8 鎌鼬
新町の奥、目的地の家を、私と小雪はぼんやりと見上げている。
家全体が、真ん中で押し潰したみたいに、ぐにゃりと屈曲している。
表に面した障子の桟が、重石を乗せられたみたいに下に潰れていた。それに同調して、障子そのものが全体的に下に曲がっているのだ。
しかも、格子のひとつひとつに視線を集中してみると、ちゃんと四角いまま。それなのに遠目で全体を見てみると、確かに変形している。
錯覚というか、何かに化かされている気分だ。
見上げれば、雨樋や、二階の窓、そして屋根の甍に至るまでも、溶けた飴細工のように曲がっている。これも部分部分はまっすぐに見えるのに、全体ではやっぱり変形しているのだ。
何が起きたらこうなるんだ、一体。
「邪魔するよー」
特に説明するつもりもないらしく、小雪は家の中へと呼びかける。返事はないが、小雪は遠慮なくずかずかと玄関先に踏み入り、曲がった戸に手をかける。
ぎし、と音がするだけで、戸は開かない。そりゃそうだ。
「ふむ」
小雪は眉をひそめ、こっちを振り返った。
「ハナちゃん、ちょい手伝って。力ずくじゃ開きそうにないし」
「いいけど……私も腕力は自信ないよ」
「いーのいーの、腕の力なんて関係ないもの。さっきの部屋見たでしょ? 重みのせいで、この辺の空間自体がちょっと曲がっちゃってるみたい。だから、あの紙屑を吹き飛ばしちゃって、重力を散らせばなんとかなると思う。だからハナちゃん、風でも起こしてちょちょいっ、と、ね。すきま風なら入り込めそうだからさ」
確かに、今にも柱から折れて崩れ落ちそうな家だし、風なら屋内に入り込めるだろう。
さっきの魔風みたいなのじゃ頼りないかもしれないけど。もうちょっと強そうな何か、来てくれればいいなあ。
私は自分の手を扇にして、空中をぱたぱたとあおぐ。風、というほどでもないけれど、空気がわずかに動いて、一瞬、私の頬を涼気が通過する。
その瞬間、ちくっ、と、私の頬に痛みが走った。
「いたっ」
反射的に手を触れると、もう痛みは消えている。傷ひとつない。
「お呼びですか?」「御用とあれば即参上!」「……失礼」
気づけば、私の目の前に、小さな霊が浮いている。
髪の長い女の子の三人組で、背丈はみんなおなじくらい、せいぜい三十センチってところ。
最初に喋った左端の女の子は、左から右に長い髪をなびかせて、やんちゃそうに目をくりっと輝かせている。
真ん中の子は、今にも暴れ出したそうにぴょんぴょんと飛び跳ねていて、外ハネの髪がジャンプに合わせて生き物のように伸び縮みする。
右端の冷たい目をした子は、まっすぐなおかっぱで太い眉をなかば隠している。クールな顔に力が入っているのは、真ん中の子の腕を横から抑えつけているからだろう。
三人とも、その両腕から、細長く湾曲した鎌が突き出ている。真ん中の子の鎌が一番鋭利に光り輝いていて、左端の子は刃を潰したみたいに鈍く、右端の子の鎌には薄く軟膏のようなものが塗られていた。
「
鎌鼬。するとさっきの痛みも、この子たちの仕業か。
そういえば、鎌鼬というのは三人一組で行動するという。最初の一人が足止めし、二人目が傷を負わせ、三人目が薬を塗る、とか。
まあ、鎌鼬も風にまつわるモノだしね。
低級霊、って呼ぶにはちょっと力が強そうな感じではあるけど、彼女たちも、私を認めてくれている様子だ。まるで私の言葉を待つみたいにおとなしく控えて……
「さて我々は何をすればいいのでしょう」「切りたい! 切り刻みたい!」「……落ち着いて。早く指示をくれないとマガリが壊れちゃう」
……いや、おとなしくはないか。特に次女。
「切るよ切るよ、何でも切るよ。何切ろうか? 黒髪? 長袖? 邪魔っ気な手足?」
私に向かって執拗に自分の鎌をアピールするマガリ。ちょ、近づかれるとほんとに切られそう。
と、左右にいるツムジとクルリが、マガリの両腕の関節をがっちり固めて、私から引きはがした。
「失礼しました。妹、少々テンションが上がりすぎているようです」「姉なりの愛情表現かと」
小雪がクスクス笑う。
「愛されてるねえ、ハナちゃん」
「うん……」
屈折した愛情表現はちょっと怖いな……複雑な気分。
小雪は私を守るように前に進み出て、鎌鼬に視線を合わせるようにしゃがんで話しかける。
「この家の中に、
