4 トーチ
逆流れの河に架かる橋には「
「この向こうが新町ですけど……さて無事に渡れるかどうか」
相変わらず私の手を引いたままのコフルが、ちょっと唇を尖らせる。そうして顔の輪郭が逆三角形に近づくと、ますますフェネックに見えてくる。やっぱりフェネックなんじゃないかな……
「この橋、何か危ないの?」
「橋は別に何でもないんですが、ハナさんが大丈夫かどうか。ほら、河というのは霊の類いが多いですから」
ああ、私の「低級霊に愛される体質」が問題なわけか。いきなり洪水になったり、川底が干上がったり、何か起きるかもしんないのね……
「でも別に溺れさせたりするわけじゃないんでしょ? なら心配ないと思うけど」
「確かに。ただ、ずぶ濡れになったりしたらきれいにするのも一苦労ですから」
「そうだねえ……クリーニングとかどこに出せばいいんだろ」
「服より自分の身を心配した方がいいのでは?」
言いながら、私たちは橋桁に踏み込む。
とたん、足下から、滝のような水音。
「ほら来た」
コフルがつぶやき、ぴょんと背伸びして橋の下をのぞき込む。細長い尻尾が、くるりとお尻に巻き上げられる。
私もそのかたわらで、欄干に手を乗せた。
とたん、水が下から押し寄せてくる。
「おわあ!」
後ずさりして欄干から離れる。
まるで洪水みたいに橋の上に押し寄せてきた川の水が、ざばーっ、と、橋桁の上を通過していく。流れる水の上で、透明な水の霊たちが、手を振ったり、鼻歌を歌ったり、髪を振り乱したりしていた。
霊たちはいずれも、満面の笑み。これが、この子たちにとっては歓迎のつもりなんだろう。
ずいぶん手荒いけど、そういうものなら、受け入れておこう。
私も霊たちに向かって、手を振り返す。霊たちは、全身から水を滴らせつつ、ざざざっ、と滑り台を降りるような勢いで橋桁の下へと流れ落ちていく。
水の引いた後に残されたのは、橋桁一面を濡らした水跡と……
「子ども?」
ずぶ濡れの子どもがひとり、橋の上に仰向けに横たわっていた。
幼い顔立ちだ。ずっと水の中にいたのか、肌は青ざめて、指先もプルプルとふるえている。狩衣、というのか、白くて軽装の着物をまとっているが、その服も水浸しだ。すっかり冷え切って、見るからに寒そう。
「護法童子ですね」
コフルは、尻尾を左右に振って水を払いつつ、子どもの顔をのぞきこむ。唇がぶるぶるして、真っ青だ。
「陰陽師や法師によって召喚されて使役される、れっきとした神仏の従者なのですが、事後にほったらかしにされると行き場をなくして夕闇に迷い込んでしまうんです」
「じゃあ、この子も行き場がないの?」
「後処理もできない術者には困りものですね」
ぷう、と膨れるコフル。
護法童子は、横たわったまま寒そうにふるえている。どこにも焦点の合わない目を地面に向けたまま、周囲のことになどちっとも関心が持てなさそうな様子で、ずっと自分の体を抱きしめている。
水に浸かっていたから、というだけではない。
きっと、寂しかったのだと思う。
「とにかく温めてあげないと。何か火種はない?」
「ハナさんが一声かければ、いくらでもわいてきますよ」
ああ、そうか。
霊が私を愛してくれているのなら、私の呼び声に答えてくれるはず、ってことね。
私は辺りを見回して、言う。
「誰か、この子を温めてあげて」
呼びかけに応じて、周囲の空気にじんわりと熱が満ちていく。目に見えない温気が、だんだんと赤みを帯び、いつしか手触りすら感じさせるような。
そして、目の前に青白い炎が生まれた。
「わ!」
炎は、巨大ないかめしい顔をこちらに向けて、じっ、と黒い目で私を見つめていた。
「
草むらを漂っていた叢原火が、私の声に答えてここまで来てくれたんだ。
叢原火は、ふたたびあのイカツい笑みを浮かべると、くるりと向きを変えて護法童子の上に移動する。
叢原火の炎が、童子の体を包み込んだ。
「わ、大丈夫?」
