12 ハナ

 私の声が、幽谷響やまびこの媒介によって、旧街ふるまちの隅々にまで届いていく。常に姿を変えてヒトを迷わせる路地にあって、私の声は、小雪が私を捜すための道標になるはずだった。


「昔の私は、ひとりっきりだった。自分に自信がなくて、いつもネガティブで、ヒトに話しかけることもできなかった」


 私の声は今、ちゃんと、小雪に聞こえているはず。


「そうしてると、逆に自尊心ばかり高くなるの。それって、自分を大切にしすぎて、傷つきたくなくなるってことだから。ヒトに攻撃されるのが恐くて、よけいに誰かに触れにいけなくなる」

「プライド高いって感じじゃないよね、ハナちゃんって」


 小雪の答え。それを手がかりに、私は闇の色の道を臆さず進む。


「自分でもそう思ってたよ。自分はダメなやつだ、って思ってて、ダメな私は誰かに近づいちゃいけない、って思ってた。プライドなんてないと思ってた」


 今にして思えば、笑ってしまうような矛盾だ。


「でもそれは、ダメな自分、っていうものが大好きだっただけ。ヒトとふれあう資格のない、ヒトに嫌われる、ヒトより劣っている、そういう自分が」

「……ややこしいね」

「ダメなものを愛するのって、安心できるんだよ。たとえ自分自身が対象でも。自分は優しいんだ、って思えるし、自分が変わる必要もないから」


 ダメな男を庇護欲でもって愛する人とか、けっこういる。それとおんなじことだ。

 弱い自分を守れる自分を好きになってしまうんだ。


「でも、それが良くないことだってわかってるから、ますます自分はダメだと思うようになる。そうやって、好きとダメがひとりの中でグルグル回って、どんどんひとりになってく。そうすると、よけいに考えることが煮詰まって、よくない方向に進んじゃって……」


 そこで、私は言葉を止める。結構な勢いで喋ったので、ちょっと疲れてしまった。


「私ばっかり喋ってずるくない? 小雪も何か話して、身の上とか」


 小雪が話してくれないと、小雪の居場所が分からない。進む方向が分からなくなって、足を止める。


「んー、そんじゃ指の話でもしよっか。さっきハナちゃん、びっくりしてたじゃん? 薬指が取れちゃったとき」


 塀の上に座った幽谷響から小雪の声。頭や耳がでっかいから、そうして不安定な場所に座ってると今にも転んで落っこちそう。

 私は幽谷響に手を伸ばし、落とさないようにそっとその体を持ち上げる。見た目より重みがあって、手応えがずしんと来る。

 小雪の言葉を、聞き逃したくなかった。


「私の指さ、五本全部、作り物の張りぼてなんだよね。元々の指は全部、なくしちゃった。でも、痛いとか不自由とかはないから大丈夫だよ」


 私は、手の中の幽谷響が、小雪の声で話すのを聞く。ちょっと歩くと、ほんのわずかに小雪の声の音響が変わる。路地をまっすぐ進んでいくと、少しずつ彼女の声が大きくなる。どうやら、彼女はこっちにいるようだ。


「夕闇の住人は、わりとそういうのが多いね。あんまり、元の形とか気にしないし、体が多少傷ついたり失われたりしても、そういうものって割り切っちゃうから」

「小雪がそういう態度でいいの? 直すのが仕事なんじゃないの?」


 私は首をひねる。さっきだって、トーチのなくした右足をきれいに直してみせていた。あれが彼女の仕事なら、自分の形や体を気にしないのって、問題なんじゃない?


「直すったって、原型を完全に回復するだけじゃないからね。修整ってそういうこと。結局、元の形を守り続けるなんて無理だからさ。その時々で最適の形ってのがあるわけ。私の指もそう」


