13 純名抱湖
ようやっと再会した私と小雪は、あらためて目的地である絵描きの家へと向かうことにした。
旧街の路地は変わらず闇深いけれど、小雪と手をつないで歩けば、目的地はすぐだった。
「ここだ、ここ。前にも来たことあるけど、なんかどんどん変梃になってるなあ」
立ち止まった小雪が、しみじみとつぶやく。
その建物の様子は、言ってみれば、でたらめに粘土をこね合わせた上に継ぎ足しを重ねて収拾のつかなくなった、お子さまの粘土遊びだった。
路地に面した門構えはかろうじてまともだが、そこから一歩踏み込んで庭先を見やれば、正体不明の獣の彫像や、抽象的で曰く言い難いオブジェが並び、その合間に紅梅や木蓮や秋海棠が雑然と花を咲かせている。同じ季節の花ではないはずのそれらが、一面に咲き誇る様は、美しいと言うよりも異様だ。
本宅は、一見すれば二階建てのように見えるが、一階と二階の間にいくつか余分な窓が開いていたり、空中にぶら下がるように階段が備わっていたり、何もない壁面に扉がついていたり、とにかく謎だらけだ。
「絵描きさんなんだっけ?」
「何でもやる芸術家だけど、本業は絵画だって言ってるね。確かに画がいちばん達者で、だからよけいに画の扱いは始末が悪い」
小雪の右手に一瞬力がこもる。私はそれを握り返す。付け根からもぎ取られた小雪の薬指の断面からは、いまだに何か得体の知れない液体がじくじくと流れ出ている。
薬指を奪ったのも、この家の主が描いた画から飛び出した画霊だ。
「そんなに必要でもないんだけどね、指……まあ、ここまで来たからには取り返しとかないと、かな」
「何ここまで来てやる気なくしてるの?」
「いや、最初っからそんなにやる気なかったし……私の指なんてせいぜい瓶の蓋みたいなもんよ」
蓋? あの液体を保管するために栓をしてるみたいなもの、ってことかな。
「まあいいか、ともかく……邪魔するよー」
小雪が家中に声をかけるが、返事はない。小雪はまたしても勝手にずかずかと踏みいる。夕闇のヒトたちってこんなのばっかりなのかなあ……
玄関の扉をバシバシ叩くけれど、やはり応答はない。
「アトリエにいるのかな」
小雪が視線を巡らせて、庭の隅の方を見やる。網のように絡み合った枝振りが硝子戸を押し潰しかねないほどに伸びていて、奥の様子はうかがえない。
「そっちがアトリエ?」
「そのはずだけど、さすがにこれは通れないなあ。私、直すのは得意だけど切ったり曲げたりは苦手なんでね。ハナちゃん、霊とか呼んで何とか出来ない?」
「そう言われても、何を呼べば……」
がさっ。
木立の上から足音がして、私と小雪は同時にそちらを見上げる。
「あれーっ、お客さんだー。珍しいや」
巨大な斧を担いで、大きな瞳をきょろきょろさせた快活そうな女の子が、こちらを見下ろしていた。手足はほっそりしているが、枝の上で器用にバランスを取っているたたずまいとか、斧を軽々と手と肩で支える様子とか、見た目よりずっと力が強そうだ。
「おっしょさんに御用の方?」
「うん、ちょっと野暮用でね。修整屋の小雪、って言ってくれたら分かると思う。
「ああ、修整屋さん。名前は存じてるよ。アチキはアカガネ、抱湖おっしょさんの弟子、といっても今は庭師しかやらしてもらってねえけどね。お見知りおきを」
こん、と右のつま先を枝につける軽やかなポーズで一礼。ずいぶん軽い音だな……あの右足も、小雪の指みたいにハリボテなのかも。
それからアカガネはひらりと身をひるがえし、地面に降り立つ。頭を巡らせて、荒れ放題の庭先を見やり、嘆息ひとつ。
「しかし悪ぃね、お客さん方。庭のこの辺、伸び放題にしちまったら道がふさがっちまってるな。ちょっと待ってくれたら剪定するけど、いいかね?」
「ああ、全然かまわない。急ぐ用事なんて夕闇にはそうそうないしね」
「けど、庭がこれじゃ見晴らしが悪くならないの? お師匠さんは怒らない?」