「この童子は火性のものです。平気でしょう」
コフルがしれっと言う。
その通り、炎の中で、童子の体はいっさい傷ついた様子はない。それどころか、服が乾き、肌が赤みを帯びて、あっという間に活力を取り戻していく。
水を吸っていた髪の毛が乾いて、ぽん、と、炎の形にわき上がった。
童子が目を開く。つぶらな瞳は宝石のように赤く、眼球の奥で、小さく白い光がちらちらと瞬いている。
「ん~」
寝起きのうめき声を発しつつ、童子は身を起こす。炎の形の髪から、川の水が蒸発して蒸気をまき散らしている。
「大丈夫ですか?」
コフルが声をかけると、童子はぱちくりと瞬きして彼女の方を見た。
「助けてくれたの?」
「あたしじゃないです。こちらのハナさんと、叢原火のおかげ」
コフルが私を手で指し示す。童子は私を見て、ちょん、と一動作でその場に正座した。背筋がピンと伸びて、真っ赤な髪もそれに調子を合わせたみたいに空をめがけて伸び上がる。火の性ってだけはあるなあ。元々はこういう髪質なのだろう。
「ありがとうございます。行くとこがなくてうろうろするうちに、川に捕まってしまって……」
頭を下げる童子。
と、その体がぐらりと傾いた。
「あれ?」
橋桁に手をつきながら、童子は自分の足下に目をやる。
正座していたはずだった童子の右足が、膝から下ですっぱりと消えてなくなっていた。
「あらら、取れちゃってる」
童子は顔をしかめて、とぎれた膝の断面に手を触れる。ちりちりと、青白い炎だけがわいているけれど、それは足の形を取ることなく、淡くたゆたうだけ。
ちょっとこれ、やばいんじゃない?
「大丈夫なの? 痛くない?」
私の問いに、童子は全然平気そうにうなずく。
「ちょっと欠けただけだから大丈夫だよ。けど、これだとちょっと動きにくいなあ」
「先生のとこに連れて行きましょう。こういうのは先生の十八番ですから」
コフルが横から口を挟んできた。なるほど、「修整所」ってのはそういう仕事をするわけか。
童子はうれしそうに目を輝かせる。
「助かる! お礼は何でもするよー、竈の番から憎い奴への放火まで」
「その辺は先生と交渉してください」
物騒なことを言う童子を、コフルはしれっとスルーした。
しかし、片足取れちゃってるってのに本人も周りも冷静そのものだ。夕闇じゃ、こんなのは当たり前なのだろうか。
……私の手足も、簡単に取れちゃったりして。想像したら、ちょっとブルッときた。
「結局、小雪のとこに逆戻りか」
私が肩をすくめて言うと、コフルはじっと私を見つめ、ほくそ笑む。
「よかったんじゃないですか?」
「何で?」
「先生が言ったんでしょう? 落ち着くとこに落ち着く、って」
そういやそうだ。
つまり、私は小雪のもとに戻っていくのが運命、ってこと?
それって……
「何にやついてんの?」
童子が不思議そうに言う。そんなに私ニヤニヤしてたかな?
と、叢原火が私のそばに顔を寄せて、イカツい笑顔を輝かせる。あんたまで何か言いたいことあるわけ? ていうか至近距離で見るとさすがにうざいな……
「まあいいや、とりあえず連れて行こう。ええと、あなたは何て呼べばいい?」
童子に訊ねると、彼女は肩をすくめた。
「前の主人からクビになって、名前もない。せっかくだから適当につけてよ」
さっき名前を付けてもらったと思ったら、今度は私がつける番か。因果が巡るって感じ。
「火の童子なんだよね……明るそうだから、明かり……トーチってどう?」
「トーチ、か……うん、いいじゃん。ありがと、お姉さん」
「なかなか冴えてますねハナさん」
「へへへ」
思いつきでつけた割には評判がいいので、鼻が高い。
というわけで、私はコフルとトーチを連れて、小雪の修整所まで引き返していくことにした。橋の向こうを見物するのはまた今度だ。
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