18 チェンバー

 雪の霊を閉じこめた氷の塊は、どこか、死者を納める棺に似ていた。片手でつかめるペットボトル程度の大きさの、透明な棺は、ぽかんと間抜けな顔をした霊をその中に閉じこめている。

 さっきまで無邪気に私と戯れていた霊は、微動だにしない氷の像と化していた。


「殺したの?」


 私はヴェロニィカに訊ねる。

 私の背中で、ひどく冷静なもうひとりの私がその様を見つめている気がした。


「霊に死はないわ。元来、生もないのだから」

「そうじゃなくて」

「これは標本よ。雪の霊の個体の、大事なサンプル」

「サンプル?」

「ちょうどいいわ。わたしの”チェンバー”、見てもらうつもりだったしね」


 ヴェロニィカは、氷の棺を無造作に握りしめたまま、もう片方の手でぱちんと指を鳴らして、名を呼ぶ。


「サルマニエル」

「はい」


 女王の傍らに、ひざまずくサルマニエルの姿があった。まるで、最初からそこに控えていたかのように自然なたたずまいだ。

 ヴェロニィカは命じる。


「チェンバーへ」

「はい」


 一瞬、目がくらむ。鏡面の輝きが私を包み込む。


 そして、次の瞬間、私たちは薄暗い灰色の部屋にいる。

 城内の冷たい美にあふれた領域とは異質な、そこは、洞穴のような場所だった。上下左右を囲うむき出しの土には霜が降りている。地上の鋭利な冷気とは質の違う寒気が、じんわりと空気を満たしている。


 眼前に、おそろしく巨大な金属の扉。扉を開くハンドルだけでも、ヒトの身の丈ほどもある。凍てついて、無機質なそれは、荘厳ささえ感じさせるたたずまいで、私たちの前に聳えている。


 ハンドルの前に立ったヴェロニィカが、私に言う。


「ここだけは、妾が手ずから開けることになっているの。私の長年の地道な収集活動の、まさに結晶だものね」


 そしてヴェロニィカは、ハンドルに手をかける。ぴし、ぎし、と、軋みをあげて、ハンドルがゆっくりと回転し、扉が左右に開いていく。


 扉の奥には、銀色の巨大な棚がひしめき合う、広大な空間だった。空でも飛ばないと最上部に手を届かせられない、端から端まで歩くだけで疲れ果ててしまう、そんな棚が縦横無尽に配置されているのだ。とんでもなく大規模な図書館か、あるいは、SFに出てくるクローン人間の保管庫とか、そういうのを連想させる。

