11 幽谷響

 旧街ふるまちのど真ん中で小雪とはぐれ、私はしばし呆然としていた。


 からからからから。

 急に甲高い金物の音がして、びっくりして振り返る。

 路地の壁際を、ぴかぴかの空き缶が転がっていた。どこから現れたとも、誰が捨てたともつかないそれは、やけに色鮮やかなレモンの描かれたチューハイの空き缶だった。


 空き缶は、風もないのに、からからと音を立てて転がり続ける。

 そして、塀の間に延びる細い路地へと、ひとりでに吸い込まれていく。


 缶が見えなくなっても、なお、からからからから、という音はしばらく響き続ける。


 ……私を呼んでいるんだろうか?

 それとも、何か、悪意のある誘い?


 霊には愛されている、という私の属性。

 でも、この空き缶がそんな純粋な霊のものとも限らない。

 ついさっき、小雪とはぐれたばかりだ。そういう悪意のある何かがこの街に潜んでいないと、信じられるわけがない。


 からからから。

 からからから。

 からからから。


 音は響き続ける。ついには、四方八方から、空の上から、塀の奥から。


 からからから。

 からからから。

 からからから。

 からからから。

 からからから。

 からからから。


「うるさーい!」


 私が一喝すると。


「うるさーい!」

「うるさーい!」

「うるさーい!」

「うるさーい!」

「うるさーい!」


 私の声が四方八方から返ってくる。


「もう、ふざけないでよ! 私、今困ってるんだから」


 眉をひそめて、私は辺りを見回す。古い板塀の裏、あるいは、その内側にたたずむ古い家屋の中。それとも、路地の奥。どこまでも続くかに見える、夕闇よりなお濃い闇の底。

 そのどこにでもいる何かに、呼びかける


「ちょっと手伝って! あんたたち、私が好きなんでしょ!? 私の味方なんでしょ!? だったら手伝ってよ!」


 自分でも驚いた。大声を出し慣れてない私の叫び声は、過剰に甲高くて、そのくせ強さはなくて、ちっとも響かなくて、最後の方はヘロヘロだった。

 だけど、なんだか、心の奥に引っかかっていたものが、わずかに吹き飛ばせたような気がした。

 ふてぶてしく、図太く、しぶとく、生き抜いてやるのだ。


 私の求めにこたえて、街の隅々、闇の端々から、小動物めいた姿のものたちがぞろぞろと姿を現した。

 身長は、私の腰に届くくらいか。毛むくじゃらで、二本の足で立つ姿は猿に似ている。ただ、頭の両側から広がる耳が極端に大きくて、どんな音も聞き逃さないようにしているみたいだ。不気味に見えるけど、ちょっと愛嬌もある。なんとなくチェ○ラーシカに似てるな……

 私の前に横一列に並んだそいつらは、愛嬌のある顔立ちで、私を興味深そうに見つめている。


「あんたたち、何者?」


「「「「「「ヤマビコ!」」」」」」


 一斉に答える声は、スピーカーから発する爆音並に私の耳を聾した。キーン、とする……

 しかしまあ、幽谷響やまびこね。どうりで私の声やら物音やら、しつこいくらいに繰り返すわけだ。


「ごめん、いっぺんに喋られるとうるさいから、誰か一人、代表できない?」


 幽谷響たちは、左右の仲間と目を見交わし、お互いの肩をもじもじと押し合う。おいお前行けよ、お前こそ行けよ、っていう無言の心理戦が手に取るようにわかる。恥ずかしがり屋なんだな……


「……まあいっか。あまり大声出さずに聞いて。あのね、私の……友達とはぐれちゃったの。あんたたち声大きいし、呼んであげられないかな?」


 迷子の呼び出しをかけるのと同じ話だ。使うのが、ショッピングモールの館内放送か、夕闇の低級霊か、っていう違いだけ。


 幽谷響たちは、一度いっせいに首をひねる。それから、視線で相談を交わし、またいっせいにうなずいた。


「「「「「「任せて!」」」」」」

「だから声でかい……」


 私は顔をしかめる。まったく、集団になると気が大きくなるみたいだ……パリピか?

