩く速度を速めた。

 Y字路を折れると、道の前方に壁がそそり立つように、巨大な建造物が見えてきた。

 1キロほど離れてはいるが、外壁の密な装飾や、古びた色味、重厚感が良く感じられた。血の香りとは言わないまでも、毛が総毛立つような畏怖が、天に昇るような匂いを覚えた。

「あれがバトルアリーナさ」

 リッツが、その建物を指さす。

 人通りは増え、生命にあふれた笑顔を浮かべた人が建物の方に向って歩く。死に際を観覧するから、生き生きとしていられる。対称であるから、感じる感覚があるのかもしれない。

 その辺りにまでやってくると、観光客らしき人の比率が増えてくる。地元の人や、ファイターらしき人たちは、浅黒く日焼けし、黄土色系の服を着ていた。地元の民族衣装だと思うが、裾の長いローブのような服に、頭にかぶり物をしている。どことなく、歴史を感じさせる服装であった。対して観光客は、デニム地のジーンズや、ラフなTシャツ、スカートなど、色使いに至るまで、現地の人から、浮き出ていたために、わかりやすかった。

「賑わっているね」

 隣を歩くリッツに言うと、リッツは自分のことのように誇らしげに胸を張った。

「そりゃそうだ。ルマリアで最大級の娯楽。世界中からファイターの戦いを見る人が集まってきて、この町に休日なんてない。見てみろよ、観光客だけじゃなくて、店の人だって、楽しそうにしてるだろう。この街が潤っている証拠さ」

「ふうん、ここしか潤ってないのか? せっかくの娯楽なのに、アリーナひとつに集中してたら、興行的にもったいないんじゃないのか」

 フレイのコメントに、リッツは、感心したような声を上げた。

「口を滑らせるばかりが能じゃないんだな。もちろん、ルマリアの中で一番古く、由緒正しい最大級のバトルアリーナは、今間の前にあるところだ。だけどそれ以外に大規模闘技場が、6つ。小、中規模の闘技場がいくつもある。毎日稼働しているのは、大規模闘技場と、アリーナだけになるな。ランクが下のファイターは、基本的には、小、中規模の闘技場から戦い始めて、少しずつランクを上げて、大きなところで戦えるようになる。大きなところで戦えれば、王に評価され、“王の木剣”を与えられる」

 リッツはそこで話を区切って、フレイの顔をニヤリと見上げた。フレイの部屋から出かけ際に、フレイが尋ねた質問だった。フレイが小さく声を漏らすと、リッツは得意げに、話を続けた。

「お前も、自由になりたきゃ、“王の木剣”をもらえるように、まじめに戦って、勝ち続けることだね」

 リッツはそういうと、笑いながら駆け出した。

 フレイの制止も聞かずに、小さくなっていく背を追って、フレイも足を速めた。

 混雑している道を、人のあいだをすり抜けていく。アンダンテに殴られて、ぐらついていた三半規管は、正常に戻っていた。

“王の木剣”と呼ばれる品物が、ファイターから――毒を盛られたからだから解放される唯一の方法。通行手形なのだ。それをえるために、戦わざるをえない。戦わなければ、いや、戦う意志を見せなければ、毒の効果を弱める薬を与えられない。

 囚人よりも、生活環境は良く。奴隷のように、こき使われること、蔑まれることもない。

 狭いが、暖かい布団に、三食の食事付き。

 おそらくこの環境に騙されて、ぬくぬくとファイターを続けるというのも、理解できる。しかし、フレイは、その現状に甘んじるわけにはいかなかった。彼には、イドを研究するという、使命があるのだった。

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