3 夕闇

 扉を開けた先に広がっていたのは、どこか懐かしいような、でも見知らぬ街の景色だった。


 私の眼前を幅広の道が横切っている。舗装されないむき出しのままの砂が、赤黒い陽射しの下でまだらの影を作っている。道を挟んで反対側には、木造の一軒家が軒を並べているが、家と家との間はずいぶん広く、空き地のようになっている箇所もある。高い屋根が、夕闇の影を路上に落としている。

 街路を行き交うのは、人間のかたちをしたものや、そうでない何かや、とにかくいろいろ。見るからに人、というものもいるし、頭だけ獣の形をしていたり、翼が生えていたり。服装も洋装和装問わず様々。


 それらの隙間を縫うようにして、不定形な低級霊が路上を駆け回っている。ちいさな体で自在に動き回る霊たちは、ことさら自由を満喫しているみたいに感じられる。


 その低級霊が、いっせいに、私の方を見た。

 いや、目も顔もないけど。

 ただ、一斉にその場に止まって、私の方を向くみたいな気配があったのだ。見られた、と感じたのだ。


 とたん、私めがけて、そいつらが一斉に押し寄せてくる。


「ひゃっ」


 低級霊といっしょに、路上の砂が竜巻みたいになって私に迫ってくる。

 なるほど、砂の霊? と冷静に判断している場合じゃない。反射的に、私は顔を両手で覆う。


「こらっ」


 と、横合いから甲高い叱声。

 とたん、舞い上がっていた砂埃が、一斉に動きを止めて落下した。

 堆く積みあがった砂の上で、低級霊たちがふわふわと揺れる。


 私は両手をおろして、かわいい声のしたほうに目をやる。


 そこには、両手を腰に当てて険しい顔をした、小柄な金髪の女の子がいる。

 動きやすそうな外出用の着物を着て、懐には風呂敷包みを抱えている。

 そしておしりから金色の尻尾が飛び出し、頭には一対の大きな三角の耳。耳の下には、色とりどりのビーズをあしらった華やかな簪。


 尻尾の毛を逆立てて、彼女は砂の山をにらんだ。


「ヒトを脅かしてはだめでしょう、加減なさい」


 少女のお説教に、砂の霊たちはいくぶん小さくなって見えた。何だかかわいそう……だけど、私は助けてもらった方だしなあ。

 ふう、と少女は息をついて、私の方に振り返った。


「新しく来られた方ですね、先生の拾ってきた」

「先生? 小雪のこと?」

「ええ。こちらで助手をしているコフルと申します。由緒正しき化け狐でございます」


 背筋をただして少女は頭を下げる。

 化け狐とは、なかなか貫禄のありそうな感じだ。言葉遣いも丁寧だし、物腰も落ち着いていて、なるほど長い年月を生きながらえてきたような風格すら感じさせる。


「でも、その尻尾、狐っぽくないよね?」


 彼女の尻尾は細くて尖っている。狐の尻尾ってもっと太くて丸いはず。


「狐です」


 びょん、と尻尾を上に向けて、敢然と主張するコフル。いや、でも……


「耳も狐にしてはめっちゃ大きいし。ひょっとしてフェネックか何か」

「歴とした狐です」

「そ、そう……ごめんなさい」


 コフル自身がそう言うんだから、認めるしかあるまい。いや、でも、やっぱりフェネックっぽいんだよなあ、顔も心なし三角っぽいし……

 疑いの目線を向けていたら、またコフルににらまれた。びくっ、と肩を縮める。


「……まあいいです。にしても、ええと……」

「ああ、名前? 縹。って、小雪がつけてくれたの。ハナって呼んで」

「心得ました、ハナさん。それにしても、ずいぶんサンドマンになつかれていましたね。ああいうのは珍しいんですが」

「ああ、それは」


 低級霊に愛される、という私の性質のことを説明すると、コフルは「なんと」と目を見開いた。


「それは得難い素質です。いい星の元に生まれつきましたね、ハナさん。それでしたら、あのサンドマンも別に害にはならないと思いますから安心ですね。臆さずにつきあってあげてください」