 抱湖ほうこの部屋みたいに、鏡によって拡張されているのだろうか? あるいはヴェロニィカならば、実際にこの地下を掘削して空間を築き上げるくらいのことはしかねない。


 いずれにしても、そこが、何か膨大な資料を保存するための場所であることは一目瞭然だった。


「こちらよ」


 ヴェロニィカが呼ぶ声が、ひどく遠くから聞こえる。

 空間のずっと奥の方、目を凝らさないと見えないような距離に、ヴェロニィカとサルマニエルの姿がある。私は、そちらへと歩を踏み出す。


 とたん、左右にそそり立つ棚の中身が目に入ってくる。

 保管されているのは、無数の氷の棺。

 棺のひとつひとつに、霊がとらわれている。

 炎、水、風、土、音、雷……

 あらゆる種類の霊たちは、いずれも同じようでありながら、どこかに微妙な差異が認められるような気がした。

 私は、ときおり足を止めつつ、霊たちの姿を眺める。呼びかけられるような錯覚を感じる。夕闇で活動していた頃の、彼らの声の名残であるような気がした。


「ここは、霊たちを保存するチェンバー。ここに封じられることで、彼らの特質は永遠に維持されるのよ」


 ヴェロニィカが、誇りに満ちた声で告げる。自分のしていることに何の疑問もない、生まれながらの王者の言葉遣いだ。


「どうしてこんなことを?」

「どうしてって」


 私の問いに、ヴェロニィカが心底不思議そうに訊き返す。


「理由なんて必要?」

「……保存のために自由を奪うのは、本末転倒じゃない?」

「何も奪ってはいないわ。ある瞬間の形を凍結しておくだけ。放っておけば変化して、消えてしまう形質を保存するためにね」

「でも」


「サルマニエル」


 ヴェロニィカの声に応じて、サルマニエルは、手の中に小さな鏡を生じさせる。

 その鏡で、サルマニエルは、雪の霊を閉じこめた氷の棺を写す。


 ぱき、と、かすかな音がして、鏡の中からもうひとつの氷の棺が出現した。形も、つやも、中に封じられた霊の姿も、うりふたつ。


「こうして複製を残しているのだもの。何か問題でも?」


 ヴェロニィカは言う。何の言い訳がましさもない自然な面差しと視線には、自分の行為に何の疑問も抱いていないのが瞭然としていた。


 彼女は、元々手にしていた氷の棺を、棚の中に納める。空気の抜けるような音がして、棺は、ぴったりと棚に格納される。

 そして、新たに複製された棺の方を手に取り、弦を爪弾くような仕草で、叩く。

 棺は割れ、雪の霊……その複製は解放された。

 同時に、まるで再会を喜ぶみたいな笑顔で、私の足下に飛んでくる。


 ぴたり、と足首に触れた雪の霊の冷たさは、かつて私の足に触れたのと同じ温度と感触。

 私には、棺に閉ざされた霊と、ここにいる霊とを、見分けることが出来ない。


「夕闇は、あいまいな世界よ。何も同じままではいないし、誰も過去を保存することに関心がない。そこに棲むものたちでさえ、永遠性にうぬぼれて自らを保持しようともしない。小雪の友達なら、分かるでしょう? 彼女が修整と称して、何をしているのか」


 ヴェロニィカが、噛んでふくめるように説明する。声音も表情も、先ほどからすこしも動じていない。無知な子ども、私に、英知をもたらす教師の役目を自ら持って任じているかのようだ。


「かつての彼女の姿も妾は知っているけれど、それは永遠に失われ、妾の記憶の中にしかとどめられていない。もったいないことでしょう?」


 私は答えない。答えないまま、そっと、私の足にまといつく雪の霊をすくい上げる。手のひらが冷たく、かすかに水滴を帯びる。


「聞いている?」


 ヴェロニィカの言葉は、なおも落ち着いていた。


「ヒトの話を聞かない、と叱られたことない?」

「……聞いてるよ。話聞かないみたいに思われるけど、けっこうちゃんと、聞いてるつもり」


 他人と目を合わせられないし、ヒトが話してるときによそ事をしちゃうこともあるけれど、いつでも、声は聞いている。

 周囲に関心がないように見えるのと裏腹に、声には敏感だ。


 ヴェロニィカは苦笑して、肩をすくめた。


「大切なことだから、ちゃんと聞いてくれる?」

「……大切なこと?」

「あなたには、この事業の意味を理解してもらいたいの。こうして霊の姿と特質を保管すること。多様性を確保することは、いつか夕闇が何らかの危機に陥ったときに助けになるかもしれない。ある種の、予想もつかない特質が、未来の夕闇を救うかもしれない。意味は分かる?」

「分かるよ」


 生物多様性、というやつだ。単にかわいそうだから保護する、というだけじゃない、何か、自分たちに有用な器質を残しておくための営為。森林に棲む希少植物から、難病の特効薬が採れるかもしれない、とかそういうの。

 ヴェロニィカは、夕闇で同じことをしようとしているのだろう。その意義は、私だって理解できる。


 そして、ヴェロニィカは告げた。


「あなたにも協力してほしいの。霊に愛されるあなたの資質があれば、より多くの、より希少な、より特異な霊を収集できる。夕闇の霊を、あなたに捕獲してほしい」

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