 まあ声が大きいのは幽谷響の特性なんだろうから、仕方がない。


「じゃあ、お願い」


 整列していた幽谷響たちが、一気に散開する。路地の裏へと忍び込み、あるものは塀を乗り越えて屋根の上へ、そしてまた別の子は街灯の上によじ登る。街灯のジャック・オ・ランタンは突然の襲撃に不快そうに身をよじっていた。

 そして、私の前に一匹だけ残った幽谷響が、指をくいくいさせて私を誘う。伝言をどうぞ、ってわけだ。


 すう、と息を吸いこむ。

 そして、私は大きな声で彼女の名を呼ぶ。


「小雪!!」


「小雪!!」「小雪!!」「小雪!!」「小雪!!」「小雪!!」「小雪!!」「小雪!!」


 その声は、幽谷響同士の連携によって、それこそ伝言ゲームのように旧街の果ての果てまで伝わっていく。私の声が、反響し、わずかなズレをもたらしながら、田舎町に響く無線の声のように微妙に揺らいで、消えていく。


 待つこと、しばし。


「ハナちゃん!」


 小雪の声が、闇の奥から届いてきた。幽谷響のネットワークを伝った声は、最後には私の目の前にいた幽谷響に届く。


「ハナちゃん!!!」


「小雪、どこにいるの!?」


「ハナちゃん、白衣の切れ端、持ってる!?」


 問い返されて、はっとする。さっきの布は手放してしまって、すでに夕闇のどこかに消えてしまった。


「ごめん、持ってない!」


 長い間。幽谷響も口を閉ざして、くりっとした目で私を見て、耳をぱたぱたと羽根のように動かしている。動くのか、あれ。


 そして、小雪の次の言葉。


「ハナちゃん、歌でも唄ってよ。ずっと声出してたら、方向探して特定できると思うから」

「歌ぁ……?」


 さっきの大声だけでもう喉が痛いっていうのに、歌なんていつまでも唄ってられない。


「私だけ唄うのずるくない? 小雪も唄ってよ」

「ヤだよ、私オンチだし」

「じゃあ歌はやめにしよう。ていうか、この調子でずっと喋ってたらいいんじゃない?」


 言いながら、私は路地を見回して、幽谷響の様子をうかがう。

 幽谷響たちはさっきからずっと私と小雪の声を伝達してくれているのだが、その声の強さはそれぞれ微妙に異なっている。幽谷響と小雪と私の距離の、微妙な誤差のせいだ。

 だから、この路地全体から聞こえているかのように感じられる小雪の声も、よく聞けば、違いがある。小雪にすこしでも近いところにいる幽谷響の声は、すこし大きい。それを頼りにしていけば、小雪のいる方に近づけるはず。私が喋れば、きっと小雪も同じようにして、私を捜し出してくれる。


 私のさっきの問いかけに、小雪が答えた。


「じゃあ、ハナちゃんの身の上話とか」

「えぇ!?」


 急に変なことを言われて、ずっこけた。目の前の路地にいた幽谷響が、私の声といっしょに仕草までまねて「えー」と転ぶ。そんなことまで真似しなくていいのに。


「そんなこと言われても、私の身の上なんて、話すこと何もないよ……ついさっき、転生してきたばっかりなんだから。死ぬ前のこと、何にも覚えてないもの」

「ほんとに? なにひとつ?」

「……」


 立ち止まって考え込む。

 本当に何も覚えてない、なんてことあるだろうか? だって、私はさっきからずっと、自然に言葉も喋ってるし、目に見える物のこともだいたいわかる。幽谷響、鎌鼬……妖怪の名前だって覚えてる。チェ○ラーシカとかもそうだ。


 じゃあ、自分のことは? 転生する前の自分は?


 覚えてない?


 ウソだ。


 思い出したくなくて、忘れてしまおうとして、全部失ったフリをしてただけだ。


「……ごめん、小雪」


 謝らなくてもいい、と言われる前に、言う。


「めんどくさい話だけど、聞いて」

「何でも聞くよ、ハナちゃんの言うことなら」


 幽谷響から小雪の声が聞こえる。彼女の声のする方に向かって、私は歩を進める。夕闇よりいっそう闇深い路地は、私の足下さえ危ぶませるけど、臆さずに進む。

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