16 氷ッ城
私の前に立ったニーナが城門のてっぺんを見上げると同時に、門は重々しい音を立てて、ゆっくりと開いた。門扉だけで家屋ひとつ分も優にありそうな、巨大な城門の奥に、雪の女王は控えている。
ニーナを使わし、私をここに連れてきた、城の主。いったい、何者なんだろう?
「おいで」
ニーナが素っ気なく言って、城へと歩いていく。その後ろ姿を追いかける。肩の上で、連れてきた雪の霊が驚いたように跳ねて、雪の結晶が舞った。
**
城内は、どこもかしこも白く、冷たく塗りつぶされていた。扉も、壁も、床に敷かれた絨毯までも純白。どんな細工を使っているのか、一点の汚れもなく、常に清らかさを保ち続けているかのようだ。
ときおり、距離感を失い、足下がふらつく。
目眩がするような、美しい世界。
雪の霊は、私の肩甲骨辺りにしがみついて、なんだか怯えたようなそぶりをしている。女王のお城に入るのは、やっぱり怖じ気づくものなんだろうか。
長く続く階段を上りながら、私がぽつりと口にする
「……ねえ、疲れない?」
ニーナが振り返って、渋い顔。
「何が。もうへばった?」
「違くて。こんなに真っ白で、ものの見分けがつかないと、気持ちが疲れそう」
「住んでれば慣れるよ。目で見た色なんかでものを見分けようとしているうちは、まだ初心者ね」
からかうように笑うニーナ。私はなんだかむっとして、ニーナの赤いパーカーのフードをひっつかんだ。ニーナは「あ、こら!」と慌てて私の手を引きはがす。
「何すんの、まったく」
「真っ白な中に赤いの、目立つから、つい」
「けだものかよ」
両手でフードを整えて、ぱん、とひとつ音を鳴らして、ニーナは頭を振る。
「触らないでよね。ただでもそういうの好きじゃないし、このフードは危ないの。さっきも見たでしょう? 鏡」
そうだ、ここに連れてこられる直前。
ニーナのフードから出てきた、あの鏡が、私をここに連れてきたのだ。
「それはあれ? 何でも格納しちゃう類の奴?」
「そんなとこ。勝手にいじると、変なもの出てきちゃうから」
「そういえば、さっきの鏡は何なの? あれもニーナの持ち物?」
「あれは借り物。鏡の悪魔の……」
言い掛けて、ニーナが目線を前方に送る。
階段がとぎれ、最上階のだだっ広い廊下が、まっすぐに延びている。余りに長く、広く、白いせいで、視界が純白に埋め尽くされてしまったかのように錯覚する。
その廊下の一番奥、天井まで届く巨大な扉の前に、ひとりたたずむ人物。
最初、ドレスが飾ってあるのかと思った。
それくらい、彼女のドレスは存在感があった。揺らめくごとにわずかに光の反射を変え、虹色にきらめいている。その揺らぎはひとときも止まることなく、この純白の世界の中にあって、異様なほどに際立っていた。
そして、その虹のようなドレスと裏腹に、その主の顔は今にも消え入りそうだった。真っ白な肌の上で、ひときわ輝く赤い瞳はおどおどとうつむいている。
「戻ったよ、サルマニエル」
ニーナが呼ばわると、彼女……サルマニエル? の肩がびくりと震えた。おずおずと目を上げるけれど、視線はこちらを向きそうで向かなくて、上がったり下がったり落ち着かない。
うつむいて隠れた口元から、か弱い声が滑り出る。
「お疲れ様、です」
「はい、鏡返す」
がさっ、とニーナはフードに手を突っ込んで、さっきの鏡を取り出す。片手でつかむには少々嵩張るその鏡を、彼女は遠慮なくサルマニエルに向かってフリスビーみたいに放り投げた。
サルマニエルは慌てて、それをキャッチ。
「た、大切に扱ってください。割れたら、一大事なんですから」
「それより、王女は中にいる?」
「あ、は、はい。ニーナさんの帰りを待つように、言われて」
そう言って、ようやく彼女は私の方を一瞬だけ見て、すぐ目をそらした。
たぶん、目を合わせるのとか苦手なんだろう。
気持ちは分かるけど、他人としてみるとちょっとめんどくさそうだなあ、と思っちゃうな……
「じゃあ」
つぶやいて、サルマニエルはぎゅっと胸を押さえるように顔を下に向ける。
一瞬、ドレスの中に彼女の全身が埋もれるようになって。
そのまま、すっ、と姿そのものが消え失せた。
「あれが、さっき言ってた鏡の悪魔?」
「ひどい恥ずかしがりでね。ああして、鏡で作った結界の奥に閉じこもってなかなか出てこないんだ。女王に引っ張り出してもらって、やっとこ借り物出来るくらい。あれですごいやつなんだけどね、結界作ったのもサルマニエルだし」
「でも、その結界に罅が入ってるんでしょう? それも、サルマニエルが何とかするの?」
「さあ? 女王はほんとは、そんなのあんまり気にしてないみたい」
「えっ?」
今度の件、結界の罅割れの問題なんだと思ってた。
でも、それなら私じゃなくて、修整屋の小雪を必要とするはずだ。
女王は、私に何を求めているんだろう?
と、ふいに、ニーナが私の後ろに回り込む。
「あとは直に話を聞けば? 女王、きっとお待ちかねだよ」
ぽん、と背中を押される。つんのめった私は、目の前の真っ白い扉を手で押してしまう。
扉は思いのほかあっけなく、内側へと開いた。
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