「紙を吹雪にする程度でしたら朝飯前です」「せっかくだしヒトごと切っちゃっていい!?」「……それは命令されてない」
そう言って、鎌鼬の三姉妹は戸の隙間から家の中に進入していく。ていうか次女、なんか病的に切りたがってるな……大丈夫かなあ。
「マガリちゃんのが役に立つかもしれないよ」
ぽつりと小雪がつぶやく。
「え?」
私が聞き返そうとしたとき。
室内から、ずばあ、とも、ずしゃあ、ともつかない、豪快な音が轟き渡った。
「派手にやってるなあ……」
つぶやいて、私は家の様子を見上げる。
派手な音は立て続けに中から響いて、そのたびに、家全体がきしむように揺れる。その振動が続くうちに、いつしか家の湾曲が次第にまっすぐに戻っていく。
と、いきなり庭に面した障子がパシーンと音を立てて開く。
とたん、家の中から、無数に切り刻まれた小さな紙片が舞い上がる。
その後を追うように、毛虫のような霊の大群が飛び出してきた。
「うわっ」
「
小雪がつぶやく。
花びらのように舞い上がった紙片は、すぐに勢いを失って庭先に落ちる。地面に降り積もる紙の山。
霊の大群、言霊の方は、けたたましい羽のような音を立てながら、そのまま空中へと消えていく。
その騒ぎが一息ついて、ようやく玄関の柱もまっすぐになった。
「よし」
小雪はピシャンと戸を開けて、ずかずかと土足で入り込んでいく。私はその後ろから、革靴を三和土に脱いで置き、一礼して土間に上がる。
左手の障子を開け、奥が、床の間。
視界一面、舞い踊るのは和紙の欠片だ。
「あらら……」
庭に落ちたのは、一部でしかなかったようだ。便せんだったとおぼしき和紙のなれの果てが、、三角形や台形の紙片に切り刻まれ、畳一面を覆い尽くし、吹雪のように舞っている。
その紙吹雪の向こう、山水画を描いた衝立のそば。
畳の上にうつ伏せに寝転がっている、人影があった。波打つ長い髪を後ろできつく縛っていて、その先が、背中から畳へと流れている。小袖と袴を羽織った両手両足をだらしなく広げ、畳の上に突っ伏しているその様には、疲労困憊の気配がうかがえた。
小雪は、その突っ伏した人影に歩み寄った。
「おーい、起きれる?」
「ん~」
うめき声を上げて、そのヒトは身を起こした。眼鏡をかけた、たれ目の女性だ。
彼女は小雪を見て、あー、とかすかに口を開けた。
「何だ、修整屋か。あんたが助けてくれたの?」
「私とこっちのハナちゃんね」
「そっちは新入りかな。初めまして、あたしは
「初めまして」
「で、どうしたわけマキナ? ツクモガミが紙に憑かれたんじゃ、駄洒落もいいとこだけど」
「いやあ、油断したね。ほら、今時は誰も彼もかんたんに文を書くじゃん? おかげで恨み辛みだの妬み嫉みだの増えに増えて、あたしのもとに集まってくるわけ。油断してたら潰されちゃった」
はっはっは、とマキナは軽く笑う。さっきまで身動き一つ取れなかったにしては、ずいぶんご陽気なものだ。夕闇の住人てのは、みんなこんな感じっぽいよなあ。
「紙の重みだけじゃなくて、文章そのものが重力源だからね。ひとつひとつは軽い文でも、こう集まると言霊もなかなか重たい連中だからさ」
「さっき見たら家ごと曲がってたよ。そのうち地盤が沈んでたんじゃない?」
「マジか。助かったね。でも解放されたってことは、言霊、処分してくれたのかな?」
「そこの鎌鼬のおかげよ」
小雪が言うと、障子のそばに控えていた鎌鼬の三人、特に次女がえへんと胸を張る。
紙を切り刻んだおかげで、書かれた文字もバラバラになって、言霊の重みが消えた、ということらしい。なるほど、鎌鼬の怪我の功名だ。
「よくやってくれたね、三人とも」
「マガリのお手柄ですね」「そうだとも! たたえろ、ほめろ、あがめろ!」「……調子に乗らない」
では失礼、と、三人は身を翻して、障子の隙間から外に飛び去っていく。
「「「御用があれば、いつでもお呼びを!」」」
一陣の旋風にあおられて浮いた紙切れが、真ん中でまっぷたつにされて、縁側に落下した。夕闇の赤色が、紙を染める。
「ともあれ助かったよ。ね、ついでにちょっと片づけ、手伝ってくんない?」
「調子がいいなあ、あんたは」
「あ、私も手伝う」
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