「おっしょさんは仕事に入っちまうと周りは見ねえからね。言われもせんのに手ぇつけるのも、弟子の領分じゃねえしな。逆に、外からこっちを覗こうなんて輩はおらんし……ちょっと離れとって」
よ、とアカガネは斧を両手で構える。
右手側から柄を背中に回し、ぶん、と、横なぎに一振りすると、ごつん、と伸びた枝に食い込んで切れ目を作る。
手の中で柄をくるりと返して、今度は左手側から一振り。両方から裂かれた枝は、ぶちっ、と地面に落ちた。切断面は、きれいにまっすぐ。
軽々と斧を使いこなすアカガネの練達の技に、私はすっかり感心してしまう。
「すごいね」
しみじみつぶやくと、アカガネはてへへ、と照れたように笑う。豪快に口を開けた笑顔も、素朴で愛らしい。
「これだけがアチキの取り柄だからね。しがないカマキリだったアチキが、おっしょさんの庭を任せてもらえてるなんてありがたいこったよ」
ふたたび庭木の方へ向き直り、斧を振るうアカガネ。その背中に、私は言う。
「アカガネの造った庭、私、ちゃんと見てみたいな。お師匠さんだって、いい庭になって怒るってことないでしょ」
「そう言ってもらえると、やる気も出てくるね。見てくれるヒトがいるってなりゃ、気の入れようも変わるってもんさな」
とか言っている間にアカガネは、曲がりくねった枝の群を手早く切り落とし、あっという間に庭の奥に続く道を作ってしまった。木々に囲われてトンネルのようになった道の向こうの離れには、しょぼいプレハブの小屋がある。あれがアトリエ?
「ありがとう、アカガネ」
「こっちこそありがとな。今度はもっときれいな庭、見せたるよ」
斧を担ぎ直すアカガネの面差しは、いい仕事をした後の充実感で満たされているようだった。彼女に見送られながら、私と小雪はアトリエに向かう。
と、小雪が私の肩をぽんと叩いた。
「いい仕事したじゃない、ハナちゃん」
「仕事? 仕事してくれたのはアカガネでしょ」
「そういうことじゃなくてさ。ヒトをいい気持ちにさせて、やる気出させるの。言葉だけでも、結構な効果があるもんよ。それが仕事ってこと」
そんなもんかなあ……?
ともあれ、私と小雪はプレハブの前に立った。アトリエと言うには、やっぱりどうにも見窄らしい。
小雪はプレハブの引き戸をばしばしと叩く。いちいち大ざっぱだなあ。
「いる~?」
「……おー、誰じゃ」
引き戸ががらがらと開いて、中から顔を出したのは、目つきの悪いやせっぽちの女性だった。ぼさぼさの髪を後ろで無造作にくくり、上も下も肌着一枚という、無造作とかラフとかでは言い表せない適当な格好をしている。
肌着のあちこちに、絵の具のシミがついていた。仕事着なのかもしれない。
彼女が
「なんじゃ、修整屋か。どうしたね」
老成したような口調があまり外見と合っていない。不健康そうではあるものの、肌も若々しく、体型も肌着では隠しきれないほど張りつめて若々しい。
小雪は彼女の肩越しに、アトリエの中をのぞき込む。
「おひさ、抱湖さん。あんたんとこに、私の薬指ない? さっき画霊に持ってかれちゃって」
「指なんぞ集める用事はないが……いや待て、おんしの薬指といえば……」
独り合点してうなずき、抱湖は頭をバリバリひっかきながら屋内に引っ込んでいく。小雪は彼女の許しも得ずに、その後ろにくっついてアトリエに踏み込む。
私もそろそろ、このノリを受け入れなくちゃいけないかなあ。首をひねりつつ、一応靴は脱いで、私もアトリエに入っていく。
中は、無限に広がる畳の和室だった。
「あれっ?」
私は一瞬眉をひそめ、目をこすった。暗い旧街から、急に明るい部屋に入ったせいで、何か錯覚したのかと思ったのだ。
しかし、改めて目を慣らしてから見ても、そこは、畳敷きの床が限りなく続いていく広大な空間だった。そのそこかしこに、水墨画や油絵、彫刻や石膏像、茶器のたぐいなどが無造作に放り出されている。
すべて、抱湖の作品なのだろうか?