「……そういうもの?」

「大きな飼い犬を相手にすると思ってください。初見は驚くでしょうが、害にはなりませんよ。あいつらの砂も、せいぜい眠たくなるくらいですし」


 なるほどなあ。夕闇の流儀は、そういう鷹揚さから成り立っているんだろうか。


「……ねえ、コフルって言ったっけ。あなたも、その、ええと……霊、って言っちゃっていいの?」


 だとしたら、コフルも私のこと、好きになっちゃったりするのだろうか。

 コフルは私の言葉の意味を察したようで、思い切りしかめっ面をして、耳と尻尾の毛を逆立てる。


「だから自分は由緒正しき化け狐だと申し上げているではありませんか。低級霊などといっしょになさらないでいただきたい」

「そ、そっか。ごめんなさい! 夕闇に来たばっかりだから、霊とか妖怪とか、どの辺で区別していいのかまだいまいちわかんなくて」

「霊、といえばみんな霊ですよ。この夕闇はそもそも霊の世界。私は獣から化けた身ですから”物の怪”の範疇に入りますが、大きく言えば霊です。ただサンドマンや何かのように低級でない、ということですよ。由緒正しき」


「化け狐だものね」


 コフルの言葉を先取りしてそう言ってみる。コフルははっと目を見開き、一瞬、耳をふわっと広げる。驚いてるのだろうか。

 それから、パタパタと尻尾を左右に振って、こくこくとうなずいてみせる。なんかうれしそう。


「そ、そういうことです。飲み込みが早いですね。先生も他の方々も、なかなか自分のことを化け狐と認めてくださいませんので、あなたのような方は大変ありがたく……」


 ちょっと恥ずかしがるような早口でそう言いながら、コフルはちらりと目線を私の後ろ、修整所のドアの方に向ける。


「ところで、その先生はお休みに?」

「うん。街を見回ってきたら、って言って、自分は寝ちゃった」

「無責任な。あの人の言うことを何もかも真に受けない方がいいですよ、どうせ自分が動きたくないだけですから」

「……そうなのかな?」


 そんなに薄情なヒトには思えないけど……私のこともちゃんとお世話してくれたみたいだし。ひとりで街に放り出されたのだって、別に怒ってないし。


 とか思っていると、コフルはあきれたように私を半眼で見つめる。元々の目がとてもつぶらで大きいので、にらむような目つきは逆に迫力を感じさせる。


「何にせよ、おひとりではご不安でしょうから、自分が付き添いましょう」

「ほんとに? ごめんね、忙しいんじゃないの?」

「先生がお休みなのでしたら自分も仕事はありませんので、お気遣いなく。それに、あなたのこと、放っておけませんから」

「……そんなに、危なっかしいかな、私?」

「そういうことではなくって……ま、まあいいじゃありませんか、細かいことは!」


 コフルはそう言って、懐の手荷物を、修整所のドアの下の配達ボックスにどさっと放り込んだ。穏やかそうに見えたけど、意外と仕草が雑だ……

 細い尻尾をぱたぱたと自慢げに振るわせ、コフルは私の前に立つ。道案内できるのが、よっぽどうれしいらしい。長生きした化け狐って言ってたけど、子どもっぽい?


「ひとまず住む場所を探すのでしたら、川向こうまで参りましょうか。夕闇の街は、およそ南北に流れる『逆流さかながれの川』でふたつに分かれていて、こちらが南東側。すこし古い町です」

「古いとか新しいとかあるの?」

「何となくですけれど。時間が経つごとに、古いと新しいが入れ替わるような趣もありますし」

「それは、住人が入れ替わるとか、そう言う意味?」


 私の問いに、コフルは笑って答えない。

 とてとてと、彼女はちいさな歩幅で道を歩き出す。私もそれについていく。後ろから、サンドマンの立てるノイズのような砂の音がついてきていた。


**


 南東から北西へと続いている大路を、私たちは北の方に向かう。


 左手側は、広々とした空き地になっている。草がぼうぼうと生い茂る中を、ちいさな霊たちが楽しそうに走り回ったり、追いかけっこをしたり、あるいは悠然と寝転がったりしている。


