9 錆代マキナ

 文車妖妃ふぐるまようび錆代さびしろマキナを助けた私と小雪は、彼女の部屋に散乱する、切り刻まれた手紙の残骸を一緒に片づけていた。

 私がざっと紙をすくい上げると、その下から毛虫のようなものがざわっと這い出してくる。


「うわ、言霊ことだま……まだ残ってるみたい」

「破片になって、形を失っても、言葉はしぶといからね。まだ部屋のその辺に堆積してると思うよ」

「見た目もうちょい何とかならないのかな、この子たち」


 ぼやく私にまとわりついてくる言霊は、うねうねと形状を失ってうごめくだけの小さな虫みたいな感じだ。元は文字の形をしていたのだろうけれど、こうしてバラバラになってみると、ぐにゃぐにゃと屈曲し、時々急に鋭角に曲がったり、いささか不気味だ。

 この子たちも霊の一種だし、私に懐いてくれてるのはわかるんだけど……

 慣れるしかないのかなあ。


「それにしても、マキナさんだっけ? こんな大量の手紙、どこから集まってきたの?」

「夕闇とか、現世とか、他の隙間の世界とか、いろいろだよ。恨みだの未練だの、そういうたぐいの言葉が重みで自我を持つと、あたしのとこに引き寄せられてくる」


 現世か。

 たしかに、今日日の現世では、そういう言葉はイヤってほど書き記されて拡散している。

 まあ、そういう恨みだの何だのは、もう私にも関わりないことだけれど……

 感情の名残だけが、こうして夕闇に影を落としている。


「ほんとは、しっかりお炊き上げでもして供養しないといけないんだけど、こう増えに増えるときりがなくって」

「マメに片づけないと、取り返しつかなくなるよ。うちもコフルがいてくれて助かってる」

「あんたはそういうの苦手そうだもんね、修整屋」


 苦笑しつつ、マキナは紙屑の山に手を突っ込み、がさっと山を持ち上げて、庭先へと放り出す。庭に散らばった紙屑ごと、焚き火にでもするつもりなのかもしれない。


 と、マキナの手の中に一枚、紙切れが張り付いて残っている。

 いや、紙切れとは言い難い。

 それは、原形をとどめた、れっきとした手紙だ。紫陽花の色と花びらの模様をあしらった、しっとりとした風情の便箋。


「あら、切り残し? 辻道つじどうの三姉妹も詰めが甘いね」


 マキナは両手で、便箋を広げた。

 流麗で達筆な筆跡の文字が、便箋の下半分を埋めている。

 その上は、墨でそのままさらっと描いたような、軽やかな挿し絵。机上に肘を乗せてアンニュイにたたずむ、ハイカラな美人だ。

 つかのま、私も、小雪も、マキナも、その絵に目を奪われる。


 そのとき、ふと。

 絵の中の美人が、きょろりとこちらを見た。


「んっ?」

「……画霊か?」


 小雪がつぶやいた瞬間。


 ずるり、と、画の中から白い腕が這いだしてくる。

 脱皮する蛇のように、腕は、ひと思いに小雪を目指して五メートル近く伸び上がった。


「私っ!?」


 不意をつかれて小雪は、とっさに身をかわそうとする。

 しかし間に合わない。


 白い画の腕の先、細長い女の手が、小雪の右手をつかんだ。


「小雪!」

「来ないでハナちゃん!」


 小雪の声に制され、私は駆け出しかけた足を止める。

 いずれにせよ間に合わなかっただろう。画の腕はすでに、目的を果たしていたのだ。


 ぼろっ、と。

 小雪の右手の薬指が、もげた。


「小雪っ!!」


 画の手が、その細い薬指を握りしめて、現れたときと同じ勢いでしゅるるると便箋の中に引っ込んでいく。

 あっという間の出来事だった。


「小雪、大丈夫!?」


 私はいよいよ彼女に駆けより、その手を取った。

 小雪の右手の指には、すべて包帯を巻かれている。薬指は、その包帯で覆われた部分の一番下、ほとんど指の付け根に近い位置でもぎ取られていた。

 指の断面から、金色の粘っこい血のような、不気味に光るどろどろの液体が流れ落ちている。


 小雪は私を見て、微笑する。


「騒ぐことないよ、ハナちゃん。別に痛くないし」

「そんな有様で……?」

「元々、この右手はとっくに痛みなんてないんだよ。何度も付け替えた、形だけの張りぼてだからね」


 張りぼて?

 神経も通ってない、何も感じない、ただの飾り?


「しかしびっくりしたなあ、まさか画霊が住み着いてたとはね」

「この画、見覚えあるよ」


 マキナは便箋を改めて広げる。

 さっきの画霊の横暴が嘘のように、画の中の世界は静寂を保っている。さっと描かれているように見えるけれど、形は整っているし、構図もしっかりしている。何より、かんたんな線にも関わらず、描かれた女性の姿には確かな生命力が宿っているように感じられた。

 肌が張りつめ、肉が締まり、今にも動き出しそうな。


旧街ふるまちに棲んでる絵描きだ。修整屋も知ってるんじゃない? 純名じゅんな抱湖ほうこ。これは私宛の……ご機嫌伺いかなんかだね」

「暑中見舞いのたぐい? そんな変哲もない画がヒトの指を盗んでくものかね」

「そういうとこあるんだよ、あいつの画は。時々、厄介なものを宿らせっちまう。今のだって、あいつの意図かどうかわかりゃしないし」

「ふうん……」


「あの。じゃあ、その絵描きさんの所に行けば、小雪の指は取り返せるの?」


 私は思いきって、口を挟んだ。マキナと小雪がこちらを向く。


「たぶんね。あいつのことだから、あっさり返してくれるかもしらん」

「けどハナちゃん、いきなり旧街はオススメしないよ。私がついてたって、うまく案内できる自信ないし」


 確かにそうだ。さっきもコフルが言っていた。旧街は形を変える、うごめく街だ。

 道を見失うどころか、同じ道が存在しているかどうかもわからない。行くことも、帰ることも、難しい。

 でも。


「けど、このまま小雪の指、とられたままじゃおけないし。とられたものは、取り返さないと」

「……ハナちゃん」


 小雪はつかのま、私をまじまじと見つめた。

 そして、黒髪をさっとかき揚げて、苦笑する。薬指の欠けたぶんだけ、長い髪が一房、頬の端に残っていた。


「ハナちゃんがその気なら、行ってみよっか」

「うん!」


 力強くうなずく私を、小雪は、優しい目で見つめていた。

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