しゃがみ込んで、足下に転がっていた茶碗を眺める。陶磁のようだが、どういう土を使ったのか、見たこともない青の色合いがまるで筋雲のような模様を織りなしている。じっと観察していると、そのうち、複雑で微妙な色調が解け合って、渾然と感じられる。
土と水のような、あるいは空と雲のような……いや、どちらが図でどちらが地でもない……
陰陽のような……
世界……
「ハナちゃん」
「はっ!」
声をかけられて我に返る。危ない危ない、なんか一瞬で魅了されていた。
「抱湖の作品はヒトの心くらいかんたんに喰っちゃうからね。喰わせる覚悟でいるならいいけど、気をつけて」
「うん……びっくりした」
芸術なんて、しゃちほこばった場所で畏まった顔して見るものだと思っていたから、まさかこんなところで心を奪われるなんて思いもしなかった。本物ってこういうことなのかも。
一方で、その作り手当人である抱湖の方は、広大無辺な部屋の奥へと何か探しに行っているようだった。そちらを見やれば、抱湖の姿は米粒みたいな大きさに見える。あっという間にどんだけ移動したんだ?
「この部屋、どうなってるの? 明らかに外の大きさと違うよね」
「あっちは画だからね。画霊の力で実体化してるの。無限に続いている、っていう印象で描けば、それなりの広さが確保できるわけ。ほんとうの無限を描くにはまだまだ修行が足りない、って抱湖さんは言ってた」
「なるほどねえ。それでも充分便利」
「ハナちゃんだって案外できるかもよ? 画霊にだって好かれるし」
「そんなもんかな」
「……んむ?」
遠くから、抱湖のうめくような声が聞こえた。見た目の距離にしてはずいぶん近くにいるように思われたのは、錯覚か、あるいは目のほうが欺されているのだろうか?
「どしたの抱湖さん? 何かまずいことでも?」
「や、おんしの指はちゃんと返せるが……それとは別に、ちと、頼み事をせにゃならんかも、だ」
私たちのそばまで戻ってきた抱湖は、右手に小雪の薬指をつまみ、左手には華やかな蒔絵の箱を抱えている。
黒い地に金や銀や紅をあしらった装飾は、表の庭を飾る梅の枝を思い起こさせる。宝石のようにつやめく紅の輝きや、壮麗な枝振りをいっそう豪奢に見せる金泥は、素人の私から見ても見事だと分かる。
けれど、もっとも印象に残るのは、銀だ。
点々と黒地に散らされて、今にも風を受けて舞い踊りそうなそれは、あたかも粉雪のよう。
夕闇にも、雪は降るのかしら。
「悪かったの小雪。こいつの外見を弄っているときに金泥が入り用で、画霊に集めさせておったんよ。もう大概撤収し終えたつもりだったんだが、旧街で袋小路にでも迷い込んだか?」
「マキナの家に埋もれてたよ」
「はん、あいつらしい。文字屋とて部屋は広々と持て、と口を酸っぱくして言うておるのだがな」
抱湖の悪口は、苦笑交じりだ。たぶん、本当はふたりとも仲良しなんだろうな、というのが伝わってくる。
小雪は抱湖から薬指を受け取って、右手にすっとはめる。包帯を巻かれた白い指は、その手の空隙にしっくりとおさまった。
彼女の右手の指は、修整の仕事に必要な、五行の『素』を宿している。薬指は金の素に照応しているから、抱湖の画霊が標的にしたというわけか。
「で、頼み事ってのは? 抱湖さんの作品の直しとなると、さすがに手間かかっちゃいそうだけど」
「物だけで済めば御の字だが……」
抱湖は憂鬱そうな声でつぶやいて、すっ、と、左手に抱えた箱をこちらに差し出す。
さっきまで影に隠れて見えなかった箱の裏側が、露わになる。そちら側の装飾は、夕闇の空を模したような、紅と黒の入り混じった波打つ文様。
その中央に、かすかな罅が走っている。
裂け目の奥から、銀色のかすかな塵が滲出しているようだった。
「これって」
緊張を帯びた声は、小雪だ。
抱湖がうなずく。
「氷ッ
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