 それらの頭の上を、ヒトの顔ほどの大きさをした赤い火の玉が飛び回っている。

 顔ほど、というか、顔そのものだ。厳めしいおっさんの険しい表情が表面に浮かび上がっていて、なかなか威圧感がある。


「あれは叢原火そうげんびですね。顔はイカツいですが、別に危害は加えないですよ」


 安心させるように、コフルが言う。

 確かに、漂う叢原火は顔の割りには悠々自適といった様子で、攻撃的な気配はない。


 と、叢原火がこっちを見て。


 ニヤァ……


「いや恐い恐い! めっちゃ恐いよ!」

「あれは叢原火なりの笑顔ですよ。あんなに満面の笑みを見せてくれるなんて、あいつにしては大盤振る舞いです」

「え~……?」


 そのサービス、あんまし必要ない気がする……

 元々の顔がいかついうえに、額の深い皺と乱杭歯のせいでいっそう危険そうに見える。笑いは本来攻撃的なものだというけど、納得しちゃうなあ。

 でも、別に襲ってくるわけでもなし……

 確かに私のほうが怖がりすぎなのかも。


「ごめんね……?」


 精一杯、愛想笑いで言う。叢原火は、こっちに近づきたがるような気配を見せつつも、ふわふわと遠ざかっていった。

 許してくれたのだろうか?


「前は、ここにも大きなお屋敷が建っていたと聞き及んでいます」

「へえ。そのお屋敷はどうなったの?」

「誰も気づかぬうちに消えたそうです。現れるときも同じようだったそうですから、きっとそういう妖怪の類だったんでしょう」


 またそのうち、同じように何かが忽然と生じるんじゃないでしょうか、とコフルは言って、歩き出した。


 右手を向けば、そちらは、あの雑然とした木造建築の群。西からの陽射しを受け、もとより古色を帯びた壁面はいっそう赤黒く染まり、なんとはなし、まがまがしい気配がする。

 一見すると静かな区画だが、なんだか、奥の方から鈍い音が響いてくるような感じがする。


旧街ふるまちは、あまり初心者向きではないです。慣れないと、行って帰るのも一苦労ですよ」

「そんなに危ないの?」

「というより、道が入り組んでややこしいのです。行きと帰りで同じ道が通じているとも限りませんし」

「そんなの慣れてたって生活できないんじゃない?」

「迷うのに慣れるんです」


 なるほど……

 どうやら、夕闇の街に住んでいると、ずいぶん気が長くなるものらしい。1日がずっと同じ空の色なのだから、時間なんてどうでもよくなるのだろう。


 ずっと真っ赤なままの空を、ふと見やる。ひとときも変わらない空なんて、なんだか奇妙だ。


「まるで書き割りの垂れ幕みたいね」

「垂れ幕ですよ」

「え?」

「空でしょう? あれは本当の空ではないと言われていますね。かつて、何とやら言う大あやかしがあの『仄明ほのあかりの天幕』で空を覆ってしまったのだ、と伝えられています」


 それはまた、大仰な話だ。

 書き割りだと思ってみると、逆にひどくリアルに見えてくる。夕日を浴びて雲はたゆたい、空気はゆらゆらと蜃気楼のように波打つ。鳥の影が群れなして飛び去っていくのは、果たして書き割りか、本物か。


「危ないですよ」

「え? わっ」


 空を見ながらぼんやり歩いていたら、つまずいてしまう。


 ふらりと転びそうになった私の右手を、コフルのちっちゃな手がつかんだ。ぷよぷよした肉球と、ふさふさの毛皮で覆われたコフルの手の感触に、一瞬自分の手が埋もれてしまったみたいに感じる。


「気をつけてください」

「ご、ごめんなさい」


 神妙にお辞儀しつつ、私はコフルに引っ張られるようにして体を持ち上げた。

 ふと見ると、私の足元にうずたかく砂が溜まっている。サンドマンの群れだ。ちっちゃな砂の塊が、豆粒ほどの手を高々と掲げ、私の体を支えようとしている。ひとつひとつは大きくなくても、ずらりと並べば壮観。


「ごめんね、あなたたちも」

「どうして謝るんです?」


 コフルは不思議そうな顔をしている。何を訊かれているのかよくわからなくて、私は首をひねるだけ。

 よそ見して、つまずいて、助けてもらって、謝って。

 何かおかしいかな?


「なんか変だったかな。ごめんね」

「ほら、また。癖ですか、それ?」


 今度は、コフルの方が首をかしげて、半眼で私をにらむ。責めるような表情をされるとまた謝りたくなるけど、謝ったら絶対よけいに怒られるし、八方ふさがりっぽい。

 一瞬フリーズした私を見て、コフルは苦笑。


「もっと図々しくいればいいんですよ。ここは夕闇の街、誰も迷惑になんて思いませんから」


 そう言って、私の手をそのまま引いていく。手のひらの思いがけない強さを感じながら、私はコフルのなすがまま。

 目の前にはもう、大きな橋がかかっている。

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