 小雪の声を聞きながら、私は、歩を進めていく。小雪の声に導かれるように、まっすぐに、どこまでも続くような闇色の路の先へ。


「修整屋をやることになって、私は、この五本の指に『』を入れたの。五行ごぎょうの要素に応じて、素材をくっつけたり、補修したりできる、便利な接着剤みたいなもの」


 私は小雪の声に聞き入ったまま、歩を進めて。


 突然、後ろから何かに裾を引っ張られた。


「っ!?」


 半歩踏み出した足を引き戻しながら、私は後ろを振り返る。

 幽谷響の一体が、その短くて丸い手で、私を懸命に引き留めている。口を閉ざしたまま、じっと視線だけこちらを見上げ、真剣な顔。必死さが強く伝わってくる。

 どうしたの、と口を開きかけて、私は問い方を変える。


「ダメなの?」

「ダメなの」


 幽谷響は、私の言葉をおうむ返ししながら、そう答えた。行っちゃいけない、ってことだ。


 向き直って、路地の奥へと目をこらす。そこに広がるのは、周囲の路地や板塀と違いのあるように見えない、暗い闇。

 一歩進めば、そのまま、進んでいけそうだけれど……


 いや。

 その闇の中にほんのわずか、罅が走っているように見えた。まるで、漆黒に塗り潰されたキャンバスに、黒い絵の具の収縮が微妙な綾を作るように。


 私はその場にしゃがみ、路地に落ちていた礫を拾って、路地の奥へと投げる。

 ばちっ、と。

 罅に衝突した礫は、火花を発して消えた。


 目に見えない何かが、行く手を阻んでいる。


「ハナちゃん、大丈夫? 何か、変な音が」

「大丈夫。でも……」


 幽谷響の声を信じるなら、小雪はこの奥にいるはずだ。

 でも、まっすぐには進めない。左右を振り返れば、両方ともまっすぐ続く板塀に挟まれている。


 ……乗り越えるしかないのか?


 すうっ、と、小さく息を吸い込む。

 勢いをつけて、ジャンプ。塀の上端に、指がかろうじて引っかかった。

 革靴を履いた足を、右側の塀に押しつけて、体を支える。靴底は滑りやすいし、今にも靴が脱げそうだけど、歯を食いしばって踏ん張る。


「んんんんん……」

「ちょっとハナちゃん大丈夫? 変な声してきたけど」

「だ……い……じょう……ぶっ!!」


 ふっ、と息を吐いて、ファイト一発。

 ヘロヘロの両腕に力を込めて、体を持ち上げる。

 上半身を持ち上げ、肩から頭を、塀の向こうにぐっと傾ける。


 そのまま、前転するみたいにして、塀を乗り越えた。

 一瞬、頭と足が天地ひっくり返る。


 つかのま、夕闇の空が見えた。赤黒い空は、吸い込まれそうに広い。

 こんなふうに世界を見上げたこと、一度だってなかった。


 そして、背中から墜落。


「ぎゃっ!」


 ずしん、と、肋骨から肺の奥を貫いていく衝撃。変な声が漏れ、一瞬呼吸が止まる。


「ハナちゃん!?」

「平気だってば……!」


 痛みに顔をしかめつつ、起きあがる。上半身を持ち上げようとすると、広背筋あたりに鈍い痺れが走る。立ち上がり、足を地面に着けるだけで一苦労だ。

 スカートにくっついた砂を払って、髪を整え、ようやく、顔を上げる。


 真っ暗な路地がまたしても続いている。

 さっきまで歩いていた路地とよく似た景色で、ぶっちゃけ区別が付かない。地面の色も、板塀の汚れも、錆びた看板のはがれ具合さえそのままだ。

 同じ路地を逆向きに歩いているだけ、と言われたって信じてしまいそうだ。東も西もなくて、ただくれなずむ夕闇があるばかりのこの街じゃ、方角の区別なんてつかない。


 街灯の下で、幽谷響がこっちを向いている。口を開き、気遣わしげな小雪の声を発する。


「あんまり動かなくてもいいよハナちゃん、私もそっち向かってるから」


 心配かけてごめん、と、昔の私なら言って、そこで立ち止まったかもしれない。そんな優しい言葉をかけられたら、きっとすぐに甘えてしまうから。甘えたうえで、そのあと拒んで、逃げ出してしまう。そうして、優しかった相手にさえ愛想を尽かされてしまう。

 そうしてかつての私は、ついにどこにも行けなくなって……


「そんなことより、もっと小雪の話してよ。私、小雪のこと、もっと知りたいもの」


 頭を振って、私は決然と、かつての私を否定する。優しいヒトのことを、もっと知りたいから。

 そして、声のする闇の中へ、歩き出す。つかつかとこだまする足音も、幽谷響の模倣によって彼方に反響していく。旧街の、閉ざされて出口のない箱庭めいた空間の隅々まで。


 小雪が、それに答えるように、くすくすと低く笑う。私の靴音と絡み合って、その声は何か、まるで歌声。闇をたたえる賛歌のように聞こえた。


「わかったわかった。そんじゃせっかくだし、私が前に修整で出かけたとあるマヨヒガで天狗の大軍勢に襲われた話を……」


 言いかけて、ふと、小雪の言葉が止まる。

 気になるところで話止めないでよ、と言い掛けて、ふと、私は視線を巡らす。


 どこまでも続く板塀。街灯代わりのジャック・オ・ランタンの狭間、黒い上にもなお黒い羽目板は、それが板なのか、それとも奥に広がる無明なのか、区分がつかない。

 踏み込めば飲み込まれそうな、闇。


 私はそこに手を伸ばす。


 がしっ、と、薬指のない手が私をつかんだ。


「おつかれ、迷子ちゃん」

「こっちの台詞だよ。勝手にはぐれないで」


 目の前に現れた、白衣をまとった小雪の笑顔を見て、私も苦笑いで答えた。

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